緑風荘
| 種類 | 旅館・ネット通販 |
|---|---|
| 本社所在地 | 〒028-5711 岩手県二戸市金田一字長川41 |
| 設立 | 1955年 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | 旅館業 |
| 代表者 | 五日市 洋(第27代当主) |
| 特記事項:本館は築300年以上の南部曲り家。奥座敷中庭に座敷わらしを祀った亀麿神社。 | |
緑風荘(りょくふうそう)は岩手県二戸市金田一の温泉郷にある旅館。及び通信販売「有限会社えんじゅ」を運営している。その他、帰属団体の亀麿会事務局。
宿泊のほか日帰り入浴も可能。低張性弱アルカリ低温泉。単純温泉(ラジウム温泉)[1]。300年以上前、南部藩の湯治場だったことから「侍の湯」[2]と呼ばれていた。
目次 |
[編集] 概要
日本を代表する座敷わらしの出没する宿として地位を保ち続けている。
座敷わらしの名前は亀麿(かめまろ)と呼ばれ、宿では物の怪としてではなく先祖の守り神(精霊)として同施設内に亀麿神社をつくり祀っている。ご神体は水晶で例大祭は毎年9月28日。
館内は芸能人との記念写真やゆかりの品、ぬいぐるみであふれている。今日まで多くの著名人が宿泊し、昨今でも幅広いメディアで取り上げられている。
本館と別館[3]で構成され本館母屋の奥座敷「槐(えんじゅ)の間」[4]に座敷わらしの目撃例が多く文化人・著名人が多く宿泊することで有名だが、「槐の間」は人気が高く2011年(平成23年)12月31日まで予約で一杯。1週間の予約期間、一気に3年間の予約を電話のみで受け付けるため予約は大変困難で"運"次第[5]。
2012年(平成24年)1月1日以降の予約受付は、2011年(平成23年)3月7日 午前10時より電話受付開始。毎回、受付開始数日間は電話が殺到するため回線障害が発生する。
新館(別館)は予約なしで宿泊できることが多い。「槐の間」だけでなく館内いたるところでの目撃例が多く、新館の部屋にも姿を見せることもある。座敷わらしのほうから人を選ぶといわれ、必ずしも「槐の間」に出現するわけではない[6]。
宿泊以外に「槐の間」見学も可能で、全国からお供えの品などを奉納する方も多い。しかし「槐の間」の宿泊客がチェックインが早くアウトも遅いといった場合、容易に見学はできない。あくまでも「槐の間」宿泊客が食事などで不在の際に公開されることが原則。
なお、2009年(平成21年)10月4日に起きた火事で、座敷わらしを祀る中庭の亀麿神社以外が全焼。従業員・宿泊客は全員無事だったが、営業停止状態となっている。2012年(平成24年)12月の営業再開を目指している。
[編集] 沿革
1300年(南北朝時代)、南朝の武将が[7]北朝(足利尊氏)方との戦いに敗れ落ち武者となり奈良から東京都あきる野市(五日市町)に落ち延びこの地名を名字とした。しかし、この地は関東の勢力範囲内でそこからさらに南部藩(金田一)に落ち延びる。この時6歳と4歳の男の子がおり、金田一までたどり着くと同時に兄の亀麿(かめまろ)は病にかかり死去する。死の床で「末代まで家を守り続ける」と言い息を引き取った。
この亀麿の霊が奥座敷「槐の間」に棲みつき「家の守り神」となり、時々客人に姿を見せたりいたずらをするようになったと言い伝えられている。この部屋に泊まり座敷わらしに出会えると驚くほどの幸運に恵まれ男は出世し、女は玉の輿にのると一般的に言われている。
1910年(明治43年)、日本ではじめてオカルトブームとなる。民間伝承をまとめた柳田國男の『遠野物語』が発表された。これをきっかけに座敷わらしの存在が全国に知られるようになる。五日市家の座敷わらしも注目されたが、地元だけに限られた。
1940年代、第二次世界大戦に徴兵された多くの若者が無事帰還を願い訪れる。
1947年(昭和22年)、地元の大地主で大勢の下働きを雇い長らく農業を営んでいたが農地改革により農地を手放す。
1955年(昭和30年)、五日市家により「緑風荘」開業。
1971年(昭和46年)、作家の三浦哲郎が緑風荘の座敷わらしをテーマに児童小説『ユタとふしぎな仲間たち』を発表。のちに浅利慶太の演出で劇団四季が演劇に。1970年代のオカルトブームも重なり、緑風荘の名は一躍全国に知られるようになる。
1980年代、「怪奇現象」・「心霊現象」・「超常現象」をテーマとしたテレビ番組で度々取り上げられる。この頃から芸能人の宿泊ラッシュとなる。
2002年(平成14年)、ウェブサイト開設。
2008年(平成20年)、帰属団体により亀麿会設立。また、不思議体験を自由に書き込み交流できる掲示板を諸事情でリニューアル。現在は管理者により書き込みは制限されている。
2009年(平成21年)、日本の文化や伝統、芸能、学校行事を世界に紹介している外務省キッズWebJapanにて海外向けに座敷わらしが出る宿として紹介される。
2009年(平成21年)10月4日午後8時半頃に発生した火災により、中庭の座敷わらしを祀った祠を残して全焼[8][9]。
[編集] 幸福に恵まれた代表的人物とエピソード
- 原敬(第19代内閣総理大臣) - 東北遊説の際に宿泊。その後、総理大臣就任。
- 米内光政(第37代内閣総理大臣) - 宿泊後に総理大臣就任。海軍大臣や聯合艦隊司令長官を歴任。
- 福田赳夫(第67代内閣総理大臣) - 総理大臣に就任。福田康夫(第91代)も訪れたと言われている。
- 田子一民(第33代衆議院議長) - 座敷わらしに出会い政治家として出世。
- 三船久蔵(武道家) -「槐の間」で座敷わらしと組み合いあしらわれたという。
- 本田宗一郎(本田技研工業創業者) - バイクでツーリング中に宿泊。その後事業拡大。
- 松下幸之助(パナソニック創業者) - 事業を世界規模に展開。
- 稲盛和夫(実業家) - 宿泊後に事業建て直しに成功。
- 金田一京助(作家) - 学者・作家として出世する。緑風荘に度々訪れ五日市家と交流があった。
- 三浦哲郎(作家) - 緑風荘で感じたインスピレーションによりヒット作品を世に出す。
- 遠藤周作(作家)- 館内で座敷わらしに遭遇し、その出会いを作品に描いている。
- 水木しげる(漫画家)- 「槐の間」での座敷わらしとの出会いを雑誌で詳細に述べている。
- つのだじろう(心霊研究家)- 緑風荘に奉納した座敷わらしの絵に描かれた眼球が動いたことで話題に。
- 水戸泉政人(元大相撲力士)- 「槐の間」宿泊後、1992年(平成4年)7月場所幕内優勝。
- ゆず(音楽グループ) - ストリートミュージシャンからメジャーデビュー。
- 岩手県立福岡高等学校女子ソフトボール部 - 槐の間で優勝祈願。全国優勝を果たす。
- 五日市栄一(第25代緑風荘当主)- 座敷わらしに出会い第二次世界大戦の徴兵を逃れる。
[編集] よくある不思議体験
[編集] 出火要因とその後
読売新聞(2009年10月4日 読売新聞)によるとボイラー室が出火元の事故と発表された。 宿泊客には24時間入浴を開放していたため、 出火以前から掲示板[11]などで深夜のボイラー室から出る異常音を指摘されていたが、メディアへの公式コメントでは、宿主は定期的なメンテナンスをしていて異常は無かったと発表している。 現在は亀麿会を中心に緑風荘の再建を目指している。
[編集] 関連グッズ
- 亀麿神社 お守り
- 亀麿神社 水晶携帯ストラップ
- 亀麿神社 水晶ブレスレット
- 御神木(完売:中庭にあった古木を加工したもの)
- 緑風荘オリジナル巾着付き水晶(2cm水晶玉)
- 願い和紙 (願い事を記入して亀麿神社前の紐に結わえる)
- 座敷ワラピー(3.5cm座敷わらしキューピー携帯ストラップ)[12]
[編集] その他
- 座敷わらしは実体のないものなだけに霊感の強い人物が比較的見ることができると言われているため、緑風荘に宿泊すれば誰でも必ず会えると言うものではない。
- 座敷わらし伝説の由来は柳田の『遠野物語』からとされているが遠野地方の座敷わらしについて述べられているため、緑風荘の亀麿とは歴史的な背景、一般的な伝承などが異なる。
- 緑風荘と何らかの接点を持つとオーブ写真、ラップ現象、金縛りが体感できると言われているがこれは科学的に立証されているもので霊的なものとは関連性がないとされている。しかし「自宅で子供の走る音が聞こえた」、「霊感のない人が突然座敷わらしの気配を枕元に感じた」、「自宅にお供えしてある小鳥のおもちゃが勝手に鳴いた」、「お腹をトントンと軽く叩かれた」[13]など不思議な体験をした者が多く、この不思議体験の多さが座敷わらしの宿として古来から人々を惹きつける所以でもある。
- 海外からも似たような体験から、緑風荘に遥々訪れる者も多い。海外ではポルターガイストの宿として紹介されている[14][15]。
- 参考文献によると一般的に座敷わらしに出会えると驚くほど幸運が舞い込むと言われているが地方によっては危険や不幸を警告・予知するため姿を現すことがあるという伝承もあり、その姿の色により意味があるといわれる。赤、青、白が一般的だがそれぞれの意図するものは不明瞭で諸説ある。
[編集] 参考文献
座敷わらしの定義や伝説は地方により大きく異なる。
- 川島秀一『ザシキワラシの見えるとき』 [IV『遠野物語』を支える伝承世界 ザシキワラシの見えるとき]
- 吉村達也『金田一温泉殺人事件』
[編集] 脚注
- ^ 施設内浴室の解説文参照。源泉:湯田温泉(大湯)pH8.2ナトリウム226 炭酸水素434 ラドン20.84CR。宿泊客は24時間入浴可能。
- ^ 藩政時代は南部藩士以外の入浴は許可されていなかった。
- ^ 別館(新館)は戦後に増改築された客室。
- ^ 母屋は槐の木で作られていることからこの名が付けられた。「槐の間」は3つの部屋で構成され宿泊客数により襖を開放(奥座敷[12畳]・次の間[10畳]・控えの間[12畳])。母屋には「槐の間」、大広間(食堂)、調理場がある。
- ^ 「槐の間」の宿泊は平等に予約権利を与える基本方針から、「予約期間内の電話」以外での予約は一切受け付けていない。
- ^ 緑風荘WEB[Q&A集]回答より。
- ^ 五日市家の先祖は万里小路(までのこうじ)藤原藤房。後醍醐天皇に仕えた忠実な家臣(公家)で藤原四家、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の血を引く。詳細は藤原四家 家系図(北家)を参照。
- ^ 読売新聞 2009年(平成21年)10月4日23時2分配信[1]
- ^ 朝日新聞 2009年10月4日23時23分配信[2]
- ^ 緑風荘を紹介した旧サイト参照。
- ^ 緑風荘旧サイト[座敷わらし不思議体験談掲示板]参照。
- ^ 地域限定コスチュームキューピー(緑風荘とは無関係グッズ)。
- ^ 緑風荘旧サイト[座敷わらし不思議体験談掲示板]参照。現在はリニューアルに伴い旧書き込みは全て削除されている。
- ^ 個人の座敷わらし研究家サイト参照。
- ^ ウィキペディア(フランス)参照