大喜利 (笑点)

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このページでは、日本テレビの『笑点』の大喜利コーナーについて記載。

本項では、日テレプラスの『笑点Jr.』の大喜利コーナーについても記載する。

目次

概説

大喜利は通常、演芸の後に行われるが、時々演芸内でも日本テレビのアナウンサー6名による「アナウンサー大喜利」を行うことがある。その際は大喜利メンバーが司会や座布団運びを務める。最近では司会が6代目三遊亭圓楽三遊亭小遊三で、座布団運びが春風亭昇太林家たい平が務める。

初代司会の立川談志から3代目司会の三波伸介まではCMが終わって画面が切り替わった時点で既にメンバー全員が板付きでの挨拶状態だったが、4代目司会の5代目圓楽以降は笑点のオープニング曲に合わせて、上手からメンバーが登場するようになった(現在では、小遊三好楽木久扇昇太6代目圓楽たい平山田隆夫の順に登場する)。メンバーが座り、一旦全員の姿が映された後で司会者(桂歌丸)が現れ、席に着いた後に扇子を一打ちして大喜利が始まる。このオープニングに変えたのはプロデューサーの「番組に動きを作りたい」「笑点の象徴として定着しているテーマ曲を何とか使えないか」という意向があったためである。

大喜利開始の際に歌丸は「○○な(罵倒ネタ)皆様方のご挨拶からどうぞ」と言い、続いてメンバーによる短めの挨拶(小遊三→好楽…の順)となる。

大喜利の最中に不自然な座布団の増減が見られるときがあるが、これは時間調節や下ネタなどの関係でネタがカットされることがあり、カットの中でも座布団をあげたり取ったりする事もあるためである。

1年間の締め括りでは三本締めとして、会場の観客と共にその年を締めるが、2006年平成18年)5月14日の放送開始40周年記念特番のエンディングでも行われた。

また、毎年11月ごろになると大喜利終了後に2人の笑点メンバーが来年の「笑点暦」の告知をする(1976年昭和51年)版が最初)。

ルールの起源

大筋は創設者である立川談志が考えた。 アトラクションとしての大喜利は昔からあり、寄席でも存在し、テレビでも行われていた。駄目な答えのペナルティとして、(あたかも羽子板遊びのように)「顔に墨を塗る」ということなどが行われていた。

前身番組『金曜夜席』で大喜利に関する既成概念をリセットして、どういう構成にするかを一から考え直した。アイデアを出す主力になったのは出演者(大喜利メンバー)自身で、談志が「(江戸時代の)牢名主はどうだ? 昔の監獄では受刑者にも序列があった。受刑者のうち、畳を積み上げて座っている奴が偉いんだ」と提案、すかさずそのアイデアが採用された。ただし、高座では畳は運べないので座布団に変え、作られたのが「良い答えには座布団を積み上げ、良くない答えには座布団を減らす」という番組の独自ルールであった[1]

基本ルール

司会者(歌丸)が3問出題し、挙手制で指名されたメンバーが機知を利かせた答えを返す。良い答えに座布団1枚(特に優れた答えには2枚、さらにはそれ以上も)が与えられ、酷い答えは座布団を没収される。座布団10枚を獲得すると、座布団運び・裏方から紙吹雪による祝福を受けながら「豪華賞品」が贈られる。その際「座布団10枚獲得おめでとうございます。賞としてoo(キーワード)の素晴らしい商品をさしあげます」と司会者が読み上げる。なお座布団10枚が達成された翌週(次の回)は、全員座布団1枚からのスタートとなる。但し24時間テレビのチャリティー大喜利・正月の特番・対抗戦などは、翌週へ繰り越さずに「座布団の多い方は」と言って計算し、商品を差し上げている。

座布団を与えるか没収するかは基本的に司会者の裁量であり、これをめぐるメンバーと司会者の絶妙なやりとりが展開される。他のメンバーを罵倒した答えには罵倒したメンバーのほうに座布団が与えられるのが基本である。また、司会者・番組・番組スポンサーをよいしょする(歌丸曰く「スポンサーだからやらないわけにはいかない」)答えでは座布団がもらえる。 以下のような場合、座布団を没収される。

  • 司会者を罵倒する答え(全部没収がほとんど。三波時代には罵倒が甚だしい時などは、座布団を全部没収した上にメンバーをその場に立たせたままにしたり着物を脱がせたりにすることもあった)
  • 既存する、同じような答え(他のメンバーの罵倒ネタは例外)
  • 下品な(放送時間帯にそぐわない、長寿番組としてのブランドに傷をつけるような)答え
  • 観客を罵倒する答え(後楽園ホールはタダ、など)
  • 司会者の気分を害した発言・答えを言った場合
  • 座布団運びが気分を害した場合。座布団運びが勝手に持っていく(歌丸はほとんどの場合、山田が没収した座布団の枚数+1枚の座布団を与える。多くは1回のみで、2回目に同じことや、それに近いことがあった場合は没収の対象にもなる)。
  • 「歌と告知は禁止」ルールに違反した場合(歌丸時代、ただし場合や答えの良さによっては獲得など例外あり)
  • 実際に寄席などで演じる落語のネタを用いた答え(歌丸がネタを説明する)
  • 2問目・3問目において前の問題の形式で答える
  • 座布団の状況をネタにする
  • 座布団を司会者に直接ねだる(ねだった枚数分没収)
  • 他のメンバーの座布団の横取りや貰った座布団。
  • 延々とネタを披露する
  • 歌丸が合いの手を入れる前に答えを言う(三波時代を踏襲したもの)


数週に1度は10枚達成かというシーンがたまにあるが、座布団の枚数が10枚に近づいた場合は大抵司会者が過剰に座布団を取り上げるため、実際は年に1回~2回程度、場合によっては1年間座布団10枚が発生しないこともある。

前田時代には「大喜利ナンバーワン」と称し、後述の通り前田が中央に座り、赤白二組に分けて前田の左右に座り、座布団5枚を奪い合うルールとなっていた。また、大喜利メンバーが6人になってからは通常版とコスチューム大喜利の2本立てで行っていた。

座布団

現在座布団を作っている会社は荻原舞台美術で、大きさは67cm × 77cmと一番大きい「夫婦判」と呼ばれる規格のものよりさらに横幅が長く取ってある。布地にはちりめんが使われており、高級感もある。1枚当たりの製作費は3万2000円(2011年4月3日放送「誰だって波瀾爆笑」から)する。中綿が通常の座布団の倍近く詰められており、さらに中に小さな座布団を1枚入れているため、重さも1枚4キロある。10枚重なった時でもバランスが保てるといわれている。[2]

ちなみに現在、座布団は出演者全員が10枚獲得する事態を考えて60枚以上用意されている。しかし以前は60枚までしか用意されておらず、1991年(平成3年)12月29日の放送で全員が10枚獲得した際には座布団が足りなくなり(歌丸・小遊三が11枚だったため)、5代目圓楽(4代目司会者)の座っていた座布団や山田が最初の挨拶のときに座っていた赤の座布団を急遽メンバーに渡すという珍事があった(商品は「好きなだけ岩清水を飲める」というもので、1992年(平成4年)5月10日放送の慰安旅行にて贈呈された)。

また、小遊三がすでに10枚獲得していたのに5代目圓楽が気付かずに11枚目の座布団を与えてしまい、最終的に13枚まで増やしたこともある。ちなみにこの時は10枚以上獲得したメンバーが同時に3人出ている。

放送開始時は淡いブルーの座布団を使っていたが1年ほどでピンクに変わり、三波の司会就任後の1972年(昭和47年)に現在の紫色に変わっている。

役目を終えた座布団は大喜利レギュラーの元に引き取られているが、過去には視聴者プレゼントされたり、1973年(昭和48年)8月の日本テレビ開局20周年記念イベントとして浅草寺で「笑点まつり」を開き、座布団を読経と奉焼で厳かに供養する「座布団供養」が行われた。

座布団は数年に一度不定期で交換されており、2009年(平成21年)3月22日放送分から最新の座布団が使用されている。そのため新品の座布団は綿が柔らかく厚みがあり、高く積んだ場合にバランスの取り方が難しく、楽太郎(当時。現六代目圓楽)曰く「(バランスを取るのに気を取られ)答えを考える暇が無い」。また座布団に座るのも難しく、小遊三と楽太郎が7枚の際は山田の補助を借りてやっと座っている。これは歌丸が「普段座布団剥奪の対象のネタでも積極的に座布団を獲得できる」などで、普段から罵倒合戦が続いている6代目圓楽にワザと多く座布団を上げた結果で、後に全部没収となっている。

なお、『笑点』が長寿番組となり世間に広く認知されたこともあって、気の利いた表現や面白いことを言ったときに「座布団1枚!」、逆に面白くないことを言ったときなどに「座布団取れ!」などの表現が日常会話で使われることもある。

また、座布団の位置は、司会の桂歌丸から全員の手が挙がっているのを分かる様に、奥に進むに連れ、5cmずつ前にずれている。

出題

主な出題例としては以下のものがある。

  • 都々逸/川柳(特定の言葉を初句あるいは結句で固定するのがほとんど)/なぞかけ
  • 頭文字シリーズ(地方収録の1週目1問目に多い)
  • あったらいやな/誰だったらどんなシリーズ
  • 二度と○○したくない●●
  • 笑点・新漢字の遊び(特定の部首に、色々な漢字を書いて新しい読みを作るのが基本)
  • 笑点お詫びシリーズ○○編(お詫びをしたあと司会者もしくは謝罪されたメンバーが「それだけじゃないでしょ」や「それだけじゃないだろ!」と言った後に答えを返す)
  • 笑点○○自慢合戦(相手のメンバーを1人指名する)
  • もっと○○シリーズ(メンバーが「○○なのは□□」と言い、司会者が「もっと○○なのは?」と聞いたあと、もっと○○なものを答える)
  • 笑点イエス・ノークイズ(司会者はどんな場合でも「イエス」としか答えない。クイズの正解を言った後、答えを返す)
  • 笑点お笑い窃盗団○○編
  • 笑点お笑いタクシードライバー○○編
現在は「お笑い窃盗団」か「お笑いタクシードライバー」のいずれかが地方収録の2週目3問目で行われる。「お笑い窃盗団」は、窃盗団の親分に扮した司会者に「○○(収録地の特産品など)を盗んでめえりやした」と報告、親分が「でかした」と言った後に答えを返す。「お笑いタクシードライバー」は、収録地の名所を案内し、司会者が「ほんと?」と感心した後に答えを返す。
  • 笑点運命の旅シリーズ(かつて地方収録の2週目3問目で多かった)
  • 運命の○○年(その年の最後の放送で行われる)
上記「運命の旅」「運命の○○」では、メンバーが言う「でも...」のあとにベートーベンの「交響曲第5番」が流れる

なお、1966年(昭和41年)5月15日放送の第1回目では「この世に女がいなければどうなるか」という問題が出された(後に2001年(平成13年)5月20日放送の35周年記念大喜利でも同じ問題が復刻されている)。

1問目、2問目は多くが最近の時事問題や芸能人の話題をネタにしたものが多いが、「新しい漢字を作る問題」・「都々逸シリーズ」・「あったらいやな/誰だったらどんなシリーズ」が出ることもある(歌丸の司会就任後はあまり出ていない)。ご当地での収録では土地柄にちなんだ問題が必ず用意される。

3問目は後楽園ホール収録分では被り物を使うものが多く、地方収録では「笑点お笑い窃盗団○○編」「笑点お笑いタクシードライバー○○編」などが出される。

問題では「例のもの」として小道具が用いられることがある。その時は司会者が「山田君、皆さんに例のもの(パターン)を配って下さい」と言うと山田が「はい、かしこまりました」と受け答え、山田を含む3人のアシスタントが配り、その間に問題が紹介される。

「例のもの」として一番多いのは「フリップ」で、折り込み句(ご当地名等を平仮名にし、一文字ずつ文の最初に置いて川柳都々逸調に詠む)シリーズや穴埋め問題などでも登場する。中には「被り物(多くがかつら王冠帽子着ぐるみの頭の部分など)が出てくることがある。被り物ネタでは歌丸が被り物を被った姿がクローズアップされるのがお約束である。

その他の定番としてはチャイムデパートなどでの呼び出し。鉄琴風のタイプ)やコップ・帽子・手拭いマイク拡声機携帯電話などがある。時には1問目から3問目まで、その日の問題全てに道具を使った問題が出ることもある。

2009年(平成21年)4月26日放送では、「例のものを持って来て」の台詞が3問目のお題として使用された。

色紋付

スタッフが容易に識別できるよう、笑点メンバーは衣装の色によりラベリングされている。談志時代の頃から導入されていたが、その当時カラーテレビの普及率が低かったため1968年(昭和43年)~1969年(昭和44年)の冬場の数ヶ月のみの着用だった。談志の降板後は落語家ではない司会者の前田のみほぼ毎週着用していたが、1970年(昭和45年)秋口頃からはメンバーも毎週着用するようになり、そして司会が三波に代わった後でほぼ現在の形に落ち着いた。

カラフルな色紋付を着るようになったのは、カラー放送用の映像の色調整をするためだったという。そのため各人は深く考えずに適当な色紋付を選んだが、これが番組本編内で定着してしまい現在に至ったのである[3]

5月から10月までは羽織を着ない(2008年以降は11月,12月も羽織なし、2009年以降は1月も羽織なし)。また、例年8月の放送ではメンバー全員が同じ柄の浴衣もしくは白色の麻の着物で登場する(近年はそれぞれ2週ずつの着用となっているが、収録日の都合で9月の放送でも浴衣や麻の着物で登場することもある。また、例年8月にある24時間テレビや、8月に地方収録がある場合は色紋付を着用している)。

現在、色紋付は深緑黄色桃色水色薄紫銀鼠橙色朱色の8種類である。

歴代席順

『笑点』放送開始時から現在までの席順の一覧表を紹介する(1966年から2006年までの圓楽は5代目圓楽、2010年以降の圓楽は6代目圓楽)。またここでは歴代のメンバー落語家の配色も並べることとした。

笑点ではメンバー交代があると席替えが行われるが、メンバー自身の希望等の理由により席替えをすることもある。最近では、2006年(平成18年)5月21日より歌丸が大喜利メンバーから司会者に昇格、昇太が新加入のように(こん平の代役でたい平が加入した際も同様)、メンバーの入れ替えがあっても席替えが行われずに、前のメンバーが座っていた場所に新メンバーがそのまま入るケースが続いている(厳密な意味での席替えは、1992年(平成4年)4月に好楽と小遊三の座る位置が入れ替わったのを最後に行われていない。この時は好楽が師匠・5代目圓楽が隣の席で、答えの後に「師匠どうですか?」と尋ねていた為萎縮気味で、1つ置いた席の方が力を発揮出来るのではないかとスタッフが考えたため)。

歌丸がメンバーだった時代に、馬鹿(木久蔵→木久扇のキャラクター)と腹黒(楽太郎→6代目圓楽のキャラクター)の間を嫌がるやりとりが定番であった。なお、木久扇と6代目圓楽は1986年(昭和61年)1月以降、小遊三と好楽は1992年(平成4年)4月以降代理大喜利司会を置いていた時期を除いては全く位置が替わっていない。

チーム対抗戦

新春スペシャルなどの時に3対3の対抗戦形式で大喜利を行う場合、通常とは異なる司会者を真ん中に配置した特殊な席順となり、アシスタント1名も座布団運びとして参加することがある。2004年(平成16年)のこん平(休演扱い)、2006年(平成18年)の5代目圓楽降板後は長らく行われていなかったが、2007年(平成19年)12月30日に年忘れ大喜利大会として約4年ぶりに行われた。歌丸は司会者として、たい平と昇太は初のチーム対抗戦でもあった。歌丸司会就任以降はチームメンバーも固定されるようになった。

座布団10枚の豪華賞品

前身番組の『金曜夜席』から「座布団10枚の豪華賞品プレゼント」は企画されていたが、実際に獲得して賞品を出したのは「笑点」になってからである。基本的に賞品の発表は達成時に行われ、それまでは賞品を示唆するキーワードのみが発表される。

最初の賞品は「香港に行って餃子が食べられる」で、歌丸と小痴楽が獲得。当時の番組に香港行きの予算はなかったが、事情を聞いたある船会社から香港までの2名分の船チケットの提供があり、実際に10日間の船旅を楽しんでいる。旅の様子は写真のみで、獲得した次の大喜利の初め(1967年6月4日放送)で紹介された。

だが、番組初期の賞品に関するデータはほとんど残っていない。これは、当時は司会者の思いつきで賞品を決めてその場で渡したり、ロケでも上記のように写真しか残していないため記録がないという。

以下に、座布団10枚の達成者と達成年月日、キーワードと実際の賞品を紹介する。

  • 石鹸箱一つを獲得。(放送日・獲得者不明)
  • ただ皆で笑うだけだった。(放送日・獲得者不明)
  • 拍手だけだった。(放送日・獲得者不明)
  • ボーナスがもらえる」ということで、(ボー)と茄子(ナス)がもらえた。(放送日・獲得者不明)
  • 「先祖を敬う」として、位牌がプレゼントされた。(放送日・獲得者不明)
  • 富士山頂に自分の像が建てられる権利」を獲得。(放送日・獲得者不明)
  • 歌丸が「海の幸三昧」を獲得したが、食べ放題ではなく自分で海に潜って獲るものだった。そこではサザエの壺焼きなどを食べた。(放送日不明)
  • 5代目圓楽が「イギリスダービーが見られる権利」を獲得。だが「イギリスのダービーまで自腹で行け」と言われたため、行けなかった。(放送日不明)
  • 木久蔵が「ヌードデッサン」を獲得。しかしモデルは自分で探す羽目になった上、女性に噴水の池に突き落とされた。(放送日不明)
  • 小圓遊が「アフリカで猛獣狩り」を獲得。豊島園にあったアフリカ館へ行って猛獣を見学した。(放送日不明)
  • 木久蔵が「旅館の美人女将に会える権利」を獲得。意気揚々と伊豆の旅館へ行ったものの、散々扱き使われてタダ働きさせられただけだった。(放送日不明)
  • 小圓遊が「長良川の鵜飼い」を獲得。(1971年8月1日放送)
  • 小圓遊が「歌手デビュー権」を獲得。レコード「マドモワゼル」を出した。(1972年放送)
レコードジャケットは大喜利で座布団10枚を獲得した時の高座着姿の写真を使用。ただし、実際に小圓遊が番組などで歌う時は真っ白なスーツに赤いバラをつけて歌っていた。なお、B面には当時の笑点メンバーによる「アリャリャン音頭」という曲が収録されている。
  • 木久蔵が「花の都の人力車遊び」を獲得。(1973年5月13日放送)
「花の都」とは銀座のことであり、銀座で人力車遊びに興じる木久蔵の様子は新聞でも報道された。
  • 5代目圓楽が「胴上げ」されるが、落とされて足を捻挫した。(1973年7月放送)
なお、最も古く残されている「笑点」の映像で5代目圓楽が足に包帯を巻いた姿で出ているのはそのため。
  • 小圓遊が「お伊勢参り」を獲得。(1974年5月19日・26日放送)
  • 「番組特製笑点カレンダー」を獲得。(1975年1月放送 獲得者不明)
この賞品についての視聴者からの問い合わせが殺到したため、翌年の1976年(昭和51年)版から笑点暦という名で商品化されて現在でも毎年発行されている。
  • 小圓遊が「隅田川珍身遊び」を獲得。(1975年5月4日放送)
  • 歌丸が「ギリシャマラソン日記」を獲得。(1975年9月7日・14日放送)
番組史上最も豪華。松崎と聖火を揚げてアテネ市内を走ったが、聖火はオモチャで映像もコント仕立てだった。だが、これ以降メンバーたちは何とか座布団10枚を獲得しようと競い合うようになったという。
  • こん平が「美女と遊園地デート」を獲得。(1975年9月28日放送)
後楽園遊園地で幼稚園児の格好をさせられ、師匠三平夫人に振り回されてヘトヘトになる。
  • 木久蔵が「善光寺参り珍道中記」を獲得。(1977年1月23日放送)
  • 三波が「豪華食べ歩きの旅」を獲得。(1977年4月3日放送)
5代目圓楽が座布団10枚超えたが、番組を卒業するため賞品を獲得できず。(獲得した12枚の座布団を代わりに持ち帰った 1977年3月27日放送)
しかし他メンバーの答えの出来が悪かったため、三波が司会者特権で賞品を強奪。メンバーの反感を買い、逆襲に遭う。
  • 夢之助と楽太郎が「東海道五十三次二人旅」を獲得。(1978年3月26日放送 共に初の座布団10枚獲得)
東海道中膝栗毛風、弥次喜多コントをさせられた。
  • こん平が「落語一席披露権」を獲得。落語「宮戸川」を披露した。(1978年8月13日放送)
  • 夢之助が「湯屋番奮闘記」を獲得。(1978年10月1日放送)
  • 夢之助が「珍佐渡情話」を獲得。(1979年4月22日・29日放送)
こん平が佐渡島ガイドとしてついて来て、「佐渡情話たらい舟篇」として前後編2週にかけて放送した。
  • こん平が「餅つきお大尽」を獲得。九蔵と楽太郎が手水役を務め、こん平が餅をついた。(1979年12月23日放送)
  • 九蔵が「最後の楽園騒動記」を獲得。(1980年6月1日放送 九蔵、初の座布団10枚獲得)
三波から「行き先は夢の島だ」と脅されていたが、実際は鹿児島県池田湖イッシー探しの珍道中だった。
今度の美女は日本航空沖縄キャンペーンガール津島要だったため、ちゃんとしたバカンスを楽しめた。
  • 楽太郎が「上野公園花見の狂宴」を獲得。(1982年4月25日放送)
しかし、花見の場所取り役を推しつけられただけだった。
  • 朝次が「光り輝く小粒の貴重品」を獲得。しかし、マッチ箱だった。(1982年10月3日放送 朝次、初の座布団10枚獲得)
  • 歌丸が「家一軒」を獲得。しかし、犬小屋だった。(1983年1月16日放送 圓楽、司会就任後初の座布団10枚獲得)
  • 歌丸と木久蔵が「皇居一周マラソンに挑戦」を獲得。(1983年10月23日放送)
木久蔵は何とか完走するが、歌丸は担架に乗せられてゴールした。
  • 歌丸と小遊三が「エアロビクス入門」を獲得。(1986年4月13日放送)
日ごろ卓球で鍛えている小遊三は軽快なフットワークを披露。一方の歌丸は、開始早々にへたりこんでしまった。
  • 歌丸が「ドッキリ中吊り広告」を獲得。(1987年11月22日放送)
都営地下鉄の車内に、歌丸の中吊り広告が編成中の1両全てに張り出された。
  • こん平が「珍説のさぎ参り」を獲得。(1988年2月21日放送)
  • 才賀が「ゴルフ・イン・ハワイ」を獲得。(1988年3月6日放送 才賀、降板前最後の10枚獲得)
  • 好楽が「テレホンカード」を獲得。(1988年5月22日放送 好楽、復帰後最初の座布団10枚獲得)
  • 木久蔵が「プロ野球入門」を獲得。(1988年9月18日放送)
野球解説者堀内恒夫東京ドームで野球観戦した。
  • 「進学塾入塾」を獲得。(1988年放送 獲得者不明)
  • 歌丸が「クィーンエリザベスIIの夕べ」を獲得。(1989年5月21日放送)
豪華客船で美女とクルージング。しかし美女の正体は、歌丸の恐妻・冨士子夫人だった。
  • 木久蔵が「奥の細道を行く」を獲得。(1989年11月12日放送)
上野駅東北本線で出発、次駅の尾久駅で下車。「尾久舗装道」を探訪した。
  • こん平が「黒潮紀行」のセットを獲得。(1990年7月22日放送)
  • 小遊三が「花火指南」を獲得。(1990年11月25日放送)
  • 歌丸が「パリで自由にショッピングを楽しめる」を獲得。(1991年4月7日放送)
ただし「自分のお金でパリに行き、自分のお金で自由にパリでショッピングしていいよ」というものであった。
  • こん平が「長崎から船に乗ってどこかへ行ける」を獲得。(1991年4月21日放送)
翌週の収録地である倉敷までの手漕ぎボートでの移動を命じられる、というものであった。
  • 楽太郎が「カール・ルイスと対決」を獲得。本物のカール・ルイスと100M走で対決した。(1991年6月2日放送)
  • こん平が「徳川家御埋蔵金」を獲得。(1991年12月15日放送)
宝の地図を頼りに、群馬の山中を分け入って掘り当てた。出てきたのは三つ葉葵家紋入りの雑巾5枚(5枚雑巾・ごまいぞうきん)だった。
  • メンバー全員が「岩清水を飲む権」を獲得。(1992年5月10日放送)
しかし汲んだ岩清水を山田が途中でこぼし、代用としてを漬けた水(いわし・水)をメンバーに飲ませた。この事実を知ったメンバーは、これ以降「山田降ろし」ネタを多用するようになった。
  • 好楽が「ハワイ5泊6日の旅」を獲得(1992年5月24日放送)
  • 小遊三が「つけまつげ」を獲得。(1993年2月28日放送)
  • 好楽が「美女と茶摘」を獲得。(1993年5月23日放送)
小遊三も同行し時代劇コントの脱線もあったが、美女に囲まれながら美味い新茶を摘むことができた。
  • こん平が「道路工事のお手伝い」を獲得。(1993年7月25日放送)
  • 木久蔵が「美女と修行」を獲得。(1993年11月14日放送)
三重県お寺に美人のさんを訪ねたが、迎えてくれたのは怖い和尚さんであった。フンドシ一本で水温0(レイ)度の滝に打たれる木久蔵の絶叫が寒空に響き渡った。番組ブレーンの1人で心霊研究家新倉イワオが背後霊の如く現れ、「あなたの知らないレイ度の世界」と呟いた(「あなたの知らない世界」のパロディ風)。
  • 歌丸が「白樺高原の休日」を獲得。(1994年3月6日放送)
ワカサギ釣りを満喫した後、歌丸が最も楽しみだった雪見風呂だったが、スキー場の真ん中にポツンと立つドラム缶風呂だった。そのため、報告VTRのタイトルが「白樺高原の休日」から「歌丸の極寒雪見風呂」に摩り替わっていた。
  • 小遊三が「故郷に錦を飾る」を獲得。(1994年7月10日放送)
故郷である山梨県大月市オープンカーパレード。母校山梨県立都留高等学校へ赴き、後輩の在校生から「錦の座布団」が贈られた。
  • 楽太郎が「秋の香り満載」を獲得。(1994年10月30日放送)
秋なので松茸を連想した楽太郎だったが、山田が持ってきたのは銀杏。しかも焼きたての銀杏だったため、独特の匂いを会場に撒き散らしてしまう。これはスタッフが放送前日の明治神宮銀杏並木で拾い集めてきたもので、『笑点』での座布団10枚賞品史上、最安価(タダ)。
  • こん平と小遊三が「川中島の決戦」を獲得し対決。(1995年4月16日放送)
新潟出身のこん平が上杉謙信、山梨出身の小遊三が武田信玄に扮し、座布団10枚の御祝儀をかけて川中島で卓球勝負。小遊三の勝ちとなったが、こん平の影武者作戦で御祝儀はまんまとこん平のものになった。
  • 木久蔵が「稲刈り奮闘記」を獲得。苦労して収穫した米をおにぎりにして5代目圓楽に振舞った。(1995年10月22日放送)
  • 好楽が「一攫千金を夢見て宝石翡翠取り大作戦」を獲得。(1996年9月15日放送)
しかしこの時期は翡翠が取れないらしく、結局、5代目圓楽に似た細長い石を持ち帰ることになってしまった。
  • こん平が「長嶋監督におめでとうの座布団を贈る権利」を獲得。(1996年10月13日放送)
  • 楽太郎が「木久蔵に弟子入りできる権利」を獲得。(1997年5月4日放送)
獲得直後に弟子入りさせられた。この賞品は木久蔵以外のメンバーに不評だったため、“良い答えの時は座布団が取られ、悪い答えの時に座布団を進呈される”という、普段とは逆の光景が見られた。
  • 木久蔵が「那須トリックアート」を獲得。木久蔵の絵画が出現。(1997年9月14日放送)
  • 小遊三が「はやりマウンテンバイク」を獲得。出てきたマウンテンバイクに乗れず、実際にもらったのは子供用自転車だった。(1998年8月30日放送)
  • 木久蔵が「私が木久蔵です大作戦」を獲得。(1999年1月24日放送)
5代目圓楽の指示で上越新幹線に乗ったが、車窓から見えたのは広大な雪原にポツンと立っている『私が木久蔵です』と書かれた巨大な看板だった。
  • 小遊三が「楽園パラオのバカンス」を獲得。(1999年6月20日・27日放送)
新婚旅行をしていなかった小遊三夫婦にとっての代わりのバカンスを楽しんでいたところに、こん平と楽太郎もやってきた。この賞品の本当の目的は「パラオに寄席『第2若竹』を作ること」と知らされる。言葉や文化の違いに戸惑ったものの、パラオの人々に落語「桃太郎」 を披露し見事成功した。
  • 歌丸が「世界の大スターに会える権利」を獲得。(1999年9月5日放送)
しかしその大スターとは山田隆夫で、「みかん色の恋」を熱唱しながら現れただけだった。
  • 木久蔵が「ある組織の長になれる権利」を獲得。(1999年12月12日放送)
組織の長とは、一日幼稚園園長先生であった。
元気な園児たちとダンス、お絵描き、お弁当の楽しい時間を過ごし、最後は本業の落語で大爆笑。見事大役を果たす。
  • 木久蔵が「好きな番組を製作出来る権」を獲得。(2000年7月9日放送)
そこで木久蔵が「木久蔵ラーメンを海外で出店したい」と言ったことから、番組の特別編として「木久蔵ラーメンinタイ」を放送。現地で、こん平・小遊三・きくお(現:2代目木久蔵)・菊川怜と合流している。タイ人は何にでも砂糖を入れる習慣があることから砂糖壺を屋台に用意。また、タイの昆虫食として珍重される“ツムギアリの卵”を入れたタイ・オリジナル木久蔵ラーメンを提供した。
スーツの他、着物やドレスといった女装姿を含めた写真集が製作されたが出版してくれる出版社は無く、5代目圓楽の自腹で10冊のみ製本。視聴者プレゼントすることとなった。
山田が宇宙服風の衣装を着て登場し、持ってきたのは「2001円の府中の足袋」(府中市で2001円で売っていた足袋)だった。
  • 楽太郎が「笑う門には福来たる」を獲得。(2001年12月16日放送)
賞品は「笑点オリジナルスノーボード」で、豪快に笑う5代目圓楽のイラストが描かれていた。しかし、楽太郎は「師匠を足の下に敷くなど滅相もない」という理由で一度も使用していない。
  • こん平が「花の雲 鐘は上野か 浅草か(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2002年3月31日放送)
賞品は「花見場所取りセット」であり、5代目圓楽のシール付きオマルまであった。
  • 小遊三が「夏草や 兵どもが 夢のあと(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2002年8月25日放送)
くさや(夏、くさや)の本場・新島に行き、くさや作りを体験。魚のくさやを賞味し、最後は色々な魚のくさや干しを食べて、まさにくさや三昧の一日となった。
  • 歌丸が「三顧の礼」を獲得。賞品は千円札1枚(3個の零で1000円)。(2003年4月6日放送)
  • こん平が「旅は道連れ 世は情け」を獲得。(2003年8月31日放送 こん平、休演前最後の10枚獲得)
こん平の道連れとして山田が同行することとなり、仲直り旅行と称してタヒチ島へ行くこととなった。
  • 歌丸が「似たもの夫婦」を獲得。賞品は煮込みうどん(煮た物フーフー)だった。(2003年12月27日放送)
  • 楽太郎が「古池や 蛙飛び込む 水の音」を獲得。(2004年4月25日放送)
5代目圓楽からは「神々の島であるバリ島の古池に飛び飛んで、黒い腹を清めて来い」と言われる。現地乱入のこん平と好楽の案内でカルデラ湖近くの滝壺へ行くが、楽太郎が拒否。結局、高級リゾート露天ジャグジーに飛び込んだあと、バリ式マッサージで腹を白くした。
  • 歌丸が「濡れ手で粟のひとつかみ」を獲得。(2005年5月15日放送 歌丸、大喜利メンバーとして最後の座布団10枚獲得)
フィリピン紙幣「ペソ」が入っている箱から、現金つかみ取りゲームの要領で1度掴み取る(ひとつかみ)。さらにその掴み取ったペソを元手に、「セブ島カジノツアー一攫千金の旅」へ。
現地乱入の楽太郎を交え、スロットマシンで1000ペソ稼ぎ、ルーレットで一攫千金を狙うが、楽太郎のイメージカラーである『黒』を嫌って赤に賭け続けたが大敗し、成功を予定して組まれた祝賀会の費用を自腹で払う羽目になる。
  • 小遊三が「明日は明日の風が吹く」を獲得。(2005年10月16日放送 5代目圓楽司会、最後の座布団10枚)
賞品は、5代目圓楽家の押し入れから出てきた10年前の扇風機だった。
  • たい平が「少年よ、大志を抱け(クラーク博士の名言)」を獲得。(2006年5月7日放送 たい平、初の座布団10枚獲得)
賞品は、「タイの石」(証拠写真付き)。たい平は巨大な石を収録会場の山口県周南市から東京まで持ち帰る羽目になった。この石は笑点メンバーのサインが入れられ、現在は横浜にぎわい座の演芸資料館に展示されている。
歌丸代理大喜利司会として唯一の座布団10枚。この翌週のSPで5代目圓楽が『笑点』から勇退し、その翌週より歌丸が正式に司会に就任した。
  • 好楽が「芸は身をたすく」を獲得。(2006年12月24日放送 歌丸、司会者正式就任後初の座布団10枚)
レイザーラモンHG(ゲイは身をたすける)の衣装に着替えさせられた。
この回は2006年最後の放送で、歌丸が「10枚獲得者が出なくても1番多い人に賞品を渡す」と明言したが、好楽はしっかり10枚獲得した。
木久蔵と好楽も合流し、韓国済州島で韓国の「天才」少女と楽太郎が「天災は忘れた頃にやってくる杯」と題したゴルフ対決。敗れた楽太郎は馬乗りの馬になった。6代目円楽襲名前最後の10枚獲得。
  • 昇太が「花より団子」を獲得。(2008年3月9日放送 昇太、初の座布団10枚獲得)
「花より団子」と輪島功一(団子屋を経営する元ボクシング世界チャンピオン)が揮毫した掛け軸だった。
5代目圓楽の笑い声が聞こえてくるお守り袋(笑い袋)だった。
  • たい平が「渡りに船」を獲得。(2009年9月13日放送)
歌丸の賞品の説明では海外で豪華クルージングだったが、実際はベトナムジャングルの川をスコールの中、屋根もない小さな船で自分で漕いで下るというものであった。
その後ホーチミン市へ移動。アオザイをまとったベトナム美女と食事デートを楽しむが、好楽がシクロの運転手やレストランの店員に扮して邪魔をし、最後はスパイとなった好楽が携帯電話でたい平の嫁・千華にこれまでの事を密告、電話に代わったたい平が携帯電話に向かって土下座するオチとなった。コーナー終わりのテロップは「こんなこと 錦江湾でも あったよね [楽]」
ネタ(身)からわさび(サビ)のはみ出した寿司であった。暫く食べるのをためらい、意を決して食べるも、余りの辛さに悶絶した。
  • 木久扇が「瞳を閉じて」を獲得。(2010年6月6日・6月13日放送)
歌丸が瞳を閉じて考えた結果、木久扇のネタのひとつ・河童に因んでのトルコカッパドキアの旅を贈呈。途中で山田も合流した。前編は陶器の絵付や熱気球に乗ってのカッパドキア遺跡巡り、後編はイスタンブルに行った。現地で描いた「カッパドキアでラーメンを食べる河童」(ほか2種類の計3枚)の皿は視聴者にプレゼントされた。ナレーションは、たい平が担当。
  • 6代目圓楽が「至福の時」を獲得。(2011年6月12日放送)
賞品の内容は台湾への温泉旅行。「世界にひとつだけの温泉」という触れ込みだったが、実際は自分で河原を掘って入るものだった。VTRでは圓楽以外にも小遊三や好楽も登場。続いて2人と食事をし、圓楽はメンバーの悪口を言うが、圓楽が臭豆腐を食べさせられた。最後に「台湾でタイワンな目にあっちゃった(友達できないね)」と締め括っている。ナレーションは前回と同様にたい平が担当。

※()内は10枚達成の放送日ではなく、獲得賞品の放送日である。ただし、10枚達成直後に贈られたものや、10枚達成のロケーションを行っていないものは、10枚達成をした放送日である。

その他の豪華賞品

10枚達成ではないが、スペシャルなどで最も座布団獲得したメンバーにものすごい賞品が贈られることがある。

  • 小圓遊が「ミス桜の女王とキスができる権利」を獲得。しかし、ミス桜の女王とは女装した松崎真だった。(1978年5月7日 サンフランシスコ大喜利)
  • 楽太郎が「ハワイの美女とキスができる権利」を獲得。今度はちゃんとした美女だった。(1980年10月12日 ハワイ大喜利)
  • 木久蔵が「トイレットペーパー1999本」を獲得。(1999年12月26日 大喜利大会)
  • 歌丸・木久蔵・楽太郎(歌丸チーム)が「笑点特製クリスマスケーキ」を獲得。(2000年12月24日 年忘れ大喜利大会)
  • 歌丸・好楽・小遊三(歌丸チーム)が「木久蔵ラーメン山田隆夫のCD」を獲得。(2001年12月23日 年忘れ大喜利大会)
  • 歌丸・小遊三・楽太郎(歌丸チーム)が「島津製作所風オリジナル笑点作業着」を獲得。(2002年12月29日 年忘れ大喜利大会)
  • 歌丸が「バナナ」を獲得。楽太郎が1本つまみ食いをしていた。(2004年1月1日 新春スペシャルの寿大喜利)
  • 歌丸・木久蔵・好楽(歌丸チーム)が「大掃除セット」を獲得。(2004年1月4日 大喜利対抗戦)
  • 小遊三が「骨」を獲得。(2006年1月1日 『大笑点』寿大喜利)
  • 好楽が「メイドの衣装」を獲得。(2006年5月14日 天国よいとこ昇天大喜利)
  • 好楽と小遊三が「モアイ像」を獲得。(2006年5月14日 圓楽司会最後の大喜利)
  • 獲得者不明・野菜セット。(2007年1月1日 『大笑点』寿大喜利)
  • 木久扇・好楽・小遊三(おじさんチーム)が「歌丸羽子板」を獲得。(2007年12月30日 年忘れ大喜利大会)
  • 昇太が「チーズ」を獲得。(2008年1月1日 『大笑点』寿大喜利)
  • 小遊三が「よだれ掛け」を獲得。(2009年1月1日新春スペシャルの寿大喜利)
  • 楽太郎・昇太・たい平(壮年チーム)が「歌丸湯たんぽ」を獲得。歌丸曰く「抱いて寝てね」。(2009年12月27日 年忘れ大喜利大会)
  • 好楽・小遊三・昇太が「巨大猫じゃらし」を獲得。(2010年1月1日 新春スペシャルの寿大喜利)
  • 両チームがブブゼラを獲得。(2010年12月26日 年忘れ大喜利大会)
  • 木久扇が、「ホッピング」を獲得。卯年であり、「ウサギのように、飛躍出来るように。」との願いが込められている。(2011年1月1日 新春スペシャルの寿大喜利)
  • メンバー全員が「アイマスク」を獲得。アイマスクの模様は、歌丸の目となっている。(2011年5月15日 45周年記念大喜利)
  • 6代目圓楽・昇太・たい平(若手チーム)が「歌丸サンタ人形」を獲得。(2011年12月25日 年忘れ大喜利大会)
  • 新春時を除くアナウンサー大喜利では歌丸が司会になってから(2007年以降)歌丸を罵倒する賞品がプレゼントになった。
    • 2007年と2008年は「安眠どころか永眠できるぐらいぐっすりと睡眠できる歌丸全身プリントの抱き枕」(2008年は『夏の装いバージョン』と称し、「顔は歌丸で、体は筋肉質ビキニ水着赤ん坊」をプリントした抱き枕)。
    • 2009年は「歌丸が骸骨になった風鈴」。
    • 2010年夏は「歌丸の顔のフラドール」
    • 2011年夏は「歌丸ミストファン」(歌丸の人形付きの携帯扇風機。夜に使えば凍りつくような寒さの節電対策の落ち)

出演メンバーのキャラクター

笑点メンバーは、それぞれ答えの傾向やキャラクターがある。無論、メンバーのキャラクターや罵倒ネタは、全て大喜利の中だけの話である。

現在の出演者

桂歌丸(笑点5代目司会者)

  • 自身がメンバーだったころは司会者やメンバーに対し喧嘩を売るキャラクターで、落語の人物でいうと「がらっ八の八五郎」役であった。ツッコミは鋭く、メンバー時代は政治・経済・社会・風刺ネタで毒舌発言も多かった。
  • 落語芸術協会会長の役職から5代目圓楽に「怪しい鳥の怪鳥だよ」とたとえられ、いじられネタとなった。
  • 司会就任後は自らがその矢面に立ち、司会者罵倒ネタ(死去ネタ・ハゲネタ・ジジイネタ・5代目圓楽と同様なミスをした等)や延々とネタを披露するネタ等に対して容赦なく座布団を没収し、同調したメンバーも剥奪の対象になっている。結果番組終了時に全メンバーの座布団が無い事が何度があった。
  • 司会就任後は、大喜利冒頭で3代目司会者の三波伸介の手法を踏襲して、罵倒ネタと皮肉を交えてメンバーを紹介する。
  • 三波の手法を踏襲し「歌丸をヨイショするネタ」に関しては複数枚の座布団を与える(最高が6枚)
    • 出演者最年長で細身であることから「お迎えが近い」、頭髪が薄いことからハゲ、恐妻・冨士子夫人などが主にネタとされる(特に6代目圓楽)。2006年(平成18年)7月23日放送では楽太郎(現:6代目圓楽)の「やるか、ジジイ」の発言に激怒し、司会者席を飛び越え楽太郎に詰め寄ろうとした。同様に2012年(平成24年)2月12日放送で6代目圓楽の歌丸死亡ネタ(これが最後の言葉でした)に歌丸が激怒して6代目圓楽の席に詰め寄り自ら座布団5枚を剥奪したこともあった。
    • 2009年(平成21年)に『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』にゲスト出演した際、視聴者からのイメージで「なすジジイ」と呼ばれたため、6代目圓楽が一時期これを罵倒ネタで使っていた。
  • 司会としてメンバーを愛称で呼ぶ(「木久ちゃん(木久扇)」・「楽さん(6代目圓楽)」)が、罵倒された直後は「はい、お前」などと返す。6代目圓楽の歌丸罵倒ネタや木久扇の要領を得ない答えには、合いの手を入れる前に歌丸が「はい、誰か他に?」と言って無視したり(その際、大抵は木久扇が手を挙げる)途中で打ち切ってしまう。
  • 他のメンバーから罵倒されたメンバーをその呼び方で指名したり、お笑い窃盗団の問題で小遊三に「はい、泥棒(本物)」など、罵倒した内容で呼ぶ場合もある。
  • 被り物の問題が出る・メンバーから罵倒されるとほとんどの確率でアップで映され、客席からは爆笑が起こる。カツラをかぶると、ハゲであることを引っかけてネタにされることが多く座布団剥奪の対象になっている(たいていの場合は6代目圓楽が口を開く)。女性のカツラをかぶった時などは、笑い声に混じって悲鳴が起こることも。ある時、おさげの若い女性のカツラをかぶった途端に、たい平による「撤収、撤収」の号令でメンバー全員が舞台から去ってしまい、司会の進行ができなくなって、「本日はこれでお開き」と番組を終わらせようとしたこともあった。また、被り物でメンバーから罵倒された場合は解答前にもかかわらず座布団を没収することがある(例として2010年(平成22年)1月10日の放送では警官の帽子を被ったところ、6代目圓楽から「日本テレビ守衛さん」と言われたため1枚没収している)。

林家木久扇

  • 笑点初登場時から馬鹿与太郎キャラを売りにしており、答えが出来ていなくても挙手する、答え、もしくは前振りの途中に言葉が詰まると「あのねぇ」と言って誤魔化す、「やぁねぇ(屋根)」、「向かいの空き地に囲いができた、へぇ(塀)」など幼稚な駄洒落を使う、答えが単純すぎて観覧客や他のメンバーに先に答えを言われる(歌丸が司会になってからは歌丸に先に答えを言われることも多い)、奇想天外な答えを言って番組の進行を混乱させるなど、笑点有数の特異なキャラクターの持ち主である。
  • 司会の歌丸が「はい、他に」と言うと決まって手を上げ、「他にって言うと木久ちゃんが手を上げる…」とぐったりと力を落とされる。また、出題直後に間髪入れず真っ先に手を挙げることもあり、その場合は「木久ちゃん大丈夫?ちゃんと答え出来てる?」と逆に心配される。目が合い易いということで司会(三波・5代目圓楽・歌丸)からは半ば恐れられている。そのため歌丸が司会になってからは、真っ先に手を挙げていても無視され他のメンバーを指されることも多い。
  • 「笑点・新漢字の遊び」の問題では、漢字を書けずに絵を描いて答えることがある為、歌丸に「字書きなさいよ!」と叱られる。
  • また好楽に師弟一門の際に息子の林家きくお(現・2代目林家木久蔵)の名前が平仮名なのは親父の木久蔵(当時)が漢字が書けないからと罵倒されたこともあった。
  • 他のメンバーからもお馬鹿キャラクターをネタにされ、息子の2代目林家木久蔵もお馬鹿キャラクターなので馬鹿親子と罵倒されたり、自分のことをネタにしたメンバーや、答えを先に言ったお客に対して「ばーか」とくやしまぎれに言うことがある。頭の悪さを認めた自虐ネタを繰り出し、「正直だ」と司会者から褒めてもらえることもあれば、その正直に免じて座布団を貰えることもある。ごくまれに硬派な政治社会ネタを答えると、その意外性から座布団をたくさん貰えることもある。きれいな答えを答えた後、「もう今日は黙っていたら良い」と司会者に止められても調子付いて次の答えでおちゃらけてしまい(例:「そうはいかないイカの金玉」といった不適切な答えや亡者をふられて「ボーーー、ジャ!」と言ったりなど)座布団を没収される場合も少なくない。
  • 木久扇のネタを代表するものとして自身が作って販売している「木久蔵ラーメン」があり、「不味い」・「犬も食わない」・「保健所の査察を受けた」・「焼きそばにしないと食べられない(最近は焼きそばに再発売)」「麺とスープ無しじゃなきゃ食べられない」などの散々な罵倒を受けている。他にも単に「黄色い人」「馬鹿親子」「脳が足りない」と言われたり、独演会の事をネタにされる。
  • 現在のメンバーの中では、歌丸を罵倒することは少ないが、歌丸が大喜利メンバーだったころには楽太郎に追従あるいはそれ以上に罵倒をすることもあった。
  • 時代劇への造詣が深く、台詞や役者をネタにした答えも多い。師匠林家彦六嵐寛寿郎遠山の金さん片岡千恵蔵)、長谷川一夫大河内傳次郎など往年の時代劇スターや大物のモノマネを延々と演じて座布団をよく没収される。また、「ここで会うた何かの縁、遊んでいってくんなまし」(花魁)や、「ガタガタ言うとたたっ斬るぞ!」「野郎ども、こいつをたたっ斬れ!」(武士)、「越後屋、おぬしもワルよのう。ぶははははは!」(悪代官)や、「各々方、○○でござる」(長谷川演じる大石内蔵助)と物真似をしつつ答えることも多い。
  • 雨乞い師ネタも近年(2008年頃~)の大喜利における持ちネタのひとつだが、これは原則として好楽のネタ振りによって行う。両手を振り上げて拝むようなポーズで雄叫びを上げたあと(大概は「あ~ほいや~」となる)、打楽器を叩くような仕草などを行う。「パプアニューギニアネパールの雨乞い師」や「宇宙人バージョン」、「傘屋バージョン」など、好楽の振り次第でアレンジが加わる(鹿児島の収録では「徳之島の150歳バージョン」)など。他には2009年に急死したマイケルジャクソンネタ等もあった。会場は大爆笑だが歌丸の受けはよくないため、基本的に好楽ともども座布団を没収される。また近頃、モノマネ・雨乞い師に次ぐネタとして「河童ネタ」を振られるようになり、大概、開いた扇子を頭上に掲げて「あべべべべべべ……」と奇声を発し、「やらせんなよ」とノリ突っ込みをするケースが見られる。この河童ネタが縁で、河童の愛好家から取材を受けたり、座布団10枚の商品として、「カッパドキアの旅」が贈呈されたりもしている。
  • AKB48の「会いたかった」を替え歌にするという問題が出た回[5]以来、回答でしばしば同曲を独自のリズムで歌う。

三遊亭好楽

  • 横にいる面々を罵倒したり、からかったり、叫んだりといったどぎつい笑いを追求する他メンバーと比べると、奇をてらうこともなく、替え俳句や川柳などひねりもない優等生的な正統派のネタが多い。歌丸の司会就任後は、歌丸が得意(5代目圓楽→圓窓→歌丸という流れで引き継がれた)としていた政治情勢批判や社会風刺を盛り込んだネタを、独自の優等生的な持ち味を生かした上でネタにする傾向が増えた。
  • 存在感の薄さを反映させたマイナス思考ネタや、歌を唄うが歌詞を知らない後半を「ララララ~……♪」と適当にごまかして座布団を取られる[6]などの傾向もある。
    • 一歩引いて周りを引き立てる存在のため自身のキャラクターを強く出してはいなかったが、歌丸の司会就任後から、「熟年フリーター」「仕事が無い」「毎晩銀座でおしぼり配達のバイトをしている」「(娘が経営する甘味処が傾き)親子で職がない」「安いギャラでもやってくる」「落語がヘタで文句を言われた」「素人落語コンクール(素人落語選手権)で予選通過、あるいは6位だった、優勝した」「余りにも下手で客が爆睡した」「息子の王楽から仕事を分けてもらっている」「落語会のギャラが格安(300円、あるいは1万2千円)」「家のすき焼きに肉が入っていない」「回転寿司に行くと無地の皿しか取らない」などといった貧乏、職無し、落語下手のキャラクター設定がされるようになった。なお「仕事が無い」というキャラクターの傾向は九蔵時代からあったが、「誰か落語を教えて」などという与太郎ネタの一環としてであった。
  • また六代目円楽の腹黒の「腹が真っ黒」に対して、仕事が無いの意味を込めた「スケジュール表が真っ白」をチーム対抗戦などでネタにされたこともある。
  • 自身の次女が独身であるため、自身で昇太の嫁にと紹介したことがあり、また、小遊三が昇太に対して、「結婚相手は好楽の娘で我慢しろ」とネタにされることがある。前述のように、次女が経営する甘味処が「傾いている」だの「潰れた」だのとネタにされているが、実際は非常に繁盛している。
  • 九蔵時代に当時の兄弟子であった木久扇に追随した与太郎ネタを多く繰り出していた名残で、今でも大ボケのフォローに回ったり物真似ネタ・雨乞い師ネタ・河童ネタを振って一緒に座布団を没収されたりと何かと隣の木久扇に絡むことが多い。近頃は木久扇にネタを振ったのが原因で、振った自分のみが没収された場合は、「また俺かよ」と吐き捨てることも目立つようになっている。
  • 長年に渡り、東京都荒川区在住であり荒川区の観光大使も務める。冬場になると挨拶などで「♪雪は降る~荒川区内~」と『雪が降る』の替え歌を歌うことが多い。
  • メンバーの中では歌丸罵倒ネタをすることは少ないが、「歌丸の着物の形見分け」といったり、6代目圓楽が比較的真面目な答えが多い場合に歌丸死去ネタ・ハゲネタをしたりすることがある。2011年(平成23年)からは、歌丸から司会の座を奪おうとする回答も見受けられるようになった。(次期司会ネタは原則座布団剥奪が基本)
  • 1983年(昭和58年)10月に一度『笑点』を降板している。その際の大喜利で座布団を全部取られた末、司会であり新たに師匠となった5代目圓楽から「古典落語をみっちり叩き込み、修行のやり直しをさせる」というやりとりがあった。

三遊亭小遊三

  • 「水色の着物を着た伊達男」を自称して、それらしく振舞う。似ている人物として美男の有名人(木村拓哉ペ・ヨンジュン福山雅治市川雷蔵など)の名前を挙げる自惚れネタや、美人の女性タレント(藤原紀香または松嶋菜々子など)や外国人女性(イボンヌまたはキャサリン。この2つは飼い犬の名前)の名前を出すジゴロ(女泣かせ・プレイボーイ)をきどるネタが多い。
    • 本人は「昔はヨン様、今はすっかり福山雅治」と番組内のネタで語っている。
  • 犯罪者ネタも持ちネタになっている。番組内での「犯罪者」キャラクターは、とある事件の犯人と顔が似ておりメンバー入りする以前から本人が寄席でその真似をして笑いを取っていたことによるもの。それがきっかけとなり番組内で犯罪者や窃盗犯・スリ・強盗扱いされるようになった。食い逃げや楽屋泥棒などのキャラクターに扮して自身もネタにしている。
  • メンバーの中でもっとも下ネタを言うことが多い。「答えというのは上品に(あるいは格調高く)……」と言った時は、大抵は下ネタの前フリである。犯罪者ネタに引っかけて、痴漢や下着ドロあつかいされることも多々ある。一時期バイアクラをテーマにした答えも発言していた。
  • 「段ボール箱で作った家に住んでいる」など、ホームレス扱いされることもある。「拾った銀杏を売って生活している」などと、主にたい平にネタにされている(自身も秋が深くなると銀杏拾いの話題を時折する)。また、自動販売機の下に落ちている硬貨を探すというネタも定番になっている。
  • 近年は、頭頂部が薄くなっていることから「ハゲカケ王子」と呼ばれるようにもなった(6代目圓楽はこれを歌丸罵倒ネタで使う)。また、たい平と互いの地元をネタにした「大月秩父代理戦争」(本人は第三次世界大戦と言ったこともある)と称される罵倒合戦を繰り広げている(静岡市出身の昇太が参戦することもある)。
  • 答えが盛り上がって大喜利の流れがエスカレートしてくると、「おい、天野幸夫!」などと本名で呼ばれることがしばしばある。
  • 主にたい平からは罵倒の際に「大月」「大月の師匠」「大月の天野」「ケツ」(歌丸が「ケツみたいな顔してる」と言ったことが由来)と呼ばれることもある。
  • メンバーの中では頭の大きさが大きいため、被り物が抜けない・被れないというハプニングが起きやすい(以前は、こん平が多かった)。
  • レギュラー出演前の1982年(昭和57年)10月福井市文化会館の収録に演芸ゲストとして呼ばれていたが、着物を忘れるという落語家らしからぬエピソードがある。その際に林家九蔵(現:好楽)の水色の色紋付を借りて出演して事無きを得るが、大喜利での挨拶で九蔵に暴露されたうえ「このまま着て持ち帰ろうとした」とネタにされた。しかし奇しくも1年後、好楽に代わって水色の色紋付を着てレギュラー入りすることとなる。
  • 加入当初は、顔のキャラクターが似ていた才賀と罵倒合戦を展開した(上品・キザネタが多い才賀に対して、小遊三は下品・下ネタで応酬)。
  • 落語芸術協会副会長に就任した2005年(平成17年)ころから「便所でお尻を拭く(副)会長」という駄洒落をよく使っていたが、一部視聴者からの「食事時にいかがなものか」というクレームを考慮して現在ではほとんど使わない[7]
  • 最近は「目と目が合う…手と手が触れる…あぁ~」と言って座布団を没収されるケースが多い。

6代目三遊亭圓楽

  • 6代目圓楽襲名後、番組内では「三遊亭円楽」と表記されている。
  • 他のメンバーはもちろん司会者に対しても暴言を吐く「腹黒」イメージを確立している。歌丸との対決の構図は歌丸が司会者に就任してからさらにエスカレートしており、両隣の昇太・たい平を「ブラック団(当初はヤングチーム)」や全メンバーを巻き込むことも多い(同調したメンバーも巻き添えで座布団を取られる)。
  • 加入した当初は司会の三波に媚を振る風見鶏役だったが、それに対して歌丸が「腹黒」・「腰巾着」などと楽太郎を罵り「裏で三波さんの悪口を言っている」というネタなどから腹黒のイメージを定着させた。
    • また腹黒キャラは笑点以外でも通しており、2010年(平成22年)3月23日に収録された円楽襲名披露口上では口上をしていた小遊三からは「襲名は誰かが企んだ」や、歌丸からは「(五代目)圓楽は楽太郎が心を込めて作ったお茶で死んで、(襲名は)そういう努力をして手に入れた」などの笑点での腹黒キャラをネタにされた。[1]
  • 小圓遊の死去後は、言われっ放しだった楽太郎が歌丸罵倒ネタにシフトしたことにより罵倒合戦へと発展した(これは持ちネタが瀬古利彦物真似ぐらいしかなく、困っていた楽太郎に歌丸本人が「俺のことでもいいから」とアドバイスしたためである)。
    • 歌丸罵倒ネタに関してはハゲネタや死去ネタ(生ミイラ出棺火葬・お骨上げ・葬式)などがあるが、歌丸が司会就任後には「賞品の予算をくすねた(司会者の権力乱用)」・「やるかジジイ」(お婆さんのカツラを被っているときは「やるかババァ」と言うこともある)「24時間テレビのチャリティーマラソンに参加しろ!」とエスカレートし、レパートリーが増えた。
  • 他のメンバーより時事ネタを多用し、知的な話(政治・経済・社会)を長々と言う持ちネタもある。長々と薀蓄を語り、司会者(とくに5代目圓楽や歌丸)や他のメンバーが聞き飽きた態度をとる、話を打ち切られるなどのお約束もある。他のメンバーが答えに詰まったとき、問題の締めとして最近の社会問題ネタを話し、座布団を貰うことも多い。
  • 6代目圓楽の襲名が決まった頃から、「馬圓楽」(5代目)・「黒圓楽」(6代目)・「白圓楽」(好楽)が定番ネタのひとつになっている。襲名直前、歌丸が指名する際に「悪太郎」と言ったところ会場のウケが良く、「三遊亭圓楽よりも、三遊亭悪太郎に改名した方がいいんじゃねぇか?」と発言している。このことに関連し、歌丸から「腹の黒いの」(または「黒」)と呼ばれることがしばしばある。
  • 師匠の5代目圓楽が日本香堂・毎日香のCMのナレーションを担当していたことから、後釜を狙っていると云うネタを笑点内でしていたことがあったが、6代目圓楽襲名を機にこれは現実になった。
  • 現メンバーの中ではこれまで、自身の家族ネタをされたことは皆無に近い。
  • 歌丸がカツラを被るなどして髪型が変化する際、「(髪が)増えてる」「それ(カツラ)いらない」「増えたらおかしいでしょ」などと、よけいなことを言って座布団を没収されることが多い。
  • 最近は友達いないネタ(「友達がいない」や「友達ができない」など)を良く使っており、他のメンバーからは罵倒ネタに使われている。

春風亭昇太

  • 呂律の回らなさから「カミカミ王子」と自虐したり、「うるさすぎるチビ」などとからかわれたりする(身長は163cm)。
  • 挨拶では自分に関する間抜け話を言い、「それじゃダメじゃん」の一人突っ込みで終わらせる(一時期、好楽も使っていた)。また、挨拶で亭号も言っているのは現時点では昇太だけである。加入当初は答えが不発に終わることが多かったが、現在では大喜利の流れにうまく乗り、他のメンバーとの罵倒合戦に積極的(特にたい平の「50歳になっても未婚」ネタ)に参戦して会場を沸かせている。時には、6代目圓楽以上に毒のある歌丸死去ネタ・禿ネタを言い放つ場合もあり、「歌丸死去ネタの一度の座布団剥奪枚数ワースト(12枚)」・「歌丸禿ネタの一度の座布団剥奪枚数ワースト(7枚)」の不名誉な記録を保持している(死去ネタの12枚については、ネタに喜んだ楽太郎が、勝手に自分とたい平の座布団都合3枚を昇太の座布団に重ねたためのもの。そのため、HP上では9枚となっている)。
  • 「○○と思ったでしょ?残念でーした!」という子供が意地悪を言うような答えで歌丸を怒らせ、座布団を没収されることも多い。
  • 未婚をネタとしており、他のメンバーや司会からネタにされている。その一方で自分はモテていると主張したり、もう結婚できないと自虐したり、一生を落語に捧げるというネタを披露することもある。
    • 司会の歌丸は独身ネタに対して、「早く嫁貰えよ」・「なるほど嫁が来ねぇわけだ」などとからかう(結婚と全く関係のない答えに対して言うことも)。
    • 6代目圓楽以外からは、結婚相手を紹介されたことがある。また、独身にもかかわらず女性を泣かせている(「母に早く結婚するよう泣き付かれた」など)。また、矢口真里の父など、自分と同年齢あるいは少し下の年代の男性を挙げ、比較的年齢のいった子供を持った親になってもいいのに自分は未だ独身というをネタにすることがある。
    • 地方収録での挨拶は「お待たせしました。ついに、春風亭昇太が“(その地方)”にお嫁さんを見つけにやって参りました!!」とお決まりのフレーズを言う。
  • 6代目圓楽によって、たい平とともに「ブラック団」(当初は「ヤングチーム」)のメンバーに無理矢理巻き込まれ、歌丸死去ネタなどへの同調を強要されたり、座布団没収の巻き添えを食らったりする。小遊三とたい平による罵倒合戦(大月秩父代理戦争)に静岡市代表として参戦することもある。(小遊三とは山梨県vs静岡県の場合が多く、富士山静岡県側のゴミを山梨県側に捨てるというネタをやった事もある)
  • 罵倒合戦で静岡出身として罵倒に参加したこともあるので小遊三やたい平ほどでは無いが、時々「静岡」と呼ばれることもある。
  • 座布団に固執する幼稚気味なキャラクター付けがされている。いい大人が座布団の取り合いをしていると、主に木久扇から右3人と歌丸を罵倒することがある。また歌丸を怒らせると決まって自分の座布団を守ろうとしがみ付くのがお約束である。
  • 歌丸や小遊三同様、ネタとして6代目圓楽やたい平から本名を出されることもある。
  • ダジャレでうけない答えを返すことも多く、隣の席の木久扇に引っかけて自ら「黄色いの(の馬鹿)がうつりそう」などとネタにしている。歌丸からは「もううつってる」などとも言われている。

林家たい平

  • 主な持ちネタは外国人パブフィリピンパブ)、オカマ、芸能人・著名人の物真似アニータ・アルバラード春風亭柳昇滝口順平麻生太郎美空ひばりさかなクン渡部陽一など)、動物(ニワトリなど)や花火(口笛で打ち上げ音、床を手や足で叩いて破裂音)の声帯模写等。
  • 妻(千華)を歌丸の恐妻・冨士子夫人を上回る恐妻という位置づけとしており、恐妻家ネタも持ちネタとしている。他のメンバーからも罵倒ネタ、浮気暴露ネタ(舞台は、概ね錦江湾)を振られる機会も増えている。[8]
  • 器用で、声帯模写やジェスチャーがうまい。「その演技に免じて」座布団を貰う事がある一方、しつこく繰り返したり、6代目圓楽らに必要以上に絡んだりすると、6代目圓楽から扇子で頭を叩かれたり、座布団の没収対象となる(過去に全メンバーを巻き添えにして全座布団没収が2度ある ブブゼラを吹く真似と花火の打ち上げを全員でやった為である)またオカマネタも座布団没収の対象である。
  • 師匠こん平のスタイルを踏襲した山田隆夫との罵倒合戦を展開しており、山田から突き飛ばされたり、頭から床に押し倒されるなど激しい攻撃を受ける。そのため、アザができたりするなど一時期は生傷が絶えなかった。
  • 歌手デビューがきっかけで「芝浜ゆらゆら」の宣伝や歌の披露が持ちネタに加わり、これが大喜利中の「歌禁止(最低でも没収の対象)」の契機になった。
  • 昇太がメンバー入りしてからは、楽太郎から半ば強引に「ブラック団」(当初は「ヤングチーム」、かつて好楽からも「フレッシュチーム」の誘いがあった)のメンバーとされる(6代目圓楽の歌丸死去ネタに同調して合掌をすることもある)。
  • 6代目圓楽からは「笑点に出るために師匠のこん平にを盛った」、「こん平を復帰させないために治療費を払わない」などとよくからまれる。自身でも「毒キノコには詳しくないがトリカブトには詳しい」とネタにすることがある。
  • 2008年(平成20年)からは、小遊三と互いの出身地を罵倒する「大月秩父代理戦争」と呼ばれる罵倒合戦を展開している。席は離れているが小遊三と絡むことは多く、小遊三の持ちネタである「銀杏拾い」を最初に言い出したのもたい平である。
  • 代理戦争がきっかけで「秩父」と呼ばれることもある。
  • 現在は林家木久扇が回答で頻繁に使用する「会いたかった」(AKB48)の振りつけは、同曲の替え歌を作るという問題が出た際、たい平が全メンバーに教えた[5]

山田隆夫(6代目座布団運び)

  • 「座布団と幸せを運ぶ、山田隆夫です」と挨拶するのが定番。過去に「ずうとるび」のメンバーとして紅白歌合戦に出場したことを誇りに思っており挨拶では甲高い声で歌うことが多いが、音痴を装っており、大抵は声が裏返る。また、「あ、もう結構です」といって歌ってる途中で締めることもある。反面、大喜利では「ずうとるび」のアイドルとしての寿命の短さをからかわれることが多い。
  • 5代目圓楽の司会時代は「江戸川のスター」(江戸川区在住時)、「小さな巨人」、「笑点のエース」と紹介されていたが、歌丸は皮肉を込めた紹介をパターンとしている(山田の前任者である松崎真を三波が紹介する時のスタイルを踏襲したもの)。
  • 大喜利では「邪魔・クビになった」「音痴」「子作り」「背が低い」「家族暴言」「歌がダメ(下手)」などの悪態をついたメンバーから、突き飛ばして(場合によっては蹴る事も)座布団を奪って勝手に持っていくやり取りがよく展開される。こういったやり取りには冒頭の挨拶が終わると出番が減る山田をこういった形で出番を作る配慮もある。5代目圓楽の司会時代は「山田君、任せます」とそのままにされており、座布団を1枚あげる振りして1枚、あるいは全部持って行ってしまうというフェイントを見せるパターンもあった。歌丸司会時代は山田が座布団を取り上げた後で、取り上げられた座布団+1枚(場合によっては2枚)を与えるよう指示することがある。このとき山田は、露骨に嫌な表情をしながら座布団を持ってきたり、座布団を投げ捨てるように置いていくという行動をとる
  • 時たま、自ら答えてメンバー入りをアピールすることもあるが(悪態をついたたい平への反撃ネタも)、「奥で座布団敷いて座ってていいから」(5代目圓楽)、「あっちいけ!」「素人ってのは恐ろしい……」(歌丸)などと軽くあしらわれる。
  • 歌丸が司会者になってからは、指示が出てないのに勝手に座布団をあげることがあり「誰がやれって言ったよ!」や、指示が出たのに動かないときは「山田! ボーっとしてんじゃねーよ!!」と怒られることがあり、そのあとに「山田も、もう長いことないな」と言われることが多い。
  • 『笑点Jr.』にも臨時の座布団運びとして出演した事がある。しかし、自分を褒め称えるようなネタには勝手に座布団をやり、逆に罵倒ネタでは解答者を容赦無く突き飛ばして座布団を没収していた。更に解答者側も座布団欲しさに「山田派」なる派閥を組んで山田称賛ネタを連発するなど、その回は殆ど司会者を無視した山田の独壇場と化していた。

かつての出演者

7代目立川談志(笑点初代司会者)

  • 前身番組『金曜夜席』からの司会で、『笑点』創設者であることを自負していた。
  • 番組タイトルの命名者であり、大喜利をメインに据える番組構成やその大喜利の基本的なスタイル(良い答えを出した褒美に座布団を与える、フリップや被り物を使用するなど)の提案、さらに裏方と見られていた座布団運びに盟友である石井伊吉(後に毒蝮三太夫と改名。この名を与えたのも談志である)を起用し、キャラクター付けをするなど後の長寿番組に至る基礎を作り上げた。
  • 「大喜利ゲスト大会」を企画し、落語家以外の出演者で大喜利を行ったのも談志が最初であり、また若手大喜利を企画し、春風亭栄橋柳家小きん(後の6代目柳家つば女)、木久蔵という後の大喜利メンバーとなる人材を発掘した点も大きい(ちなみに木久蔵に与太郎キャラでやっていくようアドバイスしたのは談志である)。
  • メンバーのキャラクター付けをするためか同じメンバーに続けて(手を挙げてなくても)指名して答えさせたり、メンバー同士の喧嘩を煽ることも多かった。答えにダメだしして再度やり直しで答えさせることもあり、メンバーに油断を与えないスリリングな司会ぶりをみせた。
  • 「北は北海道函館から南は九州鹿児島まで、全国ネットでお送りする笑点」というのが、談志の挨拶の決まり文句であった。だが、それに疑問に思った5代目圓楽らメンバーから「なんで函館なの?」と聞かれ、談志は「函館より北へは行ったことが無い」として強引に決まり文句を押し通した。しかし、しばらく後に「北は北海道の網走から…(座布団10枚の賞品で北海道旅行と称して網走刑務所行きを画策するネタをやっていた)」などに変わっている(ちなみに沖縄が無いのは、当時アメリカ統治領であったため)。
  • 1968年(昭和43年)頃から番組の方向性をめぐって談志と当時の大喜利メンバーの間で対立が起きて1969年(昭和44年)3月に大喜利メンバー全員が降板するに至り、メンバー総入れ替えしてリニューアルを図ったが視聴率が低迷。そのため、毒蝮らとともに降板する。降板後も不定期に番組に出演していたが、晩年は完全に距離を置いていた。

前田武彦(笑点2代目司会者)

  • 視聴率低下で『笑点』の番組存続も危ぶまれていた。それを打開すべく、前任者の談志と親しい関係にあった人気司会者「前武」に白羽の矢が立った。
  • 談志よりも演芸・落語関係の知識は乏しいと思われたが人気司会者らしく巧みな司会術でそれを感じさせなかった。もともと短期での出演予定で司会を務めたのは1年余りだったが、談志降板後の新たな番組の方向性を試行錯誤し、大喜利メンバーの入れ替えも度々行われた激動の時期にしかも落語家が多数出演する番組の司会という特殊な仕事を短期間ながらも立派に勤め上げた前田の存在は、「笑点」が後に長寿番組となったことを考えると非常に大きいといえる。
  • また自身の司会就任と同時に登場した『笑点のテーマ』を作詞している。
  • 前期の前田司会の大喜利はメンバーが8人(4対4のチーム対抗戦方式)という大所帯だったため矢継ぎ早指名でスピーディーに、メンバーのキャラクターを生かすというよりも大喜利の答えを多く引き出す進行を行っていた。答えの傾向としては、これまでのブラックユーモア路線を撤廃しアットホーム路線へと切り替った。しかし前田と共に加入したメンバー2代目三遊亭歌奴(現:3代目三遊亭圓歌)4代目三遊亭金馬がそれぞれ多忙による休演という事態が起こり(似顔絵で対処)、8人が揃わないことが度々あった。
  • 後期になると現在のように大喜利メンバーが6人になり、この頃はコスチューム大喜利を取り入れるなどバラエティーに富んでいた。
  • レギュラー番組を複数抱え、地方収録の際には収録当日の朝に収録先へ入ったり、逆に収録終了後に東京へトンボ帰りして別の番組に出演するなどしていたという。大喜利の代理司会をした三波の評判が良いと知ると、司会の座を譲り降板した。

三波伸介(笑点3代目司会者)

  • 前任の前田武彦と同様に矢継ぎ早指名を行っていたが、大喜利でのメンバーの答えに対しての口喧嘩などのドタバタ劇で番組が盛り上がることもしばしばだった。このため、歴代では最も慌しい司会といえる。それゆえ、子供人気は高く「週刊少年マガジン」などの表紙になる程になった。なお1972年(昭和47年)4月30日の300回記念放送では談志と前田を迎え、歴代司会による記念対談をしている。
  • 座布団のやり取りは豪快で、良い答えの時には2枚程獲得できるが、悪い答えの時には全部取られることが多い。しかし、あまりにもつまらなくてくだらない答えには座布団を取らず「面白くも何ともねえや!」や「電車賃やるから帰っていいよ」と言い放つだけということもあった。しかしメンバーの罵倒に対しては座布団を全部無くした上に羽織を剥いだり、その場に立たせたままにするなど容赦無かった。
  • 司会としてメンバーを愛称で呼んでいた(「歌さん(歌丸)」「こんちゃん(こん平)」「楽ちゃん(6代目圓楽)」「夢ちゃん(夢之助)」「木久ちゃん(木久扇)」など)
  • 座布団運びの松崎真の紹介の際には「玄界灘のオニヒトデ」「牛のヨダレ」「仁王様の湿った草鞋」「カラスに突付かれた熟し柿」「コケの生えたサルノコシカケ」「焼印を押された牛のお尻」「大蛸のルアウ蒸し焼き」「カトマンズのヘッピリ虫」「夜店のライギョ」「陸に上がったトドの死体」「戸隠山の金隠し」「夜明けのマンホール」「片付け忘れたコタツ」など毎回ユニークな前振り(時には罵倒)をして笑いを取っていた。後に歌丸がこれに近い紹介をしている。なお、大喜利中に座布団運び(小野千春や松崎真など)を呼ぶ時は名前ではなく、「オイ!」と呼びかけていた。
  • 1982年(昭和57年)12月8日に急逝。12月12日(第848回)・12月19日(第849回)の放送は前半に三波の追悼特集(12月26日(第850回)は収録済の「年忘れマジック大会」)、後半は収録済の大喜利という特別編成となる。第848回の視聴率が36.0%(ビデオリサーチ調べ)を記録するなど、改めて三波の人気の高さを証明することとなった。

5代目三遊亭圓楽(笑点4代目司会者)

  • 『金曜夜席』時代から挨拶の際に「湯上がりの顔です」と言い、一旦降板直前の頃には「星の王子さま」と言っていた。復帰後は「落語の宣教師」「黄金バット」「ラベンダーマン」「ベルサイユのばら」「バンビちゃん」などもあった。若い頃はかなりの二枚目だった。
  • メンバーだった頃から「顔が大きい、長い」「馬面」といった顔に関するネタが使われていたが、その他にも「ウルトラマン」や「黄金バット」の主題歌を延々と歌って、司会者を困らせたこともあった。1977年(昭和52年)3月27日にメンバーを卒業するが、卒業後も鶴亀大喜利や師弟大喜利といったスペシャルの大喜利に参加した(1999年(平成11年)1月1日放送の正月特番の師弟一門大喜利が、メンバーとしての最後の大喜利になった)。メンバー時代に獲得した座布団10枚の商品は「イギリスに行って本場のダービーが見られるが、旅費は自腹(結局キャンセル)」「メンバーから胴上げされる(落とされて足を捻挫)」など、ろくでもないものばかりだった。
  • 三波の死去と、鶴亀大喜利の臨時司会だった愛川欽也の司会就任辞退を受けて、1983年(昭和58年)1月に司会者として再び番組に出演。2回のみの司会担当の予定であったが、そのまま4代目司会に就任した。当初は三波時代のドタバタ劇を引き継いでいたが、自分の性格に合わないことから撤回。答えの合間に都々逸を入れるといった、独自のスタイルになった。だがテンポの悪さを生んでしまったため、矢継ぎ早にメンバーを指名し若干のドタバタ劇を加えたスタイルに変化した。
  • 司会者時代では、以前からの「馬」ネタに加え、自身が作った寄席「若竹」の借金、本番中の居眠り、司会交代が主な罵倒ネタである。5代目圓楽のサイン色紙を鍋敷き代わりに使うというネタは、歌丸と楽太郎が多用していた。かつて一門の弟子が全員真打に昇進してしまったことがあり、その際には「弟子をほとんど真打にしたのでヒマ」という罵倒ネタ(特に歌丸から)を振られたこともある。
  • 指名してから名前が出るまでに(明らかに名前が出て来ない)間が空く事や新メンバー(当時はこん平の代理)のたい平に「誰だっけ?」と名前を忘却するなど「緻密な司会ぶり」という皮肉が大喜利のネタとされた。「(落語が司会ほど上手くないうまくないという意味を含んだ)司会がうまい」、「司会は誰でもできる」(代理大喜利司会をやったことがある木久扇にも「私にも出来ました」とネタにされたことがある)、「誰がやっても変わらない」などネタもあった。
  • 「ガハハ!」という豪快な笑い声が特徴で、木久蔵の与太郎(=バカ)ネタに大笑いした後「バカだねぇ」とあきれる。この笑い声は、笑い袋になって座布団10枚の賞品にもなった。
  • チーム」でなく「ティーム(team)」と発音するなど外来語の発音を意識している。対して語りではタメのある江戸言葉を交え、『笑点』でも山田が座布団を運ぶ折に「座布団を“あげつかあさい”」(”つかあさい”→江戸言葉で「~してください」)などと軽妙に話した。
  • メンバーを指名する際は基本的に全員「さん」付けで呼んでいたが、答えのフォローの時などは長幼の序や自分との関係を重視してか歌丸のことは「歌さん」こん平のことは「こんちゃん」木久蔵(現:木久扇)のことは「木久ちゃん」楽太郎(現・6代目圓楽)のことは「楽さん」と呼んでいた(楽太郎を除く3人はメンバー時代の5代目圓楽と大喜利で共演している)が他のメンバーには亭号抜きの「**さん」と呼んでいた。特に弟子の好楽・楽太郎には顕著である(司会担当当初、楽太郎を呼び捨てにしていた)。なお逆にメンバーが5代目圓楽を呼ぶ場合、歌丸・こん平・木久蔵は「圓楽さん」、他のメンバーは「圓楽師匠」と呼んでいた。
  • 三波同様に媚に弱く、大喜利メンバーが5代目圓楽を称えるヨイショをすると「山田君、座布団持ってくるのが遅いんだよ!」や「山田君、こういう時はすぐに座布団を持ってくるもんだよ!」などと言う。そして、あまりにも見え見えのお世辞の場合は没収することがあったことも三波同様であった。
  • 一方、延々とオチのつかない答えを続けられる(例:楽太郎(現・6代目円楽)が理屈っぽい答えを延々と続ける)と、途中で遮って「誰かいない?」と別の回答者を指名するのがお約束だった。この芸風は後任の歌丸が引き継いでいる。
  • 2005年(平成17年)10月23日脳梗塞を発症して休演。2006年(平成18年)3月26日に復帰するが、冒頭のみの出演で、大喜利司会はそのまま歌丸が務めた。同年5月14日の40周年記念スペシャルを最後に笑点を勇退。大喜利の途中で勝手にお開きをしそうになったこと(2001年(平成13年)2月11日放送分)が原因で、笑点の勇退を決断したという(噺家として引退した理由については「(老化により)呂律が回らなくなり、自分で満足のいく噺ができなくなったから」と話している)。2009年(平成21年)10月29日に死去。11月8日(第2189回)の放送は、前半に5代目圓楽の過去の名場面を振り返る追悼特集(「緻密」な司会ぶりと食べ物に関する大雑把で豪快なエピソードなど振り返った)、後半は追悼大喜利の構成となった。
  • 没後もネタにされることが多々あり、「歌丸を師匠の元に送り込む」・「(声真似をしながら)歌さん、こっちへおいでよ」などといった、歌丸死去ネタの一環として登場することが目立つようになった。

柳亭小痴楽

  • 前身番組『金曜夜席』からの生え抜き大喜利メンバー。
  • なぞかけを得意としており、司会の談志の評価も高かった。下ネタやブラックユーモアも得意としており、現在の放送倫理では放送できないくらい際どいネタが多かった。
  • 真打昇進・春風亭梅橋襲名と同時に『笑点』を降板する(正確には、降板後の翌月付けでの真打昇進・梅橋襲名であった)。

林家こん平

  • 本人の故郷である「千谷沢村(チャーザー村)」を「肥溜めに落っこちる」・「ダムの底」などと、さんざんド田舎とバカにされた。「視聴者参加型挨拶」で行われる「チャラーン」を"うるさい"と言われたり、食いしん坊・大食いネタを言われた(特に木久扇・6代目圓楽)。落語の人物に例えれば、「田舎者の権助」役。
  • 地方収録では、必ず以下のように挨拶をした。
    • 1週目は「郷土の皆様、お懐かしゅうございます。○○(収録場所)で生まれて新潟で育ったこん平が久方ぶりに帰ってまいりました!」(ちなみに、新潟収録のときは「新潟で生まれ、チャーザー村で育った…」と挨拶していた)
    • 2週目は「ふるさとというのは有難いものでして、先程から友人知人が手に持ちきれないほどのお土産を持って楽屋を訪ねてきてくれております。厚く御礼申し上げます。なお、会場の皆様にお知らせがございます。私の帰りのかばんにはまだ 若干 の余裕がございます!」
  • また山田罵倒ネタが大変多いため、よく突き飛ばされることが恒例であった(これは現在、弟子のたい平が受け継いでいる)。
  • 2004年(平成16年)になって声帯を患っており、「24時間テレビ」の生放送収録直後に倒れる。後に病名が多発性硬化症と判明し、病気療養に入る。弟子のたい平が代わりで出演しているが、たい平・6代目圓楽を中心に大喜利の答えの中で度々名前が登場して来ている。
  • 「肥溜めに落っこった」ネタは、弟子のたい平が「大月秩父代理戦争」の中で、「大月に行ったら肥溜めに落っこった」、「秩父の嫁入り道具には肥桶を持たせる」等と、小遊三罵倒ネタという形で継承している。

4代目三遊亭小圓遊

  • 「巷では……」「ボクちゃん」「小圓遊御殿」等のフレーズを使った、顔に似合わないキザなキャラクターとして人気を博す。落語の人物でいうと、うぬぼれ色の強い(自称二枚目など)「若旦那」役。1973年(昭和48年)8月浅草で行われた日本テレビ開局20周年記念番組の一環で放送された大喜利での挨拶は以下のように挨拶をする。
    • 「場内で、カメラをお持ちの皆様、もしも僕を写すんでしたら、この角度(右側)から狙ってください。こちら(左側)は自信が無いんです。小圓遊です」
  • 1歳年上で同じ落語芸術協会所属の歌丸と敵対し、常に罵り合う様(「ハゲ」vs「化け」・お互いの夫人の名前が「フジコ」(歌丸夫人が冨士子、小圓遊夫人が藤子)であったための論争など)が大喜利コーナー最大の名物になった。但し、あくまでも番組上の設定で、実際には同じ時期に下積みの苦労を味わった仲で、まだ落語では食えなかった無名時代には一杯のかけそばを二人で分け合って食ったという程の親友であり、だからこそできるネタであった。もっとも、この歌丸対小圓遊のバトルが、現在まで続く大喜利メンバー同士の罵倒合戦ネタの基礎になっている。
  • 1980年(昭和55年)10月5日未明に急逝。その日の放送はハワイ公演1週目であった。10月19日10月26日には、小圓遊追悼特集を行った。

柳家小きん

  • 後の6代目柳家つば女。現在柳家小きんは息子が名乗っており、かつて1972年(昭和47年)1月2日放送の「新春親子大喜利」にて親子出演を果たしている。
  • 談志の弟弟子にあたるため、談志ネタに関する弄られ役にされることがあった。

6代目三遊亭圓窓

  • 5代目圓楽の弟弟子であり、キャラクターとして兄弟子に甘えることが多かった。落語の人物でいうと「丁稚の定吉」役。挨拶では駄洒落クイズをよく出していた。
  • なぞかけや頓知を得意としていた反面、周囲を脱力させるくだらない答えを言うこともしばしばあった。その際に兄弟子の責任として理不尽に5代目圓楽の座布団が取られるのが、一連の流れのネタでもある。
  • 5代目圓楽が大喜利メンバーを卒業した後は、風刺ネタが多くなる(圓窓降板後は歌丸が引き継いでいる)。
  • メンバーとしての最後の出演が下関市の地方収録であった。最後に得意のなぞかけを披露して、司会の三波を唸らせ有終の美を飾る。

三笑亭夢之助

  • 6代目三遊亭圓窓の後任で、当時人気絶頂の若手落語家。
  • 下火になってきた歌丸対小圓遊の口喧嘩の代わりに、当時司会だった三波と夢之助の毒舌を含めた口論(夢之助が三波をおちょくって激怒させる)が番組の新たな名物に一時的になった(同時に加入した楽太郎が三波に媚びうるキャラだったため対比の意味合いもあった)。落語の人物でいうと「お調子者の一八」役。
  • 三波との口論が多かったため座布団を取られることが多かったが、結果的に2年で3回座布団10枚を獲得している。1978年(昭和53年)に座布団10枚を2回達成している(その他に年2回に座布団10枚を獲得したのは、歌丸・木久扇・昇太の3人のみ)。時には、座布団10枚目前で全部取られたこともしばしばあった。
  • 前途にある通り毒舌を売りにしていたわけだが、それでスポンサーがらみの失敗をしてしまい降板となった。最後の出演の際「このままだと破門になる」と言い残し、番組を去る。

7代目桂才賀

  • 若手メンバー時代は細長でいかつい恐持て顔の元気者キャラで知られていたが、正式メンバーとなってからは小圓遊の「キザな若旦那」キャラを引継ぎつつ「ムショ帰りの朝次(旧名)」キャラで売りだした。
  • 才賀自身が松田聖子のファンであったため、挨拶で「海辺に咲いた赤いスイートピー、朝次で~す!」と言ったことがある。それに対して歌丸らが気味悪がり、「窓辺でハイネリルケの詩集を読んでます」などのまったく顔に似合わない「夢見る乙女」ネタに繋がった。
  • 1983年(昭和58年)10月16日に加入した小遊三が色男・貧乏・悪人と似たキャラで売り出した為、才賀と小遊三が隣同士になった1986年(昭和61年)1月5日から才賀が卒業する1988年(昭和63年)3月27日まで、「キザで上品」な才賀と「スケベで下品」な小遊三とで罵倒合戦を演じていた。

毒蝮三太夫(2代目座布団運び)

  • 登場当初は本名である石井伊吉を名乗っていたが、談志から「石井」とは全く呼ばれず「馬鹿」「阿呆」など下僕呼ばわりされていた。それに対して言い返しをするくだらない口喧嘩をしょっちゅうしており、エスカレートして収録途中で帰ったこともある。それで座布団運びが不在となったため、メンバー自ら座布団持ち運びする羽目にあった。
  • ある時、怪獣の出てくる番組(『ウルトラマン』・『ウルトラセブン』)に出演しているということで談志が「マムシ」と呼び始めた。それに猛反発していた石井だったが、5代目圓楽が「ただのマムシじゃないよ、毒蝮だよ」と言ったところから「毒蝮」が定着。その結果、子供視聴者の混乱を避ける意味合いで1968年(昭和43年)12月15日放送分から立川談志命名による「毒蝮三太夫」に『笑点』限定で嫌々ながら改名させられることとなった。しかし「毒蝮三太夫」という名前のインパクトが強過ぎたため、半年足らずで正式改名となる(毒蝮曰く「せめて俳優としては石井のままにしたかったが毒蝮には勝てなかった」とのこと)。
  • 歴代座布団運びでは最も威張っており、「何で俺が、落語家なんかに座布団配らなきゃいけないんだ」などと言い放っていた。さらに二出川延明の名言「俺がルールブックだ」を引用して、つまらない答えを言ったメンバーの座布団を勝手に取ることも多かった。
  • 毒蝮が初代座布団運びという見方をされることも多々ある。それは、それまで座布団運びをしていた勝松(4代目文字助)が裏方仕事の一環として行い黒子に徹したためである。つまり、表舞台に立った初の座布団運びが毒蝮だったと言える。また、後任の笑遊(5代目圓遊)と夢丸も黒子役であった。

小野千春(4代目座布団運び)

  • 「前武の何でも入門」のアシスタントを務めていたが、メンバーチェンジの際のリニューアルに伴い座布団運びも務めることとなった。現役女子大生アイドルであったため、メンバーから好奇な目で見られていた。
  • 当初は挨拶で喋ることは無かったが、徐々にメンバー同様に喋る様になる。この挨拶の流れが、現在に繋がっている。
  • メンバーから親しみをこめて「千春ちゃん」や「チー坊」などと呼ばれていたものの、今でいうセクハラ行為に進展することが多かったため司会の前田の注意が頻繁に入っていた(当時、同じ芸能事務所の後輩だったため保護者の心理だったという)。
  • 司会が三波に代わってから座布団の上げ下げが忙しくなり、当時アシスタントだった桂米助(ヨネスケ)の手を借りることが多くなった。

松崎真(5代目座布団運び)

  • 「手を上げて横断歩道を渡りましょう」の挨拶が決まり文句で、流行語にもなった。しかしこれは毎週必ず言っていたわけではなく、2本撮りの内の1週の挨拶。もう1週には、別の交通安全の標語だったり童謡などを歌っていた。
  • 本業は俳優であり悪役が多かったが、『笑点』では常に笑顔だった。高圧的な態度を取る三波に対しても、それは変わらなかった。
    • 座布団運びの紹介の際に司会の三波から言われる「大入道」などの罵倒ネタが多く、「しまい忘れた電気あんか、いつ見ても温かそうな奴でございます」と言われた時には手鏡で自身を見て「フハハ! 本当だ、松崎真でございます」と切り返した。
  • 司会が5代目圓楽に代わってからの紹介は「交通安全の守り神(または守護神)、どうぞ!」が主で、呼ぶ際にも「松崎さん」と言われるため罵倒されなくなる。
  • 現在の座布団運びの山田のように、たまに自ら答えようとする時もあった。
  • 1984年(昭和59年)9月、俳優業に専念するために番組を卒業。その後2006年(平成18年)5月14日の40周年スペシャルで久々の出演。懐かしい赤の色紋付を着て、横断歩道での撮影であった。

罵倒合戦

仲が良さそうに見える笑点メンバーも、大喜利となるとメンバー同士で強烈な罵倒ネタ合戦を繰り広げることがよく見られ、醍醐味の一つとなっている。特に歌丸VS楽太郎→6代目圓楽(歌丸死去・ハゲ・次期司会者ネタなど)、たい平(こん平)VS山田(山田クビ・子作り・低身長ネタ)、小遊三VSたい平(大月秩父代理戦争・小遊三曰く「第三次世界大戦」)、好楽VS楽太郎→6代目圓楽(圓楽襲名争奪)、小遊三VS昇太(富士山世界遺産登録戦争)、昇太VSたい平(恐妻による結婚拒否ネタ)、楽太郎→6代目圓楽VSたい平(師匠への毒盛り・錦江湾浮気ネタ)、歌丸VSたい平(恐妻ネタ)、司会者vs回答者(次期司会者・司会は楽や誰でもできるネタ)は、現在のレギュラー同士による罵倒合戦の代表格である。また、メンバー同士の紋付の色で罵倒するネタもある。(木久扇の「黄色いの(バカ)が移る」、山田の「赤いチビ」など)

大喜利におけるメンバー同士の罵倒合戦の歴史はかなり古く、放送開始の昭和40年代当初は、歌丸VS小圓遊の仁義なき戦いが繰り広げられていた。小圓遊が歌丸を「ハゲてる」と罵倒すると、歌丸が小圓遊を「バケてる(化け物)」と罵り返したりしていたが、やがてお互いの家族親戚をも悪口の対象にするまで発展していった。最初は面白がって見ていた視聴者の中には、大喜利の答えで勝負すべしと言う声もあったくらいであった。1972年(昭和47年)8月27日に「和解式」と題して、歌丸と小圓遊のお互いが握手しあう回を放送した事がある。しかし収録後、「バイ菌がうつるといけないから」とそれぞれ別々の手洗い場で石鹸で丹念に手を洗っていたほど、2人のキャラクター作りには徹底したものがあった。その後、大喜利で下火になった罵倒合戦は高座やイベント会場でも続けられ、1980年(昭和55年)に小圓遊が急逝するまで続いた。

罵倒ネタの中には、罵倒ネタであると同時に本人の持ちネタ(自虐ネタ)であるものも多分に含まれている。また罵倒ネタは本職の落語の高座でも触れられることがある。

ただし、これら罵倒ネタは高座上の事であり、プライベートでは仲が良く、相互の信頼関係が前提となっているからこそ可能といえるものである。5代目圓楽/楽太郎師弟と歌丸/6代目圓楽がその典型であり、あれ程喧嘩をしていた歌丸と小圓遊にしても、その真相は、下積み時代の金が無い頃には一杯のラーメンやかけそばを分け合って食べていたという仲であり、空港や列車の中などで談笑するところが目撃されている(「いつみても波瀾万丈」桂歌丸の回より)。小圓遊の葬儀では、歌丸は友のあまりに早すぎる突然の死に号泣し、初代司会者・立川談志は「キザの小圓遊でやれば良かったのだ」と、死を悔やんでいた。

笑点Jr.の大喜利

CSで放送されていた『笑点Jr.』の大喜利のルールなどは、本家の大喜利と同様であるが、本家との違いとして、以下のものがあげられる。

本家との違い

  • 獲得した座布団の枚数が一番少ないメンバーは次回の大喜利に出演できない(メンバー入れ替え制で、2人以上の場合もある。過去最高は3人)
  • それぞれ獲得した座布団は毎回1枚にリセットされる
  • 番組で使われる座布団の大きさが本家のものより一回り小さい(笑点グッズの一つとして販売されている座布団カバーと同じ位の大きさ)
  • 地方収録では特別ルールとして、地方収録2回目時点で座布団枚数が一番多かったメンバーには「豪華賞品」が贈られ、そのメンバーは次回お休みとなる(事実上出演権を剥奪される訳ではない)。
  • 新年最初の放送の3問目にその年の干支動物着ぐるみを着て答える出題が出される(これは本家の新春スペシャルにおける寿大喜利での出題)
  • 色紋付が銀鼠黄色空色藍墨茶桃色群青色薄白色紅紫黄土色緋色白色青色の12種類である

席順

『笑点Jr.』放送開始時から最終回までの席順の一覧表を紹介する。太字は大喜利初出演のメンバー。なおここでは歴代のメンバー落語家の配色も並べることとした。

座布団10枚の豪華賞品

  • 愛楽が「美味しい牛肉のお店に行ける権利」を獲得。(2009年3月22日放送)
木久蔵とセイラも合流し、大田原牛の専門店へ。そこではすき焼きとしゃぶしゃぶが出された(しかし選択制だったため、愛楽はすき焼きを選択)。
しかし本当は牛肉の店に入れるだけで牛肉そのものを食べることができないとなっていたため、愛楽はクイズに答えれば牛肉を食べられるという条件で木久蔵が出した問題(内容は自身のペットにちなんだ問題だった)に挑戦するも結局不正解となり、すき焼きは木久蔵とセイラが食べ、自身は椅子に縛り付けにされた。

※()内は10枚達成の放送日ではなく、獲得賞品の放送日である。

その他の豪華賞品

10枚達成ではないが、地方収録などで最も座布団獲得したメンバーにものすごい賞品が贈られることがある。

  • 愛楽が「初代セントレア名人」に認定し、「2泊3日のサイパン旅行」を獲得。セントレアのマスコットキャラクター「なぞの旅人フー」に伴われてサリパンへ。(2007年12月16日放送 第1回セントレア名人決定戦)
国際的平和のために、サイパンの人々に自分のギャグを広めようとしたが、受けなかった(しかしモノマネは受けた)。
  • 愛楽が「使い道に困った番組の座布団全部」を獲得。(2011年2月13日放送)

出演メンバーのキャラクター

笑点Jr.のメンバーにも、それぞれ答えの傾向やキャラクターがある。無論、本家『笑点』と同様、メンバーのキャラクターや罵倒ネタは、全て大喜利の中だけの話である。

出演者

春風亭昇太(司会者)
  • 本家司会者の歌丸の手法を踏襲して、大喜利メンバーの挨拶が終わった後、皮肉を交えてメンバーを紹介する。しかし歌丸とは異なり、座布団運びのセイラに対しては私生活ネタを織り交ぜて紹介し、自身には自虐ネタを交ぜて紹介する。
  • 自身の罵倒ネタ(チビネタ・独身ネタ)等に対して容赦なく座布団を没収する。場合によっては自らの手で座布団を没収したり、自身の座布団を投げつけることもある。
  • 弟弟子の柳好には生々しい文句などを言われ、座布団運びのセイラには「親より年上なんだから結婚しろよ」などと言われることもある。
  • 「大人の事情」を理由に不条理な座布団の采配を行うことがあり、メンバーの師匠との人間関係等を連想させて笑いを取る。
  • 当初は木久蔵に対しては、駄洒落をいっても「お父さんにお世話なっているから」といって座布団を与えることが多かった(逆に王楽に対しては、「君のお父さんにはお世話になってないから」と座布団を与えない)。
  • 2009年(平成21年)6月14日放送分より本家出演時と同じ銀鼠の高座着を着用している(それまでは本家の歌丸同様黄緑(夏場のみ緑)だった)。
  • 放送開始当初から歌丸のように、皮肉を交えて紹介する。しかし歌丸とは異なり、座布団運びのセイラに対しては私生活ネタを織り交ぜて紹介し、自身には自虐ネタを交ぜて紹介する。
2代目林家木久蔵
  • 父木久扇と同様、馬鹿・与太郎キャラクターを売りにしている。いじられ方も本家と同様である。なお、本家でもネタにされることがあり、歌丸からは「本当のことを言ってはいけない」といわれることも。
  • 駄洒落を用いる答えも多く、司会者や他メンバーを脱力させる事があり、昇太からは「それって遺伝なの?」と言われることがある。
  • しかし当初は駄洒落を言ったとしても、昇太から「お父さんにお世話になっている」という名目で座布団を貰ったり、兄弟子の彦いちが出演した回では彦いちから座布団を貰ったりすることが多かった。
  • 要領を得ない答えを言った際は、昇太から必ず「ちゃんと考えてから答えてくれない。」と言われることがあり、お題を渡されることもある。あまりにも酷い場合は「ではなかったことに…」とか「ちょっと休んでてくれない。」などと言われることさえある(本家でも、歌丸が木久扇に同様のことを言い放つことがある)。
  • 加えてボキャブラリーの不足や、漢字等の読み方を間違える等、噺家として資質を問われかねない突っ込みを受けては笑いに変えている。
  • 真打に昇進したことから、「親の力で真打になった。」「インチキ真打」「襲名詐欺」などとネタにされることが多い。
五明樓玉の輔
  • 毎回良い答えが多く、座布団をもらう機会もメンバーの中で一番多い。出演権を剥奪されるまで3年間皆勤出演した。
  • 下ネタも多く出しているが、座布団を没収されることは少ない。ただし度が過ぎると座布団を没収されることがある。
  • 離婚経験があるため、それに関するバツイチネタを答え、他のメンバーからその事でいじられることがある。師匠の春風亭小朝2007年(平成19年)に離婚しているが、このことに関しては「離婚に関しては師匠より先輩」などとネタにしている。
  • セイラとの罵倒合戦を展開しており、セイラから座布団で頭を叩かれることが多い。
5代目春風亭柳好
  • 見た目と話し方が貧相なことを生かして、歌丸の様に死去ネタをやったり、自身も「死神」、「おばけ」、「ホームレス」、「貧乏人」をネタにし、他のメンバーにもその事でいじられている。両脇に蘭とつくしが座った回では、「両側にヘルパーさん」と自虐ネタを披露している。
  • 昇太の弟弟子ということもあり、昇太への生々しい文句等を答えることもある。
  • 顔が高倉健に似ていることから、物真似をすることがある。
三遊亭愛楽
  • 番組開始当初の挨拶でいつも落語界のトップアイドルと言っていた。
  • 「よい、よい、よいー!」や「ドキドキドキドキ縄文土器!」など独特のギャグを披露することが多い。番組開始当初の挨拶では「君のハートをのっとるぜ~イエーイイエーイ、君のハートはばらないか?」と自作の歌を歌って流行らせようとしていたが、客のノリはイマイチだった。
  • 物真似(五木ひろし瀬川瑛子など)やCMソングネタ、自慢ネタが多く、これをしつこくやると、座布団を取られたり、文左衛門に突飛ばされることがある。また物真似が似てないと言われることもある。「お題の名人」では、フリートークだからと言って勝手に物真似を披露すると、昇太から「帰すよ」と言われり、無視されることがある。
  • となりの文左衛門と同時に出演権を剥奪されることが多い。
橘家文左衛門
  • 自称「楽屋の模範囚」。
  • 強面であることから、小遊三の様に犯罪者扱いされており、自身もネタにしている。
  • 隣のメンバーが答えの内容が長すぎたり文左衛門を罵倒した場合、つまらない駄洒落を言った場合は突飛ばす(主に愛楽、木久蔵)。突飛ばす際は蘭であっても容赦はない(本人曰く女として見ていない為、女性として見ているつくしは突飛ばさない)。また、愛楽と木久蔵の間を嫌がっているため、愛楽と木久蔵が要領を得ない答えを言うと「こいつらの間やだよー」と漏らすことがある。
  • となりの愛楽と同時に出演権を剥奪されることが多い。
立川生志
  • 落語立川流からの唯一の参加。自称「立川流のブタ野郎」。高座着が白色に変わってからは、「立川流の白ブタ野郎」と自称している。
  • 体が太っていることから、食いしん坊・大食いネタを答えるほか、百栄の「ニャー! ニャー!」に対抗して「ブー! ブー!」というお決まりポーズをする。
  • 加入当初は、師匠談志の悪口や談志一門の文句を言っていた。これは立川流が一定年数の修業をこなしただけでは真打になれない独自のシステムを敷いていたためで(詳しくはこちらを参照)、このシステムのおかげで20年間真打になれなかった。そのため二つ目のままや真打昇進が出来ないと言われたり、木久蔵に「敗北宣言」と言われたりなどといじられていた。真打昇進後は木久蔵に後輩扱いされている(木久蔵が生志より先に真打に昇進したため)。なお師匠の悪口に関しては真打昇進後も言っている。
  • 隣の木久蔵が要領を得ない答えを言ったり、生志を罵倒した場合は左に突き飛ばす。両手で突き飛ばす文左衛門に対し、生志の場合は片手で突き飛ばす。
林家彦いち
  • やや皮肉めいた答えや木久扇並みの駄洒落を言うのを得意とする。ただ、昇太を皮肉った答えが仇になって座布団を没収される事が多い。
  • たまに木久蔵と一緒にいじられる(ただし、あくまで1番いじられるのは木久蔵である)。また、木久蔵とともに駄洒落を連発して、木久蔵と同時に座布団を没収されることがある。だが木久蔵とは違って、まじめな答えが多い。
  • 加入当初の挨拶では、視聴者から送られたお便りを読んだり、著書の紹介をしていた。
春風亭百栄
  • 猫を飼っていることから、挨拶の最後に「ニャー! ニャー!」というお決まりポーズを披露している(たまに彦いちが真似をする)。そのことから、生志から「化け猫野郎」と呼ばれている。
  • 個性的な髪型をしており、昇太から髪型にちなんだあだ名(ドングリヘタなど)を言われたり、そのことでネタにされている。
  • 2008年(平成20年)から、セイラに懸想するネタを答えているが、肝心のセイラの方は徹底的に嫌っている(ただし百栄は既婚であり、「お題の名人」においてその馴れ初めを語った)。
    • アシスタントとしての出演の場合は、セイラを追いかけることが多い。
三遊亭遊馬
  • 声の大きさにメンバーが迷惑がることが多い。また、自身も声の大きさについてネタにしている。
川柳つくし
  • 笑点Jr.2人目の女性メンバー。ニューハーフネタでいじられている蘭に対し、女性として扱われている(文左衛門に突き飛ばされない)。
  • セイラには「つくしさんより二回り年下」と言われているが、「私は貴女の味方です」とも言われている。
  • 女性である事を生かし、昇太に色仕掛けをするが相手にされていない。しかし、婚活ネタは共感された。
神田蘭
  • 笑点Jr.初の女性メンバーで、講談師での唯一の参加。
  • 加入当初の挨拶では笑点Jr.に咲いた一輪の花と言っていた。現在は講談界のニューヒロインと言っている。
  • 美少女スーパーモデル等の言葉を使った自惚れネタやキムタクヨン様等の男性タレントの名前を出す妄想ネタを中心に答える。
  • 他のメンバーにはニューハーフおかま扱いされ女として扱われていないことが多い(文左衛門に突き飛ばされる)ほか、挨拶では同じ女性であり座布団運びのセイラには皮肉な発言を言われることがある。
  • 「らんらんらんらん神田らーん!」とギャグを披露することがあるが、愛楽のギャグと同様客のノリはイマイチである。
  • 加入当初はSM女王様キャラの一面を見せており、となりに座っている生志の尻を扇子で叩いたことがある。
  • 加入当初は毎回収録に参加していたため(楽屋はセイラと同室)、出演権を剥奪されても、すぐに復帰することが多かった。そのため剥奪回数は全メンバーの中でトップであるものの、出演回数はサブメンバーの中で多い。
  • セイラを嫌っており、罵倒合戦を繰り広げている(その際は必ず座布団で頭を殴られる)。
    • アシスタントとしての出演の場合は、セイラから文句を言われることがあり、言われた後座っているメンバーに八つ当たりすることがある。
セイラ(座布団運び)
  • 「今日も愛をこめて座布団を運びます」と挨拶するのが定番。挨拶では、その日に登場するメンバーを皮肉ることが多い(特に昇太、玉の輔、蘭を皮肉る)。
  • 大喜利では、セクハラめいた答えを言ったメンバーを素っ飛んできて野球の素振りの如く座布団で頭を殴るやり取りがよく展開される(これは座布団が本家のものよりひと回り小さいから出来る事である。ただし山田とは違って座布団は持っていかない)。特に玉の輔・蘭・百栄とのやりとりでは、すっ飛んできて頭を殴ることが多い。逆に他のメンバーがヨイショする答えを言ったり、蘭を罵倒する答えを言うと、それをいったメンバーに自ら座布団を一枚持ってくることがある。
  • 百栄と蘭を嫌っており、百栄には懸想されている。百栄がアシスタントとして出演した際は、例のものを配りに来るときにいつも追いかけられ、その際に「ついてこないでよ!」といって逃げることが多い。蘭がアシスタントとして出演した際は、例のものを配りに来るときにいつも「ってか何でいるの!?」などと怒鳴りつけることもしばしばである。
  • 時たま、自ら大喜利で答える際は、他のメンバーを罵倒することがある(特に玉の輔、蘭、百栄)。

かつての出演者

三遊亭王楽
  • 昇太ヨイショネタ、罵倒ネタが多い。また、親子で仕事がない事をネタにしている。
  • 歌を唄い、歌詞を適当にごまかす(途中で「らららー」と変わる)と確実に座布団を没収される(これは本家における父好楽のネタ)。
  • スケジュールの影響か、年に1・2回のみの出演が多い。春のリニューアル後、出演しなくなった。

罵倒合戦

また笑点Jr.の大喜利の方でも、メンバー同士で罵倒ネタ合戦に発展しており、「こいつは凄芸! そいつは頂!!」でもたまたま発展している。特に愛楽VS文左衛門(文左衛門犯罪ネタ)、木久蔵VS生志(生志後輩扱いネタ)、柳好VS昇太(昇太チビ、未婚ネタ)、玉の輔VSセイラ(セイラセクハラネタ)、蘭VSセイラ(蘭ニューハーフネタ)が、Jr.のメンバー同士による罵倒合戦の代表格である。また、「使ってみよう! 落語ことば」においてはたい平VSあかね(阪井年齢ネタ)も繰り広げられていた。

脚注

  1. ^ 立川談志がゲスト出演した2008年11月10日放送『SMAP×SMAP』の1コーナー「BISTRO SMAP」にて語る。
  2. ^TVおじゃマンボウ」(日本テレビ)でこの座布団を16枚重ねた上にアナウンサーが座っている様子が放送されている。また、「シルシルミシル」(テレビ朝日)でこの座布団をまねて製作した座布団(ただし、製作する際に日本テレビから本物を借りてきたようである)を重ねて何枚座れるか、という企画を放送(挑戦したのは木久扇)し、31枚という記録を達成した。
  3. ^ 2006年(平成18年)11月6日放送の「極上の月夜」で林家木久蔵(当時)談
  4. ^ a b ただしこの回では両チームに商品が与えられた。
  5. ^ a b 2010年11月7日放送分第3問
  6. ^ テリーとたい平のってけラジオニッポン放送2009年(平成21年)6月4日好楽談「本当は知ってるけどキリが無いからね、ラララと言い換えるのは止めての合図なんだよ」
  7. ^ テリーとたい平のってけラジオ(ニッポン放送)2009年(平成21年)6月3日小遊三談。
  8. ^ ただし錦江湾の出来事は本人曰く「30年前のこと」であり、その当時は結婚もしていない。
  9. ^ 代役という形で加入。
  10. ^ レギュラー放送の最終回であるため、剥奪されたメンバーはなし。

外部リンク

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