禁野車塚古墳

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禁野車塚古墳
禁野車塚古墳 01.JPG
禁野車塚古墳の碑
位置 北緯34度48分39秒
東経135度39分26秒
所在地 大阪府枚方市宮之阪5-381
形状 前方後円墳
規模 全長120m
後円部高さ9.9m
築造年代 3世紀末~4世紀初頭
被葬者 不明
出土品 埴輪など
史跡指定 1972年昭和47年)国指定
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禁野車塚古墳(きんやくるまづかこふん)は、大阪府枚方市京阪電鉄交野線宮之阪駅徒歩5分のところにある大阪府内最古級の前方後円墳で、前方部を西に向けている。

概要[編集]

1972年に国の史跡に指定された。この古墳は4世紀末から5世紀初頭に造られたと推定されている。「この古墳にはツチノコが住んでいて、いたずらしようとする者に祟りを与える」といういい伝えが残っている。現在では小さな公園となっている。 枚方市は同古墳と周辺の整備をし、史跡公園を作る計画を進めている。

2008年の測量調査[編集]

 淀川流域前期古墳研究調査団の調査会が、2008年に関西京都橘京都府立の3大学と調査団をつくり8月に測量調査を行った[1]。その結果、墳丘全長もこれまでより約10メートル長い約120メートルと判明した。また、前方部がばち形、後円部からくびれ部にかけてのスロープの存在、墳丘幅が最も狭い部分が前方部に存在する、などの特徴が箸墓古墳と共通し、縮尺を調整して測量図を重ねると等高線がほぼ一致したことから、相似墳であると発表した。これによりこれまでに出土した埴輪から4世紀の築造とされてきた禁野車塚古墳の築造時期が、3世紀末から4世紀初めに遡るとみられる。

禁野車塚古墳では、ヤマト王権発祥の地である奈良盆地南東部に分布する前期古墳の竪穴式石室と同じ材質(大阪府柏原市の芝山産)の石材が出土していることや丘陵を利用せずに平地に盛り土で造られたという特徴が箸墓古墳と共通していることから、これまでにも初期ヤマト王権と関係のある人物が埋葬された可能性が指摘されてきた。

大きさ[編集]

  • 全長 110m
  • 後円部の高さ 9.9m
  • 前方部の高さ 4m
  • 後円部径 57m
  • 前方部幅 40m

脚注[編集]

  1. ^ 朝日新聞関西版 2008年12月11日『大阪・枚方の古墳、奈良の「卑弥呼の墓」と規格が一致』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

禁野車塚古墳(枚方市HP)