若菜正

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わかな ただし

若菜 正
生誕 1925年12月12日
福島県
死因 肺塞栓
住居 東京都世田谷区
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学文学部
職業 経営者
肩書き 集英社社長
任期 1988年 - 1996年
配偶者 若菜美智子
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若菜 正(わかな ただし、1925年12月12日 - 2002年5月10日[1])は、株式会社集英社の第3代社長。『マーガレット』『セブンティーン』の創刊編集長。福島県出身。

来歴[編集]

慶應義塾大学文学部[2]。『明星』編集部を経て、『マーガレット』『セブンティーン』を創刊させる。1964年に役員に昇格後、『non-no』『MORE』『月刊プレイボーイ』などを創刊。1988年に集英社代表取締役に就任し1996年まで務める。退任後は集英社特別顧問。日本雑誌協会副理事長も歴任した[1]2002年5月10日肺塞栓で死去[3][4][5]

人物[編集]

対抗派閥であった週刊少年ジャンプ第3代編集長・西村繁男の著書では、社内人事に大鉈を振った敵役として描かれている。一方同書では、出版に際して若菜自身の許可もあった事が明記されており、その「度量」に謝意を述べられている。

家族[編集]

  • 若菜美智子(妻)

脚注[編集]

  1. ^ a b “若菜正氏死去”. 47NEWS. 共同通信. (2002年5月13日). オリジナルの2016年4月30日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/kWrQa 2012年5月8日閲覧。 
  2. ^ 江坂輝弥「三田の考古学(第二回座談会,三田史学の百年を語る)」『史学』第60巻2・3、慶應義塾大学、1991年、251頁、NAID 110007410639 
  3. ^ 読売新聞夕刊: p. 19. (2001年5月13日) 
  4. ^ 毎日新聞夕刊: p. 9. (2001年5月13日) 
  5. ^ 朝日新聞夕刊: p. 19. (2001年5月13日)