生き埋め

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生き埋め(いきうめ)とは、動物ヒトを含む)が生きたままで土中などに埋没すること、あるいは、人為的に埋没させられることを言う。

生き埋め(通俗)[編集]

一般用語としては、人間と動物の別にかかわらず、災害自然災害[1]、人災)、事故、人為(通常的行為、宗教的行為、犯罪的行為)によって、生きたまま自力で脱出できない深さまで土中などに埋まってしまうこと、埋められてしまうことを指して生き埋めと言う。

「埋没」と呼べる深さにまで埋まって始めて「生き埋め」であり、自力で脱出できる深さや状態ではそのように呼ばない。また、呼吸も困難なほど深い埋没だけでなく、首から上を外に出した状態でも「生き埋め」と呼ぶのであり、したがって、この語・この表現の段階で生死は問わない[2]。生き埋め状態がただちに生死に関わるわけでもないし、生死に関わる場合でもそこから救出されれば生、それが叶わない場合が死である[2]

ランチョ・ラ・ブレアのタールピット
天然アスファルトの沼に落ちた動物は這い上がることができずに生き埋めとなり、時を経て化石となる。現地ではそういった地質時代の悲劇的光景がロサンゼルス郡自然史博物館英語版の手になる模型によって復元されている。写真にあるのはアメリカマストドンの家族。

土中、土砂中に埋没することを指す場合が多いが、元より、「埋没してしまうような環境中に生きたままで埋没する」ことが「生き埋め」であって、古代の動物や古代人がタールピット[3](■右に画像あり)や伝説的な底なし沼[4]に呑み込まれて落命したのもそれであるし、近現代の例で言えば、ミキサー車の中や工事現場にある生コンクリートの海とか、工場内の小麦粉やテレビ番組の撮影用に細かくされた発泡スチロールなどといった粉粒体の山、この種の埋没しやすい物の中に落ちて生き埋め状態になったという話を見聞きすることは大して珍しくもない。

また、埋没させる物に直接触れない状況下での生き埋めもある。長くは生存し得ない閉鎖空間内に被害者がいる状況で、空間ごと埋まってしまう場合も、生き埋めと言う。逃げ込んだ場所がその空間を保ったまま周囲ごと埋まってしまうことは、動物たちが生きる山野でも起こり得る事態であるが、施設や乗り物を始めとする閉鎖空間であふれかえっている現代都市社会ともなると頻繁に起こる状況である。加えて、後述する犯罪刑罰の分野ではあるが、閉鎖空間内に被害者を閉じ込め、その空間ごと埋めてしまうという行為も生き埋めである。

災害、事故[編集]

火山灰に埋まった遺体が朽ちることで遺った空洞に石膏を流し込んで復元された、ポンペイの犠牲者の姿。

災害事故として起こる生き埋めについては、該当記事内にて解説する。

自然災害による生き埋めについて本項で特筆するならば、ヴェスヴィオ山の大噴火によって滅びた古代ローマの都市ポンペイの話であるが、この都市の人々(■右に画像あり)のほとんどは、火山灰火山性有毒ガス火砕流等によって死に至った後に埋没したのであるから、その意味で厳密には「生き埋め」ではない(※平素の表現では、即死したと同時に遺体が埋没した場合も「生き埋め」と呼ぶことは珍しくない。火砕流に呑み込まれた犠牲者は時速100キロメートル以上の速さで迫りくるそれに襲われて即死すると同時に一瞬にして街ともども埋没している)ものの、避難する機会を逸して都市に留まったがために屋外にも出られず建物ごと火山灰に埋まっていった人々も多く、彼らの最期は「生き埋め」と呼ぶにふさわしいものであった。

また、雪に埋まる、積もった雪の中に屋根などから落ちて生き埋めになって凍死に至る、などといった雪に原因する生き埋め事故は山岳部ばかりでなく人里でも頻繁に起こる。

2000年代後半以降のロシアでは「への恐怖を克服するため」「自らの忍耐力を試したい」などと称して自らの意志で生き埋めとなるという修行めいた無謀な挑戦の決行者が現れ、インターネットを通じて流行するようになってしまった[5]。インターネット上での実況中継者が多数現れるなか、2009年の夏には北西部の都市ヴォログダにて友人の助けを借りて森で生き埋めになった男性1名が死亡し、2011年6月にも極東部のブラゴヴェシチェンスクにて男性1名が死亡した[5]。後者の死因は、一晩中降り続いた大雨が通気孔を塞いでしまったことによる窒息であったと推定された[5]。動機と状況は大きく異なるが、自ら生き埋めになって死亡した事故は日本にも例がある。2011年8月27日、石川県かほく市大崎海岸の砂浜で若い夫婦が落とし穴に落ちて死亡したが、落とし穴は2.4メートル四方、深さ2.5メートルという大きなもので、夫の誕生日を祝うイベントとして妻が企画し、友人たちと一緒に掘ったものであった[6]。上部の穴に被せたブルーシートを砂で隠し、シートの端々を押さえる重しとして大量の砂を使っていたため、誤って落ちた際に想像以上の砂が体と共に穴に落ちることとなり、しかも上半身を下にして落ちたことから、姿勢を戻すことができないまま窒息死したものと考えられている[6]

エドガー・アラン・ポーの小説 『早すぎた埋葬』の挿絵
仮死状態を死亡と誤認されて埋葬されてしまい、棺桶の中で蘇生してしまった人の、この上ない恐怖が描かれている。

生きながらの埋葬[編集]

仮死状態などに陥ったことが原因となって「死亡した」と誤認・誤診された人が、生きながらに埋葬されてしまうという悲劇は、土葬を行っていた地域であれば洋の東西を問わず、検死技術が未発達であった時代には少なからず発生していたと考えられる。それは、「棺桶を内側から開けようとした形跡のある埋葬遺体」の目撃談が世界各地に数多く残っていることと、全てが該当するわけではないにしても、無関係とは思えない。18世紀ヨーロッパでは、このような悲劇を防ぐために、内側から外部に救助を求めることが可能な棺桶である安全棺が発明され、1世紀ほどの間、実用された。吸血鬼伝説の逸話にもこの種のものは特徴的で、このように昔の人が「死者の蘇り」と理解した現象が、実際には「土葬された後に仮死状態から回復したために生き埋め状態になって死ぬことになった犠牲者の苦悶」を示すものであった可能性は否定できない。

エドガー・アラン・ポー短編小説早すぎた埋葬』(1844年刊)などにおいて、19世紀欧米でさえ現実的であった「生きたまま埋葬されること」への怖れを、テーマや演出素材として扱っている。

宗教的行為、政治的行為[編集]

宗教的および政治的行為として行われる生き埋めは、多くの場合、生贄(動物を含む)や人身御供の一種である。日本にはこの形の人身御供として人柱があった。人柱に類似の人身御供は日本以外の地域でも散見される。ほかにも、アフリカマリ共和国の都市ジェンネに残る伝説では、9世紀末に都市が築かれる際、タパマ・ディネポ (Tapama Dienepo) という一人の少女が、都市防衛と繁栄祈願のため、都市の城郭に生き埋めにされたという。

また、政治的側面を多分に備える宗教的行為と言うべきであるが、権力者の死に伴う殉死者が殉葬という形で生き埋めにされることは古代世界において稀ではなかった。『日本書紀』の記すところでは、倭彦命の死に伴って側近たちが主人の墓の周辺に生き埋めにされたが、その最期があまりにも悲惨な様子であったことから、これよりのち、野見宿禰の考案した埴輪をもって殉死者の代わりとする習慣が生まれたという(埴輪の起源譚)。記述の厳密な信憑性はともかくとして、当時の日本には生き埋めによる殉死が故習として存在し、やがて廃止されるに至ったことが窺える。

そのほか、信仰がらみの虐待で生き埋めが行われることもある。

犯罪行為・犯罪的行為[編集]

犯罪行為やそれに近い犯罪的行為としての生き埋めには、様々な種類の虐待によるものや、私刑によるものがあり、猟奇的側面が色濃い。 具体的に事件を挙げるならば、東大阪集団暴行殺人事件2006年、日本)など典型と言える。重機を使って掘った穴に被害者たちを生きたまま埋めて殺した集団リンチ事件である。日本では他に、佐賀貰い子殺人事件1902年)、警察庁広域重要指定118号事件(千葉・福島・岩手誘拐殺人事件。1986-1991年)、栃木生き埋め殺人事件1992年)などがある。

また、政敵や邪魔者(無用となった味方、多すぎる捕虜なども含む)の排除などを目的に殺人が行われることは歴史の常とさえ言えるが、その手段として生き埋めが行われることもある。例えば、平安時代後期の日本の武将・平成幹は口封じのために謀殺されたが、殺害手段は生き埋めであった。他の人物では、八釣白彦皇子456年、日本)、汪寿華1927年中国)なども生き埋めにされて殺されている。

本来は信仰心によって立つ人柱という風習に名を借りた組織的殺人が、過去には行われていた(人身御供の一面を持ちつつ行われる、体力的消耗を来した奴隷的人材の殺処分。cf. 常紋トンネル)。

生き埋め(生態)[編集]

動物の生態において生き埋めという行為に及ぶ例はあまり知られていないがしかし、プレーリードッグの雄などは縄張り争いをするライバル雄を巣穴で生き埋めにして殺すことがある。巣穴は地中で複雑に繋がっているため、他の出入り口から逃げることも不可能ではないが、その構造を活かして生還する個体は稀にしかいない。

生き埋め(戦争)[編集]

アメリカ陸軍の装甲ブルドーザー「M9ACE
敵の塹壕を戦闘員もろとも埋めてしまう作戦行動が可能な戦闘工兵車であり、通常戦闘の範疇を超えた非人道性が問題であるともされている。

戦争における戦術および戦闘の手段や結果としても生き埋めがあるが、これは戦闘員や非戦闘員を殺害するのであって、刑罰とは区別されるべきものである。ただし、降伏した捕虜や一般住民の処刑などといった行為のなかには、どのような大義名分が掲げられていようとも、私怨による報復や猟奇的な虐殺としかとれないものがあり、戦争行為と刑罰、および、犯罪行為の区別を明確にすることは難しい。

フランス軍人トマ・ロベール・ブジョー配下のサンタルノ大佐は、1845年アルジェリアでの戦いで洞窟に逃げ込んだアラブ人を全て生き埋めにして殺害し、その後の2年間、大量虐殺を続けた。 1990年代湾岸戦争においては、ドーザーブレードを装着したアメリカ陸軍の装甲ブルドーザーM9ACE」(■右に画像あり)によってイラク軍の塹壕を埋め立てる作戦が行われた結果、逃げ遅れたイラク軍兵士の一部が生き埋めとなったという報告がある(cf. 塹壕#現代の歩兵と塹壕)。また、イラクの政治家アリー・ハサン・アル=マジードは、湾岸戦争停戦後、自国南部でシーア派住民による反政府蜂起(1991年インティファーダ)が起こると苛烈極まる弾圧の指揮を執った。捕らわれた住民は拷問を受けた後、戦車で轢き殺されたり、生き埋めなどの残虐な方法で殺された(cf. アリー・ハサン・アル=マジード#湾岸戦争後)。

9世紀平安時代初期)日本の蝦夷の軍事指導者であったアテルイは、大和朝廷軍の坂上田村麻呂に敗れて降伏し、処刑されたが、故郷に残っていた妻子や残党は大きな穴を掘らされて生きながら埋められ、惨殺されたと伝えられる。説ではあるが、生き埋めにした上に土をかけ、素直に降伏して奴隷となった者たちにその上から踏みつけさせたといい、これが今日に伝わるねぶた祭りの由来であるとしている。

生き埋め(刑罰)[編集]

法律的分野においては、刑罰の一種として生き埋めがある。

また、日本で行われていた石子詰めは、地面に穴を掘って、首から上が地上に出るよう受刑者を埋め、周囲に多くの小石を入れて圧殺するものであった。 古代オリエント世界で一般的に行われ、今日でも一部のイスラム教国で行われ続けている石打ちは、下半身を生き埋めにして、動きが執れない状態の受刑者に対して大勢の者が石を投げつけて死に至らしめる処刑法である。 鋸挽きという刑罰は、受刑者の首をで切断するという処刑方法であるが、日本で行われていた鋸挽きの場合、首から下を土中に埋める形で受刑者を生き埋めにすることもあった。

関連作品[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ 一例として、山崩れによる帰雲城の埋没(城主一族は生き埋めにより全滅)。
  2. ^ a b “生コン工場で生き埋め 作業員の男性死亡 東京・練馬”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年12月26日). http://www.asahi.com/national/update/1226/TKY201112260486.html 2012年1月3日閲覧. "工場内にある生コン用の砂を貯蔵する槽の中に、男性作業員が首まで砂で埋まっており、約6時間後に救出されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。" 
  3. ^ アメリカ合衆国ロサンゼルス市内に残るランチョ・ラ・ブレアのタールピット地質学上で最も有名。
  4. ^ 古代エジプトの兵士が軍団ごと消えたとされるセルボニス沼(英語名:Serbonia)が有名。
  5. ^ a b c “ロシアで生き埋め実験が流行、またもや死者”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年6月2日). http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2803683/7290720 2012年1月3日閲覧。 
  6. ^ a b “あまりに大きすぎた落とし穴―夫婦2人生き埋め窒息死”. J-CAST テレビウォッチ(ウェブサイト) (ジェイ・キャスト). (2011年8月29日). http://www.j-cast.com/tv/2011/08/29105540.html?p=all 2012年1月3日閲覧。 

関連項目[編集]