竹島 (島根県)

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竹島
竹島の位置
竹島の位置
座標
面積 0.23 km²
海岸線長 --- km
最高標高 168 m
所在海域 日本海
所属国・地域 日本の旗 日本
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竹島の地図
女島(左)と男島(右)

竹島(たけしま)は、日本海南西部にあるで、北緯3715東経131度52分に位置する、島根県に属する島である。

目次

概要

1905年明治38年)1月28日、日本政府は島根県隠岐島司の所管の竹島と閣議決定し[1]、以降、竹島は行政区画では島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地であり、正式に日本の領土である。

日本が放棄する地域に竹島を入れるようにとの連合国への韓国の要求が拒否され、日本領として残されることを決定したサンフランシスコ講和条約発効直前の1952年昭和27年)1月18日大韓民国大統領李承晩李承晩ラインを一方的に設定して竹島を占領した[2]1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに韓国により、このラインを越えたことを理由に日本漁船328隻が拿捕日本人44人が殺傷、3,929人が抑留された[1]海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび16隻が攻撃された[3]

2011年現在韓国が武力によって占有しているため、日本との間で領土問題が起きている。

地理・自然

竹島は、北緯371430東経131度52分に位置する[4][5]

女島(東島)、男島(西島)と呼ばれる2つの小島とその周辺の総計37の岩礁からなり、総面積は約0.23km2で、東京日比谷公園の1.4倍、東京ドーム五つ程の島である。最頂部は男島が海抜168m、女島が海抜98m。周囲は断崖絶壁で、飲料水に乏しく、通常は人の住むことができる環境ではない。

日本領・隠岐と竹島の距離は両島の一番近いところで約157km、韓国領・鬱陵島と竹島の距離は両島の一番近いところで約87kmである[6]

生態系

竹島周辺の海域は対馬暖流と北からのリマン海流の接点であり、魚介藻類が豊富な好漁場である。

竹島は伊豆諸島と並んでニホンアシカZalophus californianus japonicus)の主要な繁殖地の一つであったが、1975年の目撃を最後にそれ以降の目撃例は報告されておらず、ほぼ絶滅したと考えられている。竹島における絶滅の原因は、同島を占拠している韓国による竹島の要塞化に伴う自然破壊であるとする説もある[要出典]

領土問題

日本と韓国・北朝鮮が領有権を主張している。

現在海洋警察庁を傘下にもつ大韓民国海洋水産部が不法に占領しており、韓国・北朝鮮[8]は自国の最東端の領土であるとしているが、国際法上適法な日本固有の領土である。

非当事者である他の国では中立的立場から、1849年にフランス人が名付けたリアンクール岩礁 (Liancourt Rocks) と称することが多い。

日韓双方の主張の概略
  • 日本政府は竹島問題は、1952年1月18日に韓国大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線(いわゆる李承晩ライン)によって竹島が韓国の支配下にあると一方的に宣言したことで始まったと主張している。李承晩ラインの一方的通告についてはのちの日韓基本条約によって廃止されたことが合意されたにも拘わらず、韓国は以降も不法に軍事占領を続けている。
  • 韓国政府は、1905年1月28日に日本政府が竹島を自国に編入すると閣議で一方的に決めたことで始まったと述べ、日本の竹島編入が後の韓国併合の始まりと論じ、「擬似領土紛争を作り上げるのは、日本である」と主張し[9]、「日本との領土問題は存在しない」と言って国際司法裁判所に付託することを拒否し続けている。

竹島領有権紛争の発生

1952年1月18日に李承晩ラインが一方的に引かれたあと、日本政府は同月28日に「公海上の線引きに抗議するとともに、竹島に領土権を主張しているかのように見えるがそのような僭称または要求をみとめない」と述べた[10]。この時点では韓国が本当に領土権を主張しているのかどうか不確実であったが、2月12日韓国は反論を提示し、以降、両国間で文書を交換するようになった。
日韓両国往復外交文書(1958.1.28-1976,12.12)

韓国は国際司法裁判付託を拒否

竹島領有権問題に関して、これまで日本政府は何度も国際司法裁判所(ICJ)に付託してはどうか韓国側に提案してきたが、いずれも韓国側は拒否し続けている。

  • 日本政府は1954年9月25日に韓国に対して国際司法裁判所(ICJ)への付託を提案したが、韓国は拒否。
  • 1962年3月に行われた日韓外相会談の際にも、小坂善太郎外務大臣がICJ付託を提案したが、韓国は拒否した[11]
  • 1962年11月に訪日した金鍾泌中央情報部長に対して、大平正芳外相が竹島問題をICJに委ねる事を提案したが、これも韓国側から拒否された[12]

なお当時韓国は国連に加盟していなかったが、加盟していない国でも国際司法裁判所に付託することが可能である[13]

国際司法裁判所(ICJ)への付託は、紛争当事国の一方が拒否すれば審判を行うことができず、つまり強制管轄権はない[14]。したがって、韓国政府が同意しない以上竹島領有権紛争をICJで解決できない。しかしながら、領土問題をICJで解決した事例は16件に上る(領土問題#国際司法により解決した領土紛争参照)。

韓国側はICJへの付託拒否を1954年10月28日の公文で

紛争を国際司法裁判所に付託するという日本政府の提案は、司法的な仮装で虚偽の主張をするまた一つの企てに過ぎない。韓国は、独島に対して始めから領土権を持っており、この権利に対する確認を国際司法裁判所に求めなければならない理由は認められない。いかなる紛争もありえないのに擬似領土紛争を作り上げるのは、まさに日本である。

と述べた[15]

しかしながら、紛争の存否は、客観的判定または当事者間の合意によって決定されるのであり、紛争当事国の一方が「存在しない」と言えば紛争がなくなるわけではない。

ICJ判決でも国際領土紛争の存否は客観的に判断されるべきことが確認されている[16]

金鍾泌による独島爆破提案

1962年10月の大平正芳外相との会談で金鍾泌中央情報部長は、ICJ付託を拒否したが、米国務省外交文書集によれば、金鍾泌中央情報部長は日本側に独島問題の解決策として独島破壊を提案していた[17]。金鍾泌中央情報部長は、東京での池田勇人総理及び大平外相との会談後、訪米。1962年10月29日のディーン・ロスク国務長官との会談において、ロスク長官が「独島は何に使われているのが」と問うたところ、金部長は「カモメが糞をしているだけ」と答え、独島破壊案を自分が日本側に提案したと明かした[18]

のちに韓国国内で「独島爆破提案説」が問題視された時には、金鍾泌自由民主連合総裁は「日本には絶対に独島を渡すことはできないという意思の表現だった」と弁明している[19]。また2010年の朝鮮日報の取材に対して金鍾泌は「国際司法裁判所で日本のものだという判決が出ても、すべてを爆破してなくしてしまってでも、あなたたちの手に渡すつもりはない」と激高して発言したと回想している[20]が、これは米国務省外交文書集「東北アジア1961-1963」収録関連会談記録の様子とは趣が異なる。

韓国による軍事占領

1951年(昭和26年)8月10日にラスク書簡によって「竹島は日本の領土」という米国政府の意向が韓国政府に示された[21]。その半年後の1952年昭和27年)1月18日大韓民国大統領李承晩が自国の支配下にあると一方的に宣言し、同時に近海を含む李承晩ラインを一方的に設定。1952年7月26日、アメリカ政府と日本政府は竹島をアメリカ軍の訓練地として日本国が提供することを約する協定を締結[22]。翌1953年1月12日には韓国は「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示し、同2月4日には第一大邦丸事件が発生、船長が韓国軍に銃撃を受け死亡。同4月20日には韓国の独島義勇守備隊が、竹島に初めて駐屯し、以降占拠を続けている。そのため、現在も日本政府の施政権は及んでいない。

日本政府は当初より韓国側の不法占拠であるとの声明を出して抗議し続け[23]、また国際司法裁判所への付託を韓国側に幾度も要請してきたが、韓国側は「領土問題は存在しない」と言って付託を拒否し続けている。2006年にはウリ党の金元雄(キム・ウォヌン)議員が国際法上の領土紛争にするよう提唱したが[24]、進展しなかった。1954年以来日本が要求し続けた「国際的な解決」を韓国が受け入れた形となるはずだった。

李承晩ラインと日韓基本条約

李承晩ラインも、サンフランシスコ条約で廃止されたマッカーサー・ラインの後継として韓国が一方的に宣言したものであり、日本政府もアメリカもこれを国際法上不当なものと抗議している。

1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに韓国により、このラインを越えたことを理由に日本漁船328隻が拿捕され、日本人44人が殺傷され、3,929人が抑留された[1]海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび16隻が攻撃されている[25]

1965年日韓基本条約調印によって李承晩ラインは両国間で正式に廃止された。またその際、「竹島問題は紛争処理事項である」と記されたが、その後韓国は「竹島の領有問題は紛争処理事項でない」という日韓基本条約を無効ともしかねない立場を取り、交渉に応じない。

日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文

また、同条約締結に伴い「日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文[26]」が取り交わされ、そこには外務部長官李東元署名による韓国側書簡として

「両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかつた場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によつて解決を図るものとする」

とあるが、以降の韓国政府の対応はこの公文に背反するものとなっている。

韓国軍による日本人漁民殺害や日本漁船拿捕

1952年の李承晩ラインの宣言から1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに韓国軍は、ライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕日本人44人を殺傷、3,929人を抑留し[1]海上保安庁巡視船への銃撃等は15件におよび、16隻が攻撃された[27]

1953年(昭和28年)1月12日、韓国政府が「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕して以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ、日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった。同年2月4日には第一大邦丸事件が発生した。済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。また日本人漁師の瀬戸重次郎が殺害されている。

同年4月20日には韓国の独島義勇守備隊が、竹島に初めて駐屯。6月27日に日本の海上保安庁と島根県が竹島調査を行い、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建て、竹島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させた。すると、7月12日に竹島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船「へくら」に発砲するという事件が起きる。

以後、韓国は竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。日本政府はこの韓国による竹島を武装化する動きに抗議しているが、韓国側は「内政干渉」として退けている。

なお当時韓国には拿捕の法的根拠である漁業資源保護法は施行されておらず、日本漁船拿捕は国際法また韓国国内法においても非合法的な行為であった[28]。この韓国の行為に対して日本の水産庁は「他国の類似事例とは比較にならないほど苛烈」と評した[29]

現在の占領の状況

韓国は日本との領土問題は存在しないと一方的に対話を拒絶しつつ、現在も、軍に準ずる装備を持つ韓国国家警察慶北警察庁独島警備隊の武装警察官40名と、灯台管理のため海洋水産部職員3名を常駐させている。また韓国海軍海洋警察庁が、その「領海」海域を常時武装監視し、日本側の接近を厳重に警戒している。そのため、日本の海上保安庁の船舶や漁船はこの島の領海内には入れない状態が続いており、日本政府の再三の抗議にもかかわらず、灯台ヘリポート[30]レーダー、船舶の接岸場、警備隊宿舎などを設置、西島には漁民施設を建設している。

  • 既に建設された主な施設
東島・・・警備隊宿舎、灯台、ヘリポート、気象観測台、船舶接岸施設、送受信塔
西島・・・漁民宿舎

1991年からは、領有の既成事実化を図るため、キム・ソンド(김성도)、キム・シンヨル(김신열)夫婦の居住を認め、独島里山20番地としている。

2005年には島根県竹島の日に反発した韓国政府は韓国人観光客の入島を解禁し、3月28日に一般観光客が初めて独島に上陸した。2005年4月には、韓国人の結婚式が独島で初めて執り行われた他、独島防衛として992名の韓国人が独島に戸籍を置いている。鬱陵島との間に水陸両用機による航空路を開設する計画もある[31]

竹島の漁業経済価値と排他的経済水域問題

日韓漁業協定による暫定水域

竹島は険しい岩山で面積も狭く島自体から得られる利益はほとんど無いが、周囲の広大な排他的経済水域(EEZ)の漁業権海底資源の権利が存在する。現在この島の排他的経済水域内で石油などの海底資源は特に見つかっておらず、現在最も問題になっているのは漁業権である。竹島と周辺海域の経済価値は、1952年の日本の水産庁によれば130億円(李ライン内)、1974年の島根県漁連の算出では年間漁獲高は76億円[32]、2010年の韓国の算出では年間11兆5,842億ウォン(約8600億)である[33]

占領の目的としての漁業管轄権

そもそも1952年の李承晩ラインの狙いは漁場としての利益であったともされ、韓国による遠洋漁業の独占が目的であったとされる[34]。韓国は李ラインを設定し竹島海域の漁業管轄権を主張していたが、これは当時の海洋法からみても違法であった[35]

国際海洋法からみた韓国の不当性

当時、「水域は他国と合意された規程により統制管理される」とした1945年のトルーマン宣言以降、アルゼンチンペルーなど南米諸国も自国民による排他的な漁業独占権を一方的に設定し、国際問題になっていた。イギリスは3海里を越える水域の排他的管轄権を認めないと1948年にチリ、ペルーに抗議し、フランスも1951年にメキシコ、ペルーに対して「一方的宣言により公海で主権を拡張し、他の国々の権利をおかしてはならない」とし[36]、また1952年には英米共同でチリ、エクアドル、ペルーの共同宣言に抗議した。しかしそのような抗議にも関わらず1954年にペルーはパナマ船籍船を拿捕し、エクアドルは1955年にアメリカ漁船に発砲・拿捕するような情況であった[37]

1951年の国際法委員会草案では「いかなる場合にも、いかなる水域も漁業を行おうとする他国民を排除してはならない」と排他的独占権は認めておらず、また「管轄権は関税徴収や衛生目的のものであり、沿岸国が漁業を独占するための管轄権は認められない」ともしるされていた[38]。のちの日韓会談において漁業管轄権を国際海洋法の観点から否定する日本に対して韓国側は反論できなかった[39]

日韓漁業協定以降

1965年の旧日韓漁業協定では竹島問題については棚上げされた。1980年前後には韓国漁船が山陰沿岸および北海道近海にまで出漁(密猟)し、日本の漁業者と係争が起こった。島根県のシイラ漁漁船は35統から8統にまで激減する[40]

1996年に日韓両国は海洋法に関する国際連合条約を批准。それに基づき新日韓漁業協定の締結交渉が開始され、両国の中間線を基準に暫定水域を設定、この海域において双方の漁獲が制限付きで認められた。日本側の配慮により日本が大幅に譲歩した暫定水域は、日韓共同で利用する協定であった。しかし、以降も韓国漁船が漁場を独占し、日本漁船が操業できない状態が続いている[41]。さらに韓国漁船は日本側EEZにまで侵入するなど不法な漁業行為を行い、また竹島の周辺海域では韓国軍が頻繁に監視を続けている。また、竹島近海の海底地名の命名、及び海底地下資源に関する調査活動を巡り、排他的経済水域問題が再燃、EEZ確定交渉が再開されたものの、平行線をたどっている。

韓国における広報工作・教育の状況

韓国側では、官民挙げての広報が盛んであり、韓国国内の多くの場所で「独島はわが領土」という看板や横断幕が見られる。その他、独島の切手を発行したり、独島の地質や環境の情報を紹介するインターネットサイトを作り英語や日本語で紹介。その中では、領土問題に極力触れないような、「平和な島・独島」を装い領土問題のイメージを避けている。

また、1999年に創設されたVANK(Voluntary Agency Network of Korea)によるインターネット上の行動に対して韓国政府は公式に支援しており、李明博大統領は2008年に5000万ウォン(約328万円)の予算を公表している[42][43]。VANKは「世界に日本の「歴史歪曲」を知らせて国際社会における日本の地位を失墜させること」を目的としたディスカウントジャパン運動を行い[44]、サイバーデモと称する抗議活動を行っている。その手法は、世界の各機関への韓国側の主張の大量送信、英語版wikipediaの組織的編集[45]などである[46]

また、VANKは韓国観光公社との共同事業として、韓国の歴史認識に基づいた『韓国観光広報小冊子』を発行し世界中の観光団体や学校などに発送したり、慶尚北道との共同事業として、竹島問題について組織的・計画的に情報宣伝工作を行うサイバー独島士官学校を設立、2009年の時点で生徒数は1万人を突破した[47]

韓国における領土教育

韓国の中高歴史教科書においては、17世紀末に韓国の漁民安龍福が松島(現在の竹島)を朝鮮の領土であることを認めさせるために日本に渡ったと記している。ほか、小学、幼稚園児にまで竹島領有の正当性を教育している。また“独島はわが領土”という歌もあり、幼稚園でよく歌われている。このような領土意識の教育は、占拠を既成事実化(実効支配化)しようとする政策の一環とされる。

「独島の月」・「対馬島の日」

島根県議会は2005年に「竹島の日条例」を可決し、政府に問題解決へ向けた行動を促したが、韓国慶尚南道の馬山市は対抗して「独島の月」、さらに対馬に対する領有権を主張する目的で「対馬島の日」を制定した。

学術界における活動

「独島」呼称の国際認知を目的とした韓国のキャンペーンは多方面で行われ、たとえば学術界においても、新規に発見された生物種の学名の名付けなどによって続行されている。竹島では多くの新種微生物が発見されているが、2005年頃より韓国系生物学者によって、新規学名に「独島」が含まれるようになっている。新属としては、Dokdonia donghaensis(Yoon et al. 2005)ほか6種[48]、新種としては、Maribacter dokdonensis (Yoon et al. 2005)ほか11種の「独島」を含む学名が提唱された[49]

日本側の対応

1952年の韓国による竹島と対馬についての不法な領有宣言と李承晩ラインの設定から二年後の1954年7月、サンフランシスコ条約で韓国による竹島領有権要求が却下された後に[50]、韓国が駐留部隊を竹島に上陸させたのに対して、日本政府は同年9月25日に口上書を提出し、国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案した。しかし、韓国は拒否した[51]

1962年3月の日韓外相会談で小坂善太郎外務大臣が国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案したが、韓国は拒否した[52]。なお当時韓国は国連に加盟していなかったが、加盟していない国でも国際司法裁判所に付託する事が可能である[53]。また1962年11月に訪日した金鍾泌中央情報部長に対して、大平正芳外相が竹島問題をICJに委ねる事を提案したが、これも韓国は拒否した[54]

しかし1965年に国交が正常化して以降2008年現在に至るまで、日本側も国際司法裁判所への付託を提案していない[55]。ただし、日本側は、年に一度程度、竹島問題に関する抗議文書を韓国側に送っている[56]

なお、竹島は日本の実効支配が及んでいない状況にあるため、日本の国勢調査の対象地域から除外されている[57]

その他の見解

姜尚中東京大学教授は、2010年1月2日、韓国MBCの取材に「独島は韓国が実効支配してるじゃないか。だから日本は戦争をしない限り、独島を実効支配することは不可能です。日本が竹島だと主張しても、放っておいてかまいません。私達が我々の領土を実効支配しているからね」と述べ[58]、また同年3月10日、韓国中央日報の取材を受けて、「日本から独島問題をめぐる妄言が出てきても、韓国は実効的支配をしているため感情的に対応する必要はない」と韓国側に立った主張を行っている[59][60]。また、在日本朝鮮人総聯合会の関連団体である在日本朝鮮留学生同盟(留学同)は、日本の領有権主張に反対する声明を行っている[61]

歴史(含・年表)

江戸期における「竹島一件」

明治期における編入以降

敗戦後

  • 1945年昭和20年)9月2日:日本政府代表・軍代表がポツダム宣言を受諾して、降伏文書に調印。
    • 11月1日:海軍省廃止により、竹島が大蔵省へと移管。
  • 1946年(昭和21年)1月29日GHQ覚書(SCAPIN(SCAP Institutions)677号「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」)により、竹島に対する日本政府の施政権が暫定的に停止された[62]
    • 6月22日GHQ覚書(SCAPIN1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」)によりマッカーサー・ラインが制定され、竹島周辺海域での漁業活動に制限が加えられた[62]。以後、竹島から13カイリ以内への立ち入りは原則として禁じられる。
  • 1948年(昭和23年)8月13日:大韓民国建国。初代大統領に李承晩就任。
  • 1950年6月25日 : 朝鮮戦争勃発。
  • 1951年(昭和26年)7月10日 : 開城で休戦会談が開始。
  • 1952年(昭和27年)1月18日:実質的に休戦状態にあった韓国政府が李承晩ライン、竹島、対馬の領有を一方的に宣言。
  • 1953年(昭和28年)1月12日:韓国政府が「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示。
    • 2月4日第一大邦丸事件済州島付近で同船の漁労長が韓国軍に銃撃を受け死亡。
    • 4月20日:韓国の独島義勇守備隊が、竹島に初めて駐屯した。
    • 6月27日:日本国海上保安庁と島根県が竹島調査を実施、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建てる。竹島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させた。
    • 7月12日:竹島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船「へくら」に発砲。以後、韓国は竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。日本政府はこの韓国による竹島を武装化する動きに抗議しているが、韓国側は「内政干渉」として退けている。
    • 7月27日 : 北朝鮮・中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が締結。
  • 1954年(昭和29年)8月15日朝鮮戦争に出征したジェームズ・ヴァン・フリートが大統領特命大使として使節団を率いて極東各国を歴訪し、ヴァン・フリート特命報告書を作成。竹島問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれるというアメリカ合衆国の意向を、非公式に韓国に伝達した等の事を大統領に報告した。
    • 9月25日:日本政府は領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案したが、韓国政府は拒否。第2の侵略と抗議。
    • 11月21日:韓国側が竹島の西島、北西3マイルの地点を航行中の日本の海上保安庁巡視船「おき」と「へくら」に対し、午前6時58分から午前7時にかけて5発の砲撃を加える[63][64]11月30日、砲撃事件に対し、日本の外務省が抗議[63][64]
  • 1956年(昭和31年)4月:韓国警察鬱陵警察署警官8名が島に常駐。
  • 1961年(昭和36年)12月26日:日本国外務省は在日韓国代表部に対し抗議の口上書を送り、韓国政府に抗議。翌27日に韓国が反駁する[65][66]
  • 1962年(昭和36年)3月12日:東京で行われた日韓外相会談において、小坂善太郎外務大臣が崔徳新外務部長官に対し、竹島領有権問題を国際司法裁判所に付託することを再び提案、韓国側は拒否。
  • 1964年 : 鬱陵島安龍福を顕彰する「安龍福将軍忠魂碑」が建立される[67]
  • 1965年(昭和40年):日韓基本条約調印。李承晩ラインが廃止、竹島問題は紛争処理事項であるとされた。その後韓国は竹島の領有問題は紛争処理事項でないとの立場を取り、交渉に応じていない。
  • 1977年(昭和52年)2月5日:福田赳夫首相が「竹島は一点疑う余地のない日本固有の領土」と発言。
  • 1982年(昭和57年)11月16日:韓国、竹島を天然保護区域に指定(独島天然保護区域)。

近年の動向

  • 1997年平成9年)11月:韓国、500トン級船舶が利用できる接岸施設設置。日本政府は抗議。
  • 1998年(平成10年)12月:韓国、有人灯台設置。日本政府は抗議。
  • 2004年(平成16年)1月:韓国、竹島を図柄にした切手を発行。日本政府は抗議。
    • 2月17日:日本郵政公社、竹島の写真付き切手の発行を拒否。
    • 3月1日:「我が国最東端の領土」と韓国側がテレビ中継を実施。
  • 2005年(平成17年)3月16日:島根県議会が、竹島の日条例を可決。
  • 2008年(平成20年)2月:日本外務省は「竹島問題を理解するための10のポイント」という広報をサイトに掲載[69]
    • 7月28日:米国務省報道室長が、米政府機関の「地名委員会」によるリアンクール岩礁(竹島)の表記をこれまでの「韓国領」から「主権未確定」に変更。
    • 8月8日韓国外交通商部が「独島に対する基本的な立場」をホームページに掲載[70]
    • 10月22日:北東アジア歴史財団独島研究所をVANKの支援主体に。李明博大統領はVANKへの予算支援を続けると発表[71]
  • 2009年(平成21年)3月13日サイバー独島士官学校VANK慶尚北道によって酒造会社JINRO等の支援で設立。
    • 6月26日、独島領有権守護や海洋資源調査活動を行うための177トンの「独島平和」就航[72]
  • 2010年平成22年)3月26日衆議院外務委員会で、自民党新藤義孝議員が竹島問題に対して政府に質疑。岡田克也外務大臣は「類似の機会にわたって説明している」「個別案件については答えられない」との政府答弁書を受け取る[73]
    • 4月14日、衆議院外務委員会にて、新藤義孝議員が再質疑。「竹島は日本固有の領土」と記述した日本の小学校の歴史教科書検定に合格した事に対し、韓国外交通商省大臣が在韓日本大使を呼び出し抗議された事と、李明博大韓民国大統領や国会議員・議長も竹島の実効支配を強化しなければならない、と発言した事にも触れた。
    • 4月22日衆議院本会議に於いて、新藤義孝議員が鳩山由紀夫総理(当時)に対し、竹島問題に対する対応について答弁を求める[74]
  • 2011年(平成23年)6月16日、大韓航空が新型機を投入する際に、同社会長、マスコミ、省庁長官等を搭乗させ、竹島上空でデモ飛行を実施。日本の外務省は「領土侵犯にあたる」として、全職員が公務での大韓航空機の利用を同年7月18日から1ヶ月間、自粛することを決定し発表した[75][76]。韓国は撤回を要求したが[77]、自粛は予定通り実施された[78]
    • 7月11日 韓国の国会議員が竹島に上陸し(直近3ヶ月間で4人目)、駐屯警備隊を激励。報道でヘリコプター着陸地増築の様子が伝えられた[79][80]
    • 7月27日 : 日本の国会議員が鬱陵島訪問を計画していることに対して、李明博大統領は「日本議員が入国する場合、身辺の安全上の憂慮がある」と日本政府に通知し協議するよう韓国外交通商部に指示した[81]
    • 7月31日 日本の自民党議員と大学教授が竹島調査のため鬱陵島訪問を計画して韓国に入国しようとしたが、韓国は空港で入国拒否を行った[82]。これはきわめて異例で初めてのこととされる[83]。李明博政権閣僚でハンナラ党首脳の李在五特任相(無任所相)は「自民議員の鬱陵島訪問は主権侵害」「おれが独島を守る」と発言[84]枝野幸男官房長官は、合法的な入国で「極めて遺憾」と批判、在韓日本大使館から韓国に抗議するとした[85]

争点

竹島を巡る争点には次のようなものがある。

  • 誰が最初に発見し、実効支配をしたか(領土の権原)
  • 島の同定(于山島鬱陵島,竹嶼、竹島、松島、石島観音島ほか)
  • 1905年の日本による竹島編入の有効性
  • 戦後のGHQによる竹島処分の解釈
  • 1952年の韓国による軍事占拠(李承晩ライン問題も含む)

国際司法判例からみた領土の権原

領土権を主張する根拠(権原)として、譲渡、売買、交換、割譲先占などがあるが、国際領土紛争では、「国家権能の平穏かつ継続した表示」という権原を基準に判定される場合が多い(韓国の軍事占領は「平穏」には該当しない)。

これまでのICJ国際判例から次の様な規則が得られる[86]

  • 中世の事件に依拠した間接的な推定でなく、対象となる土地に直接関係のある証拠が優位。中世の権原は近代的な他の権原に置き換えられるべき(マンキエ・エクレオ諸島事件ICJ判例[87])。
  • 紛争が発生した後の行為は実効的占有の証拠とならない。
  • 国は、相手国に向かって行った発言と異なる主張はできない。
  • 相手国の領有宣言行為または行政権行使を重ねるなどの行動に適時に抗議しないと領有権を認めたことになる。

竹島の領土権原

これらの国際司法判例を竹島領有権問題に照合すると、以下の通り[88]

日本の領土権原
  • 歴史的な権原において江戸幕府は竹島を領土とみなしており、日本に領土権原が存する。
  • ただし、歴史的な権原は近代的な権原に置き換えられる方が好ましい。
  • 1905年の竹島編入以降の日本政府の措置は、まさに国家権能の表示の証拠であり、「国家権能の平穏かつ継続した表示」という権原も認められる。これは近代的な権原である。
韓国の領土権原
  • 17世紀末に民間の朝鮮人(安龍福)が 日本における「竹島・松島」の知識を朝鮮古来の「鬱陵島・于山島」に当てはめ、松島は于山であるという認識を持ったとしても(以来、朝鮮文献に松島=于山と記述)、その活動は国家を代表して行われたものでない。
  • 18世紀以降朝鮮の官撰史書等に松島=于山と記載されたとしても朝鮮は竹島の実地の知見すらない(逆に、于山島が別の島竹嶼を示す史料もある)。彼に地図記載が領有意識の表示としても、それは観念上の領有意識にすぎず、実在の島へ訪れた記録も存在しない。
  • したがって韓国には歴史的な権原というべきものがない。
  • 1900年に大韓帝国が勅令で「石島」を鬱陵島の行政管轄権に入れた。しかし石島は竹島ではない(韓国は石島が独島と主張)

いずれも一国の領土権の確立に不充分で、無主地の要件は満たされる。

なお、日本が日露戦争中に独島を侵奪したという韓国側の反論があるが、奪ったという議論は、竹島が韓国の領土であったことが証明されない限り成り立たない。

最初の発見者

国際法上、領有権を巡る紛争では「発見」は未成熟権原 (inchoate title) とされ、領有権(権原)とするには合理的期間内に「実効支配」により補完されなければならないとされている[89]。なお、無人や定住に向かない地域では、僅かな実効支配の証拠でもよいとされているが[90]、その証明には、課税や裁判記録といった行政、司法、立法の権限を行使した疑義のない直接的証拠が要求され、不明瞭な記録による間接的推定は認められていない[91][92]。また、他国の抗議等により紛争が顕在化した(決定的期日)以降の法的立場の改善を目的とした活動は、領有権の根拠になり得ないとされている[93][94]

韓国の主張の概略 日本の主張の概略
于山島は独島のことである。 于山島は鬱陵島の別名であった可能性が高い。(詳しくは于山島を参照)
1145年に編纂された『三国史記』よると512年于山国朝鮮新羅に服属している。後の文献にある于山島はこの于山国の一部であり、その于山島は独島である。つまり独島は512年から韓国の領土である。 三国史記』には于山国である鬱陵島のことは書かれているが、周囲の島のことは全く書かれていない。「別名を于山島という」とあるので、鬱陵島の別名が于山島であったと考えられる。また、于山島には住民が定住しており512年に新羅に征服された、竹島に人間の定住は不可能であり竹島が于山島はでないのは明らかである。
1454年に編纂された『世宗実録』に「于山、武陵二島は県(蔚珍縣)の真東の海中にある。二島はお互いに隔てること遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅の時、于山国と称した。」とある。天候が良ければ鬱陵島(=武陵)から独島が望めるので、独島が于山島である。于山国は512年に朝鮮の新羅に服属しているので、独島は朝鮮領である。 原文は『于山武陵二島 在縣正東海中 二島相去不遠 風日淸明 則可望見 新羅時 稱于山國 一云鬱陵島 地方百里』であり、「于山武陵二島は新羅の時代には于山国と称した、一説には鬱陵島とも云う、100四方である。」とあるので、于山武陵二島とは本島の鬱陵島と付属する竹嶼のことで、100里四方の圏外の竹島は含まれない。(朝鮮の1里は400m、100里では40㎞、鬱陵島から竹島までは90㎞)
1728年に編纂された『粛宗実録』に、1696年朝鮮の安龍福が鬱陵島で遭遇した日本人に抗議し、「松島はすなわち子山島で、これもまた我国の地だ。」と言っている。子山島は于山島のことで、于山島は独島のことだ。当時の日本は独島を松島と呼んでいるので朝鮮領である。安龍福がその3年前に日本で抗議した時には徳川幕府より于山島は朝鮮領だという書契をもらっている。 朝鮮の漁夫である安龍福は鬱陵島や日本に密航した犯罪人である。朝鮮の『粛宗実録』に記載されている安龍福の尋問記録は事実と異なる事が多く、于山島を松島(現在の竹島)だとし、日本人を追いかけて松島へ渡ったとしていることは、罪を逃れるための偽証だと考えられる。そもそも安龍福は于山島の位置を把握していない。また、徳川将軍が朝鮮の漁夫に竹島(現在の鬱陵島)や松島を手放すような書契を渡すはずもない。(詳しくは安龍福を参照)
1696年の安龍福の抗議により、鬱陵島と于山島の帰属をめぐって徳川幕府と朝鮮との間に紛争が起こったが、鳥取藩は幕府に竹島(鬱陵島)と松島(独島)は自藩領でないと回答している。幕府は朝鮮との交渉で竹島(鬱陵島)を放棄することを伝えているので、鬱陵島の付属島である松島(独島)も同時に放棄している。
1667年に日本の松江藩士が書いた『隠州視聴合記』には「この二島(鬱陵島と現在の竹島)は無人の地で、高麗が見えるのは、雲州から隠州を望むようだ。よって日本の北西の地で、この州をもって限りとされる。」と書かれている。「この州」とは穏州(隠岐)のことであり日本の限界を隠岐としているので、この時、松島(独島)や鬱陵島が朝鮮領であることを認めている。 隠州視聴合記』の文中には「北西に二日一夜行くと松島(現在の竹島)がある。又一日程で竹島(鬱陵島)がある。俗に磯竹島と言って竹・魚・アシカが多い。この二島は無人の地である。」としており、現在の竹島もはっきり認識している。鬱陵島へは、この文献の50年も前から幕府の許可を得て伯耆国 米子から漁労や竹の伐採などのために渡っており、文中の「この州」とは鬱陵島のことを指している。
1770年に編纂された『東国文献備考』に「鬱陵、于山は皆于山国の地で、于山は即ち倭の所謂松島である。」とある。この于山は独島のことだ。当時の日本は独島を松島と呼んでいるので朝鮮領である。1808年の『万機要覧』や1908年の『増補文献備考』にも同じ事が書かれている。 東国文献備考』の「鬱陵、于山は皆于山国の地で、于山は即ち倭の所謂松島である。」との一文を始め同様の一文は、虚言の多い安龍福の証言の引用である。この当時の朝鮮の地図からいって、朝鮮政府は竹嶼を日本人の言う松島と誤認している。(詳しくは于山島を参照)
1785年に成稿した、日本の『三国通覧輿地路程全図』に竹嶋(鬱陵島)とその附属の于山島(独島)が描かれており、朝鮮と同じ色で彩色され朝鮮領と明記されている。この地図は小笠原諸島領有の日米交渉の際に、幕府が根拠として用いており、幕府が竹島を朝鮮領として認めた証拠になる。[95]三国通覧図説も参照) 日本の『日本輿地図藁』、『日本国地理測量之図』、『官板実測日本地圖』、その他民間で作られた地図には、独島の当時の日本名である松島が記載されていない。記載されている地図も隠岐や鳥取と同じ色ではなく無色である。したがって日本は松島を朝鮮領だと認識していた。また、多くの朝鮮の古地図には于山島が鬱陵島の近くに描かれており、この于山島は現在の独島を示している。
日本の三国通覧輿地路程全図に描かれている竹嶋周辺部
日本の三国通覧輿地路程全図に描かれている竹嶋(鬱陵島)の北東に、南北に長い小さな付属島があるが、島の大きさや形状、位置関係からいって、これは現在の竹嶼であり、この地図に現在の竹島は描かれていない。また、幕府がこの地図をもってアメリカに小笠原の領有権を認めさせたというのは新聞の歴史小説上の話であり、事実ではない[96]。当時は既にこの地図よりも遙かに正確な経緯度線入りの『改正日本輿地路程全図』が普及しており、竹島(現在の鬱陵島)と松島(現在の竹島)が描かれている。1530年朝鮮で発行された『八道総図』に初めて于山島が描かれるが、鬱陵島の西に鬱陵島と同程度の大きさで描かれている。その後の地図も実在しない大きさや位置に描かれ朝鮮政府は于山島を全く把握していない。18世紀後半以降の古地図の于山島は、全て鬱陵島近傍の竹嶼に比定できる。したがって、于山島は現在の竹島ではない。(詳しくは于山島を参照)
于山島が鬱陵島の左側にあり、竹島と鬱陵島の位置関係と異なる

日本による竹島編入の有効性

日本政府は、竹島であしか漁を営む国民個人からの領土編入貸下願を契機に、1905年1月28日閣議決定をもって島根県への編入を決定し、同年2月22日、島根県知事により告示された。同5月島根県知事は、竹島を官有地台帳に登録し、同6月あしか漁許可、翌1906年3月に県は実地調査も行う。同7月以降漁業者に貸し付けて歳々官有地使用料を徴収。また1940年に海軍用地となったが漁業許可と土地使用料の徴収は継続した。

先占の要件

日本の竹島編入措置は、先占によった[97]

閣議決定文
北緯37度9分30秒...ニ在ル無人島ハ他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡ナク......明治36年以来中井養三郎ナル者カ該島ニ移住シ漁業ニ従事セルコトハ関係書類ニ依リ明ナル所ナレハ国際法上占領ノ事実アルモノト認メ之ヲ本邦所属トシ...

先占の要件は、対象地が無主地であること、国家の領有意思をもってする実効占有である。

無主地

無主地という点については、

  • 1)17世紀末に民間の朝鮮人(安龍福)が個人的な地理認識をもったとしても、朝鮮政府は実地の知見すらなく、また于山島竹嶼と示す資料などもあり、資料的かつ歴史的な領土認識においても、不確証であり、韓国にはそもそも歴史的な権原というべきものの存在が、推定の範囲を出ず、定かではない。
  • 2)1900年に大韓帝国が勅令で「石島」を鬱陵島の行政管轄権に入れたこと(韓国は石島が今日の竹島とも主張するが、当時の韓国の資料からも別の島であることが実証できる。石島参照)

これらはいずれも領土権の確立に充分とは言えず、無主地の要件は満たされる[98]

国家の領有意志

日本の領有意思は、閣議決定、県知事告示(新聞でも報道)、先占以降の主権者としての行為により明示される。

実効占有

実効的な占有については、国家は私人の行為の追認をもって国家占有とできるので[99]、日本は閣議決定で追認を行い、かつ国有地台帳への登載、あしか漁業許可、 国有地使用料の継続徴収など国家占有の行為があり、「国家権能の平穏かつ継続した表示」を継続していた。(なお韓国による軍事占領は「国家権能の平穏かつ継続した表示」には当たらない)

以上、伝統的な領土取得方法としての「先占」の要件が具備された。

ほか、1905年の日本による竹島編入について、韓国側は「法的に不十分な手続きで、秘密裏に行われたもので非合法」とするが、当時の国際法から見ても、また先占の要件を満たしていることからも十分に合法であり、また「秘密裡」という表現は当時の告示と報道からしても当たらない。なお、判例においては「秘密裏に実効支配をすることはできない」とされており、特定の編入手続きではなくその実効性が争点となる。

通知義務

実効性以外に通知の手続きを要するとの主張がなされることがあるが、パルマスクリッパートンの判例において通知義務は否定され、通知義務を支持する国際法学者もごく少数である。

韓国の主張の概略 日本の主張の概略
1870年、日本の「朝鮮国交際始末内探書」に「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」の記述がある。 「朝鮮国交際始末内探書」の「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」にある松島は朝鮮の文献に出てくる于山島の事で、この古地図から現在の竹嶼を指していることが分かる。この松島は竹嶼である。(詳しくは竹島外一島を参照)
1877年、日本は竹島と松島について調査した結果「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とし、太政官指令により「竹島外一島之義本邦関係無之義ト可相心得事」としている。外一島とは松島(現在の竹島=独島)のことなので、日本はこの時独島を朝鮮領と認めている。 日本の太政官指令にある「竹島外一島」は当時島名がはっきりしなかった島である。この頃、竹島や鬱陵島の経緯度を誤って記録したヨーロッパの地図が日本に入り、実在しない位置に描かれている島を「竹嶋」、現在の鬱陵島を「松島」、現在の竹島を「リエンコヲルトローック」などとしたため、実在しない位置の「竹島」と現在の鬱陵島を「竹島外一島」として版図外とした。
1882年、日本が製作した『朝鮮國全圖』に松島が描かれている。また、1883年に同じく日本が制作した『大日本全圖』には、松島は描かれていない。松島は独島なのでこの時日本は独島を朝鮮領と認めている。(2003年韓国に帰化した世宗大学保坂祐二教授が、この2つの地図の写本を鬱陵島の独島博物館へ寄贈した。)[100] 『朝鮮國全圖』の竹島は存在しないアルゴノート島のことで、この当時の地図は全て鬱陵島を松島として描いている。経度は書かれていないが、下部に描かれている日本の位置からすれば、この地図に描かれている松島は鬱陵島であり、大きさも鬱陵島と同程度に描かれている。この地図には経度も記入されておらず、緯度も大きくずれており、当時、鬱陵島と松島の位置が混乱していたことがよく分かる。(竹島外一島も参照)
1900年大韓帝国勅令で石島(独島)を鬱陵郡としている。 石島が竹島であるという証拠はない。朝鮮の古地図を見る限り、石島は現在の観音島である可能性が高い。
「大韓地誌」や「大韓新地志」の著者は民間の学者であり、官製図書ではない。そのため当時の公的な見解とはみなされない。 大韓地誌 1899年大韓新地志 1907年の記載には、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」としている。竹島はその行政区の外131度55分にあり、当時の韓国は竹島を韓国領としていなかった。また、この頃の韓国の東端を示す資料は全て東経130度33分~58分に入っており、現在の竹島を韓国領としていない。
1905年1月の日本による竹島編入は、軍国主義による韓国侵略の象徴であり強制的に編入された。もし日本領であったなら編入する必要はない。この年11月に締結された第二次日韓協約によって、大韓帝国は外交権が事実上奪われていたため、独島(竹島)の島根県編入を知った後、日本が敗戦するまで抗議できなかった。 竹島は日本が島根県に編入するまで他国に実効支配されたことはなく、竹島の編入手続きは、国際法に照らしても全く合法的である。また第二次日韓協約が対象とするのはあくまで「第三国」との外交権であり、抗議そのものは十分に可能だった。

GHQ677・1033号覚書

SCAPIN第677号 (Page 1)

GHQの「連合国軍最高司令官総司令部覚書」677号 Supreme Command for Allied Powers Instruction Note No.677 SCAPIN677「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」では、日本の領土は北海道・本州・九州・四国およびその隣接する島々とされ、鬱陵島や済州島などを除外するとした。その除外される島のリストに彼らがLiancourt Rocksと呼んでいた竹島が含まれていた[62]。 また、同1033号[101]「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」でも、日本漁船の活動可能領域(これを「マッカーサー・ライン」という)からも竹島は除外されている[62]。韓国はこれらを根拠に、李承晩ラインを制定して日本漁船を排除する線を引き、ライン内部に立ち入った日本漁船に対して拿捕・銃撃を行ったとその正当性を主張し、GHQ677および1033号文書が領有権を確定させたものか否かが争点となっている。

韓国の主張の概略 日本の主張の概略
カイロ宣言では「日本が暴力及び貪欲により略取した他の一切の地域」の日本からの排除を謳っている。かつて日本は公文書において竹島が日本領でないことを公に宣言し、その後朝鮮半島の植民地支配を強化していった時期に竹島を編入した。 竹島は日本が島根県に編入するまで他国に実効支配されたことはなく、手続きも国際法に照らして全く合法的である。また公文書において、日本領でないことを公に宣言したこともない。
竹島を日本から切り離すことは連合国側共通の了解事項であり、677号GHQ覚書[102]で竹島の除外が明記されている。また1033号GHQ覚書では竹島周囲12海里以内を日本の操業区域から除外している。 SCAPIN 677および1033号GHQ文書によって除外されていた日本の島々(小笠原諸島奄美群島琉球諸島の島々)は、後にアメリカより返還されている。そもそも677および1033号GHQ文書はアメリカの対日占領政策の一時的措置であり、日本の領土や管轄権・漁業権を示す連合国の政策ではない。実際に1952年11月5日、米国務省は駐韓米国大使にあてた書簡において、SCAPIN677に関する韓国の主張に触れ「SCAPINは日本の施政を停止[103]したものであり、永久的な日本の主権行使を排除したものではない」と回答している[104]
SCAPIN677にある「この指令中のいかなる規定もポツダム宣言の第八条に述べられている諸諸島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」との文やSCAPIN1033の「この認可は、関係地域またはその他どの地域に関しても、日本の管轄権、国際境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」との文は、必要あれば修正することができる可能性を残したものに過ぎず、その後、竹島を日本領と修正した覚書は発表されていない。 SCAPIN 677には「この指令中のいかなる規定もポツダム宣言の第八条に述べられている諸諸島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」とあり、SCAPIN 1033にも「この認可は、関係地域またはその他どの地域に関しても、日本の管轄権、国際境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」との文言が盛り込まれている。さらに1946年の日本とGHQの会談の中で、GHQはSCAPIN677について「鬱陵島は第二十四軍団の指揮下に在り従って本指令に依る日本の範囲の決定は何等領土問題とは関連を有せす之は他日講和会議にて決定さるへき問題なり」と回答しており、領土問題はSCAPINの範疇外であり講和会議によって決定される[105]

サンフランシスコ条約第2条(a)項

日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の第2条(a)項「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」について韓国側はこの条文に「竹島に関する記載がない」ことを根拠に、連合国は竹島が韓国領であることを認めていると主張する。

シーボルド勧告

たしかに、1947年3月19日版の条約草案では「日本は済州島、巨文島、鬱陵島、及び、竹島を放棄すること」と記載があった。しかし1949年11月14日のシーボルドによる竹島再考勧告において日本側の主張が正当であるとされて以降、竹島に関する記載は削除され[106]、1949年草案、1951年の最終版にいたるまで竹島が日本領であることが認められた。

ラスク書簡

1951年、韓国政府は米国政府へ、竹島と波浪島(実在しない架空の島)を日本の放棄領土とすることを要望するが、同年8月10日、米国政府は、国務次官補ディーン・ラスクより、竹島は日本領であることを韓国政府に最終的な回答として提示した。しかし、翌1952年1月18日に韓国が李承晩ラインを一方的に宣言を行った。

ラスク書簡の再通知

サンフランシスコ条約後、日米安保条約に基づく行政協定において1952年7月に竹島を爆撃演習地とすることが日米間で合意されたが[107]、日米に無断で竹島へ調査をしていた韓国人が爆撃に遭遇し韓国政府がアメリカに抗議を行った。韓国の抗議書簡において「韓国領の独島」とされていたことに対して、1952年12月4日に釜山の米大使館は「アメリカの竹島の地位に関する認識はラスク書簡のとおりである」と韓国外交部に再度通知を行った[108]。しかし、1955年に韓国外交部が作成した「獨島問題概論」では、このラスク書簡に触れた部分を「etc.」で省略したアメリカ大使館の書簡を掲載したことが確認されている[109]。また、韓国の国際法学者である金明基は、この韓国政府によって隠滅されたアメリカ大使館の書簡によってアメリカの意思が「獨島は韓国の領土」と変更されたものとし、ラスク書簡が無効との論拠としている[110]

ヴァン・フリート特命報告書

また1954年のヴァン・フリート特命報告書においても、A)一方的な領海宣言(李承晩ライン)は違法[111]、B)

米国政府はサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領土であると結論している[112]、C)この領土問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれる[113]と記載されており、竹島を日本領とするシーボルド勧告を追認している。また、この内容は当時韓国側にも非公式に伝えられたことが同報告書には記載されている。

国際法上における主権移転

国際法上、一時的な占領は主権の移転を意味せず、たとえ占領等により主権が著しく毀損されていたとしても元の保有国の同意がなければ、主権の移転は発生しない[114]。このため、戦後の処置に関して連合国が竹島の放棄を日本に要求したかどうかだけでなく、日本が竹島の権原や主権の放棄に同意したかどうかが重要となる。

韓国の主張の概略 日本の主張の概略
サンフランシスコ講和条約は「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定しているが、その他の付属島ついてまでは述べられていない。竹島(独島)は古来より鬱陵島の属島であるので韓国領である。 アメリカ駐日政治顧問シーボルドからバターワース国務次官補への1949年11月14日付電報[115]で「リアンクール岩(竹島)の再考を勧告する。これらの島への日本の主張は古く、正当なものと思われる。安全保障の考慮がこの地に気象及びレーダー局を想定するかもしれない」と指摘し、「朝鮮方面で日本がかつて領有していた諸島の処分に関し、リアンクール岩(竹島)が我々の提案にかかる第3条において日本に属するものとして明記されることを提案する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、かつ、それを朝鮮沖合の島というのは困難である。また、アメリカの利害に関係のある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象及びレーダー局を設置することが考えられるかもしれない」との正式な文書による意見書の提出を受け、1949年12月29日付サンフランシスコ講和条約草案では日本の領土に竹島が含まれることを明記している。
  • サンフランシスコ講和条約最終版は日本が放棄する地域を示しているが、そこには「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定しているのみで、竹島は含まれていない。
  • 韓国政府は以降もアメリカ合衆国に対し「竹島が日本により放棄された領土である」と認めるよう要望書を提出するが、1952年11月27日の駐韓米国大使館通牒では、アメリカ合衆国はラスク書簡に基づき韓国の要望を拒否し、また1954年のヴァン・フリート特命報告書ではサンフランシスコ講和条約に基づき竹島は日本領とし、さらにこの問題は国際司法裁判所による解決を促している。
  • 日本政府も国際司法裁判所による解決を韓国側に幾度も要望してきたが、韓国側は法的議論を拒否し続けている。韓国は国際法上何ら根拠がないまま竹島を不法に軍事占拠しており、韓国のこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を全く有しない。

非当事者国の見解と対応

アメリカ

ラスク書簡サンフランシスコ講和条約ヴァン・フリート特命報告書などで示されている通り、アメリカは一貫して竹島は日本領であるとの立場を示している。しかし、同時に本問題は国際司法裁判所での裁定や話し合いによって解決されるべきとの見解を表明している。

国務省の外交公電[116]によると、2006年4月にはシーファー駐日大使が谷内外務事務次官と面談した際に竹島問題について言及し、日本を「国際法の許容範囲内で権利行使をしている」と擁護した[117]。また韓国を「非理性的に行動している」と非難した[118][119]

2011年の日韓での竹島問題の再燃に際して、米国務省は8月2日、両国に自制を促し、 米国務省トナー報道官は「リアンクール岩礁の主権について私たちは(特別な)立場を持っていない」ともした[120]

中国

2010年4月15日、中国新聞社は「日本は済州島、巨文島、鬱陵島と含む朝鮮の一切を放棄した」とのサンフランシスコ条約における日本の放棄領を記した条文を紹介したうえで、武正副外務大臣の「同条約は日本が放棄する領土を定めているが、竹島は含まれていない」と指摘を掲載。条約締結時に韓国が条約中の日本の放棄領土に竹島を含めるよう要求したが、米国の拒絶で断念した経緯も説明した。中国メディアではそれまで、「独島(日本名は竹島)」と竹島を表記していたが、同記事中では「竹島」とのみ表記している[121]。また、2010年に中国新聞網が「在米韓国人によってニューヨークのタイムズ・スクエアで「独島は韓国の領土」との広告放映について報じたところ、中国ネット上で、「竹島は日本の領土だ。だが、釣魚島(尖閣諸島)は中国の領土だ」、「韓国人はいっそのこと、宇宙全体が韓国人のものだと広告を出すべきでは?」、「世界全体が韓国の領土なのに、独島が何だと言うのだ」などと皮肉を交えたコメントが寄せられたという[122]

竹島問題に関する日韓の政治社会の状況

韓国は日本の領有主張に対して敏感に反応している。島根県の「竹島の日」制定に対抗して「独島の月」を制定、領土問題が起きていない対馬に対しても「対馬島の日」を制定した。また、韓国側が竹島周辺の海盆に韓国名を付け国際機関に申請しようとした事に対抗して、日本が竹島領海外の周辺海域に調査船を派遣しようとするや、韓国政府は猛反発、韓国海軍が出動した。また韓国市民は街頭で日章旗を燃やしたり、抗議の切腹を演じているほか、報道でも日本の行為を過激に批判するなど熱狂的である。

韓国では、独島は日本のものであると主張する者に対する誹謗中傷は「脅迫」ではなく「叱責」であるとして合法行為とされている[123]

韓国の過激な反発の原因は、韓国政府が歴史を客観的に見ることを避け、自国に有利な資料を探し出し、国民に領土認識を植え付けるための教育と広報方策をとってきた点にあるといわれる[要出典]。また、日本の韓国併合(および小中華思想)からの反日感情を利用したともされる。

日章旗損壊と外国国章損壊罪

韓国市民による日章旗損壊パフォーマンスに関しては、韓国刑法109条で外国国章損壊罪は2年以下の懲役と制定されているが[124]、同第110条には「(被害者である)外国政府の意思に反して公訴を提起することができない」とされている。すなわち、日本政府が日章旗への損壊について被害者として抗議しないため、これらの刑法はまだ適用されたことはない。

日本社会における状況

日本では政府が韓国の行動に対し抗議を行っているものの、一部の右翼団体による街宣活動を除き、国民の関心度も低かった。しかし韓国による猛烈な抗議が、マスコミで取り上げられたため、日本国民の竹島問題に対する関心が高まった。日本政府は韓国の猛反発を抑え、問題を客観的に議論しようとすることに終始している。これらの傾向は、日本側が国際司法裁判所に提訴を提案しているにも拘らず、韓国側が領土問題は存在しないとして、議論にさえ応じないところに如実に現れている。

小沢一郎の国際担当秘書の韓国人金淑賢は自民党政府時代に日本が領有権を主張していたのは支持率低下を防ぐためと述べている[125]

北海道教職員組合による資料配布

また、日教組の傘下の北海道教職員組合2008年(平成20年)11月、竹島について「韓国の主張が事実にのっとっている」、北方領土について「日本固有の領土式の観点ではなく、アイヌ民族や戦争との関係でとらえさえて考えさせる」などとした資料を各校に配布したことがある。

民主党による竹島領有権放棄問題

2011年(平成23年)2月27日、韓国を訪問した土肥隆一民主党党倫理委員長は、金泳鎮韓国国会議員との共同記者会見で日本が竹島の領有権の放棄する「日韓共同宣言」に署名を行った。この署名に対する批判に対して、土肥は「共同宣言は外交交渉上有効になるようなものではない」と述べ、共同宣言の撤回は行わなかった[126]

郵政切手に関する日韓朝の状況

韓国が1954年に発行した竹島の切手

韓国の郵政当局は、独島を題材とする切手1954年2002年2004年の3回出している[127]1954年の切手は普通切手で、当時日本の郵政省はこの切手を貼った韓国からの国際郵便物の受取拒否をした[128]。2002年の切手はセットの一部であったため日本では認知されなかった[129]。2004年1月16日発行の切手は「独島の自然」と題されたもので、日本のマスコミでも大きく報道された。しかしこの時には日本郵政事業庁は国際郵便受取拒否といった強硬措置はとらなかった。

また北朝鮮も2004年と2005年に「竹島切手」を発行した。しかしあくまで「韓国が主張する領域は北朝鮮の領土」との主張と、対南融和的な政治的目的があったといえる。なお切手の図案には絶滅したはずのニホンアシカが登場していたり、北朝鮮の版図として韓国を含む朝鮮半島全体が描かれている。

日本政府は、韓国による竹島切手の発行を万国郵便連合憲章に抵触するとして抗議している[130]

「竹島切手」

2004年1月の韓国での「独島の自然」切手を発行を受けて、新宿郵便局が取り扱っていた写真持込による製作サービスに対して、日本の市民が数万枚に上る大量の写真付き切手である「竹島切手」を申し込み、郵政事業庁も当初受け付けたが、同年2月17日日本郵政公社は「外交上相応しくない」と判断[131]、国際友好を掲げた万国郵便連合憲章の精神にも反する」として拒否し、同サービスも中止された。ただしトラブル以前に通信販売による「竹島切手」が受け付けられていたと見られ、多くの「竹島切手」が写真付き切手で製作されているといわれている[132]

なお、日本の郵政当局は北方領土については2005年に「最北の自然・北海道」として、択捉島に現存する旧紗那郵便局などを題材とする切手を発行している[133]。だが、竹島切手については島根県から要望もあったにも関わらず、日本側が韓国による竹島切手の発行を万国郵便連合憲章に抵触するとして抗議していることから[134]、今後も発行しないとみられる。

その他

「独島博物館」のレリーフ

韓国政府によって鬱陵島に建設されている「独島博物館」の八道総図のレリーフが、本来の地図とは逆に、于山島の位置が鬱陵島の東(竹島の位置)に移動してあり、于山島を竹島とする韓国の主張にあうように捏造されていることが下條正男によって指摘され[135]、「博物館という公的機関による虚偽展示の影響は計り知れない」と批判していた[136]。このレリーフは竹島が韓国領だと視覚的に示すために作られた同館のシンボルであったが、2007年の産經新聞の取材に対して、同館研究員は、位置が違う理由について「来館者がより見やすいように」と説明する一方、「日本の研究者からクレームが多く、紛争の火種になるので近く撤去する予定だ。年内には別の展示に取り換える」と同館は誤りを認めたうえで、撤去予定である旨を答えた[137]。しかし2011年、水島総が「独島博物館」を訪問したところ、このレリーフがいまだ掲示されていることが伝えられた[138]

Xbox Live

2007年秋のXbox 360アップデートにおいてユーザーのプロフィール機能が強化された。この際住所の項目には「独島」と入力することができるのに対して、「竹島」と入力すると登録できない。これが一部の利用者の反感を買い、Xbox 360のボイコットが発生、問題になったため後日「竹島」も入力できるように変更された[139]

オレゴン州自動車管理局韓国語版マニュアル

アメリカのオレゴン州自動車管理局のホームページ韓国語版における運転マニュアルに、翻訳者である韓国系アメリカ人が「独島は韓国の領土である」といった記述を数ページにわたって追加した。日本の外務省はオレゴン州政府に対し公式に抗議した。オレゴン州政府は遺憾の意を表明しこのような表現を認めたことはないと釈明、当局は直ちに閲覧中止にし、当該ファイルをウェブサイト上から削除した。翻訳者の韓国系アメリカ人は「韓国系の住民が見る物であるので問題はない」と話した[140][141][142][143][144]

韓国紙幣上の地図表記

韓国銀行2007年に100,000ウォン紙幣の図案として、表に金九の肖像を採用すると発表[145]したが、裏面の韓国国宝の古地図『大東輿地図』に原版にない独島を記入していたため、韓国国内で「文化財の改竄」と批判があった。この紙幣は2009年1月に発行中止になったが、これは従来よりも10倍の高額紙幣であること、金九が南北統一政府の樹立を主張していたことから、保守系の李明博現政権が問題視し、見送られたとの指摘[146]があるが、「文化財の改竄」が理由ではない。

脚注

  1. ^ a b c d 竹島領有権問題について 自民党領土に関する特別委員会委員長石破茂 2006年5月16日
  2. ^ (朝鮮語) "[책갈피 속의 오늘]1952년 이승만 평화선 선포", 東亜日報, 2006-01-18(2009-10-08修正). 参考日本語訳:1952年1月18日に宣言された「平和線」(李承晩ライン)は、抗日闘士・李承晩の快挙
  3. ^ 国境を守る海上保安庁”. 海上保安庁 (2004年). 2011年2月21日閲覧。
  4. ^ かつて日本政府外務省は北緯37度9分、東経131度55分と記していた。2005年(平成17年)7月に毎日新聞によって誤りが指摘されると、正しい記述に訂正された。
  5. ^
  6. ^ 日本政府外務省のパンフレット「竹島 竹島問題を理解するための10のポイント(2008年2月発行)」では、隠岐と竹島の距離を約157km、鬱陵島と竹島の距離を約92kmと記載している。これは、隠岐との距離では、両島の一番近いところを取って、鬱陵島との距離では中心間を取ったものである。
  7. ^ ほかにDokto、Tokdo、Toktoとも表記する
  8. ^ 北朝鮮も、竹島を朝鮮民族固有の領土と勝手に主張し、北南共同の歴史学者討論会を開いたり、韓国での対日抗議行動を好意的に報道している。
  9. ^ 大韓民国外務部『獨島問題概論』1955。塚本孝仮訳塚本 孝 『国際法から見た竹島問題』(PDF)、2008年10月26日、pp. 3-9.。2008年11月9日閲覧。
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  13. ^ 韓国の加盟は1991年
  14. ^ 塚本 孝 『国際法から見た竹島問題』(PDF)、2008年10月26日、pp. 3-9.。2008年11月9日閲覧。
  15. ^ 大韓民国外務部『獨島問題概論』1955。塚本孝仮訳塚本 孝 『国際法から見た竹島問題』(PDF)、2008年10月26日、pp. 3-9.。2008年11月9日閲覧。
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    • Marinomonas dokdonensis (Yoon et al. 2005)
    • Virgibacillus dokdonensis (Yoon et al. 2005)
    • Isoptericola dokdonensis (Yoon et al. 2006)
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    • Polaribacter dokdonensis (Yoon et al. 2006)
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  90. ^ Legal Status of Eastern Greenland, PCIJ, April 5th, 1933(東グリーンランドの判例)"It is impossible to read the records of the decisions in cases as to territorial sovereignty without observing that in many cases the tribunal has been satisfied with very little in the way of the actual exercise of sovereign rights, provided that the other State could not make out a superior claim. This is particularly true in the case of claims to sovereignty over areas in thinly populated or unsettled countries."[6]
  91. ^ THE MINQUIERS AND ECREHOS CASE "The Court does not, however, feel that it can draw from these considerations alone any definitive conclusion as to the sovereignty over the Ecrehos and the Minquiers, since this question must ultimately depend on the evidence which relates directly to the possession of these groups.[7]
  92. ^ CASE CONCERNING SOVEREIGNTY OVER PULAU LIGITAN AND PULAU SIPADAN "The Court finally observes that it can only consider those acts as constituting a relevant display of authority which leave no doubt as to their specific reference to the islands in dispute as such."[8]
  93. ^ 塚本 孝 『国際法から見た竹島問題』(PDF)、2008年10月26日、pp. 3-9.。2008年11月9日閲覧。
  94. ^ 皆川 洸 「竹島紛争と国際判例」『国際法研究』 有斐閣、1985年、pp. 212-221.。ISBN 9784641045682
  95. ^ 日本が1854年、米国と小笠原群島の領有権をめぐって争う過程で、独島(ドクト、日本名・竹島)と鬱陵島(ウルルンド)が‘朝鮮に属する’(a La Coree)と明示されたフランス版地図を提示しながら、小笠原群島の領有権を獲得したと、世宗(セジョン)大の保坂祐二教授(49)が主張した。[9]
  96. ^ 『河北新報』に掲載された林子平を題材とする新聞小説が元ネタだそうです(若松正志「小笠原諸島の領有と林子平恩人説の展開」『日本史研究』536, 2007.4, p.103)[10]
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  99. ^ 編入当時の典型的な国際法の解説書として、立作太郎訳述『ホール氏国際公法』東京法学院1900。原著William Edward Hall, A Treatise on International Law, 4th ed. Oxford: Clarendon Press, 1895。またエリトリア-イエメンの判例[11]においても、国家の許可を受けた個人の活動や軍事基地の建設は実効支配として有効とされる。
  100. ^ 『「独島は韓国領」…保坂祐二教授、19世紀の日本地図公開』 朝鮮日報 2006年10月25日
    保坂教授は「日本地図は1871年に本土に併合された沖縄と1876年に帰属した小笠原諸島さえも下段に別途表示したほどなのに、独島と鬱陵島は出ていない。結局“17世紀中ごろから独島を領有した”という日本の主張がウソなのがわかる。」と述べている。
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  107. ^ [12]
  108. ^ The Embassy has taken note of the statement contained in the Ministry's Note that "Dokdo Island(Liancourt Rocks)...is a part of the territory of the Republic of Korea". The United States Government's understanding of the territorial status of this islands was stated in Assistant Secretary of State Dean Rusk's note to the Korean Ambassador in Washington dated August 10, 1951.[13][14]
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  110. ^ 独島研究ジャーナル 2009年度/秋号(第7号)pp.62-70
  111. ^ ヴァン・フリート特命報告書原文:The United States Government has consistently taken the position that the unilateral proclamation of sovereignty over the seas is illegal and that the fisheries dispute between Japan and Korea should be settled on the basis of a fisheries conservation agreement that would protect the interests of both countries.
  112. ^ ヴァン・フリート特命報告書原文:When the Treaty of Peace with Japan was being drafted, the Republic of Korea asserted its claims to Dokto but the United States concluded that they remained under Japanese sovereignty and the Island was not included among the Islands that Japan released from its ownership under the Peace Treaty.
  113. ^ ヴァン・フリート特命報告書原文:Our position has been that the dispute might properly be referred to the International Court of Justice and this suggestion has been informally conveyed to the Republic of Korea.
  114. ^ PRINCIPLES OF PUBLIC INTERNATIONAL LAW by Ian Brownlie "The very considerable derogation of sovereignty involved in the assumption of powers of government by foreign states, without the consent of Germany, did not constitute a transfer of sovereignty. A similar case, recognized by the customary law for a very long time, is that of the belligerent occupation of enemy territory in time of war. The important features of 'sovereignty' in such cases are the continued existence of legal personality and the attribution of territory to that legal person and not to holders for the time being."
  115. ^ United States Department of State  (1976). Foreign relations of the United States, 1949. The Far East and Australasia (in two parts) Volume VII, Part 2, pp. 898-900. 
  116. ^ Schieffer, J. Thomas  (2006-04-20). “The Ambassador and VFM Yachi discuss Liancourt”. WikiLeaks. WikiLeaks cable:06TOKYO2154. 2011年9月17日閲覧。
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  127. ^ 「竹島切手」
  128. ^ 実際には多くが日本で配達されたとの指摘もある
  129. ^ 『韓国訪問の年』の記念切手の一つとして発行。図案に著名な観光地や民族舞踊なども含む20種にもおよぶ大セットであったため、日本では韓国切手収集家以外にはほとんど認知されていなかった。
  130. ^ 竹島切手騒動記
  131. ^ 切手収集雑誌「郵趣」(日本郵趣出版刊)による。
  132. ^ [17]
  133. ^ 最北の自然・北海道
  134. ^ 竹島切手騒動記
  135. ^ 『竹島は日韓どちらのものか』 文藝春秋〈文春新書〉、2004年4月
  136. ^ “初歩的ミス?歪曲?独島博物館の竹島位置に誤り”. 産経新聞. (2007年5月5日) 
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  138. ^ 2011年8月23日zakzakサイテー韓国、日本人を犬・サル扱い…一触即発の最大侮辱
  139. ^ Xbox.com | ワードフィルタリングに関する重要なお知らせ
  140. ^ '竹島:「韓国領土」と免許取得HPに 米国オレゴン州' 毎日新聞, 2007-12-28. "米国オレゴン州が公式に開設している車の運転免許取得方法を記載したホームページの韓国語版に「独島(竹島)は韓国領土」などとハングルで記された車のイラストなどが掲載されていたことが分かった。日本の外務省は「竹島に関する不適切な表記」として州に遺憾の意を伝え、州は閲覧中止の措置にした。"
  141. ^ "Oregon and Korea"、削除されたページ youtube, 2007-12-11.
  142. ^ Oregon Department of Motor Vehicles, Driver Manual (Korean version) Temporarily Unavailable, 2007-12-24.
  143. ^ 米国オレゴン州の公式HPに竹島についての不適切な表記がなされていた件に関する質問主意書, 衆議院 2008-04-25.
  144. ^ 衆議院議員鈴木宗男君提出米国オレゴン州の公式HPに竹島についての不適切な表記がなされていた件に関する質問に対する答弁書, 衆議院, 2008-04-25.
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  146. ^ 韓国、10万ウォン札の発行中止 肖像や図案が原因? asahi.com 2009年1月22日配信、2009年3月2日配信

参考文献

関連項目


外部リンク

日本
韓国
  • 海洋水産部 (韓国)竹島問題についてはほとんど触れていない。
  • サイバー独島慶尚北道
    • 慶尚北道の公的サイトで各国語で翻訳されているが、トップページの竹島(独島)の地図は竹島(独島)の位置が韓国寄りに記され、日本の領海を意味するような点線では対馬や隠岐が外されていた。また日本のみ黒く表示されていたが、2008年1月全面的に更新され削除された。
  • 独島博物館
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