知的生活論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

知的生活論(ちてきせいかつろん)とは、知的生活[注釈 1]方法について論じたものを指す。

種類[編集]

知的生活論を必要とするものは大きく分けて二つある。一つはA学者研究者がいかに研究するか、研究生活をいかに送るかであり、もう一つはB学者・研究者ではないが古典学問することを重んじた生活をしたい者が、いかにしたらそういう生活を送れるか[注釈 2]である。この両方の課題に応える論述が知的生活論である。

概要[編集]

何が知的生活論かの一つの目安は、下記「知的生活論の領域」に触れるかどうかである[注釈 3]。当初は読書論とか本の検索・購入法とかが主流であったが、近頃はパソコンインターネットの普及により、これらを利用した技術論が主流になりつつある。なお、本項目では読書論は大きな論題なので、それには触れないこととする。

日本で最初に知的生活論の領域を開拓したのは河合栄治郎である[注釈 4]。戦後になって、知的生活論に新境地を開いたのは、梅棹忠夫[注釈 5]の『知的生産の技術』(1969年)[注釈 6]渡部昇一の『知的生活の方法』(1976年)である。著者たち自身の続編も含め、多くの論者により知的生活論が出版された。下記「知的生活論者」表記は、その一例である[注釈 7]

領域[編集]

論者[編集]

  • 河合栄治郎『学生に与う』日本評論社、1940年
  • 野々村一雄『学者商売』中央公論社、1960年(新版は新評論、1978年)
  • 川喜田二郎『発想法』中公新書、1967年
  • 梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、1969年
  • 樺島忠夫『情報・文章・システム』毎日新聞社、1970年(『書くことの意味』1972年)
  • 板坂元『考える技術・書く技術』講談社現代新書、1973年
  • 加藤秀俊『独学のすすめ』文藝春秋、1975年
  • 渡部昇一『知的生活の方法』講談社現代新書、1976年
  • 矢矧晴一郎『仕事のための読み方・書き方』日本能率協会、1976年
  • 外山滋比古『知的創造のヒント』講談社現代新書、1977年
  • 「知的生産の技術」研究会編[注釈 8]『わたしの知的生産の技術』講談社、1978年
  • 水田洋『知の周辺』講談社現代新書、1979年
  • 竹内均『私の知的鍛錬法』徳間書店、1980年
  • 紀田順一郎『ワープロ書斎生活術』双葉社、1985年
  • 野口悠紀雄『「超」整理法』中公新書、1993年
  • 鷲田小彌太『現代知識人の作法』青弓社、1995年
  • 立花隆『僕はこんな本を読んできた』講談社、1995年
  • 鎌田浩毅『一生モノの勉強法』東洋経済新報社、2009年
  • 読書猿

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「知的生活」に代わるべく用語としては、「知的生産」「研究生活」「勉強」などがある。「知的生産」「研究生活」は「概要」でのAの学者には妥当かもしれないが、Bに当たる者には妥当しない。「知的生活」という言葉は渡部昇一がハマトンの『知的生活』(The Intellectual Life, 1873)にヒントを受けて、自身の最初の知的生活論である『知的生活の方法』(1976年)で使い出した用語であり、A、Bの両者に妥当し、今では市民権を得ていると言える。
  2. ^ 古典学問することを重んじる態度は「教養主義」の思想である。
  3. ^ 「知的生活」は内容が問題であって、どう定義するかはさして重要ではない。渡部昇一は暫定的と断りながら、次のように定義している。「内省的ムードの濃い個人主義的生活で、そこに生じた知的確信を外的な条件に付和雷同させぬマイペースの生活」としている。渡部昇一「河合栄治郎の意義」日本文化会議編『日本の知識人』PHP研究所、1980年、158-159頁。
  4. ^ 河合はいくたの知的生活にかかわる学生指導書を出している。『学生叢書』(1936-41年)の中では、『学生と教養』『学生と読書』『学生と生活』を編集刊行しているし、単独では『学生に与う』(1940年)を出版した。同書は哲学書でもあり人生論の書でもある。
  5. ^ 秘書の藤本ますみ『知的生産者たちの現場』(講談社、1984年)もある。
  6. ^ 梅棹の『知的生産の技術』によって、「知的生産」「知的生産の技術」「京大型カード」「こざね法」などが普及した。
  7. ^ 戦後の知的生活論の詳細な著書記載例としては、青木育志『教養主義者・河合栄治郎』春風社、2012年、222-224頁参照。
  8. ^ 1970年に発足、2020年代もNPO法人として活動中

参考文献[編集]

関連項目[編集]