統治女王

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統治女王(とうちじょおう、reigning queen)は国王主権を有する女王

国王の配偶者としての王妃(英語では共にQueen)と区別される。帝国の場合は女帝と呼ぶ。女王、女帝の配偶者王配または夫君と言う。

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[編集] 概要

近代以前においては、君主は軍の統率者であることが求められたため、多くの国において、女性は女性相続人として共同統治の君主となったり、夫や息子に代わって摂政として実権を握ることはあっても、正式な単独の君主となることは難しかった。

最も古い女王としては、旧約聖書に出てくるシバの女王がいるが、伝説の域を出ていない。プトレマイオス朝エジプトでは、男王との共同統治という形でクレオパトラなどの女王が現れた(単独で統治した女性のファラオ第18王朝ハトシェプストがいるのみである)。

日本新羅では、女王が存在したが、実際の政治は男の摂政や大臣が行ったと思われる。尤も推古天皇や、持統天皇は実権を握っていたと思われている。中国では、女性君主も女系継承という考えも無く、母后として実権を振るった女性は多いが、女帝として即位したのは武則天が空前絶後であった。

東ローマ帝国(ビザンティン帝国)では、8世紀にエイレーネーが女帝となり、西欧はこれに反発し、カール大帝を西ローマ皇帝とした。ビザンティン帝国ではこれ以降も、しばしば女帝が誕生する。

一方、西ヨーロッパにおいては、ゲルマン法系のサリカ法典が女性継承を禁じていたため、実権を持つ単独の女王が誕生するのは16世紀になってからである。以下にヨーロッパの女性君主を紹介する。

12世紀エルサレム王国では、国王ボードゥアン2世の娘メリザンドがアンジュー伯フールク・ダンジューを婿に迎え共同統治女王となった。

12世紀のイングランドでは、ヘンリー1世の死後、唯一の嫡子である娘マティルダが王位を主張した。上記のメリザンドは既に即位しており、その夫王フールクはモードの夫アンジュー伯ジョフロワ4世の父に当たるため、イングランドでも同様の即位は可能と考えたと思われる。しかし、一時期、「イングランド人の女主人」を称し事実上の女王となったが、正式の即位は果たせず、その息子のヘンリー2世が王位を継ぐことになる。

13世紀スコットランドでは、3歳の幼君マーガレットが女王となるが、父であるノルウェーエイリーク2世の下で養育される、完全に名目だけの君主だった。しかも7歳の時、スコットランドへ渡り着くやいなや死去している。

14世紀の終わりに、デンマーク王女マルグレーテが同国の事実上の君主として辣腕を振るい、デンマークノルウェースウェーデン北欧三国を支配した(カルマル同盟)が、正式な女王の位にはついていない。しかし君主並みの権力を擁していた為、後年女王として遇され、20世紀に即位したデンマーク女王はマルグレーテ2世と称している。

15世紀イサベル1世カスティーリャ女王となったが、夫のアラゴンフェルナンド2世との共同統治であり、統一スペイン王国ではカトリック両王と称された。

16世紀にスコットランドではメアリー女王が生後わずか数日で即位するが、5歳でフランスに渡り、その後フランソワ2世の王妃となった。フランソワ2世が早世したため18歳でスコットランドに帰国するが、24歳で退位している。そのためスコットランド国内は貴族が支配し、メアリーに女王としての実権はほとんど無かった。

16世紀のイングランドではエドワード6世の死でテューダー家の男子が絶え、ジェーン・グレイメアリー1世エリザベス1世と女王が続いた。ジェーンは完全な傀儡であり、しかも即位自体を認めない場合もある。メアリーも夫のスペイン王フェリペ2世に政治的干渉を受けていたため、実権を持つ単独の女王はエリザベスが初めてであるという見方もある。

17世紀スウェーデンでは、グスタフ2世アドルフの戦死後、わずか6歳の娘クリスティーナが女王になった。従兄のカール10世と継承争いが起こってもおかしくない状況であったが、クリスティーナがカールと婚約することですんなりと決まった。しかし、クリスティーナはエキセントリックな性格で、決められた結婚と不自由な女王の座を嫌い、28歳で王位をカール10世に譲り、ローマに移住して気ままな人生を送った。なお、スウェーデンでは、18世紀初頭にカール12世の後を襲い、ウルリカ・エレオノーラが女王に戴冠している。しかし王権が著しく制限されたことへの不満から、わずか2年で夫フレドリク1世に譲位した。

18世紀にはマリア・テレジアハプスブルク家の家督を相続するが、これを巡ってオーストリア継承戦争が勃発する。ハプスブルク家が世襲化していた神聖ローマ皇帝位は、一時他家に奪われた後、マリア・テレジアの夫フランツ1世が継承した。マリア・テレジア自身はフランツの皇后という立場だったが、ハプスブルク家領(ハプスブルク君主国)においてはオーストリア大公ハンガリー女王、ボヘミア女王などの君主の座に就いており、統治女王として君臨した。

18世紀のロシア帝国では、エカチェリーナ1世女帝となって以降、4人の女帝が現れた。重臣達の傀儡が多かったが、エカチェリーナ2世は実権を振るい、ロシアの黄金期を作り上げた。

19世紀にはスペインで父のフェルナンド7世がサリカ法典を無視したおかげでイサベル2世が即位している。

近代の立憲君主制においては、多くの女性君主が誕生している。

[編集] 有名な統治女王

[編集] 有名な女帝

[編集] 現代の統治女王

[編集] 関連項目