甘夫人

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甘 夫人(かん ふじん、? - 208年?)は、劉備側室。父母は不明。沛国の人。劉禅の母。

[編集] 生涯

194年、劉備が予州刺史として小沛に移住したころ、妻とした。当時の正妻は糜夫人(糜竺、糜芳の妹)であり、甘夫人は身分の低さから側室のままであったが、最も長く連れ添っていたので、彼女が奥向きのことを取り仕切っていた。

207年、劉備に従って荊州に赴き、そこで劉禅を生んだ。208年曹操の軍勢が南下して、劉備を追撃し当陽長坂で追いつくと、劉備は甘夫人と幼い劉禅を置き去りにし、逃走した。そのとき武将の趙雲が劉禅を抱き、甘夫人を保護したため、難を免れた。しかし、甘夫人は間もなく亡くなり、南郡に埋葬された。

222年、甘夫人に皇思夫人として、蜀に移葬することになったが、柩がまだ到着しないうちに劉備が崩御し、甘夫人の子である劉禅が即位したため、丞相諸葛亮は、太常頼恭らと諡号を検討して、甘夫人に昭烈皇后と諡し、劉備と恵陵に合葬した。

なお、厳密には、「昭烈」は甘夫人自身を示す諡ではない。皇后の追号と併せて「昭烈帝の皇后」という格式を表すものである。このため、自身に「穆」と諡された呉夫人は『蜀書』において「穆皇后」と表記され、自身に諡のない甘夫人は「甘皇后」と表記されるのである。

[編集] 三国志演義での甘夫人

曹操の軍勢が官渡の戦い前に徐州の劉備軍を撃破、劉備が逃亡し関羽が甘夫人らの命の安全を誓うことを条件に投降する。関羽が官渡の戦いで袁紹配下の顔良文醜を討ち取り、義理を果たしたとして甘夫人らを引き連れ荊州に向かった際に、山賊の杜遠に捕まるが関羽を尊敬していた廖化が助けに入り助かる。

長坂の戦いでは、子の劉禅を糜夫人が抱き逃亡。糜夫人が負傷し、趙雲が助けに入り劉禅を趙雲に託すと、糜夫人は井戸に身を投げて自殺してしまう。甘夫人は無事逃亡に成功している。その後、孫夫人との縁談の際に「夫人に先立たれている」ことから、これまでに死亡しているという設定である。