教育

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フランス幼稚園での教育風景。
イラクで中等教育を受けている女性たち
アメリカニューヨークのレクチャーシアター

教育(きょういく、: educatio: education: éducation, enseignement: Bildung, Erziehung西: educación: educação: Образование: تعليم‎)は、教え育てることであり[1][2]、ある人間を望ましい状態にさせるために、こころとからだの両面に、意図的に働きかけることである[3]。教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすること[4]である。

概説[編集]

教育とは何か、ということに関しては諸説があるが、しばしば、教育とは理解を促したり技術を発展させるために、人が生まれたままの状態では持たない知識を伝播し、技能態度などを身につけさせたり、教え育てたり訓練することである、などと説明される。また社会的機能に注目しつつ、それによって社会が維持・発展することを目指した活動である、と説明されることもある。また、人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動である、とも説明される。教育を与える側が、ある価値観を是認し、支持し、内面化することを教育を受ける者に押し付けるように伝えることによって共通の価値観の維持強化を図ること、つまり、教育を与える側が望む共通の価値の実現を目指す活動のことを指す、ともされることがある。

狭義では、知識の伸張(知育)、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)の3つを中核として捉え[要出典]洗脳訓練条件づけなども含まれる。

定義の諸説[編集]

教育の定義には諸説あるが大別すると以下のようになる[要出典]

  1. 語源・語義からの定義 (例 「教育とは、能力を引き出すことを意味する」)
  2. 目標・目的からの定義 (例 「教育とは、よりよく生きるためのものである」)
  3. 方法・手段からの定義 (例 「教育とは、強制の一種である」)
  4. 機能・効果からの定義 (例 「教育とは、社会の再生産である」)

語源・語義からの定義[編集]

語源・語義からの定義の例を挙げると、「英語: education」や「フランス語: éducation」は、ラテン語: ducere(連れ出す・外に導き出す)という語に由来することから、「教育とは、人の持つ諸能力を引き出すこと」とする。

リチャード・ピーターズの定義[編集]

リチャード・ピーターズは、「教育を受けた者」という概念の内在的な意味を探求し、自由教育教養教育)の立場から「教育」を次の3つの基準を満たす活動として限定的に定義した[5]

  1. 教育内容 - 価値あるものの伝達
  2. 教育効果 - ものの見方が広がる
  3. 教育方法 - 学習者の理解を伴う

教育の種類[編集]

一般に教育は、行われる場に応じて学校教育社会教育家庭教育の3つに大きく分けて把握されている[6]

  • 家庭教育」とは、家庭において行われる教育のこと。家庭というのは家族という社会集団が生活をする場であるが、多機能であるので、教育も行われ得る[6]。学校という制度ができてからは、その教育機能の一部が学校へと分離することになったが、家庭は学校と連携を持ちつつその教育機能を持ちつづけている[6]。「家庭教育」と言っても、家庭という場とともに、ひとりひとりの家族との人間関係が重要な意味をもっていると言える[6]。基礎的な価値観をこどもに示すことはしつけと呼ばれている[7]
  • 学校教育」とは、学校において行われる教育のこと。特にこどもに対して、定められた学校で、教えることを専門とする教職員によって計画的・組織的・継続的に行われる[6]。しばしば「教育」というと、この学校教育が連想されるほどに、学校は教育の場の中核を成している。だが、こうした学校中心の教育観には問題がある[6]
  • 社会教育」とは、家庭教育と学校教育以外の[6]、広く社会において行われる教育のことである。学校や家庭以外の社会のさまざまな場において行われている多様な教育活動が該当する。例えば、図書館、博物館、文化センター、公民館などの場である。

上記の3分類以外にも、企業が従業員社員)の職業人としての資質を高めるために行う教育・訓練や、(従業員の)人間性を高めたり市民性 en:citizenship(自分が社会共同体の一員だとの自覚を持ちそれに貢献すること)を育てるために行っている教育は「企業内教育」と呼ばれている[6]

ひとりの子供が、家庭教育と学校教育の両方を受けている[6]

従来は、学校教育と社会教育は、行政上の制度としても別になっており、また教育を受ける人も教育を行う人も異なっていたため、それぞれ独自の方針を持つものとして機能したので上記のような概念枠で理解しても特には問題は無かったが、近年では社会が生涯学習社会へと方針を転換してきているため(つまり一旦学校を卒業した人々もその後に本格的に学習を行うようになってきたため)状況が変化してきている[6]。生涯学習が広まってきたことにより、学校が(例えば大学大学院が)ある程度以上の年齢の人々の生涯学習の場として活用されることが増え、それに伴い、学校側も従来のような(20代までの)若い人だけを念頭に置いた教育では学び手の要求にこたえられなくなってきており[6]、変わりつつあるためである。

なお、離れた場所に居る者に対して行われる教育は、遠隔教育(遠隔地教育)・通信教育という。

教育を受ける人・行う人[編集]

受ける人[編集]

教育の受け手は、児童生徒: pupil)または学生: student)、あるいは学習者学び手: learner)と言い、より堅い言葉では被教育者: educatee)とも呼ばれる[8][9]

教育の受け手が乳児の場合には、その教育は乳児教育保育)と呼ばれ、幼児の場合は幼児教育、児童の場合には児童教育、成人である場合は成人教育と呼ばれる。また、教育の対象が、障害者など学習や生活の上で特別な支援を必要とする者である場合は、特別支援教育という。

なお、教育の対象は他者であるとは限らず、自分自身であることもあり、その場合には自己教育: self-education, autodidacticism)と言うことがある。

行う人[編集]

教育を行う者のことを一般に教育者: educator)・教師: teacher)などという[10]

義務教育・公教育[編集]

多くのにおいて、国民に基礎的な教育を保証するために、公教育として数年にわたる義務教育制度化しており、初等教育中等教育の一部が、児童生徒権利であるとされたり、義務とされている[11]。日本でもこれは実施されている。

教育の理論、教育哲学[編集]

教育の目的(教育目的又は教育目標)をどうとらえるかで2つの立場が存在してきた。

  1. 道徳主義 - 政治社会道徳倫理と言った教育の外にあるものから教育目的を定めるもの(例 アリストテレス[12]
  2. 機能主義 - 教育それ自体が上手くいくように教育目的を定めるもの(例 ジョン・デューイプラグマティズム[13]

道徳主義の教育目的では、伝統的に、個人発達幸福のためとするか、社会の維持・発展のためとするかで論争がある。前者は教養教育自由教育の立場で、人が一人の人間として豊かで幅広い教養を身につけることで、人が人間らしく生きることができるという考えである。こうした考え方は、一部の中等教育高等教育リベラルアート教育として実現している。他方、教育の目的を社会的な必要という観点から捉え、実学を重視する立場もある。専門学校専門職大学院などはこの現れである。

教育を行う理由のことを、教育の正当性と呼ぶことがある[要出典]。これには、教育の必要性と教育の可能性の二面から論じられることが多い。

なぜ教育が欠けてはならないのかという問題について、イマヌエル・カントは「人は教育によって人間になる」と述べ、人間らしく生きるために教育が必要であると論じた[14]学び意欲を喪失した若者が多いといわれる現代において、なぜ教育が必要かが改めて問われる状況にある。

しかし教育が必要であるとしても、それが人間にとって可能なものでなければ、教育はやはり正当性を失うことになる。例えば、プラトンは「は教えうるか」と問い、哲人統治者としての自然的素養を重視した[15]。現在において教育可能性が問題となるのは、「教育がいかに可能か」という教育方法の問題や、「教育がどこまで可能か」という教育の限界の問題としてである場合が多い[要出典]

小塩隆士は、教育とは自分の能力の限界を見極めていくことでもあり、やる気を喪失していく過程でもあるとしている[16]

歴史[編集]

教育に関する歴史教育史と呼ぶ。家庭教育社会教育も念頭に置けば、教育は人類の有史以来存在してきたものと考えることができる。

西洋における教育の歴史[編集]

最古の大学ともされるボローニャ大学での講義風景

制度化された教育について、西洋では古代ギリシアまで遡ることが一般的である。近代国家による教育が普及したのは、産業革命以降の労働者の必要性からであり、多くの国で国民に対する一般教育公教育として施行されるようになったのは、20世紀に入ってからである。

日本における教育の歴史[編集]

日本で初めて教育制度が作られたのは、701年大宝律令とされる。その後も貴族武士を教育する場が存在し、江戸時代に入ると一般庶民の学ぶ寺子屋が設けられるようになった。初等教育から高等教育までの近代的な学校制度が確立するのは明治時代である。第二次世界大戦後の教育は、日本国憲法教育基本法に基づいている。

学校教育現場の情景 (1963年)

教育制度[編集]

教育に関する制度教育制度といい、主に学校教育が中心となるが、社会教育など学校外の制度もある。教育制度は、学校制度義務教育の年限など、国によって異なっている。

教育行政・教育政策[編集]

教育に関する行政教育行政、教育に関する政策教育政策と呼ぶ。日本の教育政策については、日本の教育政策と教育制度を参照。教育政策の課題は国によって大きく異なっているが、先進国においてはおおむね社会的格差の解消や国際的な経済競争知識社会化への対応などが、発展途上国の多くでは識字率就学率の向上が、求められている。

教育法[編集]

教育に関する法律を教育法と言う。条例等も含める場合には、教育法令と呼ぶ。

教育施設[編集]

教育の行われる施設教育施設又は教育機関と呼ぶ。学校のみならず、図書館博物館美術館公園劇場映画館のような娯楽施設も、広く社会において教育的な機能を果す施設を含めて考えられる。基本的な生活態度の養成という観点からは、家庭地域社会での教育も含まれる。

学校[編集]

教育施設の中でも専ら教育のために設立される施設を学校と呼ぶ。学校において行われる教育を学校教育と呼び、その就業年数や義務の有無など学校に関する制度を学校制度と言う。

教育の課程・内容・方法[編集]

教育のために用いられる素材は、教材と呼ばれる。伝統的な教科書黒板や従来から語学学習などで用いられてきた音声教材に加えて、近年では科学技術の発達に伴い、コンピュータマルチメディアインターネットなどを積極的に活用する動きが高まっている。また、電子黒板インターラクティブ・ホワイトボードなどの最新機器も用いられ始めている。

教育課程[編集]

教育において、その実践上の目的・内容・方法等をまとめたものを教育課程又はカリキュラムと呼ぶ。教育課程は、通例では初等教育中等教育高等教育の3段階に分け、この前に保育幼児教育を位置づけることもある。

教育内容[編集]

知育・徳育・体育の分野がある。正確な知識という共通基盤がなければ正しいコミュニケーションや共同生活すら図れないし、またそうした知識をいかに活用していくかという、思考力コミュニケーション能力・創造力等の技能も不可欠である。さらに、知識や技能のみならず、社会生活を営む上での基本的な道徳を教育することに価値を置く見解や、社会で生き抜く体力を重視する見解もある。教育の内容について詳しくは、「教科」を参照。また、新しい教育内容として、人権教育環境教育国際理解教育性教育がある。

教育方法[編集]

教育方法に関しては大きく二つの立場が対立している。

一つは、学問の体系的な構造に従って系統的に教育を行うべきだという、系統学習の立場である。これは特に教育段階が上がるにつれて教育内容が学問の体系に近づく。

その一方で、特に幼児児童への教育を中心として、こどもの自発的な学びを尊重すべきだとする問題解決学習進歩主義児童中心主義経験主義)の考えも強い。日本の小学校における生活科や小中学校の総合的な学習の時間は、この考えに影響を受けたものであると言われている。

教育と社会(教育の効果と機能)[編集]

教育を行った結果としてどのようなことが起こるかについては、個人に与える影響と社会に与える影響の両面がある。エミール・デュルケームは、近代における教育の機能を「方法的社会化」であると捉え、政治社会と個々人の双方が必要とする能力態度の形成であるとした[17]。なお、教育が適切な効果・機能を果していない場合には、「教育の機能不全」、教育がむしろ否定的な効果・機能を果している場合には「教育の逆機能」と呼ばれることがある。

教育効果[編集]

教育を受けた個人に起こる変化を教育効果と呼ぶ。一般的には学力の向上が思い浮かべられることがある。現在の日本では、学校教育に関わる学力を紙面の試験測定できるもの、とりわけ偏差値で計る傾向が強く、このことに対して強い批判が長年存在しつつも、受験現場では不可欠とされている実態がある。

教育効果に関する議論は、教育内容教育方法などを改善する上で欠かせない一方、教育目的測定可能なもののみに置き換えがちな点には注意が必要である。

社会的機能[編集]

教育が社会に及ぼす効果として、経済・政治・社会などに与えるものが議論されている。経済面においては、進学率の上昇による労働者の質的向上が経済成長を押し上げる効果があることが指摘されている(教育の経済効果)[18]

また、政治面では、開発学においては識字率の上昇が民主化に寄与すると考えられることが多いが、識字率と民主化との間の相関は一般に考えられている程には高くなくむしろその反例も見つかることから、この考えは「西欧市民社会の誤謬である可能性」を指摘する見解がある[19]。そのほか社会的な面においては、教育の普及が男女階級平等に寄与するといった主張や、教育水準の上昇が幼児死亡率や衛生状態の改善に寄与するといった主張などがある。

未来学者アルビン・トフラーは「工場での労働を想定して、公共教育は基礎的な読み書き算数と歴史を教えたが、その裏には裏のカリキュラムが隠されており、1)時間を守る、2)命令に従順、3)反復作業を我慢する、という3つのライン作業を前提とした工業労働者に求められる資質である」と指摘している[20]

教育がもたらすこれらの肯定的な機能に対しは疑問の声も一部で上がっている。例えば、発展途上国においては、基礎的な教育の実施で期待される所得・生産性の向上や市場経済への移行などといった経済効果や、政治における民主化の前進、社会における人口の抑制などといった効果が、必ずしも顕著には現れていないことが指摘されている[21]

学校軍隊病院監獄などと同様の近代特有の権力装置であるとしたミシェル・フーコー [22]、学校教育が近代社会に支配的な国家イデオロギー装置であると論じたルイ・アルチュセール[23]、教育が文化的・階級的・社会的な不平等格差再生産または固定化する機能を果しているピエール・ブルデューバジル・バーンスタインサミュエル・ボールズハーバート・ギンタス、教育は家父長制を再生産しているとのフェミニズムからの議論、教育は社会の多数派の文化を押し付けているという多文化主義からの議論、などが有名である。

そのほか、政治面では、各国において教育年数が長いほどおおむね個人主義的・革新的価値観を持つ者が増えることが明らかになっている[24]。この傾向は日本においても基本的に同様で、学歴が高いほど投票率が高まる半面、政治への満足度は逆に下がり、また、学歴が高まるほど自民党支持が減って、民主党支持や支持政党無しの者が増えることが知られている[25]

収入[編集]

学力以外でも収入面での効果が、比較的多くの人々の関心を集めている。例えば、「学歴が上がるほど生涯賃金も上がるだろう」との思い込みは多くの人が持っているが、実際のデータを見てみると学歴による生涯賃金の差は比較的小さい[26]

単年度の見かけの給与はともかくとして、学校に通うことで働いて収入を得る年数が減る分、生涯賃金があまり増えないのである。特に大学院などは、(全日制で)大学院まで進むと、統計的に見て大卒よりもかえって生涯賃金は下がる場合が多い、とのデータもある。一般論として言えば日本の企業は大学院修了者をあまり歓迎していないのである。日本においては、教育を投資と考える傾向は低い。また、2005年現在の日本の社会では、「勉強して良い大学に入れば、良い企業に入れる」という仕組みはすでに崩れてきたことが幾人かの論者によって指摘されるている[27]。例えば関東圏で例を挙げると、東京大学や他の六大学などを卒業していてもフリーターになってしまう可能性もあるのである。

教育問題[編集]

教育に関わる問題、とりわけ教育が社会に関わる問題のことを教育問題という。特にその深刻さを強調する場合には、教育病理または教育危機とも呼ぶことがある。詳しくは教育社会学の項目も参照。

教育活動は複数の人間が集まって行われる以上、そこに必然的に社会が生まれる。学校や学級などはその例である。そこにおいて何らかの問題が生じることがあり、いじめ不登校学級崩壊教員児童生徒学生との権力関係などがここに含まれる。

政治・経済・地域社会・文化などは教育活動に大きな影響を与えているが、こうした影響が問題を生じさせることがある。例えば、国の諸政策マスコミによる報道などは、学校教育はもちろん家庭教育社会教育にも大きな影響を与えている。

学校教育を含む教育活動は、社会一般に対しても大きな影響を与える。狭義で教育問題とは、この局面で生じる問題を指すことがある。学歴管理教育偏差値非行少年犯罪学力低下など学習者、特にこどもを通じて結果として社会に与える影響の他にも、教師のあり方や学校大学のあり方、学閥などの問題として、教育問題は広く社会病理の一領域をなしている。

小塩隆士は、教育が格差を拡大させる可能性も指摘している[16]

教育費[編集]

教育の費用を誰が出すか、ということについての考え方は国ごとに異なっている。フランスでは、公共機関が行う教育(つまり国立や公立の 幼稚園から大学まで)は全て無料である[28][29]。フランスでは、教育というのは国が国民に無料で提供すべきものだ、との考え方が徹底されており、実際にそうした制度になっており、それがしっかりと実施されている。その結果、親に過度に負荷がかからないようになっており、その結果 子供を育てることも可能なのでフランスでは出生率を高めることに成功し[30]、実際に子供を教育することもできている。

日本では、教育費のうちで国や自治体が費用を出している比率が(世界の先進諸国の中で比較しても)最も低い部類で、教育負担のほとんど全部が親にばかりしわ寄せがくるような状態が放置されている。結果として実質的・物理的に教育することが困難・不可能なので、日本では子供を産んで教育することをあきらめざるを得ないので、そもそも教育する対象である子供をつくることを諦めざるを得ず、出生率が2以下に低下し、そもそも教育する子供が減ってしまうような、日本の社会から次第に子供が減って消えていってしまうような、結果となっている[29]

教育学[編集]

教育を研究の対象とする学問教育学と言う。教育学は、哲学心理学社会学歴史学などの研究方法を利用して、教育とそれに関連する種々の事物・理念を研究する。教育哲学教育社会学教育心理学教育史学などの基礎的な分野のほか、教育方法論臨床教育学教科教育学などの実践的分野がある。各国における教育学のあり方は、その国の教員養成のあり方とも密接に関わっている場合が多い。

動物における教育[編集]

高等動物では、教育またはしつけに近い行動が見られる例がある。などの肉食獣では子供に狩りの練習をさせるために弱らせた獲物をあてがうなどはその代表的なものである。

各国の教育[編集]

アジアの教育[編集]

アフリカの教育[編集]

アメリカの教育[編集]

オセアニアの教育[編集]

ヨーロッパの教育[編集]

教育に関する機関・団体[編集]

出典・脚注[編集]

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  1. ^ 広辞苑』第五版
  2. ^ 『広辞林』第五版
  3. ^ デジタル大辞泉
  4. ^ デジタル大辞泉
  5. ^ 分析哲学の影響を受けたリチャード・ピーターズによる。Peters, R. S. Ethics and Education London, Allen and Unwin, 1966.
  6. ^ a b c d e f g h i j k 川本亨二 『教育原理』 日本文化科学社、1995年
  7. ^ 家庭教育のうち人間社会において基礎的な価値観・態度をこどもに示すことは特にしつけと呼ばれる。
  8. ^ 詳しくは在学生を参照。
  9. ^ 教育の対象として、通俗的・日常的にはこども未成年という狭い範囲のみが念頭に置かれることも少なくないが、より広く成人も含むとする見解が現在では一般的となっている[要出典]
  10. ^ 日本では、教育を行う者が組織に属する場合には教員とも呼ばれ、法律上では教諭教授等の呼称が用いられている。そのうち、特に国立公立の機関で教育を行う者は教官とも呼ばれ、私立であっても大学・短大の教員にはこの用語が便宜的に用いられることがある。また、生業として教育を行うこと又はその者を教育職とも称する。詳しくは、教育関係者に対する呼称を参照。
  11. ^ この義務としての教育を義務教育と呼び、それが誰の義務であるかは国によって、教育を提供する側の国家・(児童・生徒の)保護者国民などであったり、受ける側の児童・生徒自身であったりと、異なっている。これらの点について詳しくは、下記の教育制度を参照。
  12. ^ アリストテレスニコマコス倫理学』・『政治学
  13. ^ J・デューイ民主主義と教育』など
  14. ^ I・カント教育学講義
  15. ^ プラトン国家
  16. ^ a b 田中秀臣・野口旭・若田部昌澄編 『エコノミスト・ミシュラン』 太田出版、2003年、248頁。
  17. ^ E・デュルケーム教育と社会学佐々木交賢誠信書房 1922=1976年 (新装版 1982年 ISBN 978-4-414-51703-3
  18. ^ 例えば、昭和50年代の日本の製造業において、教育水準の高まりが1%ポイントほど経済成長の高まりに寄与した。参照、労働省 『昭和59年 労働経済の分析(労働白書)』第II部1(1)1)
  19. ^ 藤原郁郎 「民主化指標の考察と検証―識字率との相関分析を通じて―」『国際関係論集』(立命館大学) 第4号(2003年度) 2004年4月 pp.67-95.
  20. ^ 岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』 朝日新聞社〈朝日文庫〉、1998年、116頁。
  21. ^ 国際協力開発事業団 国際協力総合研修所 『開発課題に対する効果的アプローチ』2002年5月 p.23.
  22. ^ M・フーコー監獄の誕生――監視と処罰』 田村俶訳 1975=1977年
  23. ^ L・アルチュセール 『国家とイデオロギー』
  24. ^ Wiekliem, D. L. 'The effects of education on political opinions: An internationalstudy' International Journal of Public Opinion Research Vol.14 2002 pp.141-157.
  25. ^ 財団法人明るい選挙推進協会「第19回参議院議員通常選挙の実態」(2002年3月発行)、「第20回参議院議員通常選挙の実態」(2005年3月発行)などhttp://www.akaruisenkyo.or.jp/seach/index.html
  26. ^ 例えば、男性標準労働者の生涯賃金(2004年)は、中卒2億2千万円、高卒2億6千万円、大卒・大学院卒2億9千万円。独立行政法人労働政策研究・研修機構 『ユースフル労働統計―労働統計加工資料集―2007年版』 2007年 ISBN 978-4-538-49031-1 p. 254
  27. ^ 例えば、山田昌弘希望格差社会筑摩書房 2004年 ISBN 978-4-480-42308-5中野雅至高学歴ノーリターン光文社 2005年 ISBN 978-4-334-93370-8
  28. ^ フランス政府の公式ページ
  29. ^ a b 中島さおり『なぜフランスでは子どもが増えるのか -フランス女性のライフスタイル』講談社 2010[要ページ番号]
  30. ^ ひと組のカップルから生まれる子供が2人以上になっている。

参考文献[編集]

ここでは、教育全般に関わる文献のみ挙げる。

事典・用語集[編集]

  • 青木一ほか編 『現代教育学事典』 労働旬報社 1988年 ISBN 978-4-8451-0088-0
  • 今給黎勝 『躾・教育をシフトするキーワード40』 梧桐書院 2006年 ISBN 978-4-340-40112-3
  • 岩内亮一ほか編 『教育学用語辞典』 第4版 学文社 2006年 ISBN 978-4-7620-1560-1
  • 小沢周三編 『教育学キーワード』 新版 有斐閣 1998年 ISBN 978-4-641-05865-1
  • 教育科学研究会ほか編 『現代教育のキーワード』 大月書店 2006年 ISBN 978-4-272-41169-6
  • 竹内義彰 『教育学小事典』 新版 法律文化社 1976年
  • 田中智志 『教育学がわかる事典』 日本実業出版社 2003年 ISBN 978-4-534-03581-3
  • 時事通信社内外教育研究会 『教育用語の基礎知識(2008年版)』 時事通信社出版局 2006年 ISBN 978-4-7887-2507-2
  • 平原春好・寺崎昌男編 『新版 教育小事典』 第2版 学陽書房 2002年 ISBN 978-4-313-61032-3
  • 山崎英則・片山宗二編 『教育用語辞典』 ミネルヴァ書房 2003年 ISBN 978-4-623-03606-6
  • 山下幸雄編 『教育学小事典』 法律文化社 1970年
  • 山田栄編 『教育学小事典』 協同出版 2000年 ISBN 978-4-319-10003-3

関連項目[編集]