石井琢朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石井忠則から転送)
移動: 案内, 検索
石井 琢朗 (石井 忠徳)
広島東洋カープ 選手兼任コーチ #25
HC-Takuro-Ishii.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県佐野市
生年月日 1970年8月25日(41歳)
身長
体重
174cm
78kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手三塁手
プロ入り 1988年 ドラフト外
初出場 1989年4月13日
年俸 2,700万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴
  • 広島東洋カープ (2012 - )

石井 琢朗(いしい たくろう、本名:石井 忠徳(いしい ただのり)、1970年8月25日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手内野手)。栃木県佐野市出身。日本プロ野球での遊撃手最多試合出場記録保持者(2011年現在)。

目次

[編集] 経歴

[編集] 野手転向まで

小学校3年生から野球を始める。プロへ進むには強豪高に入って甲子園に出場することが近道と考え[1]栃木県立足利工業高等学校に進学。2年時に夏の甲子園投手として出場。3年時には投手としての自信をなくしプロ入りを諦めて東洋大学への進学を考えていた[1]が、スカウトの江尻亮に見出され1988年ドラフト外横浜大洋ホエールズに入団した[2]。1年目の1989年4月13日広島東洋カープ戦で一軍初登板。同年10月10日ヤクルトスワローズ戦で初先発勝利を挙げる[2]。その後二軍では好投するものの一軍で結果を残せず、また高校時代に行っていた打撃・走塁練習がプロでは投手のためできないこともあり、3年目のオフに須藤豊監督に野手転向を申し出、一度は拒絶されたものの最終的に認められた[1][2]

[編集] 野手転向後

翌年の1992年から内野手に転向し、同時に登録名を石井琢朗に変更。シーズン後半には転向1年目にして清水義之から三塁手の定位置を奪った。1993年にチーム名が横浜ベイスターズに変更されたのを機に背番号を0に変更。2番・三塁手として完全定着。盗塁王ゴールデングラブ賞三塁手部門のタイトルを獲得した。1994年には背番号を5に変更した。1995年オールスターゲーム初出場。オールスターにはその後、1997年から5年連続出場することになった。1996年は新監督に就任した大矢明彦の内野コンバートにより、進藤達哉との入れ替えで三塁手から遊撃手に転向した。1997年波留敏夫と入れ替わりで2番打者から1番に定着。守備ではベストナイン遊撃手部門獲得。2001年まで5年連続で獲得する事になる。1998年マシンガン打線の1番打者としてチーム38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。ペナントレースでは、初の最多安打と2度目の盗塁王を獲得し、4度目のゴールデングラブ賞を受賞。同年の日本シリーズでは優秀選手に選ばれた。103得点松井秀喜と並んで最多得点を獲得(これは球団創設49年目にして球団初)。1999年には通算1000本安打・1000試合達成・200盗塁達成。このうち、7月15日阪神タイガース戦で記録した1000本安打は勝利投手の経験がある選手として史上10人目であった[3]7月22日の対ヤクルト戦で、1試合最多得点のセントラル・リーグ新記録となる6得点を記録、自身初の一試合2本塁打も記録した。2000年は盗塁王とベストナイン遊撃手部門を3年連続で獲得、2001年には2度目の最多安打を記録した。

2002年は140試合に出場したものの打率は8年ぶりに2割8分を下回り、2003年は1992年以来の100安打未満を記録、打率.231は野手転向後では最悪の数字となった。スタメンから外された際には、野手転向時のようにゼロからやり直すつもりで自ら二軍落ちを志願した[1]。翌年の2004年は復活を果たし2001年と同じ.295の成績を残し、3度目の2桁本塁打も達成した。だが2005年は全146試合に1番ショートでスタメン起用されフルイニング出場を果たしたものの、打率は.255と再び低迷した。

[編集] 2000本安打

2006年5月11日東北楽天ゴールデンイーグルス戦の第1打席で愛敬尚史投手から史上34人目の2000本安打となる中前打を放ち、名球会入りの資格を得た。投手として勝ち星を挙げた選手としては川上哲治以来史上2人目、またドラフト外での入団選手としては秋山幸二以来2人目の達成となる[1]。記録達成の際には、「投手時代の(打者として打ったヒット)3本はカウントして欲しくない」とコメントした。その後、8月12日の対ヤクルト戦で、石川雅規から安打を放ち松原誠の持つ球団安打記録2081本を塗り替えた。この年は打順こそ2番3番に回った試合もあったが、2年連続で全146試合フルイニング出場を果たす。最終的には自己最多タイの174安打を放ち、打率も2割8分台に乗せ再び復調を果たした。

2007年は前年オフに膝を手術したこともあり、この年監督に復帰した大矢明彦は石井を無理せず休ませると公言。4月1日の巨人戦の6回の守備で石川雄洋と交代し、連続フルイニング出場記録が当時の現役選手では金本知憲に続く2位の339試合で途切れた。9月5日阪神甲子園球場で行われた阪神戦にて、1回表の第一打席で右手首に死球を受け、そのまま退場。翌日横浜に戻り、診察の結果骨折と判明し戦列を離れた。シーズン中の復帰は困難とも思われたが、9月中に戦列復帰を果たした。シーズン100安打は目前だったものの、結局2007年の安打数は99安打に止まり、4年連続・通算14度目のシーズン100安打達成とはならなかった。また、仁志敏久が1番に入ったことで石井の1番での出場は激減。主に2番を打つことが多かった。

[編集] 成績の低迷、移籍へ

2008年は開幕戦から再び1番で起用されたが、成績が芳しくなかったため5月頃からは7~9番で起用されることが多くなった。夏場以降は若手起用の方針もありスタメンでの出場が激減し、シーズン終了間近に球団から戦力外通告を受けた[4]。その後現役続行を希望して日本国内外を問わずに移籍先を探していたが、11月12日に広島東洋カープが石井の獲得を発表した[5]

2008年11月29日、自費で横浜スタジアムを貸し切り、ファンへの感謝を表すイベントを開催した。主催者発表によるとファン3500人が参加し、オークションではユニフォームが20万円以上の値で落札された。また本人は「これを区切りにして、広島で優勝できるよう頑張りたい」とコメントした。

[編集] 広島移籍後

広島1年目の2009年は開幕一軍でスタート。本職の遊撃手の他に守備固めでの三塁手起用もされる[5]7月4日対横浜7回戦にて、横浜スタジアムで通算100本塁打達成。2202試合目での達成は出場試合数で史上最遅の記録[6](従来の記録は東映毒島章一の1773試合。またプロ在籍年数ではヤクルト・八重樫幸雄と並ぶ21年目で、最遅タイ)。7月17日の対横浜戦では、吉田義男(阪神)を抜き日本歴代最多となる遊撃手としての通算1731試合出場を達成。シーズン前半は梵英心、後半は小窪哲也と併用され出場機会と打撃成績は前年を下回ったが、一年を通して一軍でプレーした。

2010年も年間通して一軍に定着。スタメン出場は少ないものの打率は3割を超えた。7月4日の対横浜戦(マツダスタジアム)2回裏、落合博満を抜きプロ野球歴代単独10位の通算2372安打となる中前打を放った[7]。この年の契約更改では200万円アップの年俸2700万円(推定)で契約し、広島移籍後は2年連続で年俸アップを勝ち取った。

2011年は前年より成績を落としたが、引き続き存在感を見せた。10月17日に右膝のクリーニング手術を受けた。オフの契約更改では2012年から一軍野手コーチを兼任することが発表された。

[編集] 人物

登録名の琢朗は野手に転向する際に大成する字画を高校の先輩が考えて付けたもの。字画を整えるため本来は正字の琢(部分に点が打たれている)を使うのが正しいが、パソコン等で表示されないため新字で代用されることが多い。2006年の正月、当時のチームメイトだった古木克明から「石井朗」と書き間違えた年賀状を送られたという。また過去には、打席に立ったときに野次を飛ばすファンから「豚朗」と叫ばれ続けられたことに怒りが収まらず三振を喫したこともある。なお、母からは「たーちゃん」と呼ばれている。1997年には同姓の石井義人がベイスターズに入団してきたため背ネーム表記がT.ISHII、報道やスコアボードでの表記が石井琢、アナウンスがフルネームとなり名前もよく知られるようになった。2003年には石井義人が移籍したため報道などでは「石井」表記に戻ったが、その他はそのままとしており(2002年には石井浩郎もベイスターズに所属)、これは広島移籍後も続いている。ただし入団会見時は背ネーム表記が「ISHII」だった。

ヒット1本につき1万円を積み立て、シーズン後に福祉関連先に寄付したり、横浜市内のこども医療センターに絵本を毎月寄贈したり、横浜スタジアムの石井琢朗シートを市社会福祉協議会へ寄付したりするなど、チャリティー活動にも積極的である。

2008年3月9日付朝日新聞に、出身地である栃木県佐野市の佐野松陽高校の生徒がいもフライをつかって町おこしに取り組んでるとの記事が紹介された。これに石井本人も一役買おうと意気込み、球団に働きかけた結果横浜スタジアム内レストランにて5月14日より販売が実現した。シーズン終了後にこのいもフライの売上金の一部が佐野市に寄付された。広島に移籍後の2009年にはMAZDA Zoom-Zoom スタジアムの売店にて石井琢朗プロデュースとして販売され人気を博している。

横浜時代の応援歌が親しみやすく人気があったため、横浜応援団の計らいもありカープへの移籍後も広島応援団が引き続き使用している。移籍後の横浜スタジアムでの試合では、石井が打席に立つ際に横浜ファンも応援に参加し、球場全体から大声援が送られるという光景が見られた。広島へ移籍後、横浜スタジアムでの対横浜戦にて通算100号本塁打を達成したが、この時は両スタンドから賞賛の拍手と歓声が送られた。

1996年にアイドルグループCoCoの元メンバー瀬能あづさと結婚したが、2000年に離婚。その後元フジテレビアナウンサーの荒瀬詩織と再婚し、2002年7月に長女、2005年8月に二女が誕生した。前妻瀬能との間に子供はいない。

道具を大切に扱う(ミズノとアドバイザリー契約)。また、酒はほとんど飲めない。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1989 大洋 17 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 142 30.1 34 2 19 1 0 19 0 0 14 12 3.56 1.75
1990 2 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 19 4.0 6 0 2 0 1 0 0 0 5 4 9.00 2.00
1991 9 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 62 14.2 23 3 8 1 3 4 0 0 16 15 9.20 2.11
通算:3年 28 5 0 0 0 1 4 0 -- .200 238 49.0 63 5 29 2 4 23 0 0 35 31 5.69 1.88

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1989 大洋
横浜
17 5 5 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .400 .400 .400 .800
1990 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1991 10 2 2 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500 .500 .500 1.000
1992 69 250 219 26 59 3 3 3 77 23 4 1 16 1 12 0 2 33 4 .269 .312 .352 .664
1993 121 503 414 53 110 19 5 5 154 36 24 16 39 2 42 0 6 64 5 .266 .341 .372 .712
1994 130 559 451 68 113 21 2 3 147 40 10 6 39 0 69 0 0 66 6 .251 .350 .326 .676
1995 124 546 444 69 137 22 2 2 169 41 23 11 23 2 69 1 7 63 4 .309 .407 .381 .789
1996 129 604 496 94 140 19 3 1 168 29 45 21 25 1 75 1 7 76 3 .282 .383 .339 .722
1997 132 612 521 95 166 23 1 10 221 44 23 18 23 4 57 1 7 58 5 .319 .390 .424 .815
1998 135 630 555 103 174 34 5 7 239 48 39 10 2 2 63 0 7 69 4 .314 .389 .431 .820
1999 131 622 537 108 157 24 3 8 211 58 39 11 2 3 73 0 7 81 4 .292 .382 .393 .775
2000 134 619 546 91 165 19 5 10 224 50 35 11 5 3 61 3 4 83 5 .302 .375 .410 .785
2001 140 647 580 81 171 34 4 8 237 36 26 8 7 1 54 3 5 81 3 .295 .359 .409 .768
2002 140 636 569 78 156 29 2 8 213 49 19 11 12 2 48 1 5 95 2 .274 .335 .374 .709
2003 115 483 415 49 96 12 1 6 128 26 20 10 21 0 46 0 1 53 3 .231 .310 .308 .618
2004 131 590 535 80 158 26 6 10 226 43 11 10 6 2 45 1 2 85 3 .295 .351 .422 .773
2005 146 688 612 95 156 22 2 8 206 40 18 7 7 1 61 1 7 77 6 .255 .329 .337 .666
2006 146 675 604 91 174 30 0 6 222 32 12 11 5 1 63 0 2 99 4 .288 .357 .368 .724
2007 108 412 360 35 99 11 0 2 116 13 6 5 27 0 21 1 4 39 5 .275 .322 .322 .644
2008 98 319 279 26 73 7 0 2 86 18 1 1 12 0 23 0 4 47 2 .262 .327 .308 .635
2009 広島 89 246 211 27 48 10 3 2 70 18 2 0 11 0 20 0 4 33 4 .227 .306 .332 .638
2010 74 165 148 15 47 5 1 0 54 20 1 1 5 0 11 0 1 20 2 .318 .369 .365 .734
2011 61 106 92 11 23 2 2 1 32 4 0 0 2 0 12 1 0 13 1 .250 .337 .348 .685
通算:23年 2382 9920 8596 1296 2425 372 50 102 3203 668 358 169 289 25 925 14 82 1237 75 .282 .356 .373 .729
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

[編集] 年度別守備成績


三塁 遊撃 二塁 外野
















































1992 42 22 63 5 9 .944 32 37 76 5 19 .958 - -
1993 107 71 203 6 24 .979 11 16 24 1 7 .976 - 7 4 0 0 0 1.000
1994 128 75 251 8 25 .976 8 8 16 0 3 1.000 - 1 0 0 0 0 -
1995 123 96 253 5 33 .986 - - -
1996 - 129 207 382 11 76 .982 - -
1997 - 130 198 392 15 76 .975 - -
1998 1 0 1 0 0 1.000 135 204 423 17 80 .974 - -
1999 - 129 211 356 11 71 .981 - -
2000 - 134 210 386 10 81 .983 - -
2001 - 140 252 417 12 100 .982 - -
2002 - 140 219 394 9 69 .986 - -
2003 - 114 168 366 7 77 .987 - -
2004 - 130 194 413 10 97 .984 - -
2005 - 146 229 444 8 95 .988 - -
2006 2 0 0 0 0 - 146 204 473 10 91 .985 - -
2007 - 105 126 317 5 71 .989 - -
2008 - 79 118 211 4 41 .988 - -
2009 21 13 21 1 0 .971 52 69 141 6 24 .972 - -
2010 48 18 72 3 10 .968 2 1 2 0 0 1.000 4 0 2 0 1 1.000 -
2011 26 11 32 0 4 1.000 3 2 4 1 1 .857 1 2 4 0 0 1.000 -
通算 498 306 896 28 105 .977 1765 2673 5237 142 1079 .982 5 2 6 0 1 1.000 8 4 0 0 0 1.000

[編集] タイトル

  • 盗塁王:4回(1993年、1998年、1999年、2000年)
  • 最多安打:2回(1998年、 2001年)

[編集] 表彰

[編集] 記録

投手記録
打撃記録
  • 初出場:投手記録の初登板の項を参照
  • 初先発出場:投手記録の初先発の項を参照
  • 初安打:1989年10月10日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、3回表に加藤博人から中前安打
  • 初得点:1989年10月16日、対阪神タイガース26回戦(阪神甲子園球場)、3回表に記録
  • 初打点:1992年4月18日、対ヤクルトスワローズ2回戦(横浜スタジアム)、4回裏に高津臣吾から
  • 初盗塁:1992年5月10日、対読売ジャイアンツ8回戦(横浜スタジアム)、1回裏に二盗(投手:チャック・ケアリー、捕手:村田真一
  • 初本塁打:1992年7月26日、対広島東洋カープ18回戦(横浜スタジアム)、1回裏に北別府学から
節目の記録
  • 1000本安打:1999年7月15日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場)、2回表に山崎一玄から ※史上196人目
  • 1000試合出場:1999年10月15日、対ヤクルトスワローズ27回戦(横浜スタジアム)、1番・遊撃手として先発出場 ※史上354人目
  • 1500本安打:2002年8月22日、対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)、4回表に入来祐作からソロ ※史上83人目
  • 200犠打:2003年7月8日、対中日ドラゴンズ14回戦(ナゴヤドーム)、1回表に野口茂樹から ※史上24人目
  • 300盗塁:2003年8月6日、対読売ジャイアンツ22回戦(東京ドーム)、7回表に二盗(投手:コリー・ベイリー、捕手:阿部慎之助
  • 1500試合出場:2003年8月27日、対広島東洋カープ20回戦(横浜スタジアム)、2番・遊撃手として先発出場 ※史上140人目
  • 1000得点:2005年4月5日、対読売ジャイアンツ1回戦(横浜スタジアム)、1回裏に金城龍彦の左前適時打で生還 ※史上31人目
  • 1000三振:2006年5月2日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)、4回表に川上憲伸から ※史上38人目
  • 2000本安打:2006年5月11日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(横浜スタジアム)、1回裏に愛敬尚史から中前安打 ※史上34人目
  • 350盗塁:2007年5月13日、対広島東洋カープ9回戦(横浜スタジアム)、1回裏に二盗(投手:黒田博樹、捕手:石原慶幸) ※史上15人目
  • 2000試合出場:2007年6月13日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、8回裏に遊撃手として出場 ※史上38人目
  • 250犠打:2007年7月12日、対中日ドラゴンズ12回戦(横浜スタジアム)、9回裏にラファエル・クルスから ※史上11人目
  • 3000塁打:2008年5月14日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、2回裏に金刃憲人から中前安打 ※史上42人目
  • 100本塁打:2009年7月4日、対横浜ベイスターズ7回戦(横浜スタジアム)、5回表に三浦大輔から右越ソロ ※史上256人目
その他の記録
  • 1試合6得点:1999年7月22日、対ヤクルトスワローズ17回戦(横浜スタジアム) ※日本タイ記録、セ・リーグ記録
  • 1試合4犠打:2003年7月8日、対中日ドラゴンズ14回戦(ナゴヤドーム) ※日本タイ記録
  • シーズン150安打以上9回:1997年 - 2002年、2004年 - 2006年(歴代2位タイ)
  • 6年連続シーズン150安打以上:1997年 - 2002年(歴代2位タイ、セ・リーグタイ記録)
  • オールスターゲーム出場:6回 (1995年、1997年 - 2001年)
  • 遊撃手通算最多試合出場:1731試合 2009年7月4日、対横浜ベイスターズ7回戦(横浜スタジアム)で達成(更新中)
  • 全球団から本塁打:2009年7月4日、対横浜戦にて達成 ※史上17人目

[編集] 背番号

  • 66 (1989年 - 1992年)
  • 0 (1993年)
  • 5 (1994年 - 2008年)
  • 25 (2009年 - )

[編集] 登録名

  • 石井 忠徳(いしい ただのり)(1989年 - 1991年)
  • 石井 琢朗(いしい たくろう)(1992年 - )

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d e 第4回プロ野球選手 石井琢朗さんKREIS&Company 2009年2月23日
  2. ^ a b c 【10月10日】1989年(平1) 横浜最多安打男・石井琢朗、打撃の神様と2人だけの記録SponichiAnnex 2008年10月
  3. ^ 2000 ベースボール・レコード・ブック。 ベースボールマガジン社 52頁「1999年度の主な記録と出来事」より。
  4. ^ 戦力外通告のお知らせ(2)”. 横浜ベイスターズ公式サイト. 2010年4月11日閲覧。
  5. ^ a b 三塁手候補に石井琢を獲得 横浜から戦力外通告”. 中国新聞. 2010年4月11日閲覧。
  6. ^ 琢朗、史上最遅2202戦目100号!/野球/デイリースポーツonline”. デイリースポーツ. 2009年7月5日閲覧。
  7. ^ 石井「落合超え」通算2373安打”. デイリースポーツ. 2011年8月15日閲覧。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語