程ヶ谷宿

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保土ヶ谷宿・帷子橋
歌川広重『東海道五十三次』より)
現在の帷子橋跡(天王町駅前)
宿場跡
葛飾北斎冨嶽三十六景・東海道程ヶ谷」

程ヶ谷宿(ほどがやしゅく、ほどがやじゅく、保土ヶ谷宿とも書く)は、東海道五十三次の4番目の宿場である。東海道では武蔵国最西端の宿場町である。

目次

概要 [編集]

1601年慶長6年)、武蔵国橘樹郡程ヶ谷(現在の神奈川県横浜市保土ケ谷区)に置かれた。

程ヶ谷町、岩間町、神戸町、帷子町の四町からなり、神奈川宿から南西に進んだ旧東海道は、芝生村から江戸見附(現在の天王町駅付近)を越えて宿場へ入り、帷子橋を渡って下岩間町・帷子田町・下神戸町・帷子上町・上神戸町・上岩間町・程ヶ谷町と町並みが続く。程ヶ谷町には問屋場や助郷会所などがあり、さらに現在の東海道線踏切を越えた保土ヶ谷橋交差点付近にあった本陣で大きく西に折れ、茶屋町の先にあった上方見附を経て宿場を出ると元来宿場のあった元町を通り、権太坂を登って東戸塚駅方面へ進む。

1648年慶安元年)までは元町付近に宿場があり、東海道も西北の位置にあったが、新町(下岩間町 - 程ヶ谷茶屋町)が起立して道筋も変更になった。新町起立の経緯や道筋変更の由来は現在も明らかになっていない。なお、程ヶ谷宿の正式なエリアは芝生村追分(現在の横浜市営バス浅間町営業所付近)から境木立場(境木地蔵尊付近)までとされており、このため権太坂を程ヶ谷宿に含めることが多い。

本陣 [編集]

本陣は後北条氏の家臣・苅部康則の子孫が代々勤め、明治に軽部姓へ改称して現在も同地に居住している。同家は、横浜町の総年寄も務めた。また、横浜道の開発者でもある。吉田勘兵衛高島嘉右衛門らとともに横浜三名士といわれる。

旧街道 [編集]

東海道の他、以下の街道が程ヶ谷宿周辺から分岐していた。

金沢鎌倉道
金沢横町 - 清水が丘 - 弘明寺 - 上大岡 - 杉田( - 金沢八景) - 円海山 - 鎌倉
八王子道
追分 - 町田 - 八王子 - 甲州街道
大山道(相州道)
大門 - 川島 - 二俣川 - 大和 - 厚木 - 大山

名所・旧跡 [編集]

(東京側より)

  • 江戸方見附跡:東京側の見附
  • 旧帷子橋跡
  • 助郷会所跡
  • 問屋場
  • 高札場跡
  • 金沢横町道標
  • 本陣
  • 一里塚:江戸から8番目の一里塚
  • 上方見附跡:京都側の見附
  • 権太坂:程ヶ谷宿を出て戸塚宿へ向かう坂

隣の宿場 [編集]

神奈川宿 - 程ヶ谷宿 - 戸塚宿