瓜田純士

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瓜田 純士(うりた じゅんし、1979年12月4日 - )は、日本俳優作家フリー格闘家映画監督モデルエッセイスト東京都新宿区出身。身長181cm 体重59kg

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[編集] 来歴

ブラックエンペラーの二代目総長を父親(映画出演「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」、『俺達には土曜しかない』の著者)に持ち、自身も少年時代から喧嘩に明け暮れながら育った。12歳の頃には児童相談所と新宿中の区立学校の判断により、一時杉並区に転校(その時のエピソードは写真集『新宿情話』(バジリコ)に綴られている)。

16歳で、極道組織へ加入。

非営利団体・過激多国籍バウンサー組織・『供攻社』を設立。雑誌『特冊新撰組』(竹書房)に『歌舞伎町私設防力団』として連載劇画化されたが本人の収監に際して供攻社は事実上解散し、出所後に極道組織から脱退。

ショートmovie『ブルーベリー 〜僕の詩 母の歌〜』で監督・主演でデビュー。ヴェネツィア映画祭カンヌ映画祭沖縄映画祭などに出品するも、「賞欲しさに撮ったフィルムじゃない」と、ノミネートを拒否。しかし、北野武等が目を通した事が、本人を納得させた。[要出典]

作家デビュー作「ドブネズミのバラード」(太田出版)が2008年9月12日に発売。帯にはリリーフランキーなど著名人からの推薦寄稿が寄せられた。

第2作「ピラニア 雨の街 俺たちの絆」(太田出版)が2009年3月発売。

2008年3月30日前田日明がプロデュースした格闘技大会「THE OUTSIDER」のセミファイナルに出場。aym-jetと対戦し、グラウンド状態での踵落しを繰り出し、TKO勝ち。この対戦について本人は「背負ってるものが違う。カリスマだからよ」とコメントしている。

2008年7月19日、「THE OUTSIDER 第弐戦」のセミファイナルに出場。大谷匡弘と対戦し、1R28秒レフェリーストップで敗北。入場時には集団でバットのようなものを持ち登場した。

2008年12月15日、バンコクで逮捕拘留、原因は不明。

2008年12月26日に帰国し、地下格闘技イベント「喧王」Zepp Osakaに参戦。招待戦スペシャルワンマッチチョコボール金山と対戦、判定により敗北。その後自身の病気をカミングアウト。

2009年1月18日、国立代々木第2体育館で開催されたムエタイ興行「ムエローク Japan 2009 〜最大最強のムエタイ祭り〜」で元ルンピニー・スタジアム認定ライト級王者チャンデー・ソーパランタレーと2分2Rのエキシビションマッチを行った。

2009年4月10日、「喧王」二戦目、ジャックナイフ林にKO負けし、地下格闘技からの引退を発表。その際に「それでも東京ストリートNo.1なのか?」と嘲弄され、「オレにもよくわからないんだ、ストリートの神にそそのかされて無理矢理参加させられたんだ」とコメントした。

2009年4月12日、「新宿アースダム 〜KING OF TATTOO LIVE〜」に参加した。

2009年4月25日、『ブルーベリー 〜僕の詩 母の歌〜』が全国発売。(GPミュージアム

2009年5月22日、阿佐ヶ谷loftAでイベント「瓜田純士 〜ブルーベリーナイト〜」開催。

2009年7月5日、JUNSHIと改名し独自の活動を開始する。

[編集] 著書

  • ドブネズミのバラード(2008年)
  • ピラニア(2009年3月)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク