福村利明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福村 利明
福村 利明
生誕 1905年10月2日
日本の旗 日本 熊本県
死没 (1944-05-15) 1944年5月15日(38歳没)
インド洋
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1929 - 1944
最終階級 海軍少将
テンプレートを表示

福村 利明(ふくむら としあき、1905年明治38年)10月2日 - 1944年昭和19年)5月15日)は、日本海軍軍人海兵54期卒。戦死による二階級特進で、最終階級海軍少将

経歴[編集]

熊本県出身。1905年明治38年)10月2日、福村卯吉の二男として生まれる。中学済々黌の出身で、林正義は同級生であった[1]。のち林とともに王師会の結成に加わる[2]1926年大正15年)3月、海軍兵学校54期)卒業。1927年昭和2年)10月、海軍少尉任官1929年(昭和4年)11月、海軍中尉に昇進し第一遣外艦隊司令部付となる。

1930年(昭和5年)4月、霧島乗組となり、出雲乗組、第5駆逐隊付、波風乗組、第3艦隊司令部付、常磐乗組、安宅乗組を歴任。1932年(昭和7年)12月、海軍大尉に進級し運用術練習艦航海学生となる。

1933年(昭和8年)5月、伊号第62潜水艦乗組となり、伊号第71潜水艦伊号第69潜水艦伊号第1潜水艦野島の各航海長などを経て、1938年(昭和13年)6月、駒橋分隊長に就任。同年11月、海軍少佐に進級。1938年(昭和13年)6月、呂号第34潜水艦乗組となり、第3潜水戦隊参謀を経て、1941年(昭和16年)4月、第6艦隊参謀に就任し太平洋戦争を迎えた。

1942年(昭和17年)11月、伊号第159潜水艦長に転じ、1943年(昭和18年)2月、伊号第27潜水艦長に異動。同年11月、海軍中佐に進級。インド洋などで通商破壊任務を遂行した。1944年(昭和19年)5月15日、インド洋で戦死し、二階級特進海軍少将に任ぜられた[3]。通商破壊任務だけで二階級特進したのは福村のみである。

出典[編集]

  1. ^ 林正義『5・15事件』新人物往来社
  2. ^ 『日本陸海軍総合事典』「諸名簿」 王帥会メンバー
  3. ^ 昭和20年11月14日付 海軍辞令公報 甲 第1982号。辞令公報が発行された日付が示すとおり、戦後になって進級が認められたものであるため、1945年4月の全軍布告はありえない。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 板倉光馬『どん亀艦長青春記』光文社NF文庫 1995年。