結婚しようよ

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結婚しようよ
よしだたくろうシングル
A面 結婚しようよ
B面 ある雨の日の情景
リリース 1972年1月21日
規格 シングル
ジャンル フォークソング
レーベル CBSソニー
作詞・作曲 よしだたくろう
チャート最高順位
よしだたくろう シングル 年表
今日までそして明日から
(1971年)
結婚しようよ
(1972年)
旅の宿
(1972年)

結婚しようよ」(けっこんしようよ)は日本の歌手、よしだたくろう(吉田拓郎)が1972年に発表したシングルである。

目次

[編集] 収録曲

  1. 結婚しようよ(作詞・作曲:吉田拓郎 / 編曲:加藤和彦[1]
  2. ある雨の日の情景(作詞:伊庭啓子 / 補作詞・作曲:吉田拓郎)

[編集] 収録データ(結婚しようよ)

  1. 収録場所:杉並テイチクスタジオ
  2. 参加ミュージシャン
  • ギター(ボトルネック奏法)・加藤和彦(当時24歳)
  • ベース・小原礼(当時20歳)
  • ドラム・林立夫(当時20歳)
  • ハーモニューム(オルガン)/バンジョー・松任谷正隆(当時20歳)

[編集] 解説

「結婚しようよ」はオリコンチャート3位を記録し、40万枚以上を売る大ヒットとなった。この曲はそれまでのプロテストの意味あいが強かったフォークのイメージを一変させた[2][3][4]。「僕の髪が肩までのびたら結婚しよう」という男性の側からのプロポーズや、「お花畑を散歩に来る」のようなカラフルな言葉づかいの歌詞は当時としては斬新な内容で、手動式オルガン他を使ったアレンジ等、それまでのただギターをかき鳴らして自己主張を歌に託すフォークとは大きく異なっていた[5][6][7]。また、通常用いられない「 V - VIm - I」というカデンツに「結婚しようよ」との言葉を乗せる構成により、どこか現実味のない空虚な印象を与える[8]学園闘争の敗北や、アメリカのヒッピー文化、フラワームーブメントが、日本に飛び火した時代を反映したものであることも、インパクトを与える一因であったと言われる[5][9]

さりげないラブソングの中に、既成の男らしさ女らしさのイメージを覆す歌詞[10]。1960年代の恋愛結婚の普及を受け、付き合ったら結婚するというのが当然だった1970年代の時代を反映した歌でもあった。1980年以降は恋愛と結婚の分離、恋愛しても結婚しなくてもよい、恋愛は恋愛として楽しんでもかまわないという意識が普及していく[11]。大人を含む一般のリスナーは、男と女が同じ髪の長さになったら結婚する、という詞に驚き微笑ましく感じた。あれほど嫌われていた男の長髪がそれだけ一般に浸透し、受け入れられたということでもあった。一方で、反体制フォークを愛していたリスナーは、そのあっけらかんとしたプロポーズの歌詞に反発した。しかし拓郎のこの歌はモノを売る側にとって新たな巨大消費者層"ニューファミリー"の出現を祝う歌であった[12]

阿久悠は、フォークの精神性にはプロテストがあって、当初は、ゲバ棒をギターに持ちかえたかと感じるほど、過激に反社会性を訴えるものが多かったが、誰も彼もがギターを持って自分の歌を歌い、底辺がひろがるにつれて、抵抗の要素は失せて行った。見事に社会に安心され、認知されることにもなったが、「結婚しようよ」は、そうなることのシンボル的な歌ではなかったか、と論じている[13]。この頃には日本は既に政治の季節を終えていて、拓郎はその時代の好みを鋭敏に嗅ぎとったのである。「僕の髪が肩までのびたら結婚しよう」という求愛の言葉は、その裏に、挫折したものだけが知る鋭い痛みがある。当時髪を伸ばすというのは、ひとつの姿勢の象徴だった。若者は髪を長く伸ばすことによって、体制に組み込まれることを拒否した。この歌は体制とは別のところで、新しい社会を作ろうというアピールであり、その戦術論に多くの若者が共鳴したからこそヒットした[14]

虫明亜呂無と相倉久人は対談の中で "拓郎の果たした役割、たとえば「結婚しようよ」なんていうのはものすごい大きな力を持っていた"、"ニューミュージックというのがプログラムに上がり始めたのが「結婚しようよ」あたりからだった""それまでの女の歌は夜の街の女心を疑似的に歌った演歌しかなかった""日本の歌の最大の欠陥は女の歌・女の子の歌がなかったこと""だから日本の女の子は外国の歌を聴いていた。そうするうちにも日本語でうたう歌の中にも「結婚しようよ」なんていいことを言ってくれるじゃないって歌が出てきた"、"ニューミュージックは女の歌を生みだしたのではないか"と論じている[15]

1960年代後半の"意義申し立ての時代"に青年に支持されたのは、メッセージソング、プロテストソングであり"意義申し立ての運動"と連動していた。しかしこの運動は政治的には敗北し、少数の過激な闘争へと向かうグループがそれを担い、青年層の大部分は、脱政治的な、"私生活主義的な生活"を志向するようになった。かつてのコミューンへの情景はタテマエ化し、ひたすら私生活大事というホンネに閉じ籠った。これが"シラケ"であり「結婚しようよ」や「旅の宿 」など拓郎の一連の私生活主義的な歌、「神田川」かぐや姫、「精霊流し」グレープなどの"叙情派フォーク"あるいは"四畳半フォーク"は、こうした心情を反映していた。また決して政治的なことは歌わず、ひたすら性的なメッセージを送ってくるだけのアイドルが、この時代から多数現れ、社会が受け入れたのも私生活主義的な生活を志向した時代にマッチしたものであった[16]

コンポーネント・ステレオの普及も手伝って、人々はアイドルかフォークかロックのレコードを聴くようになった[17]加藤和彦らが参加したカントリー・ロックの雰囲気を持ったサウンド・メイク、「僕の髪が肩までのびたら結婚しよう」という当時のニュー・ファミリー的な発想が大いに受けた[18]。髪が肩まで伸びてしまった男なんて、社会生活落第のフーテンか芸術家くずれか活動家かというイメージがまだまだ一般にあったところへ、そうなったら社会生活の基本形態である「結婚」を約束どおり実行しよう、という歌詞には逆転の発想、コピーライター的感覚があり、この時代の隠れた要請に応えていた。学生運動に飽きて優しさと保守回帰を求めていた若者たちの心にフィットして売れる要素が存分にあった。みんな誰かにこういうことを言って欲しかったのである[19]

後年拓郎はこの曲を「ヒットさせるつもりで作った」と述べている[20][21]。拓郎はこの大ヒットで人気を得て“フォークのプリンス”などと騒がれ、若い女性らが会場を占拠した。その人気ぶりはGSブームの再来のようだったと言われた[22][23]。反体制のシンボルだったフォークが“若者のポップ・ミュージック”として一般的になるのは「結婚しようよ」の大ヒットからである[24]

この「結婚しようよ」のシングル盤は、拓郎がセルフプロデュースしたアルバム『人間なんて』(1971年11月20日発売)からのシングルカットで、アルバムヴァージョンと同一テイクのため、プロデューサーは吉田拓郎である[9]。ただ加藤和彦が「はじめてのプロデュースは吉田拓郎の『人間なんて』の片面をやったのが最初かな。その頃はプロデューサーという言葉がなかったから、アレンジャーというクレジットになっているけど」と話している[25]。これについては拓郎が2009年10月に加藤が亡くなった後の追悼ラジオで、「(『人間なんて』の中の)「結婚しようよ」や「どうしてこんなに悲しいんだろう」「自殺の詩」などの編曲アレンジ)を加藤に頼んだ。他のアレンジは木田高介だったと思う」と話し、はっきりとは記憶していない様子である[26]。『人間なんて』の収録曲は「花嫁になる君に」以外は全て、拓郎の作詞・作曲であるが「結婚しようよ」のアレンジは、当時としてはかなり革新的なアレンジが加えられているため、加藤とすれば自身がプロデュースしたという感覚があるのではないかと思われる。

[編集] カバー

[編集] 脚注

  1. ^ 編曲クレジットはコンピレーションCD「そ 1970」付属ブックレットより。
  2. ^ あの日フォークが流れていた、1996年、石原信一、シンコー・ミュージック、p54-55
  3. ^ メディア時代の音楽と社会、1993年、小川博司、音楽之友社、p144
  4. ^ 流行歌 気まぐれ50年史、1994年、矢沢寛、大月書店、p151、152
  5. ^ a b 読むJ-POP 1945-1999私的全史、p138-139
  6. ^ 戦後ポピュラー日誌、1982年、柴田勝章、八曜社、p130
  7. ^ あの日フォークが流れていた、1996年、石原信一、シンコー・ミュージック、p54-56
  8. ^ 渡辺健一 『音楽の正体』 ヤマハミュージックメディア 1995年7月 ISBN 978-4636208788 ただし楽曲の終了間近には「V - I」という一般的なドミナントモーションが用いられ、最終的には男が結婚を決断するという構成を形作っている。
  9. ^ a b 地球音楽ライブラリー 吉田拓郎、TOKYO FM出版、p10 24、25、127、208、209
  10. ^ ジェネレーションF―熱狂の70年代×フォーク、2001年、小室等他、桜桃書房、p27
  11. ^ 共同研究 団塊の世代とは何か、御厨貴他、2008年4月、講談社、p214
  12. ^ ニッポンPOPの黄金時代、2001年、恩蔵茂、KKベストセラーズ、p224-225
  13. ^ 愛すべき名歌たち、1999年、阿久悠岩波書店、p169-170
  14. ^ TV世代に夢をつれてきた 日本の歌手“50+1”人、1990年、伊藤強日本テレビ放送網株式会社、p266-267
  15. ^ ニューミュージック白書、1977年、エイプリル・ミュージック、p50、53、54
  16. ^ 音楽する社会、1988年、小川博司、勁草書房、p128、129
  17. ^ ロック・クロニクル・ジャパンVol.1、1999年、音楽出版社、p48
  18. ^ Hotwax presents 和モノ事典 1970'人名編、2006年、シンコー・ミュージック・エンタテイメント、p203
  19. ^ 失われた歌謡曲、1999年、金子修介小学館、p88-89
  20. ^ あの日フォークが流れていた、1996年、石原信一、シンコー・ミュージック、p55
  21. ^ 小室等対談集、1975年、小室等財団法人ヤマハ音楽振興会、p8
  22. ^ 日本フォーク私的大全、なぎら健壱、ちくま文庫、p170
  23. ^ 別冊太陽 日本のロック 50's~90's、1993年、平凡社、p114-116
  24. ^ ロック・クロニクル・ジャパンVol.1、1999年、音楽出版社、p48
  25. ^ 『CDジャーナルムック 加藤和彦読本』、音楽出版社、2010年、p89
  26. ^坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」2009年10月20日
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