茨城県立石岡第一高等学校

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茨城県立石岡第一高等学校
Isiokadaiichihs.jpg
過去の名称 新治郡立農学校
茨城県立石岡農学校
茨城県立石岡高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 茨城県
併合学校 茨城県立八郷高等学校
校訓 誠実・自治博愛
設立年月日 1910年3月15日
(旧校)
2007年4月9日
(新校)
創立記念日 4月16日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
園芸科
造園科
定時制普通科
学期 2学期制
高校コード 08150H
所在地 315-0001
茨城県石岡市石岡一丁目9番地
外部リンク 公式サイト
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校門

茨城県立石岡第一高等学校(いばらきけんりつ いしおかだいいちこうとうがっこう)は、茨城県石岡市石岡一丁目にある県立高等学校

概要[編集]

2007年4月9日に、茨城県立八郷高等学校と統合され、名称そのまま新校「茨城県立石岡第一高等学校」に移行した。制服は改訂されたが、校歌校舎は旧・石岡一高のものが存続した。

校訓は「誠実・自治博愛[1]。開校当初の校訓は「忠実・勤労奉公」であった[2]昭和初期には商業科設置の運動もあったが、実現しなかった[3]

1980年代初頭には男子1098人・女子88人と圧倒的に男子が多かった[1]が、2011年(平成23年)には男子535人・女子490人と女子の比率が増加した[4]

設置学科[編集]

沿革[編集]

開校の経緯[編集]

明治末期の新治郡石岡町は、茨城県内では県庁所在地水戸市に次いで人口が多く、産業都市として発展していた[11]。こうした背景から土浦町にあった新治郡役所の改築が取り沙汰されると、郡役所を石岡町に移転させようとする運動が起こり、石岡町民と土浦町民の間で対立が生じた[5]。これを受け、新しく郡長に就任した和知忠順は対立を収めるため、郡役所をそのまま土浦に置く代わりとして郡立の農学校を石岡に開設することを提案した[5]。石岡・土浦の両町はこの提案を受諾し、開校に至った[5]

開校当時の校長によれば、茨城県新治郡立農学校の教育方針は、「郡内の中流農民の育成」であったという[2]。当時は水田畑を耕作するとともにニワトリブタヒツジを飼育していた[12]

部活動[編集]

運動部
文化部

交通[編集]

茨城県では最も鉄道駅に近い高等学校である[13]

周辺[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 茨城新聞社 編(1981):41ページ
  2. ^ a b 石岡市史編さん委員会 編(1985):1142ページ
  3. ^ a b c 石岡市史編さん委員会 編(1985):1205ページ
  4. ^ 茨城県立石岡第一高等学校"茨城県立石岡第一高等学校"茨城県ハイスクールガイド(2012年1月8日閲覧。)
  5. ^ a b c d e f 石岡市史編さん委員会 編(1985):1140ページ
  6. ^ 石岡市史編さん委員会 編(1985):1141ページ
  7. ^ a b c d e 石岡市史編さん委員会 編(1985):1147ページ
  8. ^ a b c d 石岡市史編さん委員会 編(1985):1210ページ
  9. ^ a b 石岡市史編さん委員会 編(1985):1238ページ
  10. ^ a b 茨城県立石岡商業高等学校"茨城県立石岡商業高等学校(公式ホームページ)"(2012年1月8日閲覧。)
  11. ^ 石岡市史編さん委員会 編(1985):1034ページ
  12. ^ 石岡市史編さん委員会 編(1985):1146ページ
  13. ^ 阿須間富男"校長あいさつ"平成23年5月、茨城県立石岡第一高等学校(2012年1月8日閲覧。)

参考文献[編集]

  • 石岡市史編さん委員会 編『石岡市史 下巻』石岡市長 鈴木堅太郎 発行、昭和60年3月31日、1334pp.
  • 茨城新聞社 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]