畑山俊二

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畑山 俊二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県海南市
生年月日 (1964-06-11) 1964年6月11日(59歳)
身長
体重
179 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1989年 ドラフト2位
初出場 1990年4月10日
最終出場 1997年5月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

畑山 俊二(はたやま しゅんじ、1964年6月11日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物[編集]

箕島高では、1982年春の選抜左翼手として出場。準々決勝に進むが、エース榎田健一郎を擁するPL学園高に0-1で惜敗[1]。チームメートに控え投手吉井理人捕手住吉義則がいた。

高校卒業後は近畿大学へ進学。関西学生野球リーグでは在学中7回優勝。

1983年全日本大学野球選手権大会は決勝で白井一幸らのいた駒大に敗れ準優勝。

1984年の全日本大学野球選手権大会は準決勝で阿波野秀幸を擁する亜大に敗れる。

1985年明治神宮野球大会も準決勝で愛知工大西崎幸広に抑えられ敗退。リーグ通算87試合出場、306打数84安打、打率.275、4本塁打。1年生の1983年秋季リーグで首位打者となる。最優秀選手1回、ベストナイン3回(外野手)受賞。大学同期にエースの西岡剛がいた。

大学卒業後は、社会人野球住友金属に入団。1987年都市対抗に三番打者、右翼手として出場。1回戦で東芝菊池総三原昇の継投の前に敗退[2]。その後は松下電器大阪ガスの補強選手として3年連続で都市対抗に出場している[2]

1989年のプロ野球ドラフト会議近鉄バファローズから2位指名を受け入団。

1990年から一軍出場。

1994年には10試合に右翼手として先発出場を果たす。

1996年オフに自由契約になり、阪神タイガースにテスト入団した。

1997年ウエスタンリーグで68試合に出場したものの、一軍での出場は3試合にとどまり、同年オフに現役を引退した。

引退後は、会社員を経て、2002年より阪神の近畿・中国地区担当スカウトに就任した[3]。担当選手は、藤川俊介藤浪晋太郎、近本光司、木浪聖也など。

2020年現在、阪神タイガース球団本部次長(統括スカウト)[4]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1990 近鉄 5 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1991 15 15 14 3 4 0 1 1 9 4 0 0 0 1 0 0 0 3 0 .286 .267 .643 .910
1992 10 12 11 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .091 .167 .091 .258
1994 29 50 47 2 7 1 0 1 11 4 0 0 0 0 3 0 0 10 0 .149 .200 .234 .434
1995 9 10 10 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .100 .100 .100 .200
1996 4 8 8 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1997 阪神 3 8 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .143 .250 .143 .393
通算:7年 75 107 101 7 14 1 1 2 23 8 0 0 0 1 5 0 0 24 0 .139 .178 .228 .405

記録[編集]

背番号[編集]

  • 7 (1990年 - 1993年)
  • 38 (1994年 - 1996年)
  • 53 (1997年)

脚注[編集]

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ 阪神「伸びしろ大きい」藤浪にグラリ…大谷を一歩リード?”. スポーツニッポン (2012-8-24付). 2012年8月24日閲覧。
  4. ^ 2020編成 &スカウト布陣&12球団補強ポイント【セ・リーグ編】”. 週刊ベースボールONLINE. 2020年3月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]