矢原洋一

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矢原 洋一(やはら よういち、1976年9月27日 - )は日本中央競馬会所属、美浦トレーニングセンター所属の元騎手調教助手茨城県出身。

来歴[編集]

美浦トレーニングセンターの厩務員、矢原孝一の長男として生まれる。少年時代はサッカーに夢中だったが父の影響で乗馬を始め、騎手の道を選んだ。1995年競馬学校を卒業し、大和田稔厩舎の所属騎手となる。同期に青木芳之石山繁金折知則西田雄一郎西谷誠野元昭嘉山本康志がいる。

デビュー前のインタビューでは岡部幸雄を目標として挙げ、「追えるジョッキーになりたい」との抱負を語った。初騎乗は1995年3月4日中山競馬第1競走のアイランドロッコー(16頭立て13着)。

初勝利は1995年5月28日東京競馬第2競走のオンワードバーク。1996年10月20日、東京第2競走にてのちの皐月賞2着馬であるシルクライトニングに騎乗、1着となる。その後2戦するが勝利に恵まれず、同馬は安田富男に乗り替わりとなる。

障害競走を中心に騎乗するも成績が伸び悩み2001年5月4日、東京第5競走(騎乗馬はメジロブレット)を最後に長く未勝利期間が続いていた。2006年1月23日、中山第4競走でモエレタマモクロスに騎乗し4年8か月ぶりの勝利を挙げ、スポーツ新聞や競馬雑誌でニュースとして取り上げられるほど話題となった。2016年鈴木慶太に更新されるまで最長勝利間隔記録だった[1]

2009年12月31日をもって騎手を引退した。通算成績は979戦18勝(うち障害340戦5勝)。引退後は尾関知人厩舎で調教助手となった。

人物[編集]

人気の低い馬を障害競走にて完走させる技術に秀でていて、現在の障害トップジョッキーの西谷より落馬率が低かった。

大の甘党でデビュー年(1995年)の週刊Gallopのインタビューでは「チョコレートクッキー」、2001年に行われたJRAのキャンペーン「Go! JRAJockey!」特設サイトでは「ドーナツ」を好物として挙げていた。

なお上記特設サイトによると趣味はパチンコ、特技はボウリング。かつて美浦トレーニングセンター所属騎手のサッカーチーム「Jスマイル」のメンバーだったことがあり、2002年5月27日に行われた東西騎手対抗サッカー大会にも出場している。

一部の熱狂的なファンからは「安全運転矢原」と呼ばれていて、勝利数の割には横断幕も出る程コアなファンが多かった。

脚注[編集]