番町 (高松市)

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番町

ばんちょう
地図
日本
都道府県 香川県
市町村 高松市
地区(上位) 本庁地区
地区(下位) 高松
新設 1968年(昭和43年)
面積
 • 合計 0.5677083 km2
最高標高
7.7 m
最低標高
1.6 m
人口
 • 合計 2,381人
 • 密度 4,200人/km2
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
760-0017
市外局番 087
ナンバープレート 香川

番町(ばんちょう)は、香川県高松市中心部の町丁郵便番号は760-0017。全域が住居表示に関する法律に基づく住居表示実施地区[2]で、一丁目〜五丁目が存在する。高松市役所香川県庁などが所在して官庁街を形成している他、大病院や進学校など、香川県内の中枢となる施設が多数存在する。

地理[編集]

高松市中心部の都心、中央通りの西寄りに位置し、東は中央通り及び県庁前通り、南は菊池寛通り及び県道33号高松善通寺線、西は大学通り、北は市道二番町築地線によって区切られている。

中央通りに面した番町一丁目には企業の支店・支社が入る雑居ビルが多く、高松市役所のほか高松市立中央公園がある。その西側の県庁前通りには香川県庁のほか香川県立高松高等学校(高高)や高松赤十字病院日赤)など県の中核施設や大病院などが立地する。それら大規模施設の裏手にあたる地域は中央通りから離れて西へ向かうにつれ閑静な住宅街が形成されている。

2020年国勢調査による人口は2381人(男1147人/女1234人)、世帯数は1160世帯、面積は56万7708.30m2、人口密度は4632.7人/km2[1]。公立中学校校区は全域が紫雲中学校で、小学校は一丁目〜三丁目並びに四丁目のうち1番3号、2番〜8番(市道八番町西浜新町線以北に相当)が新番丁小学校、五丁目並びに四丁目のうち1番10号、9番〜15番(市道八番町西浜新町線以南に相当)が亀阜小学校に属している[3]

町内における都市計画法に基づく用途地域は、一丁目の全域が商業地域で、容積率中央通りに面した街区及び市道五番町西宝線の北側に面した街区が600%、それ以外の地域が400%である。二丁目〜五丁目は大部分が容積率200%、建ぺい率60%の第二種中高層住居専用地域であるが、県道33号高松善通寺線県庁前通り市道五番町西宝線沿いについては容積率300%、建ぺい率80%の近隣商業地域である[4]

北で錦町紺屋町、東で鍛冶屋町 亀井町、南で宮脇町亀岡町中央町 天神前、西で扇町幸町に隣接している。

歴史[編集]

1968年(昭和43年)に二番丁、二番町、三番丁、三番町、四番丁、四番町、五番丁、五番町、六番丁、六番町、七番丁、七番町、八番丁、八番町、九番丁、宮脇町、紺屋町、天神前一丁目〜二丁目、宮脇町一丁目〜二丁目の各一部から番町が新設され、一丁目〜四丁目を編成する[5]。その後1970年(昭和45年)に九番丁の残部[6]、宮脇町及び宮脇町一丁目〜二丁目の各一部[7]、天神前一丁目の一部[8]をそれぞれ編入し五丁目を編成した。

番町の名前の基になったのは町域が、住居表示制度の実施前に二番町八番町地番整理の実施前に二番丁十番丁であったことによる。なお、地番整理は現在の町域の東西で工区が分かれていたため○番と○番は一時併存している。そのような事情から現在でも番町を番丁と表記したりする。

この○番丁は、江戸時代から武家屋敷が立ち並んでいたこの地区の東西の通りにつけられた名前で、それが地名となったものである。現在の町域はその大部分の区域を踏襲しているが、その中でも旧国道11号沿いや、香川大学東側の通り沿い、高松赤十字病院以南の県庁前通り沿いなどはかつての○番丁の区域ではなく、また逆に現在の錦町の南の一部は○番丁の一部であった。

○番丁の起番方法は一番北の通りを「一番丁」とし、南へ順に「二番丁」、「三番丁」…と振っていき、最終的に現在の県庁の南側の通りを「九番丁」とした。ただし「十番丁」は例外で、それまでの九番丁までとは異なり、かつて現在の香大附属小学校の中を貫いていた南北の通りである。その中でも現在の高松市道五番町西宝線にあたる五番丁の知名度は現在でも高く、現在でも当該道路と中央通りとの交点に当たる「番町交差点」は通称五番丁の交差点と呼ばれたり、その北側にはバス停「五番町」があるなどする。なお、現在の番町一丁目から番町五丁目の区分けはかつての一番丁~十番丁の区分けとは無関係である。

年表[編集]

主要施設[編集]

交通[編集]

番町は高松市中心部に位置しているため、生活圏が徒歩あるいは自転車の移動圏内に収まっている。しかし、高松市郊外へ向かうにはその地区の公共交通機関が脆弱な地区が多いため、やはり自家用車での移動が中心になるが、中心部に位置しているが故、周辺道路は交通量が多く旅行速度も遅い。

公共交通機関の利用においては、市役所や県庁などの施設が町内にあるためバス路線は多くが通っているが、鉄道駅は町内に存在せず最寄のいずれの駅からも程よく距離が離れている。

道路[編集]

町内の道路は基本的に江戸時代の武家屋敷街のころに形成された碁盤の目状の整然とした街区がそのまま残っており、それに沿う形で戦後新たな幹線道路などが建設されている。

幹線道路としては高松市中心部において南北の軸となっている中央通りとその補完的な役割を担う県庁前通りがある。また、栗林トンネルを経由して鶴尾地区国道32号へ直接抜ける香川県道172号川東高松線(道としては連続しているが県道部分は亀阜小学校西交差点まででそれ以北は市道に変わる)も重要度の高い幹線道路である。一方、東西の軸となっているのは旧国道11号と高松市役所前の市道がある。その他、美術館通りは一方通行の多い繁華街へ抜ける貴重な対面通行道路でもある。

南北
東西

鉄道[編集]

町内に鉄道駅が存在しないため中心駅などは無い。最寄り駅は四方に分散し、番町はその真ん中に位置しているため町内でも場所によって最寄り駅が異なる。

北方向
西方向
南方向
東方向

バス[編集]

下笠居・香西線県立体育館便(行先番号:22・23)のみ県立体育館前発でそれ以外は全線がJR高松駅発である。経由先については下笠居・香西線県立体育館便と高松西高線市民病院ループバスことでん瓦町駅を経由し、それ以外は市役所前や県庁前を経由している。

また、ショッピング・レインボー循環バスは上記主要バス停の全てを経由している。

行先番号は奇数が下りまたは東回り、偶数が上りまたは西回りである。

ことでんバス

市民病院ループバスの「県庁通り 中央公園前」バス停は現在の県庁前通りではなく、かつて県庁通りと呼ばれていた現・菊池寛通りにある。なお、同バス停は夜行便など一部を除く高速バスも停車する。

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2020年4月1日に店舗名を本店から改名。引き続き香川トヨタとその持株会社のTMKホールディングス(実際の本社機能は春日町に移転)の登記上本店ではある。

出典[編集]

  1. ^ a b 令和2年国勢調査、小地域集計、37香川県”. e-Stat. 総務省統計局 (2022年8月31日). 2024年2月21日閲覧。
  2. ^ 住居表示について”. 高松市都市計画課. 2011年7月9日閲覧。
  3. ^ 高松市小・中学校区一覧表” (PDF). 高松市学校教育課 (2010年5月1日). 2014年2月24日閲覧。
  4. ^ 都市計画マップ 用途地域 番町付近”. 高松市広聴広報課. 2014年2月19日閲覧。
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1985, p. 553.
  6. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1985, p. 298.
  7. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1985, p. 785.
  8. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1985, p. 544.

参考文献[編集]

  • 香川県 編『香川縣史』 第貮篇、香川県、高松、1909年5月15日。doi:10.11501/766453NCID BN10786156OCLC 46901864 
  • 高松市史編修室 編『高松市史年表』高松市役所、高松、1960年2月15日。doi:10.11501/3030486NCID BN12293830OCLC 673319511 
  • 高松市史編修室 編『高松地名史話 : 篦原五ケ荘このかたの地名をさぐる』高松市、高松、1961年8月20日。doi:10.11501/2985344NCID BN0906992XOCLC 673925236 
  • 高松市史編修室 編『新修高松市史』 第2、高松市、高松、1964年12月15日。doi:10.11501/3027206NCID BN05923101OCLC 64675566 
  • 荒井とみ三『高松今昔記』 第三巻、歴史図書社、1978年。 NCID BA61134900OCLC 64675566 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 37巻《香川県》、株式会社角川書店、東京、1985年10月1日。doi:10.11501/12196656ISBN 978-4-04-001370-1NCID BN00094881OCLC 673687039