琴冠佑源正
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琴冠佑 源正(ことかんゆう もとまさ、1966年2月2日 - )は、北海道新冠郡新冠町出身の元大相撲力士。佐渡ヶ嶽部屋所属。本名は西尾源正(にしお もとまさ)。十両時代の身長183cm、体重129kg。得意は右四つ、寄り。最高位は東十両7枚目(平成13年(2001年)7月場所)。2006年九月場所に40歳で引退するまで25年半、154場所現役を務めた。
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[編集] 来歴
実家はサラブレッドの名産地ということもあり牧場を営んでいた。新冠中学校時代はサッカー部に所属し、入門前の相撲経験は無い。中学校卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門。昭和56年(1981年)3月場所に初土俵を踏んだ。平成2年(1990年)の夏には部屋近くの路上を自転車で走行中オートバイと接触し右大腿部を骨折、3場所連続で休場した。怪我に悩まされ伸び悩んだ時期もあったが、平成8年(1996年)1月場所に初土俵から所要89場所、当時史上1位のスロー記録で十両に昇進した。
新十両から2場所連続十両の土俵を務めた後、幕下に陥落。それ以後、幕下上位で一進一退を続けていた。平成12年(2000年)9月場所に東幕下5枚目で6勝1敗と大きく勝ち越し、翌11月場所は28場所ぶり、通算128場所目で十両に復帰した。同年7月場所限りで北勝鬨が引退したたため100年以上絶え間なく続いていた道産子関取が姿を消していたが、1場所で復活させた(平成16年(2004年)3月場所以降、道産子関取は再び途絶えている)。しばらく十両に定着していたが、平成14年(2002年)9月場所を最後に幕下に陥落した。
幕下でも年齢を感じさせぬ若々しさと安定した成績を残し上手い相撲を見せ、特に土俵際はしぶとく、うっちゃりなどで観客を沸かせていたが、平成18年(2006年)9月場所8日目の対勢戦、土俵上で張り手を交えた相撲に敗れ、取組後支度部屋で対戦相手をタオルを巻いた拳で殴る事件を起こしたため師匠の佐渡ヶ嶽より引退を勧告され、10日目に引退届を提出、この場所限りで引退した。実際には以前からこの場所を限りに引退することを決めていた。事件を起こす前の取組まで3連勝しており有終の美を飾るはずが自らの手で引退を早めてしまった。同年10月7日には東京都中央区銀座の銀座東武ホテルで断髪式を行った。尚、1993年9月場所から引退までの13年もの間、一度も三段目に陥落しなかった。
[編集] 新十両昇進所要場所記録
琴冠佑は、昭和63年(1988年)9月場所に十両に昇進した貴ノ嶺の84場所の記録を上回る89場所で昇進した。この記録は平成17年(2005年)5月場所に出羽の郷(114場所)によって塗り替えられた。
[編集] その他
- 現横綱・朝青龍を、幕下時代に一度(2000年1月場所)、十両時代に一度(2000年11月場所)破っている。
- 一部の相撲ファンからは時々、間違って「琴カップ」と呼ばれることがあった。佐渡ヶ嶽部屋の同期生に、奇跡の復活を遂げたことで有名な前頭・琴別府(引退・退職)がおり、幕下の長かった琴冠佑には琴別府の付き人を務めていた時期があった。そのため、一部のファンは、一緒にいる時間の長い両力士の四股名を混同してしまった。琴冠佑本人は、「『琴カップ』なんて、一体どういう字を書くんですか?」と苦笑していたことから、四股名を間違って呼んだファンには、琴冠佑が北海道の新冠(にいかっぷ)町出身であるという意識はなかったようである。
- 断髪式には佐渡ヶ嶽部屋関係者は出席せず、再就職先の会社社長が止め鋏を入れた。
- 身体障害者でひらがな詩人の栗栖晶氏と交流があり、その様子がNHK総合テレビ『ホリデーにっぽん ひらがな詩人と苦労人力士』(2007年2月12日放映)で紹介された。
[編集] 主な成績
- 通算成績:591勝525敗50休
- 十両成績:67勝98敗15休
- 通算在位:155場所
- 十両在位:12場所
[編集] 改名歴
- 西尾 源正(にしお もとまさ)1981年3月場所
- 琴ノ洋 源正(ことのなだ もとまさ)1981年5月場所~1986年3月場所
- 琴の洋 源烈(ことのなだ もとれつ)1986年5月場所~1988年7月場所
- 琴の洋 源正(ことのなだ もとまさ)1988年9月場所~1994年1月場所
- 琴冠佑 源正(ことかんゆう もとまさ)1994年3月場所~2006年9月場所

