羽藤一志

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羽藤 一志
生誕 1922年8月18日
愛媛県今治市
死没 1942年9月13日(満20歳没)
所属組織 大日本帝国海軍の旗 大日本帝国海軍
軍歴 1941 - 1942
最終階級 三等飛行兵曹
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羽藤 一志(はとう かずし、1922年大正11年)8月18日 - 1942年昭和17年)9月13日)は、太平洋戦争期の日本海軍戦闘機搭乗員で零戦エース・パイロット

経歴[編集]

愛媛県今治市(旧越智郡玉川町)出身。(生後、父親の仕事で今治市常盤町に転居。)1938年(昭和13年)6月、海軍飛行予科練習生乙飛9期生として入隊。1941年(昭和16年)11月、三等飛行兵曹に任官される。1942年2月1日千歳航空隊(千歳空)配属、2月19日に第四航空隊(四空)に異動し、ニューブリテン島ラバウルに進出。4月1日付で台南航空隊(台南空)に編入され、4月16日にラバウルに進出してきた台南空本隊と合流する。

ラバウル進出[編集]

台南空は、ラバウルの前進基地となるニューギニア島東部のラエに進出。台南空で羽藤は、先任搭乗員の坂井三郎一飛曹らに鍛えられつつ、4月11日にラエ基地上空で、豪空軍第75航空隊のカーチスP-40ウォーホーク戦闘機(D.S.ブラウン飛曹機)を初撃墜したのを皮切りに、6月25日のポートモレスビー攻撃での米陸軍第35戦闘飛行隊のベルP-39エアラコブラ戦闘機撃墜、7月11日のポートモレスビー上空での米陸軍第40戦闘飛行隊のP-39戦闘機(オービル・カークランド少尉機)撃墜、8月2日のブナ泊地上空における米陸軍第41戦闘飛行隊P-39戦闘機撃墜等、新米搭乗員として驚異的なスピードで撃墜を重ねていく。

同年8月7日、米軍ガダルカナル島上陸の報を受け、上陸支援の米機動部隊攻撃に向かうこととなった四空一式陸上攻撃機27機援護、米海軍機撃滅を任務として、台南空は最精鋭の18名を選抜して、その時点で航空戦史上、最長距離となるラバウルからの往復攻撃に向かうこととなる。零戦の威力を存分に見せつけ、米機動部隊を一旦退避させることに成功したと言われるこの戦闘に、羽藤は、撃墜王の笹井醇一中尉が指揮する第三中隊の第二小隊長坂井一飛曹の三番機として出撃。

一式陸攻がガダルカナル島沿岸に上陸中の米艦隊、輸送船へ爆弾投下した直後、一式陸攻と、これを護衛中の零戦隊に対し、空母サラトガ発艦の米海軍VF-5航空隊所属のグラマンF4Fワイルドキャット戦闘機3機が上空から急降下して攻撃。うちジェームズ・「パグ」・サザーランド大尉機に対しては、まず第二中隊第一小隊三番機の山崎三飛曹機が、直上後方から一撃。しかし、サザーランド大尉はこれを回避して前方へやり過ごし、すかさずの左上昇旋回で、山崎機の左後方について反撃。山崎の危機に、坂井小隊二番機の柿本二飛曹、同三番機の羽藤が駆けつけ、まず柿本機が一撃も、急旋回で射弾回避。その間に羽藤がサザーランド機の真後ろにつき、命中弾を与えるが、これは操縦席背後の防弾鋼に吸収される。そこからサザーランドは、ジグザグ飛行の巧みな操作で、羽藤も含めた全3機を、前方にやり過ごし、逆に絶好の射撃位置につけるが、サザーランド機は、羽藤機の命中弾で機銃が故障し、銃撃できなかった。

太陽を背にしての急降下の敵襲をいち早く察知、全速で編隊の最先端に出て、急上昇、反撃したため、一時的に列機と離れてしまっていた坂井が、この時点で、高度5百メートルで左垂直旋回中の羽藤他を発見。列機の一大事と、高度4千メートルから急降下して救援に駆けつける。これをすかさず察知したサザーランド機と坂井機の一騎討ちとなったが、格闘戦の末、坂井がこれを撃墜。(一連の空戦描写は坂井の著書「大空のサムライ」に詳しいが、その描写は、重傷を負いつつも、落下傘降下して生還したサザーランド大尉のこのときの空戦メモと一致。一方、坂井はこの空戦直後、ダグラスSBDドーントレス急降下爆撃機8機編隊を、F4F戦闘機と誤認して、直上後方からこれを攻撃したが、旋回機銃の集中砲火を受けて重傷を負い、治療のため内地帰還の命令を受けることとなる。)

8月7日以降、台南空は、ラバウル、ガダルカナル間の往復2千キロ以上、零戦の狭い操縦席で往復7-8時間の過酷な飛行を伴う戦闘を余儀なくされ、一方で米海兵隊戦闘機隊が8月20日にガダルカナル飛行場に進出。同島上空の制空権を確保され、戦況は大きく変化する。同時に、撃墜王で、列機を一度も失うことのなかった坂井が戦線を離脱したあと、台南空における若手エースとしての羽藤の存在感は高まっていくこととなる。

8月21日、羽藤は一式陸攻36機護衛の河合大尉指揮の台南空零戦13機の1機、第二中隊長の笹井中尉の三番機として出撃。この日、笹井中隊6機(笹井中尉、米川二飛曹、羽藤三飛曹/高塚飛曹長、松木二飛曹、吉村一飛兵)は、ガダルカナル飛行場北西のサボ島南岸、高度4千メートル上空で、前日ガダルカナル飛行場に進出したばかりで、上空哨戒中の米海兵隊VMF-223航空隊のグラマンF4F戦闘機4機と初対決。その後、撃墜王となるジョン・スミス海兵隊少佐以下4機を、笹井中隊6機が、高度差150メートル優位から一撃。羽藤の果敢な射撃も有効で、グラマンF4F全4機が被弾。しかし、4機とも直ちにガダルカナル飛行場の方向へ離脱したため、ラバウルまでの帰りの燃料の憂慮から、追撃はできず、以後19機を撃墜することとなるスミス少佐を含めた4機は、大破した2機も含めて、頑丈な機体と共に辛うじて飛行場に滑り込み、人的損害なし。羽藤を含めて、笹井中隊は無傷でラバウルに帰還するが、ある意味、これ以降のガダルカナル航空戦を暗示させるような戦闘内容となる。

羽藤は8月23日、25日も疲労をおしてガダルカナルへ出撃。同島上空に達するも、共に会敵せず。翌26日は一式陸攻17機護衛の台南空零戦9機の1機、指揮官笹井中尉の三番機として出撃。ところが、この日、コースト・ウォッチャーズからの事前通報を受け、迎撃の米海兵隊のグラマンF4F戦闘機12機は、9千メートルと十分な高度をとって待ち伏せ。高高度からの急降下奇襲の一撃にて零戦2機が瞬時に撃墜され、海面への激突が確認される。この一撃は回避した笹井小隊はこのときに離散してしまい、列機は笹井中尉を見失う。二番機の大木一飛曹は3発被弾、三番機の羽藤三飛曹は無傷でラバウルに帰還するが、笹井中尉は戻らなかった。というのも、この日の指揮官の笹井中尉は、列機の敵をとるべく、米海兵隊エースマリオン・カール大尉を追尾してガダルカナル基地上空へ単機で突入し、カール大尉との壮絶な一騎討ちの末、撃墜されたからである。

最期の戦い[編集]

8月までの台南空の快進撃を牽引してきた笹井中尉、坂井一飛曹の両撃墜王を失った台南空において、羽藤は9月2日、5日、10日とガダルカナル攻撃に出撃。9月7日にはポートモレスビー攻撃にも出撃。最期となった9月13日はガダルカナル飛行場強行偵察の二式陸上偵察機2機を護衛。稲野菊一大尉指揮の台南空零戦9機の第三小隊三番機という、奇襲を受けた場合、最も敵機に狙われやすいとされる編隊最後尾で出撃した。

前日の夜、ガダルカナル島では、川口支隊による飛行場総攻撃、占領が予定されており、現地上空から正確な戦況を確認し、占領されていれば、そのままガダルカナル飛行場に着陸、進出するという特殊任務を負った出撃となった。9月13日午前4時30分にラバウル基地を離陸、午前8時にガダルカナル島上空に達したが、戦況確認、そして着陸も視野に入れて、それまでの爆撃機護衛の高空侵入と異なり、極めて危険な低空でのガダルカナル飛行場侵入となる。しかし、実はその時点で川口支隊はジャングルに進攻を阻まれ、攻撃位置にすら達しておらず、総攻撃は13日夜に延期となっていた。そうした状況を知らない飛行隊が飛行場上空に侵入した時、すでに空中退避していたグラマンF4F戦闘機28機の奇襲を受ける。第三小隊(大木一飛曹、太田一飛曹、羽藤三飛曹)三番機、編隊最後尾の羽藤は、高度200メートルの超低空の劣位から米海軍VF-5航空隊スモーキー・ストーバー中尉機めがけて反撃。しかし、突然の攻撃への対処にストーバー中尉機の前方に突っ込んでしまう結果となり、逆にストーバー中尉に後方から射撃を受け、飛行場の15キロ西の丘陵に激突して炎上。また第二小隊の全3機(高塚寅一飛曹長、松木進二飛曹、佐藤昇三飛曹)も低空での奇襲、乱戦のなかで撃墜される。4機を失った敵討ちに、残る5機は猛反撃し、米側記録によると、格闘戦でグラマンF4F戦闘機2機が撃墜され、2機が大破している。(大破2機のうち1機は、大木一飛曹、太田一飛曹の猛攻を受けたストーバー中尉機。)

台南空飛行機隊編成調書に記録されている戦果欄合計による羽藤の撃墜総数は19機。享年20。童顔色白の小柄な美少年だった羽藤は、台南空で「ポッポ」の愛称で呼ばれていた。(これはハトポッポの語呂あわせから名づけられたとのこと。)

父親が早くに亡くなり、母親が再婚,異父兄弟の妹と弟がいたが、兄弟仲は良かったと伝えられている。羽藤の墓は今治市の大谷墓地の軍人墓地地区にある。

参考文献[編集]

  • 『台南空飛行機隊編成調書』(防衛研究所図書館所蔵)
  • 坂井三郎『大空のサムライ かえらざる零戦隊』(光人社NF文庫、2003年) ISBN 4769820011
  • 豊田穣『新・蒼空の器 大空のサムライ七人の生涯』(光人社NF文庫、1995年) ISBN 4769820771
撃墜王 ラバウルの若きリヒトホーフェン・笹井醇一の生涯 p378~p425
  • Marion E. Carl with Barrett Tillman 『Pushing the Envelope』(Naval Institute Press、1994年) ISBN 1591148669
  • Henry Sakaida 『Winged Samurai』(Champlin Fighter Museum Press、1985年) ISBN 091217305X
  • 『Interview of Major John Smith, USMC VMF Squadron 223, Guadalcanal Island In the Bureau of Aeronautics, 10 November 1942』
  • John B. Lundstrom 『The First Team and the Guadalcanal Campaign: Naval Fighter Combat from August to November 1942 』(Naval Institute Press、1993年) ISBN 1557505268