牧野康成 (与板藩主)

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牧野 康成
時代 江戸時代前期
生誕 元和3年(1617年
死没 明暦3年12月30日1658年2月2日
改名 武成、康成
戒名 馨香院登譽泰安
墓所 浅草幡随院
官位 従五位下内膳正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱
越後与板藩
氏族 牧野氏
父母 牧野忠成永原道真娘泰寿院
兄弟 光成、嶺秀院、花形院、康成、朝成、
定成忠清、於吉
松平康重の娘
康道牧野忠成正室、稲垣重定正室、
水野重孟正室ら
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牧野 康成(まきの やすなり)は、江戸時代前期の大名越後国与板藩主。越後長岡藩分家牧野家初代(小諸藩祖)。官位従五位下内膳正

経歴[編集]

寛政重修諸家譜』巻第三百六十五の牧野康成の項[1]によると、当時、越後長峰藩主であった牧野忠成の次男として、元和3年(1617年)に長峰にて誕生した。初名を武成と称す。

寛永11年(1634年)、父・忠成から蒲原郡三島郡の内より新墾田1万石の分知を受けて与板藩主となる。そののち、従五位下・内膳正に叙位任官。慶安2年(1649年)旧暦5月から常陸国下館城の城番を務めた。明暦3年(1657年)には与板に入部したが、この年の12月晦日に享年41で死去した。葬地は浅草幡随院。法名は馨香院登譽泰安。

家督は長男の康道が継いだ。

系譜[編集]

父母

正室

子女

脚注[編集]

  1. ^ 堀田正敦等編 『新訂 寛政重修諸家譜 第六』 続群書類従完成会、1964年、271頁

参考文献[編集]

  • 堀田正敦等編 『新訂 寛政重修諸家譜 第六』 続群書類従完成会、1964年。