第2ラテラン公会議

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第2ラテラン公会議(だいにらてらんこうかいぎ)は、1139年4月にローマサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に隣接していたラテラノ宮殿で行われたカトリック教会公会議対立教皇アナクレトゥス2世によって引き起こされた問題を解決するため、教皇インノケンティウス2世によって召集された。

経緯[編集]

1130年、教皇ホノリウス2世の死後、フランス系の枢機卿たちの後押しによって選ばれた新教皇インノケンティウス2世の選出を不服とする枢機卿たちが、選出を無効であるとして、新たにピエトロ・ピエレオニを教皇として立てた。これがアナクレトゥス2世である。教会はこの二人の教皇のどちらを支持するかをめぐって分裂状態になったが、諸侯などの後押しを得て徐々にインノケンティウス2世が有利になっていった。アナクレトゥス2世は不利な状況におかれたまま1138年1月25日に逝去した。インノケンティウス2世はここで事態の清算をはかるべく公会議の召集を宣言した。これが開会にいたる経緯である。

議事録などの公式な資料は残っていないが、公会議の採択した教令や種々の資料からわかるのは、この会議で扱われ、決定したのは以下のようなものであったということである。

  • アナクレトゥス2世を支持した司教・枢機卿の罷免。
  • 修道者が法学医学を専攻することの禁止。
  • 聖職者と修道者の婚姻の無効。
  • 司教選挙権が司教座聖堂参事会員にあることの確認。
  • 聖職者が財産を持つべきでないと唱えたブレシアの参事会員アルノルド・ダ・ブレシアへの説教・著述の禁止。
  • 危険な馬上槍試合の禁止。