益子政綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
益子政綱
時代 鎌倉時代後期
生誕 不明
死没 正安4年2月29日1302年3月29日
戒名 春林院殿西玄
墓所 田原日光寺
官位 宮内大夫
氏族 下野宇都宮氏益子氏
父母 父:宇都宮頼綱、養父:益子宗朝
兄弟 宇都宮時綱秋元泰業横田頼業
宇都宮泰綱政綱多功宗朝
藤原為家室、三条実房室、源通成
養子:笠間時朝塩谷朝業次男)
益子宗朝娘
英政政在簗瀬業朝
テンプレートを表示

益子 政綱(ましこ まさつな)は、鎌倉時代後期の武将

略歴[編集]

宇都宮頼綱の四男として誕生。

益子氏益子宗朝の娘婿となり益子氏を継ぐ。

弘安4年(1281年)の弘安の役の際に、宇都宮貞綱に従い出陣する。

正安4年(1302年)2月29日、死去。

脚注[編集]


出典[編集]

  • 『栃木県県史 資料編・中世四』掲載 益子系図