箱木家住宅

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箱木家住宅
(箱木千年家)
Hakogike house01.jpg
母屋
所在地 兵庫県神戸市北区山田町衝原字道南1-4
位置 北緯34度46分10.31秒
東経135度6分10.79秒
座標: 北緯34度46分10.31秒 東経135度6分10.79秒
旧所在地 兵庫県神戸市北区山田町つくはら湖
類型 民家
形式・構造 木造、入母屋造茅葺
建築年 室町時代
文化財 国の重要文化財(1967年指定)
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箱木家住宅(はこぎけじゅうたく)は、兵庫県神戸市北区山田町衝原(つくはら)にある歴史的建造物。国の重要文化財1967年6月15日指定)。「箱木千年家」(はこぎせんねんけ/せんねんや)の通称で広く知られる日本最古と推定される民家の一つである。

室町時代建立の主屋(「おもや」)、江戸時代建立の「離れ」(「はなれ」)の2棟が重要文化財に指定され、他に築山中庭納屋土蔵等が遺存する。現在は、重文の「おもや」「はなれ」は隣接している資料館と共に公開されている。

歴史[編集]

教育委員会によって立てられた解説の看板

箱木家は地元の豪族別所氏に仕えたとされ、後に庄屋となった一族である。『摂津名所図会』などの近世の記録によれば、この住宅は、806年大同元年)に建てられたとされており、近世初期から「千年家」と呼ばれていた。

1967年(昭和42年)に国の重要文化財に指定された。1977年(昭和52年)までは実際に住居として使用されていたが、呑吐ダム建設により旧所在地が水没するため1977年から1979年(昭和54年)に掛けて、現在地に移築された。「千年家」は、「古い家」の意で、実際の建立年代は不明であったが、移築時の解体調査の結果、次のようなことが明らかになった。

  • 「おもや」の建設は室町時代と推定される。
  • 長年の間に多くの部材が取り換えられているが、柱などの根幹材には当初の部材が残存している。当初からの部材で残っているのは6本のほか、などの一部。
  • 江戸時代中期に「おもや」に隣接して「はなれ」が建設された。江戸時代末期に母屋と離れを連結し、屋根を広げて一つの家屋にした。

「おもや」と「はなれ」は、移築以前は1棟の建物であったが、解体修理時に、建築当初の姿に近づけるように復元され、現在は「おもや」と「はなれ」が別棟として建てられている。

2005年に当初材の松の柱6本の放射性炭素年代測定を行った結果、年輪の最も外側の炭素濃度から、1283-1307年(鎌倉時代後期)に伐採された木が使われていることがわかったという(朝日新聞2008年5月20日)。

構造[編集]

「おもや」内部。「にわ(土間)」から床上部を見る。左の明るい部屋が「おもて」、右の部屋が「だいどこ」。写真では4本の柱が見えるが、うち中央の2本は建築当初のもの

当初建てられた「おもや」、江戸時代中期に建てられた「はなれ」(ともに入母屋造茅葺)と「くら」から成る。

「おもや」(主屋)は、最も古い建築で入母屋造茅葺き。屋根が非常に巨大、かつ、が極端に低いため遠くから見ると縄文時代弥生時代竪穴住居を思わせるような形態である。また、屋根を支えるためにが多くなどの開口部が極端に少ない。建設当初から残るなどにはが発明される前まで使われた大工道具手斧(ちょうな)での仕上げがよい状態で残っている。軸部は柱間を足固貫、飛貫、桁で繋ぎ、後世の民家のような、曲りのある材を用いた梁は用いていない。小屋組は古式の「おだち鳥居組」(垂木構造)とする。

「おもや」の内部は東半部(正面から見て右側)が「にわ(土間)」、西半部が床上部。床上部は3室に分かれ、表側が「おもて(客間)」、裏手は土間に面した部分が「だいどこ(台所)」、奥が「なんど(納戸)」となっている。土間には(かまど)と(うまや)が併設されていたため、実際に人間が起居していたのは「おもて」「だいどこ」「なんど」の3部屋のみであった。また、建設当初はが敷かれていなかったことも分かっている。

画像[編集]

利用情報[編集]

  • 開館時間 - 9:00~18:00(冬季は17:00まで)
  • 休館日 - 12月31日と 1月1日
  • 所在地 - 兵庫県神戸市北区山田町衝原

交通アクセス[編集]

参考文献[編集]

  • 『座敷』(和風建築シリーズ) 建築資料研究社 ISBN 4874606199
  • 『民家〈下〉』高井潔 淡交社
  • 『つくはら:千年家とその周辺』呑吐ダム水没地区文化財調査団 神戸市教育委員会
  • 『対談・戦国の城』杉山博・遠藤周作 秋田書店 「別冊歴史と旅 空から見た名城」所収 昭和52年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]