綱島温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Hot springs 001.svg綱島温泉
温泉情報
所在地 神奈川県横浜市港北区綱島
交通 鉄道:東急東横線綱島駅下車
泉質 ナトリウム - 炭酸水素塩泉黒湯
泉温 18
pH 7.9
テンプレートを表示
綱島ラジウム温泉 東京園
Tsunashima-onsen-Tokyoen 2.jpg
料金 <開店〜16時まで>
大人900円・小学生600円・幼児無料
※入浴時間が1時間半以内の場合、払い戻しあり
<16時以降>
大人450円・小学生180円・幼児2名迄無料
営業時間 10:30 - 21:00
定休日:12月31日
所在地 横浜市港北区綱島1-8-11
北緯35度32分11.4秒 東経139度38分08.9秒 / 北緯35.536500度 東経139.635806度 / 35.536500; 139.635806
交通 東急東横線綱島駅(東側)から徒歩3分
泉質 温泉の泉質等については上記、綱島温泉テンプレート内の「温泉情報」を参照。
開業年 1946年昭和21年)
外部リンク 公式ページ
特記事項 ラジウムエマナチオン(ラドン)の検出によりラジウム温泉としているが、現在の基準では放射能泉に該当しない[1]
テンプレートを表示

綱島温泉(つなしまおんせん)は、神奈川県横浜市港北区綱島・樽町(旧:琵琶畑下)・大曽根にある温泉

戦前・戦後は、“東京の奥座敷”と呼ばれ大きな温泉街であったが、現在は数軒の温泉銭湯が残り、その名残を止めている程度である。

泉質[編集]

  • ナトリウム - 炭酸水素塩泉
    • 源泉温度18℃
    • 黒湯と呼ばれる、黒色をした源泉である。透明度はほとんどない。

温泉街[編集]

かつては約80軒もの宿泊施設があり、東京近郊の温泉地としてにぎわいをみせていたが、時代の変化に伴い廃業が相次いだ。特に1964年東海道新幹線が開業し、熱海箱根伊豆などへ短時間で行けるようになったことが追い討ちをかけ、最後まで残った横浜市教職員互助会「浜京」も2008年3月15日をもって閉館・解体され、宿泊施設はなくなった。[2]

一方、その他の温泉施設としては現在でも綱島街道沿いにある日帰り入浴施設綱島温泉東京園」など数軒が営業している。東京園は歌手の三橋美智也が下積み時代にボイラーマンをしていたことでも有名で、過去には地元小学校の校舎建築チャリティーコンサートにも協力していた[3]。 大広間の休憩室にはエアコンがないけれども、夏は窓からの風で涼むのが心地よい[2]。飲食物の持込に制限がないことから、湯上り客が本を読んだり弁当を食べたりして寛いでいる姿が見受けられる[2]。ときより若者たちが楽器を持ち寄りコンサートを開くこともあり、世代を超えて広く親しまれている温泉である[2]

歴史[編集]

自社の路線案内図に「直営浴場」として紹介された綱島温泉浴場(中段左から4番目。『東横・目蒲電車沿線案内図』1938年)。
東京園の外観(2013年8月7日)
綱島温泉湧出の碑
(2010年4月10日)
  • 1914年 - 地元の人が井戸を掘ったところ赤い水が湧いたため調べた結果、温泉と分かりラジウム温泉と認められる[1]。この場所は、現在の綱島駅から鶴見川を越えた港北区樽町である。
  • 1917年 - 最初の銭湯が開業する。
  • 1926年2月14日 - 東京横浜電鉄神奈川線が開通し、綱島温泉駅が開業する。駅前には温泉街が形成され、無料の入湯券が配布されるなどのキャンペーンがあり[4]賑わいをみせる。
  • 1927年 - 東京横浜電鉄の直営として「綱島温泉浴場」を開業。「温泉遊園地 多摩川園」にならって遊園地にする計画は、資金不足の関係でスタート時は断念した[4][5]
  • 1930年代 - 連れ込み旅館的要素も多く、旅館では不義や親類に認められない男女の心中事件が度々起こる。
  • 1941年 - 太平洋戦争が始まり、旅館業の廃業命令がでる。
  • 1944年10月20日 - 綱島温泉駅が綱島駅に改称。
戦中は一時下火となったが、戦後、温泉街芸者街(花街)として復活し、観光目的や湯治目的の他に、接待目的のいわゆる「社用族」の利用が多く、東京の奥座敷や関東の有馬温泉などとも呼ばれ、アメリカ兵の特殊慰安所としても機能したようである[3]。また性行為目的の「連れ込み宿」(平屋建ての離れ形式が多かった)も立ち並んでいた。
  • 1946年 - 「東京園」が開業。
  • 1962年 - 綱島温泉芸妓組合置屋数19軒(見番2軒)。
  • 1964年10月1日 - 東海道新幹線(東京-新大阪)が開業。
  • 1965年3月10日 - 警視庁による錦政会(稲川会の前身)に対する第一次頂上作戦の一環として、温泉旅館石水亭の賭場を捜査。
  • 1968年4月25日 - 東名高速道路(東京IC-厚木IC、富士IC-静岡IC、岡崎IC-小牧IC)が開通。
  • 1969年3月19日 - 小田原厚木道路(厚木IC-小田原西IC)が供用開始。
  • 1970年以降 - 交通の発達と共に箱根伊豆が首都圏の保養地としての地位が上ったため、相対的に旅館の数が減少。それと相俟って1970年以降は都心へのアクセスの良さなどに着目したマンションデベロッパー、資材販売会社などが、駅西口を中心に温泉旅館の用地買収を強化(行楽園・鶴水旅館・梅島館・嬉野旅館・千草及び周辺の芸妓置屋・検番など)。
  • 1975年9月 - 東口にある「東京園」が不審火により火災。1,719㎡を焼損し、しばらく休業するも、署名運動などを受け、2年後に再開。
  • 1976年 - こうした状況を踏まえ、主に周辺で温泉旅館を営んでいた地権者らが西口再開発協議会を設立。その後、イトーヨーカドー(パデュ通り)を中心とした商業地への転換と共にベッドタウン化が急速に進むこととなった。
  • 1980年頃 - 東口にある老舗旅館「割烹旅館入船(旧称:入船亭)」が閉店(現在も建築物は遺されている)。
  • 1994年2月 - 一般の宿泊施設としては最後の、「割烹旅館水明(旧称:水明楼)」が閉店。
  • 2004年 - 東口駅前にあるビジネスホテル「春日家」(元温泉旅館)が閉店(この頃は温泉・割烹旅館から休憩・商談を目的としたビジネスホテルラブホテルへの転業が多くあった)。
  • 2008年3月15日 - 宿泊施設としては最後の、横浜市教職員互助会「浜京」が閉店。これをもって、「綱島温泉」の旅館業が全て廃業となる。現在、その面影を遺しているのは、数軒の温泉銭湯及びビジネス旅館(東京園・富士乃湯・大平館・きよ水・まつ代・ことぶき旅館等)及び解体されていない建屋(入船・長楽園 (現・大綱会館) 等)程度となっている。

アクセス[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 綱島温泉東京園(関東周辺 立ち寄り温泉みしゅらん)
  2. ^ a b c d e 佐野憲太郎 2014.
  3. ^ a b 第64回:綱島温泉の記憶 -その3-”. 港北区の歴史と文化. 公益財団法人 大倉精神文化研究所 (2004年4月). 2014年4月13日閲覧。
  4. ^ a b 第63回:綱島温泉の記憶 -その2-”. 港北区の歴史と文化. 公益財団法人 大倉精神文化研究所 (2004年3月). 2014年4月13日閲覧。
  5. ^ 東横線に温泉街、二子玉には読売園…東急線の意外な過去(日本経済新聞電子版 2012/6/8 7:00配信)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]