王蒙

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具区林屋図、元末明初、王蒙, 台北故宮博物院

王蒙(おうもう、ピンイン:Wáng Méng、ㄨㄤˊㄇㄥˊ1308年 - 1385年)は末期の画家である。黄公望呉鎮倪瓚らと並ぶ 元末四大家の一人である。

概説[編集]

王蒙は、呉興(現浙江省)の出身。元初期を代表する文人である趙孟頫の外孫であり、王蒙の父の王国器も黄公望や倪瓚とも親交があるほどの文人であるという名家の生まれである。王蒙は、祖父趙孟頫の影響を強く受けたが、また黄公望にも師事した。さらには、時代の王維時代の巨然らの影響も受けて緻密ながら壮大な山水画を描いたという。このため、王蒙は南宋画の大成者の一人とまで称された。元末期には、官についたといわれる。後に国が乱れて各地で騒乱が発生すると、騒乱から避難するために官を辞して杭州北部の黄鶴山に隠棲した。そのため、1341年(至正初年)黄鶴山樵と号している。絵画だけでなく詩作にも優れた才能を発揮した。初期に洪武帝の招聘を受けて州知事にまで昇進したが、胡惟庸の獄に連座して獄死した[1]

脚注[編集]

  1. ^ 王凱「中国絵画の源流」(2014年)秀作社出版129ページ