突撃歩兵

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突撃歩兵(とつげきほへい、: Stoßtruppen)とは、第一次世界大戦中において、硬直化していた塹壕戦を打破する目的で考案された部隊である。突撃歩兵については、仏Andre Laffargue大尉による提言、伊Ciuseppe Bassi中佐によるアルディーティ隊の創設などがあるが、ドイツ突撃隊が有名である。本項は主にドイツ突撃隊を取り上げる。

名称について[編集]

突撃歩兵の名はドイツ語のStoßtruppe シュトース・トゥルッペ(複数形 Stoßtruppen シュトース・トゥルッペン) の訳語で、直訳すると衝撃部隊の意味である。Stoßが日本では「突撃」と翻訳されて定着しているため、突撃歩兵と和訳されている。しかし、ドイツ軍の教本では「攻撃とは運動、射撃、衝撃(Stoß)及びこれが指向する方向によって効果を発揮する」と定義されており、ドイツ軍では射撃と運動に合わせて衝撃を重要視していた。このようにStoßの本来の意味は衝撃であり、英語でもshock troopsと翻訳されている。しかし、日本では衝撃部隊などと訳されることはまれである。その他、特攻隊などの和訳があてられることがある。

歴史[編集]

ドイツ軍で公式的に突撃歩兵が誕生したのは、1915年3月第18工兵大隊長カスロウ(Calsow)少佐によって編成された部隊である。これは指揮官の名を取ってカスロウ突撃隊と呼ばれる。戦前から攻囲戦の訓練をしていたのは工兵であり、西部戦線の強力な塹壕を突破するにふさわしい新部隊、新戦術を創造する役目も工兵が中心となって行うこととなった。

塹壕を突破する歩兵にとって一番の悩みは敵側防機関銃だった。散開隊形で突撃を行っても、その驚異的な発射速度によって歩兵たちはバタバタと射すくめられていった。この問題を解決するためクルップ社で37ミリ軽砲が開発された。

突撃隊最初の任務はフランスでの前線守備だった。新兵器の37ミリ軽砲も前線へと持って行かれた。だが部隊はフランス軍の砲撃などによって大損害を被っている。37ミリ軽砲を使用するや否や、その発射光によって容易に場所を特定され、フランス砲兵の標的とされたからである。クルップ社の37ミリ軽砲は前線では全く役に立たなかった。

兵器[編集]

MP18を持つ突撃歩兵: 1918年春 北フランスにて

突撃歩兵には敵陣へ向けて疾走できる脚力を持つ若者が集められ、その兵器としては手榴弾に加えて“軽量機関銃”が必要とされた。ドイツにおいては、1915年から塹壕戦の需要に応え得る“軽量機関銃”の開発が進められていた。 当初は自動拳銃をフルオートで射撃できるよう改造したマシン・ピストルや、62kgもあったMG08重機関銃を18kgまで軽量化して3名で携帯可能としたMG08/15などが検討されたが、いずれも能力・重量において不適格と判断され、1917年になっても“軽量機関銃”プランは実現していなかった。

攻勢を前にして、“軽量機関銃”を実用化する必要に迫られたドイツ軍は、MG08を空冷化して15kgまで軽量化を進めたMG08/18を製造するとともに、簡易な構造で拳銃弾をフルオート射撃できる短機関銃を考案した。

全く新しいジャンルの兵器であり、当時は現物が存在していなかった短機関銃だったが、MG08/18で後方から敵陣に牽制射撃を加えながら突撃歩兵が敵陣まで疾走して肉薄すれば、短い射程の拳銃弾でも充分な制圧火力が発揮でき、手榴弾の投擲と合わせれば確実に敵の機関銃を制圧できる事が想定された。なにより単純な構造であれば、攻勢に間に合うだけの短期間で製造できる事が期待された。

ドイツ軍から短機関銃のコンセプトを打診されたベルクマン武器製造社は短機関銃の開発を進め、テオドール・ベルグマンとルイス・シュマイザー及びオットー・ブラウスベッターが協力して短機関銃を試作し、翌1918年にはこれが制式化されてMP18と命名された。このMP18こそ、突撃歩兵の中核を担う武器であり、大戦の終結後も世界中に輸出され、ドイツ式の軍隊である国民党軍などでも使用された。

戦術[編集]

突撃歩兵は第一次世界大戦で塹壕を突破するために浸透戦術を行うための部隊として編成された。 戦術の詳細については浸透戦術を参照

参考文献[編集]

関連文献[編集]