神との対話

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神との対話は、米国人ニール・ドナルド・ウォルシュ(Neale Donald Walsh)著作の書籍。原著は英文(英文タイトルは、Conversations with God)である。1998年時点で24か国語に翻訳され、何カ月も続けて国際的にベストセラー・リストに登場した。

日本語訳は、吉田利子によるもので、サンマーク出版から、第1部が1997年に、第2部が1998年、第3部が1999年にそれぞれ発刊されている。

さらに、ニール・ドナルド・ウォルシュは、続編として「神との友情」(Friendship with God)2部作を 2000年に、「神とひとつになること」(Communion with God)を 2001年、「新しき啓示」(The New Revelations)を 2003年、「明日の神」(Tomorrow's God)を 2006年に執筆出版し、2007年に出版された「神へ帰る」(Home with God)で、神との対話シリーズを完結させている。

また、ニール・ドナルド・ウォルシュは、これらのシリーズに共通する「ただひとつであるわたしたち(ワンネス)」という概念を広めるため、2003年にヒューマニティ・チームを創設した[1]。ヒューマニティ・チームは、2010年に「ワンネスの日」制定のための署名運動を世界規模で行い、168カ国から寄せられた5万人の署名を国連へ提出した[2]

沿革[編集]

著者ウォルシュの生い立ち[編集]

著者は、小学生時代、神父のような聖職者になることが夢だった。それは父親の反対でかなうことなく、マスコミ関係の仕事を手始めに、医学政治などいろいろなことを経験している。

私生活では、複数回の離婚を経験し、時にはホームレスの生活をしたこともある。まさに聖職者からホームレスというありとあらゆることを経験し、波乱万丈の人生を送っている。

彼は、『神との対話』をおこなって、「自分の人生は、今のためにあったと気付いた」と述懐している。

『神との対話』が始まったいきさつ[編集]

著者は、1992年のある日、行き詰まった人生に憤怒し、テーブルに置いてあったノートに怒りや失望の思いを、神に当てて書きなぐった。

書き終えてしばらくすると、自分のペンを持つ手が、何者かの力に拘束され、の言葉が、自動的にノートに書き始められた。それは、「まるで口述筆記をしているようだった」と著者は述べている。

彼の質問に、神が答えるという対話形式で書かれている。

概要[編集]

神の宇宙創造[編集]

神の宇宙創造は、すべての根源である神が、自らの性質(神性)を体験するために、自分の姿に似せて被造世界を創造した。

「存在のすべて」である神は、絶対の存在であるため、概念としての知識はあったが、体験としての知識はなかった。そこで、相対的な世界、すなわち被造世界を創造し、体験的に、あるいは実感的に、自らの神性を知ろうとした。

被造世界は、物質的世界と、的世界からなっている。

魂の創造[編集]

神は、神自身の性質と能力を分与したを創造した。魂は、宇宙創造の時に、決められた数だけ創造されている。

神の分身である魂が、物質的世界の人間に宿ることにより、いろいろな体験をする。人間は、-精神-身体という3層になっている。

魂自身が自らを体験的に知ることによって、神自身も自らを体験的に知ることができる。

人間の創造と人間の構成要素[編集]

人間は、魂の乗り物として、創造された。人間は、魂、精神、身体からなっている。

魂は、神の分霊として個別性をもちながらも、全てがつながっている。

人生[編集]

魂には、無数の神性が、概念としての知識として付与されている。

人生は、魂が、その宿った人間の生活活動を通して、神性を実体験して、体験としての知識に変えていく過程である。すなわち、現実の生活に起こるさまざまな出来事をツール(道具)として、人間が考え行動することによって、概念としての神性を体験して、体験としての知識を体得していく。

人間関係は、自分と他人との関係性の中で、自分自身を表現し、経験することのできる重要な場である。

人間関係の目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、本当の自分になっていくことである。

生と死[編集]

『神との対話』でいう「生命」は、ほぼ、「魂」と同じニュアンスで使われている。

死は、魂が宿った身体から、離れる時をいう。しかし、本来の自己とは、魂そのものであるから、人間の身体の死はあっても、生命(すなわち魂)は死ぬこと(失われること)はない。ただ、形を変えるだけなのである。

死後、魂は霊的世界に入る。そして魂の成長が未完成の時、魂自身の希望により再び物質的世界に戻って、別の人間に宿り、未体験、未完成な部分を、新しい人生の体験を通して成長、完成させていく。

前世・現世・来世[編集]

魂は、自己を完成させるために、現在の人生(現世)を通じて神性を体験するが、その人間の個体で、体験できる内容が尽きると、身体から離れて(死)、霊的世界(来世)に行く。

そして、さらに神性の新しい体験を希望・意図したときに、再び現世に戻って、別の人間に宿る(輪廻)。

魂には、前世の全ての体験が、記憶されている。

地獄[編集]

既存の宗教がいう地獄はない。

地獄は存在するものではなく、自分自身が創り出し、自分自身が体験するものだ。

成長の低いレベルの魂は、自ら低いレベルの現実を創り出す。その最低のレベルが、地獄なのである。

『神との対話』の内容とキリスト教教理の相違点[編集]

堕落と原罪[編集]

キリスト教では、人間の始祖である、アダム(男)とエバ(女)が、エデンの園で、神から取って食べてはならないと言われた、善悪を知る木の実を、ヘビの誘惑によって、食べるという罪を犯し、堕落したため、それ以後の子孫は、生まれながらに原罪を負って、生まれている、と説く。ヘビも堕落して悪魔となった。

『神との対話』では、エデンの園の神話の本質は、神の最初の祝福を、表現していると説く。

人間は魂の乗り物として、人生で神性を体験していく。魂の宿った最初の人間は、相対的世界で、ゼロから神性の体験を始める。善悪を知る木の実を食べたということは、相対的世界の体験を、人間が始めたという祝福すべき船出を意味している。

人間に原罪はなく、悪魔は存在しない。

キリストと救済[編集]

キリスト教では、原罪を生まれながらに持っている人間を救済するために、神から、イエスキリストが遣わされた。

イエスキリストは、罪人(人類すべて)の罪を、自らが背負って、十字架上で亡くなり、3日目に復活した。そのイエスキリストを、信じることによって、人間は原罪から解放され、神に許される、というのが、キリスト教の救済論である。

『神との対話』では、神は絶えず、魂を通して、自然を通して、多くのマスター(師)を通して、人間を導いているという。マスターとは、輪廻を繰り返して、神性を体得し、悟りのレベルに到達した、魂(の宿った人間)をいう。

イエスキリストは、マスター(師)のうちでも、最高のマスターの一人であるといっている。そして、イエスキリストを信じて求める者には、今も霊的に、導いているといっている。

輪廻と地獄[編集]

一般的なキリスト教では、輪廻は、説いていない。人間は、死ねば、霊界に行き、その人間の生き方の良否によって、それぞれ、天国、地獄、煉獄(天国と地獄の中間)に、行く。

大罪を犯し、イエスキリストによる贖罪(罪のあがない)を受けなければ、地獄に行くと、教えている。

『神との対話』では、輪廻を説いている。現世で神性を体験した魂は、死んで来世に行く。その魂が、さらなる神性の体験を希望した時、現世に戻ってくる。これを繰り返す(輪廻)といっている。

『神との対話』では、地獄は、存在しているものではなく、来世において、魂の最低の成長レベルによって、自ら創り出し、経験するものだと、いっている。

選民と宗教[編集]

旧約聖書には、人間始祖のアダムとエバ以後、その子孫が増えて、ユダヤ民族となり、堕落によって追放されたエデンの園に、再び帰っていく歴史が書かれている。

ユダヤ民族は、神の国を建設するべく、神に選ばれた民族で、それを選民といっている。

『神との対話』では、旧約聖書は、一民族での歴史的物語で、人間始祖は、地球上の複数の地で誕生しているといっている。

そして、神にとって特別な民族というものは無く、すべての人間、民族が、神にとっては、神の分身という特別な存在であり、神性を体験する道を、等しく歩んでいるという。

宗教はどの宗教も、神に至る道を教えているといっている。しかも、どの宗教にも優劣はなく、すべての宗教が、神に至る道を示す、一つの教えだといっている。

脚注[編集]

外部リンク[編集]