荒川修作
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荒川修作(あらかわ しゅうさく、1936年7月6日 - )は、愛知県名古屋市出身の美術家。
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[編集] 略歴
1936年、名古屋市に生まれる。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校中退。1958年読売アンデパンダン展に初出品。1961年渡米し、以後ニューヨークに定住。渡米後、マドリン・ギンズ(Madeline Gins,1941-)と知り合い、1962年頃から共同制作を始める。1982年紺綬褒章受賞、1986年フランス文芸シュヴァリエ勲章受章など、内外でその活躍が認められている。1997年、グッゲンハイム美術館で日本人としては初の個展を開催している。初期には、棺桶に入ったオブジェのような奇怪な作品をつくっていたが、渡米してからは、画面に図形、文字、矢印などを描き込んだ「図形絵画」と呼ばれる一連の作品を制作する。「意味のメカニズム」においては、書込まれた言葉と図像や貼付けられた既製品の物体などによって鑑賞者に身体と認識における試行や行動をうながすにいたるまで、その「図形絵画」を発展させ、従来の「美術作品」の位置を逸脱し、見る側がつくられる場所の制作へ向かう。マドリン・ギンズとの共同制作は書籍の著作でも並行され、「死なないために」(リブロポート)他、多数が複数の言語で出版されている。 近年は特に、人間の自律的な行動環境に直接的に影響を与える建物や庭園のようなものを建築する活動が目立つ。94年岡山県奈義町に 磯崎新とのコラボレーションによる「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」。95年 岐阜県に「養老天命反転地」。2005年東京都三鷹市に「三鷹天命反転住宅~In Memory of Helen Keller~」。2008年ニューヨーク、イースト・ハンプトンに「バイオスクリーブ・ハウス」などを実現。現在も様々な建築さらには都市規模の変革プロジェクトを提示している。通常の美術家・芸術家の概念ではとらえきることができなくなった自身の活動領域を「コーデノロジスト」と称する
世界の著名な哲学者や分子生物学者に注目され、2005年にはパリ第10大学で、2008年にはペンシルベニア大学で荒川修作+マドリン・ギンズをめぐる国際カンファレンスが開催。国内の諸々の講演会等においては、宮崎駿、養老孟司、茂木健一郎、利根川進他、多くの分野の人々との場において、芸術・科学・哲学などにわたる自身の深遠な知見に基づき、際立って独特な印象を残す言い回しで語りかける。 近年では一定して、テレビ・雑誌・webなどのメディアでの取材・登場がある。 (通常「出身校」を舞台とすることになっているNHKの教育番組「課外授業 ようこそ先輩」では小学生児童を指導した。本当の出身小学校は名古屋市立御劔小学校であったが、本人の記憶違いから名古屋市立瑞穂小学校で課外授業が収録された。)
[編集] 代表作品
- 「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」(1994)(岡山、奈義町現代美術館)
- 「養老天命反転地」(1995)(岐阜県養老町)
- 「志段味循環型モデル住宅」(2005)(愛知県名古屋市)
- 「三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」(2005)(東京都三鷹市)
[編集] 著作
- 死なないために
- 意味のメカニズム
- 建築-宿命反転の場-アウシュヴィッツ‐広島以降の建築的実験
- 生命の建築
- 建築する身体-人間を超えていくために
- 死ぬのは法律違反です-死に抗する建築

