肝付兼亮

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肝付 兼亮
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄元年(1558年
死没 寛永11年(1634年
改名 兼成、兼輔、兼亮
別名 通称:与市、九郎、三郎四郎
官位 左馬頭
幕府 室町幕府
主君 島津義久
氏族 肝付氏
父母 父:肝付兼続
兄弟 禰寝重長正室、良兼兼長?、兼樹肝付刑部少輔室、頴娃兼有室、兼定兼亮兼則兼護
前室:肝付良兼の次女
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肝付 兼亮(きもつき かねあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名肝付氏の第18代当主。

生涯[編集]

永禄元年(1558年)、大隅国の大名・肝付兼続の子として誕生。

元亀2年(1571年)、異母兄・良兼の死去により、亡父の正室「御南」や兄・良兼の正室である「高城」の意向を受け、良兼の次女を正室に迎え家督を継ぐ。しかし、元亀4年(1573年)、島津氏方の北郷時久と戦って敗れたうえ、伊地知重興禰寝重良などが相次いで離反して島津氏に降ったため、これまで互角以上に渡り合った島津氏との立場は一変、天正2年(1574年)、島津氏に従属した。

しかし、日向国伊東氏と通じた上、夫婦仲が悪かったことで御南や高城に正室と離縁させられ、日向に追放された。

寛永11年(1634年)、死去。