田中雅夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田中 雅夫(たなか まさお、1912年 - 1987年)は日本の写真評論家。写真家の濱谷浩濱谷了一は実弟。本人は「養子」に出たために、姓が「田中」となっている。

来歴[編集]

東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)卒。弟である濱谷浩の甥には、プロ歌手もいた[1]。雑誌「日本カメラ」の編集長も務め、日本写真全集(全12巻・小学館)の編集も行った。1937年には、濱谷浩とともに、「銀工房」という写真スタジオを開設した。また、瀧口修造らの、前衛写真協会にも参加した。田中の写真を撮る技法は、繊細で前衛的な手法だった。

1967年日本リアリズム写真集団の副理事長に、伊藤逸平、藤本四八とともに選出。理事長は田村茂[2]。田中は、KPS(関東写真技術学校)の講師を秋山庄太郎、細江英公、植田正治らとともに務めた[3]

主著[編集]

  • ヌードフォト入門・アルス(1950)
  • 写真におけるリアリズム・日本カメラ社(1956)
  • 写真一二〇年史・ダヴィッド社(1959)
  • 写真東京風土記・毎日新聞社(1964)
  • 組写真をどうつくるか・ダヴィッド社(1969)
  • 写真130年史・ダヴィッド社(1970)
  • 海外の写真家100人(川上四郎と共著)・ダヴィッド社(1975)
  • 風景写真研究・朝日ソノラマ(1976)
  • カメラマンになるには・ぺりかん社(1979)
  • 私の昭和写真史・東洋書店(1980)

写真集/写真誌[編集]

  • 写真集「民謡山河」(須田一政・冬青社・2007年)
    • 写真月刊誌「日本カメラ」に連載(全24回)。連載は田中雅夫の文章とのコラボレーションであり、共同作品とも言える。[4][5]

出典[編集]

  1. ^ デューク・エイセスの印象的なベース歌手・槇野義孝が、濱谷の甥にあたる
  2. ^ 日本リアリズム写真集団概要
  3. ^ KPS 田中雅夫 Made in wonder 2024年2月3日閲覧
  4. ^ 参考ページ1
  5. ^ 参考ページ2

関連項目[編集]