米朝関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
米朝関係
朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国の位置を示した地図

北朝鮮

アメリカ合衆国

米朝関係(べいちょうかんけい)では、アメリカ合衆国(米国)と朝鮮半島に位置した国、特に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国際関係について述べる。米朝関係は主に1950年から1953年にかけての朝鮮戦争の時代から発展してきた。しかし、近年の米国は北朝鮮の核開発に対して大いなる疑惑を抱いてきた。そして、差し迫った米国の攻撃に対する危機感から北朝鮮の国交正常化の望みはいっそう強くなっている。

米朝間には正式な国交がないため、米国の領事の職務はスウェーデンがその代理の役割を果たしている。

背景[編集]

東西冷戦時代の政治の副産物として両国の間には大いなる敵意が未だに残っているが、米朝間のそうした紛争や憎しみの感情は早くからあった。19世紀中頃、李氏朝鮮西洋列強に交易の門戸を閉ざしていた。1866年に勃発したジェネラル・シャーマン号事件では、李氏朝鮮政府が通商条約の交渉のために送られた米国の武装商船の入国を拒否した後、両国が戦火を交え、朝鮮民衆の攻撃により、ジェネラル・シャーマン号の乗組員が殺害された。その後、米国は報復を行い、1871年辛未洋擾が発生した。

米朝両国は1882年に完全な通商関係を築いた。1905年に米国が日露戦争の講和を仲介したとき、関係は再び悪化した。日本は朝鮮を自国の勢力下に置くことを受け入れるよう米国に求め、5年後に併合したとき、米国はこれに反対しなかった。朝鮮の国家主義者たちは第一次世界大戦終結に際してウッドロウ・ウィルソン大統領が民族自決の原則を提唱し、ヴェルサイユ条約を締結したパリ講和会議に赴き、米国に支援を嘆願したが成功しなかった。

米国による南朝鮮統治時代の関係(1945年-1948年)[編集]

1945年第二次世界大戦終結後、連合国は暫定措置として朝鮮を38度線で分断した。しかし、米ソ関係の悪化により再統一は妨げられた。在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による南朝鮮(後の大韓民国)統治時代、北朝鮮側の米朝関係はソビエト連邦の軍事政権が主導していた。

ソ連軍軍政下、北朝鮮臨時人民委員会によって間接統治が為されたこの時代の北朝鮮は米国を公然と非難し、米国を否定的にとらえ始めた。しかし、数人の米国の閣僚と使節は彼らが共産主義政権によって粛清されるまではこの時代でも活動的であり、個々の米国人も朝鮮の独立にとても協力的だった。

朝鮮民主主義人民共和国の成立から朝鮮戦争までの関係[編集]

1948年8月15日李承晩大統領による大韓民国建国後、同1948年9月9日金日成首相は朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。彼はソ連の承認をとりつけたが米国からは承認を得られなかった。米国は北朝鮮を外交的に承認せず、現在もなお承認していない。

1948年以後、金日成により米国は日本の帝国主義者の後継者であると主張する今でも使われている反米のレトリックが激しく唱えられ、半島から多くの米軍が撤退した。米国は対敵国貿易法による北朝鮮に対する経済制裁を現在も続けている。

朝鮮戦争期(1950年6月25日 - 1953年7月27日)[編集]

1950年6月25日朝鮮戦争勃発から2カ月後、北朝鮮は仁川上陸作戦の後に開戦前の国境線であった38度線李承晩大統領の「北進統一」構想の下で北上した大韓民国国軍アメリカ軍を主体とした国連軍により反撃され、占領された。この時代、韓国軍の支援を受け、米軍はダグラス・マッカーサー元帥の指示の下、朝鮮民主主義人民共和国により焦土と化した北朝鮮に自由民主主義政権を樹立しようとした。マッカーサーは北朝鮮の将軍、特に金日成を捜索する計画を立て、戦争犯罪者として裁こうとした。しかしながら同1950年10月25日中華人民共和国彭徳懐司令官率いる中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)を派遣し、直接介入した結果、国連軍は38度線以南にまで押し戻され、1953年7月27日にアメリカ軍のウィリアム・ハリソン・Jr中将と朝鮮人民軍南日大将がそれぞれ国連軍中朝連合軍の代表として朝鮮戦争休戦協定に署名した。

朝鮮戦争の終わりから冷戦の終わりまで[編集]

1968年プエブロ号事件によって朝鮮人民軍に拿捕されたアメリカ海軍プエブロ号はその後北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の首都平壌に係留され、観光資源となっている。

北朝鮮と米国はこの時期殆ど、或いは全く国交がなかった[1]

1968年プエブロ号事件が、1969年アメリカ海軍EC-121機撃墜事件が、1976年8月18日にはポプラ事件が発生し、何れも朝鮮人民軍アメリカ軍を撃破しているが、アメリカ合衆国から朝鮮民主主義人民共和国への報復攻撃は行われなかった。

朝鮮半島の非核化[編集]

1958年から1991年まで、米国は北朝鮮を射程に入れた核兵器を持っていた。多いときは1967年で950発にも上った[2]。これ以降の報告は削除された。米国は「抑止力として核の傘を拡げてほしいという要求の継続による」ものだという立場を崩していない [3]

北朝鮮は1985年に核拡散防止条約(NNPT)に非核所有国として加盟し、1990年には南北朝鮮による対話が開始され、1992年、両国は朝鮮半島の非核化に関する共同宣言を発表した。しかし1993年、米国の衛星写真によって北朝鮮の核開発疑惑が浮上し、国際原子力機関(IAEA)が北朝鮮の各施設を査察するべきだという要求につながり、1993年3月、金日成は北朝鮮の核拡散防止条約からの脱退を発表した[4]国連安保理は1993年5月、北朝鮮に国際原子力機関への協力を促し、1992年の共同宣言を遵守することを求める決議を採択し、すべての加盟国に、北朝鮮がこの決議に積極的な反応を示し、核問題の解決を促すよう求めた。

米朝両国は1993年6月に対話を開始したが協定を締結するプロセスは停滞し、北朝鮮は主要な原子炉の炉心から核兵器を製造するのに十分な核物質を取り出した[4]。緊張が高まったため、金日成は仲介者としてジミー・カーター元大統領を招待した。カーターは招待を受け入れたが普通の市民としてであり、政府の代表ではなかった[4]。カーターは何とか両国を交渉のテーブルにつかせることに成功し、米国からはロバート・ガルッチ (Robert Gallucci国務次官補が、北朝鮮からは姜錫柱外務次官が出席した[4]

1994年10月、交渉の末、米朝枠組み合意 (Agreed Frameworkが成立した。

  • 北朝鮮はプルトニウム濃縮計画を凍結し、国際原子力機関の監視を受け入れることに同意した。
  • 両国は2003年までを目標に北朝鮮にグラファイトを利用する黒鉛炉に代わり軽水炉を共同で建設し、国際コンソーシアム(後に朝鮮半島エネルギー開発機構、略称KEDOに改称)が経済的および物理的な支援を行うことで合意した。
  • 米朝両国は5メガワットの原子炉から生じる使用済み燃料の貯蔵を共同で行い、その処理には安全なマナーで臨み、北朝鮮での再処理は行わないことで合意した。
  • 米国はこの間北朝鮮国内のエネルギーを供給するため、重油を提供することに合意した。
  • 両国は政治的、経済的な関係の完全な正常化に向けて努力することで合意した。
  • 両国は核のない朝鮮半島を目指し、平和と安全保障の問題を協力して解決することで合意した。そして
  • 両国は国際的な核不拡散の問題で協力を強化することで合意した。

歴史家のポール・ローレン、ゴードン・クレイグ、アレクサンダー・ジョージ・ページは合意には多くの欠陥が含まれていることを指摘した。合意には相互の期限が特に設けられておらず、米国は危険なグラファイトによる黒鉛炉から代替軽水炉の建設の義務の履行に非常に長い時間を与えた[4]。さらに合意の遵守を監視し、実行を監督し、途中で調整が必要になった場合にそれを行う組織は何もない[4]。最後に韓国や中国、日本など利害関係国が交渉に参加することができないことなどである[4]

合意が署名されてまもなく、米国議会は合意に賛同的でなかった共和党に主導権が移った[5]。一部の共和党の上院議員らは宥和政策であるとして合意に強く反対した[6][7]

枠組み合意の条件に従い、北朝鮮は核開発計画を凍結し、米国とIAEAの査察に協力することを決断し、1995年1月、米国は北朝鮮に対する経済制裁を緩和した。当初、重油の供給のための資金に議会の承認が得られず、米国国防総省は海外から緊急的に資金を集めていた[8]。1996年からは、必ずしも十分な額ではなかったが、議会の承認を得て資金が提供された[9]。こうして枠組み合意で約束された重油の一部が送られた[10]。KEDOの初代事務局長スティーヴン・ボズワースは後に「枠組み合意は署名されて2週間もしないうちに忘れ去られてしまった」と語った[11]

1995年1月、枠組み合意により、米朝両国は5メガワットの原子炉の使用済み核燃料を安全に管理するための方法を話し合った。この方法によると、米朝の技術者は協力して使用済み核燃料を燃料収納缶に詰め、燃料収納缶は貯蔵プールに保管されるという。缶詰作業は1995年から開始された。2000年4月、利用可能なすべての使用済み燃料棒と燃料棒の断片の缶詰作業が完了したと宣言された。

北朝鮮は軽水炉の経済的、技術的支援者に敬意を払い、KEDOの決定に従うことに合意した。代替軽水炉の建設のための国際的な資金の応募は行われていたが、1998年まで公式な招待は行われず、そのことは北朝鮮を激怒させた[11]。1998年5月、北朝鮮はもし米国が軽水炉建設を行わないならば核開発の研究を再開すると警告した[12]。その後、KEDOは新浦市に軽水炉を建設する計画を立て、1997年8月21日、着工式が行われた[13]。1999年12月、KEDOと韓国電力公社(KEPCO)は軽水炉建設を認める契約書に署名した。しかし、その計画に必要な莫大な建設費用については2000年まで語られることはなかった[14]

1998年、米国は金昌里で核関連と思われる地下施設を発見した。1999年3月、北朝鮮は米国が「満足するまで立ち入り調査をする」ことに同意した[15]

ウィリアム・ペリー博士の呼びかけにより米国の対北朝鮮政策の見直しが公式に行われ、2000年5月、米朝両国は新しい交渉の場として枠組み合意履行対話を発足させた。2000年10月、趙明禄特使はワシントンを訪問し、その後米国の専門家チームが施設を訪問した。米国は北朝鮮とともに共同声明を発表し、米国の地下施設に対する疑問は解決された。

ジョージ・W・ブッシュ政権下の対北朝鮮政策[編集]

ジョージ・W・ブッシュは大統領選候補であった頃、枠組み合意に反対する彼の立場を明らかにしていた。2001年1月、彼は大統領に就任すると、新政権は北朝鮮に対する新しい政策を検討し始めた。2001年6月6日、検討の末、新政権は北朝鮮の通常兵器、ミサイル開発とその輸出計画、人権の状況と人道問題など、すべての分野にわたって懸案事項について対話を継続すると発表した。そのとき、枠組み合意で約束されていた代替軽水炉は完成していなかった[4]。2002年、政権は北朝鮮が核兵器を製造するためのウラン濃縮計画を進めていると主張した。ブッシュが2002年の一般教書演説で北朝鮮を「悪の枢軸」であると非難すると、米朝関係の緊張は頂点に達した。

米朝の直接対話は2002年10月に再開され、ウラン濃縮計画は米国の懸案議題で高い地位を占めていた。北朝鮮政府はウラン濃縮計画が存在するという米国の非難はジェイムズ・ケリー東アジア・太平洋担当国務次官補が主張していると考えていた。そのような計画は北朝鮮の核拡散防止条約の義務と1992年の共同宣言、1994年の枠組み合意を破るものだった。米国は北朝鮮は米朝関係の進展を望むなら、そのような計画を終わらせなければならないと述べた。米国はこの計画の中止が確認ができれば、米国は根本的に新しい関係を発展させていく用意ができているとも述べた。2002年11月、KEDOのメンバーは北朝鮮が核の問題を解決するまで重油の供給は棚上げにすることで合意した。

2002年12月、米国の依頼でスペイン軍は北朝鮮からイエメンに向かってスカッドミサイルを輸送していた船を臨検した。2日後、米国はその船を釈放し、船は再びイエメンへ向かった。このことは米朝関係をさらに緊張させ、北朝鮮はこの臨検を「海賊行為」だとして非難した。

2002年の暮れから2003年の初頭にかけて、北朝鮮はプルトニウム関連の核施設の凍結を解除し、IAEAの査察官を強制退去させ、核施設を封印、監視する装置を除去し、核拡散防止条約から脱退し、核兵器製造目的で使用済み燃料からプルトニウムを抽出する再処理を再開した。北朝鮮はこれらの行為は米国の脅威と米国の「敵対政策」に対する抑止力を持つためであると主張した。2003年、北朝鮮は凍結されていた寧辺の使用済み燃料棒の再処理が完了したと繰り返し主張し、北朝鮮はこの地域の安全について懸念を抱いていた隣国との協力の成果であると嘘をついた。ブッシュ政権は目標は北朝鮮が核開発計画を完全かつ検証可能で、復元することが不可能な形で放棄することだと述べた。北朝鮮の隣国は核のない朝鮮半島という理念に賛同した米国の側に加わった。しかし、米国の行動は北朝鮮との関係正常化の大きな障壁となり、政権は最も重要な目標として政権交代を提示し続けた。ブッシュ政権は北朝鮮との二国間での対話には一貫して抵抗し続けた。2005年に行われた合意では中国のみが公然と米国の交渉拒否の姿勢を非難した。

2005年9月19日の合意直後、両国の関係は北朝鮮が偽札作りをしているという米国の主張によってさらに緊張した。米国は北朝鮮が毎年1500万米ドルものスーパーノート[16]を製造していると主張し、マカオや他の銀行が北朝鮮との取引を停止する原因になった[17]。北朝鮮が偽札作りをしているという主張は1989年からあり、米国がこのタイミングで主張したことには疑いの余地がある。一部の専門家[誰?]は北朝鮮が本当にそのような偽札を作る能力があるのか疑問視しており、米国財務省当局はマカオの銀行の記録を調査したが公式な変化はまだない。2007年、アーンスト・アンド・ヤング社が監査を行ったが、銀行が北朝鮮の資金洗浄に協力していたという証拠は見つからなかったと報道された[18]

六者会合[編集]

2003年初頭、外交手段による問題解決を狙い、最も密接な関係を持つ6カ国による多国間の対話を開催することが提案された。北朝鮮は当初、そのようなプロセスに反対し、核問題はあくまで米朝間の問題であるという主張を維持してきた。しかし、隣国の圧力と中国の積極的な働きかけにより、北朝鮮は中国および米国との三者会合を2003年4月北京で行うことに合意した。

この会合の後、北朝鮮は米国、北朝鮮、韓国、中国、日本とロシアによる六者会合を開催することに合意した。最初の会合は2003年8月に行われ、その後は一定の間隔を置いて定期的に開かれている。第5回の第1フェイズから第2フェイズが開催されるまでの13か月間、進行が凍結され、その後北朝鮮は対話に復帰した。この行動は北朝鮮がマカオに持っている銀行口座を米国が凍結したことと関連がある。2005年初頭、米国政府は東アジアの同盟国に対し北朝鮮がリビアに核物質を輸出したことを伝えた。このことは東アジアの同盟国が米国が重要な同盟国であるパキスタンの関与を秘匿していたことを知ると裏目に出た。2005年3月、コンドリーザ・ライスは信頼関係の修復のため東アジア諸国を訪問した。

第5回の第3フェイズは2007年2月に開催され、行動を目標にする合意に達した。すべての当事者の善意により、2007年3月19日、米国は北朝鮮資産の凍結を解除した[19]

2008年10月11日、北朝鮮は米国の核査察要求をすべて受け入れることに合意し、ブッシュ政権はこれに応え、テロ支援国家リストから削除した[20]

2006年の核実験[編集]

米国の情報機関は核実験が行われたことを確認したが、状況を見守っていた[21]。ブッシュ政権のトニー・スノウホワイトハウス報道官は米国は「このとても深刻な行動に対し我々が次に何をすべきか」決断すべく、国連に行くと語った[22]。2006年10月9日月曜日、ブッシュ大統領はテレビ中継された演説で、核実験は「挑発的な行動」であり、米国はそのような行動を非難すると述べた[23]。ブッシュ大統領は米国は「関与政策」を行うが、「米国と米国の利害を保護することを継続していく」と語った。

正常化への道のり[編集]

2007年2月13日、米国、南北朝鮮、日本、中国、ロシアによる六者会合での合意によって、朝鮮半島の非核化への道のりに加え他の行動を要求した。また朝鮮戦争の休戦協定講和条約に置き換え、東北アジアの地域的平和を構築することなど北朝鮮との政治的関係の正常化への道のりの骨子も作成された[24]

北朝鮮は燃料支援の見返りに寧辺核施設の閉鎖に同意した。米国は北朝鮮との関係正常化の議論を開始し、北朝鮮をテロ支援国家リストから削除する手続きを開始することにも合意した[25][26][27]。この合意の実行は今のところうまくいっており、米国の交渉責任者であるクリストファー・ヒルは北朝鮮は約束を守っていると語った。第6回目の会合は2007年3月19日から行われ、北朝鮮の核兵器開発計画の将来について話し合われた。

2008年6月上旬、北朝鮮が核開発計画を放棄した後、米国は経済制裁の解除を開始することに合意した。ブッシュ大統領は北朝鮮が核開発計画の放棄を謳う60ページもの宣言文書を公表すると、北朝鮮をテロ支援国家から削除すると発表した。その後、北朝鮮政府は核開発のシンボルだと思われていた寧辺核施設の原子炉を爆破する映像を公開した。ブッシュ政権はこれを賞賛したが、政権内部を含む多くの人が問題解決のためにはあまりにも少ないと批判した。公表された書類にはウラン濃縮計画や核拡散については触れられていなかった。

米国海軍の北朝鮮船舶救出 モガディシュ沖の遭遇[編集]

モガディシュ沖の遭遇
対テロ戦争
2007年11月4日
場所 ソマリア
結果 米朝の勝利
衝突した勢力
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
ソマリアの旗 ソマリア沖の海賊

2007年11月4日、北朝鮮の商船がモガディシュの海岸沖を通らざるを得ず、警備隊のふりをしていたところソマリアの海賊に襲撃された[28]。近海をパトロールしていた米国海軍が現場に赴いたところ、22人の北朝鮮の船員が8人のソマリアの海賊と殴りあっていた[29]ジェームス・E・ウィリアムズの乗組員とヘリコプターの救助により、船は解放された。米国の乗組員に許可が下り、船員と海賊に治療を行った。北朝鮮の通信社は米国の声明に異例の肯定的な反応を示し、[30]北京にいた米国のクリストファー・ヒル特使もこのことに好意的なコメントをした[31]。重要な時期に起きたこの事件は望外の結果をもたらし、北朝鮮はブッシュ政権に黙従して2月13日の合意の実行を開始した[32]2007年大韓民国大統領選挙が好ましくない結果に終わると、北朝鮮はもっと懐柔的な政策をとることを強調せざるを得なくなった。

ニューヨーク・フィルハーモニック訪問[編集]

2008年2月に、ニューヨーク・フィルハーモニックが北朝鮮を訪問した。コンサートは北朝鮮のテレビで放送された。

敵意の復活[編集]

2008年8月下旬、北朝鮮は寧辺核施設の稼動を再開した。見たところ施設は稼動し、燃料の核物質もあるようであった。それから北朝鮮は施設の稼動を本格化させ、寧辺の復活をアピールしている。

北朝鮮は米国が非核化の過程で約束を守らず、テロ支援国家リストからの削除も救援物資も送らなかったと主張してきた。米国は最近、北朝鮮が非核化の作業を進めない限りリストから削除されることはないと述べた。北朝鮮はIAEAの査察官を寧辺から締め出し、韓国は北朝鮮が核兵器の製造を進めていると主張した。北朝鮮は最近、短距離ミサイルの発射実験を行った。米国は六者会合の再開を呼びかけている。

テロ支援国家リストからの削除[編集]

2008年10月11日、米朝両国は北朝鮮が再び核開発計画を放棄し、査察官による核物質の科学的な捜査を受け入れることで合意した。北朝鮮は長きに渡って疑惑を持たれてきたウラン濃縮計画の詳細について明らかにすることにも合意した。これらの進展により、その同日、北朝鮮が待ち望んだテロ支援国家リストからの削除を米国は行った[33]

2009年の核実験[編集]

2009年5月25日、北朝鮮が2006年以来となる核実験を行うと、米朝関係はさらに悪化した。核実験は再び地下で行われ、そのエネルギーは広島長崎を破壊したリトルボーイファットマンにそれぞれ比肩されうるものだった。米国は北朝鮮と未だに深い関係を持つ中国とロシアが北朝鮮の行為を非難したことを歓迎した。米国と中断されている六者会合のメンバー国は核実験を強く非難し、北朝鮮は「その行為の代償を払うだろう」と語った。米国はその後に行われた短距離ミサイルの実験についても強く非難した。

北朝鮮による米国人記者拘束[編集]

2009年3月17日、米国人記者が逮捕されると米朝関係はさらに緊張した。2人の記者はカレントTVのユナ・リーとローラ・リンで、中朝国境で北朝鮮女性の人身売買に関するドキュメンタリー番組を撮影中に北朝鮮領内に入ったところ逮捕されたと思われる。北朝鮮はその後2人の記者を裁判にかけ、国際的な抗議が起こる中、有罪判決を下し、12年の「労働強化刑」を言い渡された。米国はこの行為を「似非裁判」であると非難し、2人の記者の解放に向け動き出した。

この試練は8月4日、ビル・クリントン大統領が2人の記者の解放を求め、「非常に個人的な使命」を帯びて平壌に到着したとき解決した。彼は北朝鮮の金正日総書記にバラク・オバマ大統領からの手紙を手渡したと伝えられている。しかし、ホワイトハウスのロバート・ギブズ報道官はこの主張を否定した。クリントンと金総書記は米朝関係のさまざまな話題について話し合ったと報道されている。8月5日、金総書記は2人の記者の恩赦を公式に表明し、その後2人はクリントンと共にロサンゼルスに帰国した。クリントンの訪朝は米国の高級政治家としては2000年以来であり、関係者の賞賛と理解を得たと報道されている。

天安沈没事件[編集]

On May 24, 2010, the United States set plans to participate in new military exercises with South Korea as a direct military response to the sinking of a South Korean warship by what officials called a North Korean torpedo.[34]

On May 28, 2010, the official (North) Korean Central News Agency stated that "it is the United States that is behind the case of 'Cheonan.' The investigation was steered by the U.S. from its very outset." It also accused the United States of manipulating the investigation and named the administration of U.S. President Barack Obama directly of using the case for "escalating instability in the Asia-Pacific region, containing big powers and emerging unchallenged in the region." The report indicated to the United States to "behave itself, mindful of the grave consequences."[35]

In July 2010, the DPRK government indefinitely postponed a scheduled talk at Panmunjom relating to the sinking.[36] The meeting was intended as preparation for future talks at higher governmental levels.[36]

金正日の死による関係[編集]

Following Kim Jong-il's death on 17 December 2011, his son Kim Jong-un inherited the regime. The latter announced on 29 February 2012 that North Korea will freeze nuclear tests, long-range missile launches, and uranium enrichment at its Yongbyon plant. In addition, the new leader invited international nuclear inspectors who were ejected in 2009. The Obama administration responded by offering 240,000 tonnes of food, chiefly in the form of biscuits. This indicated a softening of the erstwhile North Korean insistence that food aid must comprise grains.[37]

Just over two weeks later on 16 March 2012, North Korea announced it would launch its Kwangmyŏngsŏng-3 satellite to mark the 100th anniversary of the late Kim Il-Sung's birthday. This announcement triggered American anxiety as satellite launches are technologically contiguous with missile launches.[38] This tampered with Kim Jong-un's earlier optimistic overtures and generated speculation on the issues confronting the new and young leader back in North Korea.[39] The United States also suspended food aid to North Korea in retaliation for the missile plans.[40]

Daniel Russel, Special Assistant to the President and Senior Director for Asia, and Sydney Seiler flew to Pyongyang from Guam in August 2012 and stayed there for two days.[41] A South Korean diplomatic source said "apparently President Barack Obama, who was then bidding for a second term in office, secretly sent the officials to North Korea to minimize disruptions to the U.S. presidential election."[41] Other analysts say, "Nobody can rule out that such direct dialogue between Washington and Pyongyang will continue in the future."[41]

However on 11 December 2012, North Korea successfully launched a missile in contrast to its failure in March. The United States strongly condemned the action as it is widely believed that North Korea are developing long range ballistic missiles that would reach the west coast of the US. On the 24th January 2013, officials in North Korea openly stated that they intended to plan out a third nuclear test, mainly for the purposes of confrontation and threats against the US. A written statement from the National Defence Commission of North Korea stated "a nuclear test of higher level will target against the U.S., the sworn enemy of the Korean people." The United States intelligence community believes that, as of January 2013, North Korea has the capability to target Hawaii with its current technology and resources, and could reach the contiguous United States within three years. The White House has declared the Korean statement as "needlessly provocative" and that "further provocations would only increase Pyongyang’s isolation."[42] Analysis of satellite photos done by the U.S.-Korea Institute at Johns Hopkins School of Advanced International Studies of the Punggye-ri nuclear test site indicates that North Korea was readying for nuclear tests at the same time it issued the threat.[43] Later statements by North Korea included direct threats against South Korea as well, stating that North Korea "will take strong physical counter-measures against" the South in response to UN sanctions against the North.[44] On February 12, 2013, North Korea conducted its third nuclear test.

脚注[編集]

  1. ^ http://www.cfr.org/publication/16646/president_bushs_speech_on_north_korea.html
  2. ^ Hans M. Kristensen (2005年9月28日). “A history of U.S. Nuclear Weapons in South Korea”. Federation of American Scientists. 2007年1月19日閲覧。
  3. ^ Jin Dae-woong (2006年10月10日). “Questions still remain over 'enhanced' nuclear umbrella”. 2009年9月23日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h Paul Lauren, Gordon Craig and Alexander George Page. "Force and Statecraft: Diplomatic Challenges of Our Time," Oxford: Oxford University Press, 2007
  5. ^ Sense of Congress Resolution
  6. ^ frontline: kim's nuclear gamble: interviews: robert gallucci | PBS
  7. ^ frontline: kim's nuclear gamble: interviews: perle | PBS
  8. ^ frontline: kim's nuclear gamble: interviews: william perry | PBS
  9. ^ North Korea's Nuclear Weapons Program
  10. ^ http://www.globalsecurity.org/wmd/library/report/gao/rc00020t.pdf#page=5
  11. ^ a b Rummy's North Korea Connection What did Donald Rumsfeld know about ABB's deal to build nuclear reactors there? And why won't he talk about it? - May 12, 2003
  12. ^ Stalemated LWR Project to Prompt Pyongyang to Restart N-Program
  13. ^ KEDO Breaks Ground on US Led Nuclear Project That will Undermine Client Status of S Korea
  14. ^ KEDO FinalAnRep Final
  15. ^ ビル・クリントン (11月10日, 1999). “Presidential Letter to Congress on Weapons of Mass Destruction”. 2007年3月5日閲覧。
  16. ^ No Ordinary Counterfeit - New York Times
  17. ^ [1][2]
  18. ^ [3]
  19. ^ http://english.yonhapnews.co.kr/Engnews/20070319/630000000020070319113120E2.html
  20. ^ US removes North Korea from terrorism blacklist
  21. ^ U.S. Agencies Looking Into N. Korea Test”. 2006年10月9日閲覧。
  22. ^ Test follows warning from U.N.”. 2006年10月9日閲覧。
  23. ^ President Bush's transcript on reported nuclear test”. 2006年10月9日閲覧。
  24. ^ Suzy Kim and John Feffer, "Hardliners Target Détente with North Korea," Foreign Policy in Focus, 11 February 2008, accessed 13 February 2008.
  25. ^ Initial Actions for the Implementation of the Joint Statement”. Ministry of Foreign Affairs of the People's Republic of China website (2007年2月13日). 2007年2月13日閲覧。
  26. ^ “Rice hails N Korea nuclear deal”. BBC News. (2007年2月13日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6358797.stm 2007年2月13日閲覧。 
  27. ^ Scanlon, Charles (2007年2月13日). “The end of a long confrontation?”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6357853.stm 2007年2月13日閲覧。 
  28. ^ Daily NK - Well-trained North Korean Crew Members Knock Down Pirates
  29. ^ Purefoy, Christian (2007年10月30日). “Crew wins deadly pirate battle off Somalia”. CNN. http://www.cnn.com/2007/WORLD/africa/10/30/somalia.pirates/index.html 
  30. ^ A Hallmark Card of Sorts From Kim Jong-il - The Lede - Breaking News - New York Times Blog
  31. ^ U.S. Navy challenges pirates off Somalia - Africa - MSNBC.com
  32. ^ NK Nuclear Disablement on Pace: Rice
  33. ^ [4]
  34. ^ U.S., South Korea plan military exercises, by Julian E. Barnes and Paul Richter, LA Times, 25-05-2010
  35. ^ DPRK accuses U.S. of cooking up, manipulating "Cheonan case", by Xiong Tong, Xinhua News Agency, 28-05-2010
  36. ^ a b “North Korean officials postpone warship talks with US”. BBC News. (2010年7月13日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/asia_pacific/10595953.stm 2010年7月13日閲覧。 
  37. ^ “North Korean nuclear progress: Leap of faith”. The Economist. (2012年3月3日). http://www.economist.com/node/21549005 
  38. ^ Nuland, Victoria (2012年3月16日). “North Korean Announcement of Missile Launch”. U.S. Department of State. 2013年12月11日閲覧。
  39. ^ “North Korean missiles: Two steps back”. The Economist. (2012年3月17日). http://www.economist.com/node/21550537 
  40. ^ Eckert, Paul (2012年3月29日). “U.S. suspends food aid to North Korea over missile plan”. http://www.reuters.com. http://www.reuters.com/article/2012/03/29/us-usa-korea-north-idUSBRE82S0EY20120329 2012年3月30日閲覧。 
  41. ^ a b c U.S. Officials Made Secret Visit to Pyongyang in August”. Chosun Ilbo (Nov. 30, 2012 10:24 KST). 2012年12月1日閲覧。
  42. ^ Sanger, David E.; Choe Sang-Hun (2013年1月24日). “North Korea Issues Blunt New Threat to United States”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2013/01/25/world/asia/north-korea-vows-nuclear-test-as-threats-intensify.html?pagewanted=all&_r=0 2013年1月25日閲覧。 
  43. ^ Pennington, Matthew (2013年1月25日). “Images suggest NKorea ready for nuke test”. Businessweek. http://www.businessweek.com/ap/2013-01-25/images-suggest-nkorea-ready-for-nuke-test 2013年1月25日閲覧。 
  44. ^ “North Korea warn South over UN sanction”. BBC. (2013年1月25日). http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-21191264 2013年1月26日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]