牛金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 牛金 | |
|---|---|
| 魏 後将軍 | |
| 出生 | 不詳 |
| 死去 | 不詳 |
| ピン音 | Niu Jin |
| 字 | 不詳 |
| 主君 | 曹操→曹丕→曹叡 |
牛 金(ぎゅう きん、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の魏に仕えた軍人。
[編集] 事跡
魏書曹仁伝においては、曹仁に従って各地を転戦する将として名がある。赤壁の戦い後に、周瑜率いる孫権軍6千人が江陵に攻め込んできた時に、牛金はわずか300人でこれを迎撃した。奮戦したが、所詮は多勢に無勢で、後一歩で危うく討たれるところであったが、牛金の身を案じた曹仁が救援に駆け付けたため、危機を乗り越えた。これが南郡や樊城も含む荊州北部の江陵攻防戦である。後に魏の後将軍に出世している。
また、『晋書』「高祖宣帝懿本紀」(宣帝とは司馬懿の事)においては、235年に魏に攻めて来た蜀漢の馬岱を勅命で迎え撃ち、馬岱に1000人余の犠牲者を出させ撤退に追い込んでいる。また239年には、司馬懿の燕王公孫淵征討に従軍するなど、司馬懿に従って転戦する将軍としても記述されている。
後に司馬懿によって毒殺されたといわれる。玄石図という石の表面に「馬の後を継ぐのは牛である」という言葉が浮かび上がっていた。そのため司馬懿は牛氏(牛金のこと)を深く恨み、毒が入った酒を牛金に飲ませて殺した、というのである。また、司馬懿の曾孫司馬覲の妃の夏侯光姫(字は銅環)は、小役人の牛氏と密通して、東晋の初代皇帝になる司馬睿を生んだ、という話が『晋書』「元帝本紀」にある。 なお、この晋書より先に、『魏書』(北魏書)の僭晋司馬叡伝に、「司馬睿は夏侯光姫と晋将牛金が姦通して生まれた子である」と記録されているが、これは時代が合致しない。
牛金が司馬懿に毒殺されたことも、東晋の初代皇帝の元帝が牛氏の血筋を引くことも確証はないので、真偽の程は不明である。