白籏史朗
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白籏史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - )は、日本の山岳写真家。ヒマラヤを始めとする世界の峰、日本国内の名峰を四季にわたって数多く撮影し、発表してきた。特にライフワークとして南アルプスの写真を多く撮影している。
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[編集] 略歴
- 1933年(昭和8年) - 山梨県北都留郡広里村(現大月市)に生まれた。
- 1945年(昭和20年)3月 - 大月東小学校を卒業した。
- 1948年(昭和23年)3月 - 大月東中学校を卒業した。
- 1951年(昭和26年)4月15日 - 岡田紅陽に師事、5年間内弟子として過ごした。
- 1958年(昭和33年) - フリーランスの写真家として独立した。
- 1961年(昭和36年) - 『山と渓谷』3月号にカラー写真が掲載され、朋文堂主催の『山岳写真精鋭一二人展』に選ばれた。
- 1962年(昭和37年)4月15日 - 山岳写真家として独立した。
- 1965年(昭和40年)11月29日 - 結婚。この時までに結婚資金として準備してあったお金でリンホフスーパーテヒニカとライカM3を購入し、結婚式が3回延期されたという。
- 1966年(昭和41年)8月6日 - コー・イ・セフェに初登頂した。
- 1968年(昭和43年) - 日本山岳写真集団を創設した。
日本を代表する山岳写真家として、高い評価を受けている。山岳写真のほか、風景写真などを中心に活動を続け、写真集などの刊行物を多数出版している。[1]
- 日本高山植物保護協会会長
- 山岳写真の会「白い峰」会長
- 日本山岳会終身会員
- 日本写真家協会会員
などを歴任。
[編集] その他
- 雑誌『山と溪谷』に2006年12月号まで長期にわたり、「白籏史朗の人生相談」を掲載。ユーモアを交えた軽妙な筆致が人気を呼ぶ。一般に酒豪として知られるが、本人は世の中からアルコールを失くすため、世の中のアルコールというアルコールを一人で引き受けてるボランティア活動の一環であると主張している。
- 2006年6月に、財団法人『キープ協会』が発行する2007年のカレンダー作成のため、同協会に写真のフィルムを譲渡したが、その後、同協会が紛失したことが発覚。その後2009年10月に同協会は、白籏に対し約3,000万円の損害賠償をすることで合意したが、同時に同協会は、カレンダーの製作を依頼した『サンニチ印刷』(山梨日日新聞社の関連会社)に預けた後紛失したとして、サンニチ印刷にも賠償を求めている[2][3]。
[編集] 作品集
- 『写真集 白籏史郎 富士山』 (山梨日日新聞社 1999年12月)
- 『北アルプス礼讃白籏史朗写真集』(新日本出版社 2001年1月)
- 『白籏史朗の百一名山』 (山と溪谷社 2001年4月)
- 『 富士山風光200景 日々刻々と変化する富士山の撮影ポイントとガイド』(日本カメラ社 2003年4月)
- 『日本と世界の名峰を讃う』(日本カメラ社 2003年8月)
- 『山、わが生きる力』(新日本出版社 2003年8月)
- 『富士四季讃歌』(朝日新聞社 2005年1月)
- 『魅せられし山々』(新日本出版社 2006年9月)
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『山と写真 我が青春』白籏史郎著 岩波ジュニア新書
[編集] 脚注
- ^ 白籏史朗山岳写真記念館ウェブサイト、http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/H-KANKO/SHIRAHATA/sirahata.html
- ^ フィルム紛失3千万円賠償、財団法人が写真家に 読売新聞 2010年3月31日
- ^ 写真紛失:白籏氏のフィルム 山梨の財団法人が賠償支払い 毎日新聞 2010年4月1日