田原村 (千葉県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たばらむら
田原村
廃止日 1954年7月1日
廃止理由 新設合併
鴨川町田原村西条村東条村鴨川町
現在の自治体 鴨川市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
安房郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 安房郡鴨川町、西条村、主基村曽呂村君津郡亀山村
田原村役場
所在地 千葉県安房郡田原村
座標 北緯35度07分18秒 東経140度04分08秒 / 北緯35.12178度 東経140.06878度 / 35.12178; 140.06878 (田原村)座標: 北緯35度07分18秒 東経140度04分08秒 / 北緯35.12178度 東経140.06878度 / 35.12178; 140.06878 (田原村)
田原村 (千葉県)の位置(千葉県内)
田原村 (千葉県)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

田原村(たばらむら)は、千葉県安房郡長狭郡)にかつて存在した村である。現在の鴨川市の中部に位置している。

地理[編集]

現在の鴨川市域を、鴨川市成立時およびその後の合併時の町村によって4地区に区分する場合、「鴨川地区」の一部に位置付けられている。鴨川市域を町村制施行当時の町村(旧町村)によって12地区に区分する場合は「田原地区」とされ[1]、現在の大字では坂東(ばんどう)・押切(おしきり)・池田(いけだ)・京田(きょうでん)・太田学(おだがく)・竹平(たけひら)・川代(かわしろ)・太尾(ふとお)・来秀(らいしゅう)・大里(だいり)および田原西(たばらにし)が含まれる[1][注釈 1]

歴史[編集]

安房郡域の町村制施行時の町村
(※1897年に平郡・朝夷郡・長狭郡を安房郡に編入)
1.北条町 2.館山町 3.豊津村 4.西岬村 5.富崎村 6.長尾村 7.豊房村 8.神戸村 9.館野村 10.九重村 11.稲都村
平郡】21.凪原村〔のち那古町〕 22.船形村 23.八束村 24.富浦村 25.岩井村 26.勝山村 27.保田村 28.佐久間村 29.平群村 30.滝田村 31.国府村
朝夷郡】41.白浜村 42.七浦村 43.曦村〔のち千倉町〕 44.健田村 45.千歳村 46.豊田村 47.丸村 48.北三原村 49.南三原村 50.和田村 51.江見村
長狭郡】61.太海村 62.大山村 63.吉尾村 64.由基村〔のち主基村〕 65.田原村 66.鴨川町 67.曽呂村 68.西条村 69.東条村 70.天津村 71.湊村〔のち小湊町〕
現在の行政区画
赤:館山市 桃:鴨川市 紫:南房総市 橙:鋸南町

前近代[編集]

和名類聚抄』(和名抄)に記載のある長狭郡田原郷について、当地に比定する説がある[3]:1089。古代の田原郷は、酒井郷の東、加茂郷の西北にあったとされる[3]:1091

『明治22年千葉県町村分合資料』によれば、池田・京田・太田学・竹平・坂東の5か村は、古くは西打墨[注釈 2]と呼ばれ、年代は不明ながら西打墨から田原郷が分村し、田原郷が池田村と改称して、寛永元年に5か村に分割された[4]。『千葉県安房郡誌』が引く『安房国誌』によれば、田原荘に太田学・池田・京田の3か村があったが、寛永元年に池田村が割かれて京田・太田学・竹平・坂東の4か村に分けられたという[3]:1091

近代[編集]

1878年(明治11年)、千葉県に郡区町村編制法が施行されると、のちの田原村域の北部に池田村・押切村・京田村・太田学村・竹平村・坂東村の連合(坂東村外5か村連合戸長役場[3]:1092)、南部に川代村・来秀村・太尾村・大里村の連合(川代村外3か村連合戸長役場[3]:1092)が成立[4]。1884年(明治17年)に戸長役場の管轄変更が行われた際に、10か村が1つの連合にまとまった[4](坂東村外9か村連合戸長役場[3]:1092)。1887年(明治20年)、坂東村に役場が新築された[3]:1092

1889年(明治22年)、町村制の施行にともない、10か村がそのまま1つの村となり、田原村が発足[4]。新村名は、かつてこの地域の一部が田原郷と呼ばれ、当時も「田原」という呼称が使われていたことから来ている[4]

行政区画・自治体沿革[編集]

経済[編集]

1888年(明治21年)に記された分合取調文書によれば、住民はおおむね農業で生計を立てていたとある[4]

1926年(大正15年)の『安房郡誌』によれば、村は純農村で、肥沃な土地は農耕に適するとある[3]:1093。副業としては畜産の発展が挙げている[3]:1093。同書では藁製品の製造や林業にも言及がある[3]:1093

交通[編集]

道路[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 大字の読みは日本郵便の郵便番号検索[2]による。
  2. ^ 打墨(うつつみ)は町村制施行時に西条村の一部となった。

出典[編集]

  1. ^ a b 大字別世帯数および人口” (pdf). 鴨川市統計書 平成28年版. 鴨川市役所. pp. 18-19. 2018年3月30日閲覧。
  2. ^ 郵便番号検索
  3. ^ a b c d e f g h i j 千葉県安房郡教育会 編『千葉県安房郡誌』千葉県安房郡教育会、1926年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980721 
  4. ^ a b c d e f 田原村」『明治22年千葉県町村分合資料 十八 長狭町村分合取調』、30-34頁http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000014-CHB6002102018年3月30日閲覧 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]