百済王朗虞
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百済王 朗虞(くだらのこにきし ろうぐ、生年不詳 - 天平9年7月17日(737年8月17日))は、飛鳥時代から奈良時代初期の官人。名は良虞とも表記する。亡命百済王族の百済王善光の孫で、父は百済王昌成。百済王氏の嫡流。兄弟に遠宝・南典がいた。子に孝忠・全福・敬福らがいた。
朱鳥元年(686年)9月、天武天皇の崩御に際し、祖父善光に代わって(父昌成は早世した)百済王族を代表して殯宮(もがりのみや)での誄(しのびごと)を言上している。持統天皇5年(691年)正月、同族の善光・遠宝・南典らと共に王族優遇の賜給を受けた。大宝3年(703年)8月当時既に従五位上に叙されており、その後累進して霊亀3年(717年)正月には従四位下に叙位され、同年10月には他の王臣と共に封戸の増加が認められた。この間に伊予守・摂津亮などを歴任している。晩年は官を離れ、天平9年(737年)7月17日に散位で卒去した。
[編集] 参考文献
- 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。

