生田恵子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
生田恵子
基本情報
出生名 岩崎八重子
出生 1928年????
出身地 日本の旗 日本東京都
死没 1995年4月18日
活動期間 1949年 - 1995年
レーベル ビクター

{{{Influences}}}


生田 恵子(いくた けいこ、本名:斉藤八重子(旧姓・岩崎)、1928年昭和3年) - 1995年平成7年)4月18日)は、日本歌手

来歴[編集]

東京都出身。宝塚歌劇団を経て、1949年に歌手デビュー。芸名の由来は「ビクターで稽古」から。

1952年、ブラジルの民族音楽である「バイヨン」を取り入れた「バイヨン踊り」がヒットし、「バイヨンの女王」と呼ばれるようになる。その後、「東京ティティナ」「東京バイヨン」「銀座マンボ」「月夜の水車小屋」「君懐しのトランペット」がヒットした。

1956年12月31日第7回NHK紅白歌合戦に初出場し、「アイ・アイ・バンジョー」を歌唱した。この第7回紅白の生田の歌のラジオ中継の音声が現存する。

昭和40年代の懐メロブームの際は、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「なつかしの歌声」に出演し、往年の曲を披露した。

晩年は、自身のヒット曲である「東京ティティナ」と同じ店名の飲食店を経営する傍ら、日本歌手協会主催の歌謡祭などにも度々出演し、変わらぬ美声を披露していたが、1995年4月18日、脳出血のため相模原市の病院で死去。享年68。

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

  • 第7回(1956年12月31日、東京宝塚劇場)『アイ・アイ・バンジョー』

テレビドラマ出演[編集]