神宗 (宋)

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第5 代皇帝
神宗 趙頊
政権 北宋
廟号 神宗
諡号 体元顕道法古立憲帝徳王功英文烈武欽仁聖孝皇帝帝
姓・諱 趙頊
生没年 1048年 - 1085年
在位期間 1067年 - 1085年
英宗
陵墓
元号 熙寧:1067年1077年
元豊:1078年1085年

神宗(しんそう、1048年 - 1085年、在位は1067年 - 1085年)は、北宋の第6代皇帝で、第5代皇帝英宗の長男。は始め仲鍼であったが、立太子後にと改めた。

目次

[編集] 生い立ち

1066年皇太子となり、翌年に英宗の崩御により即位した。

[編集] 王安石の登用

即位後は地方で政務実績に定評のあった王安石を登用し国家再建に乗りだした。王安石による改革は「政・官・財・軍事」の仕組みを再編して朝廷を効率化し、結果として賦税負担を軽減することでの国の発展を目標とするものであり、神宗もその王安石の理念に同意し全権を与えた。

しかし、改革は大地主や大商人をはじめ、皇族などの既得権益を犯す内容を含んでいたため、保守派から大きな反対運動が引き起こされた。官界でもその反対運動に参加するグループ(後に旧法派と称される)が誕生し、政務放棄により王安石へ対抗する。

王安石は宰相の権限を活用し、これらの反対勢力を徹底的に押さえ込んだ。そして司馬光文彦博など反対派グループに次々と処罰を加えた。この時、図書館司書長という閑職に左遷された司馬光は、逆にこの機を利用して『資治通鑑』編纂を行い、他の旧法派官僚も民間で文学や詩文・絵画・教育など文人として活動し、社会に新しい潮流を生み出した。これは神宗と王安石が、旧法派の政治以外の社会的地位について保証し、活動の自由を与えたことによるものであり、王安石の時代を旧法派が弾圧された時代と負の面で評価されることもあるが、現実には旧法派も活動する時代であった。

神宗
神宗

神宗はこの旧法派の勢力に動揺したが、王安石による説得も行われ新法運動は継続されてゆく。また新法実施地域を全国に拡大し、更なる改革が行われた。また旧法派に対抗策として王安石派の呂恵卿曾布などの実務官僚を次々と抜擢していった。

しかし熙寧7年(1074年)、天災が相次ぎまた新法派内部で政策意見の不一致が発生したことから神宗は王安石を解任する。それでも王安石の同僚だった韓絳や腹心の呂恵卿のが政権を担当し、新法運動は引き続き継続されていく。こうした中、翌年呂恵卿が上司に当たる韓絳と不和となり、独善的な政策決定を行い新法活動を無力化しようとしていることに対抗すべく、再び王安石を登用し政権運営をゆだねることとなった。

再度任用された王安石は、周辺諸国との外交交渉により辺境の安定を求め軍事費を大幅に削減することに成功する。国内では旧法派を押さえ込み、新法の全国実施がなされたことで国家財政も好転、また賦税の負担を少なくすることで農村共同体の再生に成功し治安も改善された。

しかし、今度は王安石を指示する新法党に内部分裂が発生、権力闘争が引き起こされた。また後継者である息子の王雱が病死したことや、神宗自身が王安石の平和外交や政権運営方法に不満を示すようになっり、王安石は新法への意欲を失い朝廷から去ることになった。

[編集] 元豊への改元

元豊と改元されると改革は神宗が主導することで断続的に継続した。内部分裂した新法派も神宗が直接統治を行ったことや、蔡確という実務官僚が登場してきたことにより意見の集約が進むこととなった。神宗は既存の新法に加えて、改革により発生した財政的な余裕を活用した政策を実施していく。国内政府をより効率的に動かせるために官僚の員数を大幅に削減し、また朝廷による官僚管理も進められた。更に青苗法市易法などを更に改善し、民間経済に朝廷の影響力を強める施策がとられた。また王安石との相違点としては軍事方面に注力したことが挙げられる。

元豊時代の政策は神宗独自のものであると捉えられることがあるが、軍事面以外の政策は基本的に王安石の政策と類似したものあり、この時期の改革は新法を実情に合わせ修正したものである。そして神宗治世後半には新法が全国に適用され、北宋の全盛期を迎えることとなった。国内の改革に成功した神宗は西夏への侵攻を計画する。しかしこの軍事行動は失敗に終わっている。

西夏との敗北を期に健康を害した神宗は元豊8年(1085年)に38歳で崩御する。故郷で新法改革を見ていた王安石は神崩の知らせを受けるやそのまま病床につき、政権を旧法派の宣仁太后が掌握し、新法廃止の知りそのまま病死した。神宗の死を境に宋は急速に衰退していくこととなる。

[編集] 評価

神宗は王安石を任用し新法改革を行い宋を一時的に中興したことで高く評価されるが、その改革を巡り官人を分裂させ、また新法改革の継承にも失敗した面では負の評価がされることもある。


先代:
英宗
北宋の皇帝
1067 - 1085
次代:
哲宗