王フツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
本来の表記は「王紱」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
王紱, 墨竹図, 1401年

王 紱(おう ふつ、至正22年(1362年) - 永楽14年(1416年)) は、中国明代初期の文人に巧みで人品が高く生涯を清貧に過した。

字を孟端、号を友石生・九龍山人・青城山人と称した。紱は芾・黻とも書いた。江蘇省無錫の人。

16歳で諸生となり、27歳で科挙に及第し進士となる。博学才知であったが、なんらかの事件に連座して山西に十数年も貶謫され、隠遁生活を送る。38歳にてようやく許されたが目の病気のためしばらく療養。病がいえると庵に大壁画を描いたという。永楽年間に能書能文であることで推挙されて文淵閣に出仕したが、すでに42歳であった。その後中書舎人にまで上り北京への遷都に従った。享年55。

詩文をよくし、書画に秀でた。山水画に造詣が深く元末四大家倪瓚王蒙に師法。明代中期の文徴明らの呉派に大きな影響を与えている。また墨竹図文同呉鎮に私淑して「明代第一」と評されるほど精妙であった。墨竹の遺風は夏昶(夏㫤)に引き継がれ後世に伝えられた。画に「秋林隠居図」(東京国立博物館収蔵 重要文化財)などが伝わっている。また詩集に『王舎人詩集』がある。


出典[編集]

外部リンク[編集]

「秋林隠居図」