筑紫哲也 NEWS23

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筑紫哲也 NEWS23
ジャンル 報道番組
放送時間 【月 - 木】放送時間を参照
【金曜日】23:30 - 24:35
(【月 - 木】放送時間を参照
【金曜日】65分)
放送期間 1989年10月2日 - 2008年3月28日
放送国 日本の旗 日本
制作局 TBSJNN
製作総指揮 筑紫哲也
出演者 筑紫哲也
浜尾朱美
池田裕行
佐古忠彦
草野満代
膳場貴子
後藤謙次ほか
出演者を参照)
オープニング テーマソングを参照
エンディング エンディングテーマを参照
外部リンク 公式サイト
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筑紫哲也 NEWS23(ちくしてつや ニュース・ツー(トゥー)・スリー)とは、TBS系列(JNN)で1989年平成元年)10月2日から2008年平成20年)3月28日まで生放送されていた、平日最終版の報道番組であり、これ以降も『NEWS23』ブランドは継承されている。

キャッチフレーズとして、「真夜中のニュースランド」→「最強最良の夜ニュース」が存在していた。

目次

[編集] 放送開始の経緯

TBSの平日ニュース最終便は、1987年昭和62年)10月から22時台にニュース番組(『JNNニュース22プライムタイム』、1988年昭和63年)10月からは『JNNニュースデスク』)、23時台後半に『JNNスポーツチャンネル』24時台に『情報デスクToday』を編成。22時台の放送はテレビ朝日『ニュースステーション』の裏番組だった。

1989年10月改編で22時台ニュース番組から撤退。21時以降のTBSの平日のテレビ編成の見直しと兼ねて、23時台のニュース枠新設の際に筑紫哲也をメインキャスターに迎えた『筑紫哲也ニュース23』を開始した。

TBSは以前から、テレビの出演経験の豊富な筑紫にニュース番組のキャスターを打診していた。しかし、TBSと資本関係にない朝日新聞社に在籍していたこともあり、筑紫は円満退社を希望。それが筑紫のニューヨーク転勤を機に円満退社に向けた準備が整い、ようやくTBSの打診を受け入れた。

番組名に使われている数字「23」は放送時間の由来もあるが、野球ボールカウントにおけるフルカウントこと「ツーストライク スリーボール」の略称の由来もあり、読みは「にじゅうさん」や「トゥエンティースリー」ではなく「ツースリートゥースリー)」の読みになった。これは当時視聴率が低迷していたTBSの平日最終版ニュースの「起死回生」にかけた[1]

また、報道番組名で『筑紫哲也』という個人名が入る、日本初の報道番組とされている[2]

[編集] 番組の変遷

初期(1989年10月 - 1997年9月)

1989年10月、放送開始。筑紫のほかに浜尾朱美池田裕行を中心に進行。スポーツキャスターの初代は野球解説者の小林繁。第1回放送では、出演者・スタッフが一斉にスタジオに集結し「それでは番組を始めましょう!」と宣言して、スタッフが拍手するところから幕が開いた。

初期は2部制を採った。第1部で報道局とスポーツ局が制作するニュースと特集、スポーツニュースを放送、23:50からのローカル枠(TBSは後に「OBJECTION」を放送した時間)を挟み、23:55からの第2部では社会情報局(TBSビデオ問題後の社内改革で廃止)が主に制作する特集を放送。ただし当時、番組は第1部と第2部という呼び方の他、「報道」「スポーツ」「情報」の3つから成る、という表現もしていた。

第2部はアシスタントを阿川佐和子三崎由紀有村かおり、後期は渡辺真理が務めた。放送時間帯は阿川がキャスターを務めた『情報デスクToday』の後継枠であるが、ニュース部分を報道局担当パートに集約させたため、いわゆる「企画枠」として、インタビューからドキュメントまで幅広く扱った。

第2部は『情報デスク』時代から「任意ネット=ローカル」枠で、ネットしない放送局があった。第1部の終わりに(第2部のエンディング曲のインストルメンタル版をBGMに)筑紫もしくは浜尾が「今日のニュースとスポーツをお伝えしました」と締め、第1部でネットを終える局への挨拶代わりにしていた。

この頃の新聞のラ・テ欄表記は「筑紫哲也ニュース23」で、番組内でもよく使用していた。

中期(1997年10月 - 2006年9月)

1997年10月にリニューアル。筑紫と1996年から出演していた佐古忠彦に加え、草野満代進藤晶子の4人となる。金曜以外の第2部を廃止(若者向け情報バラエティ『ワンダフル』をスタートさせる)。オープニングテーマ曲が坂本龍一作曲のものに刷新されて、Nスタジオのセットや番組ロゴ・グラフィックデザインもリニューアルし、新聞表記も「ニュース23」(初期のロゴから英語の「NEWS23」となったまま)から「NEWS23」となった。

リニューアルに合わせて、30分遅れの金曜を通称「金曜版ニュース23」とし、第2部を「金曜深夜便」と改称。1999年からは金曜日のテーマ曲をピアノアレンジ違いとしている。

2000年からの3年間、2月に年間テーマを基にした5日連続特番を放送。その日のニュースは手短に伝え、さらに放送時間を30分拡大して放送した。

2004年10月からは月曜日の放送を拡大し、第2部復活版ともいえる企画「マンデープラス」を開始。

2005年3月28日から、TBSが日中の報道・情報系生ワイド番組のリニューアルに伴い、「NEWS23」もタイトルロゴ、セット、テーマ曲を1997年秋以来7年半ぶりに新しいものに変更した。天気予報も全曜日で気象予報士でタレントの山田玲奈が務めた(2004年4月から2005年3月までは金曜日のみ気象予報士の真壁京子が務めてきた)。

末期(2006年9月 - 2008年3月)

2006年9月25日、筑紫以外の出演者のリニューアルを行う。フリーランス膳場貴子山本モナに加え、高野貴裕がスポーツキャスターを担当。これまでは金曜日に限りオープニングの音楽がピアノバージョンだったが、このリニューアルをもって金曜日のオープニングはピアノではなく他の曜日と同じアレンジとなっている。

しかし、出演者の離脱・休養・加入が相次ぐ。(詳しい経緯は後述)。リニューアルしたその週に、山本モナが写真週刊誌に不倫報道を報じられ、翌週から出演を見合わせ、そのまま降板となる。これを受けて、12月に出水麻衣岡山裕子が加入、2007年3月に三澤肇が加入する。

一方、筑紫は2007年5月から病気治療のために入院することになった。筑紫は入院中も音声メッセージによる出演を行い、10月には5ヶ月ぶりにスタジオから出演。以後は不定期の出演となる。

筑紫の不在を受けて、2007年12月3日から後藤謙次(元共同通信編集局長)がメインキャスターに就任。筑紫は“スペシャルアンカー”として、大きなニュースがある場合のみ出演する事となった。

後藤が就任した後も暫しの間『筑紫哲也 NEWS23』のまま放送したが、2008年3月28日放送の筑紫出演回で「来週からの番組刷新で、タイトルから私(筑紫)の名前が消えます。ただ、体力が許される範囲・番組にプラスになると思える範囲内で番組には関わりたい」と挨拶。2008年3月31日より、番組名から筑紫の名前を外して、メインキャスターの後藤やJNNがタイトルに含めずに、単なる『NEWS23』となった。

[編集] 出演者

2008年度まで(筑紫哲也 NEWS23、NEWS23)
期間 メイン サブ スポーツ 天気
月 - 木 金曜日
1989.10.2 1991.3 筑紫哲也 浜尾朱美
池田裕行
小林繁 浜尾朱美
1991.4 1992.3 木村美穂
1992.4 1992.9 木場弘子
1992.10 1996.10 香川恵美子
1996.10 1997.9 浜尾朱美
池田裕行
佐古忠彦
1997.10 1999.9 草野満代
佐古忠彦
進藤晶子 草野満代
1999.10 2004.3 小倉弘子
2004.4 2004.9 草野満代 真壁京子
2004.10 2005.3 久保田智子
2005.4 2006.9.22 山田玲奈
2006.9.25 2006.11 膳場貴子 高野貴裕
(日替わり)
2006.12 2007.3.2 出水麻衣 岡山裕子
2007.3.5 2007.11.30 膳場貴子
三澤肇
2007.12.3 2008.2.1 後藤謙次
2008.2.4 2008.3.26 出水麻衣 岡山裕子
第二部サブキャスター

いずれも月 - 木曜日の出演。

ナレーター

『筑紫』時代は一貫して柳志津男がニュース・特集企画のナレーションを担当。スポーツニュースは時期の詳細は不明であるが、真中了(水曜まで)と八戸優(木曜・金曜)が担当した。

「サッカー23」解説者
かつて、毎週月曜日(原則)に、主として前週末に行われたヨーロッパ各国のサッカーリーグ戦などについて解説していたが、久保田が降板した2006年9月以降は行われなかった。
番組末期の出演者の変遷・出来事
  • 2006年9月29日 - この日発売の写真週刊誌フライデー」(2006年10月13日号)で、山本モナ民主党衆議院議員細野豪志との不倫が報じられた。山本は翌週10月2日放送分から「体調不良による休養」として出演を見合わせ、10月23日付けで番組を降板した。山本降板以降、後述の三澤の加入まではスポーツキャスターの高野がニュースコーナーにも出演した。高野は当初スポーツキャスターという立場からラフな格好で登場していたが、これ以降スーツネクタイ姿で登場した。
    • かつてJNN最終版のニュース番組『JNNニュース22プライムタイム』では、メインキャスターを務めた森本毅郎が同局の女性ディレクターとの深夜の密会が同じ週刊誌「フライデー」で報道されたことを受け、1か月ほどの番組出演自粛という事実上の謹慎処分で制裁を受けたが、山本の件に関しては、所属事務所が「軽率な行為であり謝罪します」とコメントを発表する一方で、番組では23日の放送で膳場・高野両キャスターから降板に至る経緯が説明されたのみであった。筑紫は「短い間で残念でした」とコメントするにとどめた。
  • 12月4日出水麻衣(TBSアナウンサー・2006年入社、月 - 木曜担当)と岡山裕子名古屋テレビ出身のフリーアナウンサー・気象予報士、金曜担当)が加わる。ただし2名とも天気コーナーのみ担当として出演。
  • 2007年3月5日三澤肇が加入。三澤は近畿広域圏の系列局、毎日放送(MBS)の記者アナウンサーとして入社)で、MBSからの出向。大きな事件の際には現場からリポートを行っていることから、実質の山本の後任となった。
  • 5月14日、「多事争論」のコーナーをオープニングで行い、そこで筑紫自身から初期の肺がんであることを公表。筑紫は闘病・休養に入ることとなり、出演を見合わせ。筑紫のコラム「多事争論」の頻度は減り、声だけの出演となった。
  • 5月15日、筑紫がいないことを前提に、膳場(メイン)・三澤(サブ)体制の『NEWS23』がスタート。
  • 8月28日29日、膳場と三澤が、三澤の“ホームグラウンド”である、MBSの報道局デスクやスタジオ(通常『VOICE』(関西ローカルの夕方ニュース)を放送しているスタジオ。三澤は同番組の初代メインキャスターでもあった)から、番組全編を放送。高野は唯一東京のスタジオで留守番(プロ野球など世界陸上以外のスポーツニュースを伝えた)。この2日間の天気予報は、膳場が大阪から伝えた。8月25日から9月2日まで開催されていた「世界陸上大阪大会」をMBS・TBS系列が独占放送していたことにちなむ(膳場・三澤はそれぞれ世界陸上に湧く大阪の実情を取材)。この時、出水は同大会のミックスゾーン(インタビュアー)担当だったことから、長居陸上競技場から出演。
  • 9月10日から14日、膳場が夏休みをとり、三澤が膳場(メイン代行)の代行を1週間務めた。出水・岡山が共に全曜日にわたって出演。サブキャスターの役割は月・火曜が出水、水 - 金曜は岡山が担当。天気予報については、岡山が金曜に加え、出水が担当していた月・火曜も担当した(出水は水・木曜を担当)。ニュース原稿は基本的に出水と岡山が交互に伝えた。
  • 10月8日、筑紫が復帰。入院前よりやや太っており元気な様子だったが、「これまで通り毎日来ることはできないかもしれない」「大きいニュース(政局が動いた場合や大事件・事故)がある時に駆けつける形になる」とも語っており、以降、不定期出演という形となった。また、抗がん剤の影響で髪も抜け落ち、戻りつつある(筑紫は、発展途上という言葉に置き換えて伝えた)が、付け毛をしていることも明かした。
  • 10月16日、筑紫が「環境スペシャル地球破壊3!中国編!"巨龍発熱"」で復帰後2度目の出演(この日は普段ネットしないMBSが月曜2部をネット)。
  • 10月23日、筑紫の出演が不安定な事情や、筑紫の意向もあり、新メインキャスターを後藤謙次共同通信社前編集局長)が担当することが発表された。
  • 11月5日小沢一郎民主党代表辞意表明(のちに撤回)を受けて筑紫が3度目の生出演。関連して、11月8日には筑紫が録画出演し、小沢との1対1のインタビューを行った。
  • 11月23日、筑紫が滋賀石山寺より復帰後4度目の生出演。
  • 12月3日、後藤がメインキャスターとして最初の出演。なお就任当初、金曜は取材日に充てるため出演せず、大きなニュースがある場合のみ出演という形を取った。
  • 2008年2月1日、高野が翌週から『イブニング・ファイブ』を担当することになったため番組を降板。
  • 2月4日、出水と岡山の担当が変わり、出水がスポーツキャスター、岡山が天気予報を担当することになった。なお、出水は日曜日に『J-SPO』の生放送があり、本番組に全曜日出演することになると週6日勤務となり、TBS内の労使協定に反する過重勤務となるため(もっとも同年春以降この協定はうやむやになった)、『J-SPO』の方の都合が付くまで月 - 木曜のみの生出演とし、しばらく金曜のみ膳場がスポーツコーナーを兼務した(出水が取材VTRに出演することもあった)。かつてのスポーツ担当小倉弘子が日曜日の『サンデー・ジャポン』に出演していた時も同様。
  • 3月28日、筑紫が出演し、多事争論の中で番組名に自身の名前を冠した最後の放送となることを明かす。
補足
  • 筑紫は2007年5月に肺がんを公表して以降、闘病・休養に充てる時間が多くなったことから、メインキャスターの座を後藤に託す形となり、2007年12月3日から2008年3月までスペシャルアンカーを務めた。大きなニュースのあった時や季節の変わり目、年末年始などの節目節目に出演していた。
  • 後藤は就任当初、金曜日は取材日に充てるため、月 - 木のみ出演。筑紫同様に大きなニュースがない限り登場せず、この役割は実質膳場が担当した。2008年春の番組リニューアルに合わせ、全曜日出演するようになった。
  • 膳場は後藤加入後も番組の進行を務め、後藤は解説役としての意味合いが大きかった。
代役について

筑紫の休暇や出張、療養などで休みの時は、初期は黒田清、しばらくは嶌信彦秋山豊寛らが代理を務めていた。末期は休暇の場合、前述の嶌をはじめとした文化人や評論家が日替わりで登場するようになったが、キャスターというよりはコメンテーター的ポジションであり、「多事争論」以降の番組後半からは登場しなかった。実質上の代理は池田や佐古らのサブキャスターが務め、2006年9月以降および、筑紫闘病・休養中は膳場が担当。

筑紫は2007年5月に肺がんを公表して以降、闘病・休養に充てる時間が多くなったことから、メインキャスターの座を後藤に託す形となり、2007年12月3日から2008年3月までスペシャルアンカー(事実上特別キャスター)として出演。大きなニュースのあった時や季節の変わり目、年末年始などの節目節目に出演していた。

  • 池田が不在の時には、当時TBSアナウンサーの岡崎潤司が担当することもあった。
  • 佐古は降板後も国会からの中継報告などで度々登場していた(他の時間帯にも登場)。2007年11月7日は約1年ぶりにスタジオにも登場した。
  • スポーツニュースの代役は浜尾・草野が担当した。2007年は不明。

[編集] 筑紫時代の編集方針

  • 1989年の番組スタート以来、その立ち位置に大きなぶれはなかった。「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する。(Power tends to corrupt, absolute power corrupts absolutely.)」(ジョン・アクトン)という立場から、徹底した権力の番犬「ウォッチドッグ」( Watchdog journalism )という姿勢を貫いた。
  • 筑紫は番組スタート当時の雑誌インタビューやみずからの著書『ニュースキャスター』などで「『君臨すれども統治せず』の編集長」と自らの立場を説明しており、番組の放送内容の構成に関して規制は少ないというスタンスであったという。
  • ミュージシャンや俳優もゲストとして登場、筑紫と親交の深い人物も多かった。井上陽水が手がけた番組テーマ曲は筑紫が直談判して実現している。テーマ曲に関わった人物以外では忌野清志郎椎名林檎も登場した事がある。
  • 反戦反グローバリズムスローフードなどの運動を取り上げている。
  • 実名報道には慎重である。ただ、個別の事例ごとに判断しているとみられ、一律に匿名としているわけではない。
  • 2006年、マスメディアが青少年の自殺を相次いで報道した中で、世界保健機関(WHO)が発表した自殺を予防する自殺事例報道のあり方についての勧告(2000年)を尊重し、それに即した報道を行っている事を番組中で明言。このような姿勢を取る報道番組は、日本では少数派である。WHOの自殺報道ガイドラインについては、自殺#自殺報道と群発自殺を参照。

[編集] 年間テーマ

1991年から2008年までは、その年の年間テーマを掲げ、シリーズ特集を組むことがあった。2008年は後藤謙次がメインキャスターだった時期だが、筑紫は『地球破壊』シリーズでアイスランド取材を行っている。

  • 1991年:日本が危ない!
  • 1993年:乱
  • 1994年:論
  • 1995年、1996年:脱
  • 1998年:壊
  • 1999年:それから
  • 2000年:こころ
  • 2001年:幸福論、世界が変わった日(9月12日-、アメリカ同時多発テロの発生による)
  • 2002年:新・幸福論(2001年に放送した2つのテーマの仕切り直し)
  • 2003年:Go!Slow スローで行こう
  • 2003年・2004年:この戦争の正体(イラク戦争に伴う)
  • 2005年:翔
  • 2006年:変
  • 2007年:破
  • 2007年:がんを生きぬく(この期間に筑紫ががんを患っていることが判明)
  • 2008年:地球破壊

[編集] 多事争論

筑紫が好きな言葉である福澤諭吉の言葉を拝借したコラムコーナーで、1992年10月5日開始。90秒、筑紫の私的な意見や感想を述べた。テーマは筑紫がフリップ毛筆で書いて掲示した。1997年9月から1998年9月まではフリップを用いず、大型モニターにテロップで筑紫直筆のタイトルと関連する映像が映し出され、その前に筑紫自身が立って話すというスタイルをとっていた。筑紫が事実上メインキャスターを退いた2007年5月からはあまり放送されなくなり、入院・療養中の2007年6月から同年9月までは音声のみで出演した。

TBSビデオ問題』では、当時のTBS社長磯崎洋三が過ちを認めた1996年(平成8年)3月25日記者会見の後、その日の「多事争論」にて筑紫は「TBSは今日、死んだに等しいと思います」「過ちに対して(中略)つまり、その後の処理の仕方というのが殆ど死活に関わるということを、これまでも申し上げてきました。その点でもTBSは過ちを犯したと私は思います」と発言し[3]、「身内に甘い」と評されるテレビ業界にありながら、TBS局内で自身の報道番組から身内に対して痛烈批判をした。

筑紫が夏休みで番組を休んだ場合、各日のゲストコメンテーター(嶌信彦岸井成格東京大学姜尚中教授など)が「多事争論」コーナーで意見を述べている。コーナー開始前の小映像もそれぞれその日のコメンテーターが登場するものである。2007年7月には、「私の多事争論」と題して、落語家の立川談志が出演した。

筑紫哲也の多事争論は番組公式ウェブサイトにて、後日RealPlayerにて映像のネット配信がなされた日本初・当時としては『先駆的』な取り組みをしたコーナーであった(なお、『23』のハイライト配信は2001年から)。いわゆる「ブロードバンドインターネット接続」が当時それほど普及しておらず、日本のテレビ放送局ではTBSが自社のニュースサイトでニュース映像を公開していた。ただし、多事争論開始当初からしばらくの間は映像は無く、テキストで書いてあったのみ。

このコーナーの影響は大きく、筑紫は「抗議の電話が多いだろうなぁ」と思いながら本番に臨むときもあったという。

ジャンルを問わず様々な番組で「多事争論」の名前を少し変え、コラムやインタビューなど色々な企画が放送されている。

2006年頃からTBSニュースバードでもこのコーナーのみで0時30分、1時30分(月曜と金曜深夜は2時30分も)からの放送で放映されていた(2008年3月まではEPGにはタイトルが掲載されていたが、当該枠は最新ニュースとスポーツニュースを送っていた。主要ニュースとスポーツはこの番組からの再構成である。同4月以後は「みっどないとバード」=0時から4時半までのゾーン総称になっている)。

フジテレビでは1993年4月から2000年3月まで、『FNN NEWSCOM』から『ニュースJAPAN』にかけて木村太郎によるコラムコーナー『太郎のコラム』を放送した。

[編集] 異論!反論!OBJECTION

第1部と第2部の合間にあったローカルニュース枠で放送されていた街頭インタビューコーナー。ひとつのトピックをもとに街頭インタビューを行い、賛成、反対、それ以外などさまざまな意見を織り交ぜて紹介した。スポーツコーナーでパロディを放送したことがあり、全国化を果たした形となった。2部制終了後は多事争論とセットで全国枠での放送となっていたが、月曜日の第1部エンディングと「マンデープラス(のちの月ONE)」の間のローカル枠での放送という番組初期と同じ時間となり、一部地域では視聴できなった。「月ONE」廃止後とともに消滅。

[編集] 第2部

月曜から木曜までは「第2部」に特集が放送されてきた。『情報デスクToday』からひき続き社会情報局が制作を請け負ったが、TBSビデオ問題による廃止により報道局が引き継いだ後、1997年9月バラエティー番組『ワンダフル』開始に伴い終了した。

初期の第2部のネット局に関しては、前身となる『情報デスクToday』のネット局が少なく、当初は毎日放送(MBS)やRKB毎日放送(RKB)などを中心に放送しない局が多かった。その後、第2部が評判を呼び、徐々にネット局が広がった。筑紫は山陰放送がネットを開始した直後の1991年10月の米子での講演で、「第2部をネットしないと講演依頼も受けない、と言ってきた」と発言し、自らネット拡大に努めていたことを明かした。ただし、MBSだけは一貫して第1部のみ放送する体制を続けた。

内容が幅広かっただけに逸話もある。人気コーナーだった『筑紫哲也の真夜中トーク』(テーマソングはテイク6の曲を使用)では中継先のゲストと筑紫がトークをするものだったが、ゲストに中継先の和田アキ子が登場した際に筑紫が「和田さんですか?」と聞いた際、和田が酒を大量に飲んでいた為に酔った勢いで「なんだよ!」「しらねーよ!」など暴言を吐き、暴れたりしたことから、和田の回で打ち切りとなった。[4][5]

[編集] 金曜深夜便

金曜第2部はローカルニュースとCMを除くと10分間と短く、1997年10月『ワンダフル』開始後も唯一の第2部として継続。正式に「金曜深夜便」となり、筑紫降板後も2009年3月まで続いた。

文化(カルチャー)で際立つ人選を行うことがある。1999年忌野清志郎がパンク・ロックに編曲した『君が代』が国旗国歌法制定と合わさり発売延期騒動となった際、バンドを率いて『君が代』を披露。2007年には銀杏BOYZがスタジオ生演奏、『』を披露した。

インリン・オブ・ジョイトイや、放送禁止用語を連発してテレビラジオから締め出しを食らった鳥肌実も登場した。

[編集] マンデープラス

2004年10月改編を機に月曜のみ第2部が復活。マンデープラスと読むが、表記上は『月+』、2006年秋から『MONDAY+』とした。23:55から24:25までの30分、ドキュメンタリーを放送した。

[編集] 主なコーナー

フラッシュニュース

第1期のタイトル「NEWSラウンドアップ」は事実上『情報デスクToday』の「フラッシングToday」の後継枠である。 2008年3月まで担当していたナレーターの柳志津男と女性キャスターが交互に伝える。名称は「ニュースラウンドアップ」、「NEWS INDEX」。

第1期(筑紫・浜尾)末期にあたる1996年からの金曜版はゆったりした進行を意識し、その日のニュースは冒頭にフラッシュニュースで伝えるのみとした。

1998年にフライングスタート開始した際、放送時間が重複していた『NNNきょうの出来事』を参考にし、フラッシュニュースから始まり、特集予告などを挟み、オープニングCGが流れてキャスターの挨拶という順序をとった(およそ1か月)。

スポーツ

小林繁時代は本番組立ち上げ以前のスポーツニュース番組『スポーツチャンネル』の名称をコーナー名として承継していたが、後にこのコーナー名は廃止され、口頭で「スポーツです」との紹介にとどまる形になった。高野がスポーツ担当に就任した2006年9月25日より、コーナー名として「SPORTS23」と再命名された。ただ、コーナー名の紹介はロゴ等の表示でしか確認できず、2006年9月のリニューアル前と同じく「スポーツです」と紹介されている。

[編集] 特集企画

年間テーマ以外ではない短期集中型のシリーズ企画。話題になっているテーマに関することや現代社会を捉えるものまで多種多様。

終戦記念日特集
  • 毎年8月15日は戦争に関するもの、日本の時代精神に問いかけるものなど、様々な特集を放送してきた。この日は第2部を放送しない地域にも放送される事がある。若者を招いて車座集会を開いた際、死生観に関する議論が殺伐とした雰囲気になった事がある。
阪神淡路大震災
  • 1996年から2005年まで、毎年1月17日にキャスターが神戸から生中継した。97年から筑紫・佐古がそれぞれ中継するのが恒例となり、黒田清も生前は筑紫と共に生中継に出演した。2005年の震災10年目は神戸出身のロックバンドガガガSPがライブハウスからの中継で『問題はない』を演奏した。月曜第2部「マンデープラス」にかけて放送し、普段第2部を放送しない地元・毎日放送もネット。
おすぎと哲也の映画紹介
  • 映画評論家おすぎと筑紫による最新映画紹介。夏休み前と年末年始前の年2回放送。金曜版23の定番企画として続けられた。
CMベストテン
  • 広告批評初代編集長でコラムニストの天野祐吉が選定。1年間のCMを総括するもので、12月の金曜日に放送された。第1部で国内のCMランキングを、第2部「金曜深夜便」で国内外の珍しい・面白いCMを紹介という形が多かった。
争論・大争論
  • 2001年に「争論」と題した筑紫司会、ゲスト2人による討論企画が放送。その後、数人のゲストを呼び「大争論」と題した企画がたびたび放送された。
それから
  • 2004年から「それから75日」として放送開始。元TBSアナウンサーで、現在はフリージャーナリストの下村健一が担当。大きく取り扱われていたニュースが残したもの、あの時見えなかった側面などを探る。2005年4月からタイトルから75日が外れ、月1回の放送となった。

[編集] レギュラー企画

The Interactive
  • テーマを基に視聴者から寄せられたメールを紹介する。草野が加入した1997年10月に始まり、草野が代読していたが、2ヶ月で終了し「OBJECTION」の復活に至る。
コレヨモ。
  • 金曜版23のローカルニュース枠の企画。オススメの一冊を紹介。2005年10月から半年間放送[6]
NEWS23 蛙男劇場
  • 2006年6月16日から月1本のレギュラーコーナーとして開始。蛙男商会がサラリーマン層のプライムタイムである「NEWS23」の中で、時事ネタを独自の観点から鋭く風刺し、今までのアニメでは獲得できなかった層を獲得した。2006年9月29日からは隔週放送となった。2009年3月27日に3年間で終了。

その他随時著名人と筑紫による対談「筑紫録」が放送されていた。筑紫1周忌に当たる2009年11月より随時、TBSチャンネルで「筑紫哲也 NEWS23 対談特選~時代を映す言葉たち」として放送された。

[編集] タウンミーティング

国家首脳と事前に番組が選考した日本国民とのタウンミーティングが何度か企画された。元々アメリカ政府がビル・クリントン大統領(当時)日本訪問の際にタウンミーティングを計画し、駐日大使へ定期的にインタビューを行っていたNEWS23に対してオファーしたもの。本編にCMは一切流さない、などアメリカ流の手法がそのまま持ち込まれた。23から持ち込んだ企画はゲストインタビューで恒例だった5つの質問がある。最後に多事争論にて「本当に小渕さんに申し上げたいんですが、今度は『あなたの番』です」と小渕恵三総理大臣への出演依頼で締めた。

司会は筑紫が、フォローアップと観客にマイクを渡す役目として佐古、草野、田丸美寿々JNN報道特集キャスター)が出演。この時、大阪から中継で質疑が行われ、クリントン不倫疑惑について質問した。大阪は田丸一男(毎日放送アナウンサー)がフォローアップを行った。

クリントン大統領出演時の舞台裏はタウンミーティング翌日の番組で特集され、アナウンサーのロッカーも私物を残さないで空にさせたり、タウンミーティングの収録スタジオは収録に直接関係する「特別通行証」所持の社員以外は前日から社員でも近づけなくするなど局内に厳戒態勢が敷かれた様子が放送された。アメリカでは劇場やコンサートホール(多目的ホール)で行われる為に、放送局のスタジオで開催したのは貴重な事例である。

李明博出演の回には草彅剛が出演し、質問を行った。

[編集] 放送時間

「筑紫哲也 NEWS23」放送時間の変遷
期間 月曜日 火 - 木曜日 金曜日
1989.10 1997.9 23:00 - 24:30(90分) 23:30 - 24:35(65分)
1997.10 1998.3 23:00 - 23:55(55分)
1998.4 2004.9 22:54 - 23:50(56分)
2004.10 2008.3 22:54 - 24:25(91分) 22:54 - 23:50(56分)

新聞発表上では月 - 木の番組開始時間が22:54になっていたが、実際は22:56開始であった(22:54時点では、2分間CMを流していた)。

2008年以降はNEWS23#放送時間を参照。

報道特番時の対応
  • 1991年2月第1部終盤に「イラクの米軍撤退」の報が入り、第1部をCMなしで30分延長した。CMなしだったのは、深夜のこの時間にCMに入れば自動的に番組が終了する地方局があったことを考慮したものと思われる。この日は第2部を臨時ネットした局もあり、次の番組が1時間10分遅れることとなった。
  • 1995年1月17日阪神・淡路大震災
    • 長時間報道特番として早朝から放送。
  • 2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件
    • 直前の毎日放送製作『ジャングルTV~タモリの法則~』を22:37に中断して放送。予定より20分程度早いスタートとなり、0時50分まで放送。佐古は午前4時から再び担当。
    • 翌12日は午後8時54分から9時30分まで特別番組を放送(この日はプロ野球中継があり、30分延長のオプションを特番に充てた)。11時24分からは90分特番として放送。
  • 2005年4月25日JR福知山線脱線事故
    • 月曜深夜便(第2部)の枠で報道特番を放送。この日は第2部もJNN協定が適用され、毎日放送を含む全局が放送した。
  • 2006年1月23日ライブドア・ショック
    • 直前の予定だった『月曜ミステリー劇場』を休止し、21:10から報道特番を放送。キャスターを筑紫と草野が務めた。
  • 2006年6月5日村上ファンド代表逮捕
    • 時間を拡大して、25:00過ぎまで放送した。
  • 2007年9月12日安倍晋三内閣総理大臣辞任
    • 時間を拡大して、24:10まで放送し、筑紫も音声越しで出演した。
  • 2007年12月14日:佐世保市銃乱射事件
    • 番組内容を大幅変更し、予定していたCM大賞も中止され、初めて放送が年明けに回された。また金曜深夜便枠もこのニュースに費やし(大きなニュースであったものの、毎日放送では、通常通り24:20で飛び降りた)、当時金曜の放送に出演していなかった後藤も出演した。

[編集] ネット局

1997年まで続いた第2部は徐々にネット局を拡大させて最終的には毎日放送(MBS)を除く全局が放送するに至った。「マンデープラス(月+)」は中部日本放送(CBC)・チューリップテレビ・毎日放送・テレビ山口は放送しない。毎日放送は金曜の第2部もネットせず。

  • 23時開始時代には青森テレビで流れるはずのないTBSの23:00.00の時報が稀に聞けた。また当時の時報をサンスターが提供していた。
  • CBCは2005年9月まで「月+」を定期ネットしていた。2007年1月29日の「月+」(テーマは「屋久島移住 その夢と現実 大定年時代到来」)はCBCが制作したため、この日に限りCBCでも放送。中日クラウンズの開催週(原則としてゴールデンウィークが該当)に、同大会予選ラウンドのハイライトを放送するため「金曜深夜便」を休止。
  • 山陽放送は原則「月+」「金曜深夜便」双方ともネットされるが、「月+」については不定期でローカルスポーツ中継(録画)を行なうために休止することがある。
  • 1999年4月から2008年9月までフライングスタートをとり、2分間CMを放送して本編が始まっていたが、中国放送ではこの時間、自社製作番組「キラリ!広島県」を放送していた。

[編集] テーマ曲

放送開始から1997年9月までのエンディングテーマは筑紫が選び、アーティストに直接頼み込んで実現したものもある[7]

[編集] オープニング

筑紫が井上陽水に直接会って、口説き落として依頼した。
1999年以降、金曜日のオープニングはピアノバージョン
通常版のオープニングとエンディングは坂本龍一のアルバム『CM/TV』に、ピアノバージョンは坂本龍一のシングル『ウラBTTB』に収録されている。
金曜日のオープニングはピアノバージョンで、2006年9月からは他の曜日にもに使用した。
筑紫や番組スタッフが聴き、メロディや歌詞の内容が番組のコンセプトに合致しているということで主題歌にしたという。

[編集] エンディング

坂本龍一以降はオープニングテーマのアレンジ版を放送した。

[編集] 出来事

  • 1989年10月の第1回放送では、筑紫が、「今日も、明日も、3か月後も、半年後もお付き合い…」と言っていた。
  • 1991年夏、筑紫が夏期休暇を取る寸前、番組でロボットが取り上げられた関係で、取り上げられた後この項目が終了するまで、このロボットがキャスターを一時的に務め、「ロボット23」と銘打った当番組のパロディ風の進行となった。スポンサークレジット(BGMはテーマミュージックのアレンジ)まで存在し、CM枠では「損失補填のないロボット証券」と、当時の野村證券損失補填事件を皮肉った(なお野村證券は初期のメインスポンサーである)。「ニュースラウンドアップ」のパロディ「ニュースラウンドロボット」も登場した(オープニング画面はラウンドアップの静止画面を加工したもの)。最後は筑紫によるインタビューで締めた。翌週から筑紫は夏休みを取ったが、先述のコーナー前に浜尾に「期待のキャスター」と紹介されたにもかかわらず、代行のキャスターはこのロボットでなく人間が務めた。なお、この夏休み期間中にソ連8月クーデターが起きたが、ヨーロッパにいた筑紫はソ連に入国できず、自身が報じることはできなかった。
  • 1996年には一連のオウム報道に関する不祥事による自粛措置で5月20日月曜日から5月23日木曜日の4日間は23:50までで5月24日金曜日は24:20まで(第1部)の放送となった。ただし、1部しか放送していない毎日放送 (MBS)では“通常通り”だった(この期間の多事争論で、「1局を除いて片翼で飛ぶ」と表現している)。[8]
  • かつては金曜ナイターの延長オプションをフル行使した場合、金曜版の放送時間が24:00からとなったため、番組冒頭で筑紫が、“ニュース24(トゥーフォー)”と言っていた。野球の延長で放送開始が遅れた際、筑紫は言外に野球中継を批判するようなニュアンスのあいさつをすることがよくあった。尚、2008年8月1日金曜日の放送は、「マツダオールスターゲーム2008」第2戦(横浜スタジアム)の中継を行ったが、30分の延長オプションを行使した為、番組特別編成時以外ではひさしぶりに24:00開始となった。
  • 2006年8月には、学校裏サイトの存在が日本で初めて取り上げられた。
  • 2006年10月26日北海道日本ハムファイターズが日本一になった時、スポーツコーナーでラジオの実況音声を使用したが、前半のシーンはTBSラジオ&コミュニケーションズの実況音声を、優勝決定時のシーンは北海道放送の実況音声をそれぞれ使用した。
  • 2005年12月26日放送の年末総決算スペシャルで、当時、電車男などで話題になった秋葉原へ筑紫哲也がリムジンで乗り付け、メイド喫茶を体験したりネコミミを付けたりした。スタジオでも久保田にメイドの格好をさせ、水道橋博士が「ご主人様」と呼ばせていた。

[編集] 『ニュースステーション』との関係

  • 『NEWS23』放送開始の4年前からテレビ朝日が放送していた『ニュースステーション』(Nステ)は、よく比較対象にされた。
  • 『Nステ』が放送終了した2004年3月26日の『NEWS23』では、「多事争論」で「この番組(Nステ)が無かったら私たちの番組も生まれていなかっただろう、ライバルというより『同じニュースというものを追究している仲間だ』という想いが強くあります」と述べ、労をねぎらった。[9]テレビ朝日の番組以外で、『Nステ』へ労いの言葉を述べたのは、この番組だけと見られている。
  • 両番組のニュースの伝え方は対照的で、ライバル意識があったと言われる。1989年秋に放送されたTBSの特別番組で、『NEWS23』の番組紹介があった。ここで、筑紫は滑稽な芸をしながら『Nステ』のメインキャスターである久米宏に「久米さん、あなたは笑っている場合じゃないですよ」と話した。また、番組開始当初のキャッチフレーズは「WE TRY HARDER」(“より堅く挑む”)としていた。“THAN”以降が指すもの(何より堅く激しく、なのか)のひとつには、『Nステ』を想定していたと思われる。
  • ただし、放送開始当時、ANNはクロスネット局としての加盟局が多く、系列局の半分のエリアでは『Nステ』が放送されていなかった。
  • 筑紫と久米は共に広島東洋カープファンであり、この事が縁で1993年に共演している。
  • 筑紫と久米は、久米が『Nステ』を降板したのちの2005年9月11日には、第44回衆議院議員総選挙の開票速報『乱!総選挙2005』(TBS)で共演した。この、『乱!総選挙2005』の視聴率は、民放では最高だった。

[編集] 番組への批判

番組の内容については筑紫の「君臨すれど統治せず」の姿勢により、筑紫や編集担当者が関心のあるテーマを重視する傾向にあるとされ、その事が番組で取り上げる内容の傾向に偏りがある、と批判の対象となった。北朝鮮関連、拉致問題関連の報道や捕鯨問題については慎重に、他方、憲法改正(主に護憲の立場から)、自衛隊問題、基地問題など沖縄に関するニュース、靖国神社問題については時間を多く割いて報道する傾向にあると指摘され続けた。

保守系メディア・論壇・オピニオン誌などは以下のような事例を挙げ、「北朝鮮や中国に媚びた番組」「反日」「売国」番組であると非難し、筑紫と番組を非難の対象とした書籍も出版されている。

  • 2006年(平成18年)10月9日の北朝鮮核実験報道に関して、筑紫が何ら批判的な言質を表明しなかった。
  • 中国の環境問題やダルフール紛争問題における中国の関与などを全く伝えていない。
  • 靖国神社参拝に関しては「アジア人は靖国参拝に反対している」との立場から批判を行っており、情報の取捨選択には著しい傾向が見られる(例として、2004年(平成16年)4月4日の台湾団結連盟党首・蘇進強らの靖国参拝は一切取り扱わなかった一方で、同年6月14日の「台湾先住民が台湾戦没者の分祀を求めて靖国に抗議」は大きく報じている点など)。
  • 2005年11月25日に環境問題特集「ほっとけない!私たちにできること」を放送したが、中国での吉林市化学工場爆発事故(11月13日に発生)による環境汚染問題については報じなかった。
  • 2003年のシリーズ「この戦争の正体」で実施したテレゴング(電話アンケート)の集計結果と画面に表示されたグラフの間に多大なる乖離があった。
筑紫哲也NEWS23を批判する立場からの文献
  • 別冊宝島Real編集部『筑紫哲也「妄言」の研究・『NEWS23』、その印象操作&偏向報道の作られ方』 ISBN 4-7966-3848-2
  • 水間政憲『ニュースキャスター筑紫哲也を斬る・このままテレビの偏向報道を許していいのか もはや中国、北朝鮮の代弁者か』 ISBN 4-8174-0549-X
  • 中宮崇『天晴れ! 筑紫哲也NEWS23』 ISBN 4-16-660494-5
  • 西村幸祐『反日の構造』 ISBN 4-569-63996-8 - 「第4章 拉致家族と『朝日新聞』&筑紫哲也氏の深すぎる溝」にフォラツェン医師のインタビュー記事を所収。

[編集] 問題となった報道内容

  • 1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災に関する報道において、ヘリコプターからの中継に臨んだ筑紫が地震による火災で燃え上がる神戸の様子を「まるで温泉街(おんせんまち)に来ているようです。そこらじゅうから煙が上がっています」との発言があまりに無思慮であるとされ、筑紫も非を認めている。歌手の嘉門達夫は自身の曲「怒りのグルーヴ~震災編~」でこれを取り上げている。
撮影取材を拒絶した被災者のグループを取り上げた際、筑紫が「被災者は感情的になっている」とコメントした。この被災者のひとりと知人であった田中康夫は自身の著書『神戸震災日記』で、この撮影取材が被災者に無断で行われたもので、なおかつ放送しないことを約束したにも関わらず放送された、としている。ただし、実際は田中の主張とは少し違い、取材映像は放送しておらず、筑紫が補足コメントで述べたもの。筑紫は自著の中で田中の名を挙げなかったものの、この批判を知っていたとしている[10]
  • 1997年(平成9年)9月1日、「きょうの特集」において北朝鮮に渡った日本人妻へのインタビューを放送。そこでは「日本人妻は何の不満も無く差別されずに安泰に暮らしている」という日本人妻たちの回答を流した。これについて井沢元彦は共産圏とは言論の自由も無いわけで、筑紫がまさかそんな基本的なことすら知らないジャーナリストではないはずであり、明らかに日本人妻の本音とは違う部分を何の論評もせずに垂れ流すというのは、北朝鮮の宣伝に加担しているものであり、明らかに意図的であり偏向報道の何ものでもなかったと筑紫とこの番組の批判をした[11]
  • 1999年(平成11年)7月15日、多事争論において東芝クレーマー事件を取り上げた際、東芝を一部上場企業と匿名で報道した上で、当事者に批判的な発言を行った[12]。また、このときインターネットを「かなり恣意的で、トイレの落書きに近い、などという酷評すらあります」と批判した発言は、インターネットを中心に批判が広がり、「便所の落書き」発言として一人歩きすることとなった。放送当日のスポンサーが東芝で、多事争論直前に東芝ダイナブックのCMが放送されたとされることも非難を大きくする要因となった。
  • 2002年11月、筑紫が編集委員を務めていた雑誌「週刊金曜日」が北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみの家族(当時北朝鮮在住)にインタビューを行ない、「『はやく北朝鮮に帰ってきてほしい』との趣旨の記事を直接曽我に届け、精神的に追い詰めた」として週刊金曜日に批判が集まった。このことについて、11月14日放送の多事争論「永遠のジレンマ」で、「国の方針に水を差すような報道、取材はすべきではないという、こういう議論になりますと、自由な報道や言論というのは死んでしまって、北朝鮮と何ら変わらない国に私たちはなってしまいます」と週刊金曜日を擁護する発言をする。ただし、自身が週刊金曜日の編集委員であることには触れていない。
  • 2003年(平成15年)5月7日、番組で北朝鮮の人権問題に取り組むドイツ人医師・ノルベルト・フォラツェンのインタビューを放送したが、同日に東京国際フォーラムで行われた家族会救う会などが主催した集会のニュースを報じなかった(この集会のニュースは他局のニュース番組はもちろん、同局の他のニュース番組でも報道されている)。TBSに対し、フォラツェンがなぜ報道しなかったのか問い質すと、TBS側から「あれはナショナリズムの集会だったから放送しなかった」と回答されたと明かし、雑誌のインタビューなどで番組とTBSの態度を非難した。
  • 2003年8月15日に放送された終戦企画「終戦スペシャル・殺す、な」は、恐怖感を煽るようなBGMを多用するなど、演出手法に批判が集まった。
  • 2006年(平成18年)6月29日、 小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝について、米国共和党ヘンリー・ハイド下院国際関係委員長の「行くべきでないと強く感じているわけではない」という発言を、字幕テロップで「行くべきではないと強く思っている」と改変して報道した。のちに字幕に正確ではない表現があったと釈明した[13]
  • 2007年6月4日、関東アマゴルフ選手権初日において、番組キャスターの膳場貴子に認めさせたラブレターを高野貴裕アナウンサーが石川遼に手渡そうとしたシーンを放映したが、その一方でTBSの他番組が行なった石川選手の同伴者に対する盗聴マイク装着依頼、ヘリコプターでの会場中継強行へ批判が集まった。

[編集] クロスプログラム

第1期(浜尾・池田時代)は前の番組が終わった後のクロスプログラムは当初は予め収録したものを放送していた。

  • 筑紫が打ち合わせ・準備をしている映像を写しつつ、池田が「このあとはNEWS23。きょう1日のニュースをお伝えします」、または「きょう1日の締めくくり。NEWS23は間もなくです」とナレーションを入れたもの。
  • 浜尾と小林の掛け合い。
(浜尾)「(小林を指して)野球選手」
(小林)「(浜尾を指して)女優さん」
(浜尾)「このあとNEWS23」
(2人)「2人ともキャスターです!!」

この2つのうちのどちらかが放送されていたが、出演者交代やリニューアルが行われた後は生放送に変わり、筑紫とスポーツキャスター以外の出演者(まれに筑紫も出たことがあった)がその日の中心項目について、映像を交えて簡単に触れたものとなった(現在のNEWS23Xではほぼ毎日膳場がコメントを行っている)。

[編集] 脚注・出典

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  1. ^ “NEWS23、筑紫さん死去で悲しい報告”. 日刊スポーツ. (2008年11月8日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20081108-427231.html 
  2. ^ 裏番組であるNNNきょうの出来事でも、単独番組に復帰した1994年-2002年ごろに、平日だけ、新聞番組表に「桜井よしこ井田由美の(N)出来事」と掲載されていた他、夕方のNNNニュースプラス11988年-1991年3月まで徳光和夫が総合司会をしたときは「徳光の(N)プラス1」と表記されていたが、いずれも、正式には総合司会者の冠は入れていなかった
  3. ^ 筑紫哲也 (1996-03-26), News23 多事争論 3月25日(月)「坂本弁護士事件とTBSの問題」, NEWS23, http://210.174.204.116/news23/old/onair/taji/s60325.html 2010年4月12日閲覧。 
  4. ^ ニッポン放送アッコのいいかげんに1000回』2007年10月6日放送
  5. ^ TBSテレビアッコにおまかせ!』2008年11月9日
  6. ^ http://www.tbs.co.jp/news23/old/onair/koreyomo/list2005.html
  7. ^ 女性自身 2008年11月25日号
  8. ^ 1996年5月17日(金)放送「続く…」「私たちのこの『ニュース23』という番組、1局を除きましては1時間半で一つの番組を毎日構成しております。(中略)来週いっぱいは、その後半がないことになりまして、片翼で飛ぶことになります。」
  9. ^ 2004年3月26日「さようならN.S」
  10. ^ 筑紫哲也『ニュースキャスター』集英社新書 ISBN 4-08-720145-7
  11. ^ 井沢元彦『逆説のニッポン歴史観』234頁
  12. ^ http://www.tbs.co.jp/news23/old/onair/taji/s90715.html
  13. ^ TBSがまた“超訳”小泉の靖国参拝のコメントで”. ZAKZAK (2006年7月8日). 2007年6月14日閲覧。

[編集] 外部リンク

アーカイブページが残されているが、多事争論以外はトップページから誘導されないようになっている。

TBSおよびJNN系列 平日最終版のJNNニュース
前番組 番組名 次番組
筑紫哲也 NEWS23
TBSおよびJNN系列 平日スポーツニュース
筑紫哲也 NEWS23
NEWS23
TBS 月曜 - 木曜22:54 - 23:00枠(1998年4月 - 2008年9月)
筑紫哲也 NEWS23
【この番組から全国ネット枠
NEW23
TBS系列 月曜 - 木曜23時台前半枠(1989年10月 - )
筑紫哲也 NEWS23
NEWS23
TBS系列 月曜 - 木曜23時台後半枠(1989年10月 - 2009年3月)
JNNスポーツチャンネル
筑紫哲也 NEWS23
NEWS23
TBS 月曜 - 木曜24時台前半枠(1989年10月 - 1997年9月)
筑紫哲也 NEWS23
(第2部)
TBS 月曜24時台前半枠(2004年10月 - 2008年9月)
ラブセン!
【ここまでPooh!枠】
筑紫哲也 NEWS23
【「マンデープラス」枠】
NEWS23
【「月ONE」枠】
TBS系列 金曜23時台後半枠(1989年10月 - )
筑紫哲也 NEWS23
NEWS23
TBS 金曜23:59 - 24:35枠(1989年10月 - 2009年3月)
噂的達人
※23:30 - 24:00
JNNスポーツチャンネル
※24:00 - 24:20
キャッチアップ
※24:20 - 24:30
筑紫哲也 NEWS23
(金曜版)
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(金曜版)
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