生活形式

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生活形式(せいかつけいしき、:Form of life:Lebensform)はルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインやその他分析哲学言語哲学の系譜に属する者が使う非専門用語。「生活の様式」とも。この言葉はヴィトゲンシュタインによってしばしば様々な用法で用いられたが、社会学的・歴史学的・言語学的・心理学的・行動主義的な決定因子を含んでいて、そういった決定因子は与えられた言語がそこで意味を持つような基盤を構成する。シュペングラーの文明モデルに似ていて、ひょっとしたらシュペングラーの文明モデルに基づいているのかもしれないが、ヴィトゲンシュタインはこの言葉を教条主義的に使ったことは決してなく、むしろ非理論的に用いていた。

生活形式に関する批評は、全体としていかなる概念を理解するための説明にもなっていない。概念に関する批評は簡潔で、議論の余地がない、誰でも理解できるような言明である。しかしながら、いったん緊張すると、批評は既に理解されたと思われるものを説明する。この説明は人という生きものが様々な生活形式に携わっているゆえに起こる。ただし、生活形式は異なっている部分もあるものの基本的なレベルは共通していて変わらない。このことは、例えば、異文化に触れる人がどのようにして自分と異なる言語、慣習、行動を理解するのかの説明となる(ヴィトゲンシュタイン"Remarks on Frazer's Golden Bough"を参照)。

想像上の対話者に対して、ヴィトゲンシュタインは以下のように返答する:

「だからあなたは人の共通点によって何が正しく何が間違っているか決まると言っている?」――決まるのは人が何が正しく何が間違いと「言って」いるかである。また、人は彼らが使っている特定の「言語」の中で同意に至る。これは意見の一致ではなく生活形式の一致である。(Wittgenstein, Philosophical Investigations, para. 241)

通常、人は自分のしていることをするまたは言う理由あるいは方法を正当化する活動をやめることはない。実際、科学的な方法で問われた問いによってある種の独特な生活形式がもたらされることもあるだろう。

こういった問いが問われると、哲学的探求は問う人に、確かな、当然のこととして思っていたが、問いを解決する助けになる特筆すべきものを気付かせることを伴う。この問いによって、私たちが時に狼狽させられると思っていたものがことによってはさほど厄介でなくなる。私たちは与えられた生活形式を当然のものとして特に問題にしないので、物事を平易にこなすことができるというのも、生活形式によって、私がそれについて、あるいは私自身について、あるいは世界の意味についての理解が与えられるからである。生活形式は意味それ自体を可能にする。

参考文献[編集]

David Kishik, "Wittgenstein's Form of Life," (London: Continuum, 2008). ISBN: 9781847062239

Jesús Padilla Galvez; Margit Gaffal, "Forms of Life and Language Games". (Heusenstamm, Ontos Verlag, 2011). ISBN 978-3-86838-122-1 [1]

Jesús Padilla Gálvez, Margit Gaffal (Eds.): Doubtful Certainties. Language-Games, Forms of Life, Relativism. Ontos Verlag, Frankfurt a. M., Paris, Lancaster, New Brunswick 2012, ISBN 978-3-86838-171-9.

Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Private Language, Grammar and Form of Life," in Wittgenstein

Wittgenstein, Ludwig. Philosophical Investigations: The German Text, with a Revised English Translation 5oth Anniversary Commemorative Edition. Trns, G.E.M. Anscombe. Wiley-Blackwell; 3 edition, January 15, 1991. ISBN 0631231277