茶屋町 (倉敷市)

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茶屋町
ちゃやまち
日章旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
自治体 倉敷市
旧自治体 都窪郡茶屋町
面積
5.24km²
世帯数
5,697世帯
総人口
15,483
登録人口、2010年9月30日現在)
人口密度
2,954.77人/km²
隣接地区 市内:
倉敷市倉敷(帯江・藤戸)

市外:
都窪郡早島町
岡山市南区興除
倉敷市役所茶屋町支所
倉敷市役所茶屋町支所
北緯34度34分52.5秒 東経133度49分20.87秒 / 北緯34.58125度 東経133.8224639度 / 34.58125; 133.8224639座標: 北緯34度34分52.5秒 東経133度49分20.87秒 / 北緯34.58125度 東経133.8224639度 / 34.58125; 133.8224639
所在地 〒711-8565
岡山県倉敷市茶屋町2087番地
リンク 茶屋町支所公式ページ
茶屋町の位置

茶屋町(ちゃやまち)は、岡山県倉敷市の東部に位置する地区である。かつての都宇郡都窪郡茶屋町(ちゃやちょう)にあたる。本項では同町と、同町の町制前の名称である都宇郡江島村(えじまそん)についても述べる。

目次

[編集] 概要

茶屋町は倉敷市の内、1972年(昭和47年)に倉敷市に編入合併された都窪郡茶屋町だった地区である。現在は倉敷市役所茶屋町支所が管轄し、茶屋町(帯沖)および茶屋町早沖が含まれる。当地区は1706年の新田開発で児島湾を干拓して作られたため丘陵地の全く無い平坦な土地で占められ、現在も市街地周辺は整然とした田園地帯が広がり稲作中心の農業が盛んである。地区の人口は約15,000人、ここ10年の増加率は15パーセントに達し、住宅地等も西の高須賀や帯高へと拡大し倉敷市や岡山市のベッドタウンとして街の景色も急速に変化している。

編入される前の旧町名は「ちゃやちょう」だが、現在の字名は「ちゃやまち」である。

[編集] 経済・文化

[編集] 地場産業

正織興業の煙突

江戸時代、領主であった戸川氏によって早沖はい草栽培、帯沖は綿花栽培が奨励され、それぞれ畳表小倉織タビ製造が地場産業として培われてきた。特に明治時代中期には、い草が原料の「花筵」(かえん、はなむしろ)が日本を代表する輸出品に数えられるなど隆盛を極めたことがある。現在、綿花の栽培は行われておらず、い草も一部に残るのみであるが、これらの産業により起業した会社が幾つも残っている。

  • 正織興業
    • 1880年(明治13年) - 紡績・織物を製造する「正織社」として設立、織布の製造と染色加工を主な事業としている。駅西口正面に本社・工場があったが、現在は両方とも岡山市内へと移り、ショッピングセンターに姿を変えている。
  • 丸五

[編集] 茶屋町の鬼

茶屋町では毎年、秋祭りに鬼の面を被った市民が派手な衣装に杖やこん棒を持ち多数登場し町を歩き回り祭りを盛り上げる。通称「茶屋町の鬼」と呼ばれ、稲荷神社と住吉神社の秋季例大祭に200年以上前から登場したものと云われている。昭和30年代~40年代に一時衰退するが、昭和50年に保存会が結成され復活した。現在、駅前広場で行われる茶屋町の鬼まつりでは百匹以上が参加、老人介護施設の慰問に倉敷天領夏まつりや水島港まつりにも登場している。

[編集] 歴史

茶屋町
廃止日 1972年5月1日
廃止理由 編入合併
茶屋町倉敷市
現在の自治体 倉敷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
都窪郡
団体コード 33422-7
面積 5.27km².
総人口 8,172
(1972年5月1日)
隣接自治体 岡山市・倉敷市・早島町
茶屋町役場
所在地 岡山県都窪郡茶屋町帯江新田187
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干拓300年の記念碑

[編集] 茶屋町の由来

町の発祥は倉敷を結ぶ茶屋町街道から町の入り口に架かる茶屋町橋の約100m上流にある水門橋あたりで、かつては児島湾に抜ける汐入川の水運の要衝で船溜りがあった。周りには人夫あいての茶屋、船宿や問屋が軒を並べたことによって町が形成されていった。寛政のころには川沿いの道が金毘羅参りの街道になり参拝客あいての茶屋が増え、やがて一帯は「茶屋町」(ちゃやまち)と呼ばれるようになった。

そして町制施行の際、当時「茶屋町」が通称として定着しており、当時の村名である江島村から取った「江島町」の名では“語呂が悪い”などの理由から[要出典]、音読みにした「茶屋町」(ちゃやちょう)が正式町名に採用された。その後、宇野線が開業する際には「ちゃやまち」で固有名詞だからという理由で駅名が茶屋駅ではなく[要出典]茶屋町駅が採用され、また倉敷市に編入合併後も倉敷市茶屋町地区として「ちゃやまち」の名称が引き継がれている。

[編集] 沿革

  • 1704年(宝永元年) - 早島戸川氏戸川安貞が早島沖新田、帯江戸川氏の戸川安広が帯江沖新田をそれぞれ開発に着手する(1707年完成)。
  • 1731年(享保16年) 綿花やい草の栽培、畳表や小倉織の生産が始まる。
  • 1850年(嘉永3年) 東高梁川の安江・四十瀬の土手が決壊、大洪水が起きる。
  • 1870年(明治2年) 早島新田村、帯江新田村になる。
  • 1878年(明治11年) 磯崎眠亀錦莞莚を発明。
  • 1889年(明治22年)6月1日 町村制施行され早島新田村と帯江新田村が合併し、両村よりそれぞれ一字を取って江島村になる。
  • 1890年(明治23年) 桜橋付近に芝居小屋「栄座」ができる(後に映画館になり、昭和30年閉館)。
  • 1896年(明治29年)2月26日 江島村が町制施行し、都宇郡茶屋町が発足。
  • 1900年(明治33年)4月1日 都宇郡が窪屋郡と合併し、都窪郡茶屋町となる。
  • 1910年(明治43年)6月12日 宇野線茶屋町駅開業。
  • 1913年(大正2年)11月11日 下津井軽便鉄道が茶屋町駅に乗り入れる。
  • 1931年(昭和6年) 倉敷を結ぶ県道(倉敷飽浦線)が開通し、茶屋町橋が架けられた。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 児島郡興除村大字西疇のうち字鶴崎の区域を都窪郡茶屋町に編入。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 下津井電鉄線のうち茶屋町 - 児島間が廃止。
  • 1972年(昭和47年)5月1日 茶屋町が倉敷市に編入合併される。
  • 1973年(昭和48年)5月 現在の茶屋町支所が竣工。旧町役場は解体される。
  • 1988年(昭和63年)3月20日 本四備讃線茶屋町~児島間開業。
  • 2006年(平成18年) 干拓300周年記念行事が行われ、駅前の広場に記念碑が建てられる。茶屋町商工会が早島・庄と合併し「つくぼ商工会」になる。
  • 2007年(平成19年)3月5日 郵便番号が709-11xxから710-11xxに変更される。

[編集] 歴代町長

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
佐藤禎太郎 1889年(明治22年)9月19日 1893年(明治26年)4月5日 江島村長
2 平田善策 1893年(明治26年)4月6日 1897年(明治30年)7月8日 1896年2月25日までは江島村長
3 槙尾常五郎 1897年(明治30年)7月9日 1903年(明治36年)11月24日
4 中田静雄 1903年(明治36年)12月16日 1916年(大正5年)12月18日
5 西川順蔵 1916年(大正5年)12月18日 1917年(大正6年)7月28日
6 平島済 1917年(大正6年)7月28日 1918年(大正7年)6月24日
7 畑高太郎 1918年(大正7年)6月24日 1918年(大正7年)10月11日 代理
8 姫井繁次 1918年(大正7年)10月12日 1931年(昭和6年)9月30日
9 河西一郎 1932年(昭和7年)3月26日 1940年(昭和15年)1月15日
10 野田徳三郎 1940年(昭和15年)5月25日 1946年(昭和21年)10月28日
11 安原増夫 1947年(昭和22年)4月6日 1951年(昭和26年)4月5日
12 米谷昇平 1951年(昭和26年)4月23日 1952年(昭和27年)5月4日
13 福山恒治 1952年(昭和27年)5月27日 1956年(昭和31年)5月26日
14 姫井三亀男 1956年(昭和31年)5月27日 1972年(昭和47年)4月30日

[編集] 各種施設

[編集] 各種店舗

[編集] 交通

[編集] 鉄道

JR西日本

[編集] バス

下電バス

[編集] 道路

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 『改訂版 親と子の茶屋町史』 「親と子の茶屋町史」刊行委員会発行 2004年

[編集] 外部リンク

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