石祗
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| 新興王 石祗 | |
|---|---|
| 後趙 | |
| 第7代皇帝(王) | |
| 王朝 | 後趙 |
| 在位期間 | 350年閏2月 - 351年4月 |
| 都城 | 襄国 |
| 姓・諱 | 石祗 |
| 生年 | 不詳 |
| 没年 | 永寧2年(351年)4月 |
| 父 | 武帝 |
| 年号 | 永寧 : 350年 - 351年 |
石祗(せき し)は、五胡十六国時代の後趙の第7代(最後)の皇帝(王)。
生涯 [編集]
武帝石虎の庶子として生まれる。青龍元年(350年)に第6代皇帝の李鑒が石閔(冉閔)によって殺害されると、襄国(現在の河北省邢台)で皇帝として即位した。6月には非漢族を糾合して冉閔が建てた冉魏の都鄴を10万の兵で攻撃したが敗北した。10月には冉魏の10万の兵に襄国を包囲された。永寧2年(351年)には帝号をやめて趙王を名乗り、前燕に援軍を求めて、2月に合同して冉魏軍を破った。劉顕に7万の兵で鄴を攻撃させたが敗北した。
冉魏に寝返った劉顕によって4月に一族と共に殺された。これにより、後趙は滅亡した。
父母 [編集]
- 父:太祖武帝(石虎)
兄弟 [編集]
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