神川彦松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神川 彦松(かみかわ ひこまつ、1889年12月23日 - 1988年4月5日)は、日本国際政治学者

経歴[編集]

三重県生まれ。第一高等学校卒業後、東京帝国大学法学部国際政治学を専攻する。同じ東京帝大法学部の同期に南原繁がいる[1]

1923年から東京帝国大学法学部教授。1940年皇紀2600年の記念に大正製薬創業者・初代社長の石井絹治郎らと共に皇道文化研究所を設立した。1929年、東京大学より法学博士を授与(論文タイトルは『国際聯盟政策論』[2])。

1947年、公職不適格と認定され、東京大学を去った[3]1950年に公職不適格認定が解除され、東京大学名誉教授となると同時に明治大学教授に就任[1]1953年日本学士院会員となり、日本国際政治学会日本国際問題研究所の設立にも関わりそれぞれ初代理事長・初代所長を務めた[1]1965年からは国士舘大学に移るが、晩年には東京大学法学部との関係は疎遠になっていた[1]

戦前より外交文書をまとめた「日本外交文書」編纂の必要をくり返し政府に提言し、初期の編纂委員として作業を行ったことでも知られる。

長男は政治学者の神川信彦、三男に哲学者の神川正彦、さらにコピーライターの神川秀彦がいる。戦後の教え子に渡辺昭夫などがいる。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『國際聯盟政策論』(政治教育協會, 1927年/復刻版, 日本図書センター, 2004年)
  • 『ビスマルク保障政策史論に就て――國際政治史論の本質及方法への一考察』(有斐閣, 1934年)
  • 『外交と国民性――特に英、仏、独を中心に』(社会教育協会, 1939年)
  • 『世界大戰原因論』(岩波書店, 1940年)
  • 『米国参戦問題』(朝日新聞社, 1941年)
  • 『近代國際政治史(上・中・下1-2)』(實業之日本社, 1948年-1950年/原書房, 1989年)
  • 『国際政治学概論』(勁草書房, 1950年)
  • 『日本外交の再出発――祖国の自由と独立のために』(鹿島研究所出版会, 1960年)
  • 『日本政治の再出発――祖国の自由と民主化のために』(鹿島研究所出版会, 1961年)
  • 『日本の新しいイメージ――日本国民の自主憲法のあり方』(鹿島研究所出版会, 1964年)

編著[編集]

  • 『山田教授還暦祝賀論文集』(有斐閣, 1930年)
  • 『外交史論文集――立教授還暦祝賀』(有斐閣, 1934年)

共編著[編集]

  • 横田喜三郎)『國際條約集』(岩波書店, 1941年)
  • 市川正明)『南北統一への道』(心情公論社, 1972年)

著作集[編集]

  • 『神川彦松全集(全10巻)』(勁草書房, 1966年-1972年)
    • 1巻「国際政治学概論/国際聨盟政策論」
    • 2巻「近代国際政治史(上・中)」
    • 3巻「近代国際政治史(下)」
    • 4巻「近代国際政治史要/大観国際政治史/第一次世界大戦原因論ほか」
    • 5巻「日本外交の再出発」
    • 6巻「日本政治の再出発」
    • 7巻「国際政治学研究論文」
    • 8巻「国際政治史研究論文」
    • 9巻「世界国際政治史時事論文集」
    • 10巻「日本国際政治史時事論文集」

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 今野元 2010, p. 117.
  2. ^ 国立国会図書館. “博士論文『国際聯盟政策論』”. 2023年4月7日閲覧。
  3. ^ 今野元 2010, p. 116.

参考文献[編集]

  • 今野元「東京大学法学部における「国際政治史」の百年――神川彦松・横山信・高橋進・ディアドコイ」『思想』第1107号、岩波書店、2016年、113–130頁。 

関連事項[編集]