ビートたけしの全日本お笑い研究所
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『ビートたけしの全日本お笑い研究所』(-ぜんにっぽんおわらいけんきゅうじょ、英文表記:BEAT TAKESHI'S ALL JAPAN OWARAI LABORATORY)は、日本テレビ系列ほかで1988年4月、水曜21:00~21:54に放映されていたお笑いバラエティ番組で、ビートたけしの冠番組である。1988年6月22日からはタイトルを『番組の途中ですが…再びたけしです』(ばんぐみのとちゅう-ふたたび-)と変え、同年9月14日まで放映した。
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[編集] 番組編成について
この番組は、たけしとたけし軍団の一部が前年にフライデー襲撃事件で逮捕・釈放されて以来のレギュラー番組で、逮捕前に日テレで1回(1986年10月)放映された『ビートたけしの金太郎飴スペシャル』のレギュラー版である[1]。また、ビートたけしメインの、テーマに沿ったコント番組、という点では同じ日テレの「OH!たけし」から引き継いだともいえた。またこの番組は、元気が出るテレビの番組制作費が大幅に余り、その予算を消化するために始めた番組であると、テリー伊藤が証言している(数秒の番組予告を作るためだけに、沖縄ロケがあったという)。
毎回、様々な有名人をゲストに招いての笑いのオンパレードであった。しかし、平均視聴率は6%前後と伸び悩み、裏番組『夜のヒットスタジオDELUXE』(フジテレビ系[2])、『テレ朝水曜21時枠刑事ドラマ』(当時は『はぐれ刑事純情派』第1シリーズ、テレビ朝日系)[3]の牙城を崩せずに6月で打ち切られ、その後タイトルを『番組の途中ですが…再びたけしです』としたがそれでも同年9月に終了した。
[編集] 出演者
- ビートたけし
- ビートきよし
- 吉田美江
- かわいさとみ
- たけし軍団
- そのまんま東が「東国原英夫」名義で街頭に現れ、「番組の途中ですが、次は”Let's Go 南野くん”です!」など、次に始まるコーナーを紹介した。
- 石倉三郎
- 浜田万葉 ほか
ほか
[編集] 主なコーナー
基本はたけし所長が考えるくだらないネタや思い付きを軍団が別撮りで表現する、というものであった。(林家ぺーはこの時にたけしが「気になるタレント」として挙げ、共演に至ってテレビ出演が増えた)
- 南野くん(読みは「ナンノくん」、後に『Let's Go 南野くん』にタイトル改題) - たけしがゲストにいたずら(スタジオコント)し、逃走する(走りながらくだらないクイズに答えさせられる)コーナー
- 北野家の出たがり日記 - 北野家がクイズ番組などに出場するコーナーで、兼子家(ビートきよしの本名の名字)が対戦相手である事が多い。また、太平サブロー・シローがネタ元番組のレギュラーのまねをして出演。(吉本興業を退社していたサブロー・シローにとっては当時数少ないレギュラーだった)毎回優勝が決まる箇所でくす玉を割ることもあった
- たけしよ、もう一度コンビを組んでやろうや - ビートきよしがたけしの所に行き、漫才を始めるコーナー。当時ツービートとしての活動は殆ど行っていなかったので、二人が漫才を行うという事が一つの話題となった。
- たけしのいない部屋 - そのまんま東が進行役で、ゲストと楽屋でトークするコーナー
- ファイナルコント
[編集] 追記
- ^ スペシャル番組放映当時、『ビートたけしの金太郎飴』を仮タイトルにしてのレギュラー化の話があったが、フライデー事件のため頓挫した。もっとも、このスペシャル番組はその後1987年年末と1988年3月にも放送されている。
- ^ ただしテレビ長崎、テレビ大分、鹿児島テレビ除く。しかもこれら3局は放送日時差し替えすらなされなかった。
- ^ ただし青森放送、山口放送は放送日時差し替え。
[編集] 番組の移り変わり
| 日本テレビ系 水曜21時台(1988年4月 - 1988年9月) | ||
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| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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ビートたけしの全日本お笑い研究所
↓ 番組の途中ですが…再びたけしです |
水曜グランドロマン
※21:03 - 22:54 |
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