聖ラザロ騎士団

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Cross of the Order of Saint Lazarus

聖ラザロ騎士団(せい-きしだん)は、4世紀に聖バシリウスがカエサリアで創設した病院が起源だと言われている。聖アウグスティノ修道会の会則に従っていたという。

聖地での活動は主に医療活動であったが、軍事活動も行った。1187年ハッティンの戦いに数人の会士が参加し、1244年ガザの戦い(en:Battle of La Forbie)にも参加したが、どちらの戦いも敗戦で参加した会士は全員戦死した。アッコン陥落後は軍事活動から手を引きハンセン病の治療を主に行った。

13世紀中頃までには主にフランスイギリスにも所領を得て、他にもスペインドイツハンガリースイスなどヨーロッパ各地で所領を取得した。ローマ教皇も数度にわたり聖ラザロ騎士修道会の所領の確認と保護の宣言を行っている。

14世紀頃にイギリス支部とフランス支部は実質的には分裂し、それぞれなる道を歩む事になる。1572年にサボイの聖マウルス修道会を吸収し、1608年にマウント・カルメル修道会と合併したが、18世紀に入る頃には事実上フランス王室の所有物となっており、1772年にローマ教皇がラザロ修道会の認可を取り下げて修道会はローマ教皇から正式に離れてフランス王室に従属する形で世俗化して消滅した。

20世紀に入り、聖ラザロ騎士団は再建された。著名な団員としては、スペインのフランシスコ・フランコ、ルーマニア国王カロル2世、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンオットー・フォン・ハプスブルクなどがいる。1956年にフランスで再び修道会として再建され、ヨハネ23世から修道会として認可された。そして、現在はスペイン国王フアン・カルロス1世の庇護の下、キリスト教系の慈善団体として活動を続けている。2008年9月、スペイン王室の縁戚であるフランシスコ・デ・ボルボン・エスカサニー、第5代セビリア公爵(en:Francisco de Borbón y Escasany, 5th Duke of Seville)から、アルマザン侯カルロス・ゲレダ・デ・ボルボンに(en:Don Carlos Gereda y de Borbon)団長職が引き継がれた。世界50カ国あまりに支部を置き、日本支部も開設されている。


その他[編集]

2004年、騎士団内の主導権争いからオルレアン家のアンジュー公シャルル=フィリップ・ドルレアンが聖ラザロ騎士団の「総長」に選出されたと突如宣言したが、その正統性をめぐり、当時の総長であったセビリア公フランシスコ・デ・ボルボン・エスカサニー、現総長アルマザン侯カルロス・ゲレダ・デ・ボルボン、メルキト東方典礼カトリック教会総主教グレゴリオス3世ラハムらと競合状態にあった。ドルレアンの正統性は認められず支持も広がらなかったため、2010年3月、「個人的な理由」から急遽、「聖ラザロ騎士団総長」の辞任を発表した。現在はセビリア公・アルマザン侯・グレゴリオ3世のグループが唯一正統とされている。

参考文献[編集]

  • T・ワイズ著、稲葉義明訳、『聖騎士団 その光と影』、新紀元社、2001年
  • 橋口倫介、『十字軍騎士団』、講談社学術文庫、1994年