聖ウィリブロルド

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聖ウィリブロルド像

聖ウィリブロルド(英 Saint Willibrord)は、キリスト教聖人であり、伝道者である。

フリーセン地方の伝道者で、ユトレヒト初の司教を務めた。658年ノーサンブリアに生まれ、739年11月8日に、現ルクセンブルクエヒタナハで没した。

来歴[編集]

ヨーク近くのリポンの修道院で、聖ウィルフリッドに教えを受けた後、アイルランド修道士としての生活を送り、その後、他の修道士たちと共に、フリーセン地方に伝道のため派遣された。695年11月21日に、教皇セルギウス3世からフリーセンの司教に任ぜられた後は、伝道者を育てるべく、ユトレヒトに修道院を建てた。また教会を建て、そこで礼拝を執り行った。698年には、エヒタナハに修道院を建てた。この領地は、ダゴベルト2世の王女、ウイルミナから寄進されたものだった。

ラッドボッド(レッドボッド)がフリーセンの王となってからは、ウィリブロルドは立ち退かざるを得なくなった。この王は教会を取りこわし、異教の寺院や祭殿を建てて、多くの伝道者を殺した。ウィリブロルドと共に布教をしていた修道士たちは、北の方へ逃げたが、デンマークへラルゴランドでは成果は得られなかった。ラッドボッドの死後、ウィリブロルドは719年にユトレヒトに戻り、聖ボニファティウスの助力を得て布教活動を再開し、結果数え切れないほどの人々が改宗した。一方でエヒタナハの修道院にもひんぱんに足を運んだ。

ウィリブロルドは多くの奇跡を行い、病人の治療もしたといわれる。特に、ハンチントン病(舞踏病)やけいれん性の病気の患者を数多く治した。そのため、こういった病気の守護聖人となっている。没後はこの修道院の礼拝堂に埋葬され、それとほぼ同時に列聖され、エヒタナハは巡礼の地となった。神学者アルクィンによれば、奇跡がここで何度も起こっている。また、一部の聖遺物が他の教会に渡ったものの、大部分は修道院にとどめおかれ、1031年10月19日、新しく建てられた聖堂の、主祭壇の下に納められた。 後にこの聖堂も取りこわされ、新しい聖堂が1868年に献堂された。

エヒタナハのバジリカ(聖堂)

聖名祝日は11月7日だが、イングランドではレオ8世の命により、11月29日に行われる。

聖ウィリブロルドの姿を正しく伝えるものはあまり遺されていないが、パリ国立図書館には、彼の福音とされるものが遺されている。布教の際アイルランドから持ち込んだものであると考えられている。(Bellesheim, "Gesch. der kath. Kirche in Irland", I, Mainz, 1890, 623)[1][2]

「踊りの行進」の発祥[編集]

1906年6月4日には、サンピエトロ大聖堂からの聖遺物の遷移式が行われた。この時に、踊りによる行進が始まり、正装の5人の司教や2人のスイス人衛兵をはじめ、15,000人を越える人々が踊りながら行進したといわれる。(Studien u. Mittheilungen, 1906, 551) 一方で、この踊りの行進は、既に8世紀にはじまっていたとも、14世紀ペスト災害戦争といった社会不安の中で、神への祈願をする人々の中から始まったともいわれている。

[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: St. Willibrord
  2. ^ a b 植田重雄 『ヨーロッパの祭と伝承』 講談社学術文庫、1999年、211-218頁。

関連項目[編集]