牛金
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牛 金(ぎゅう きん、生没年不詳)は、中国、後漢末期から三国時代の魏に仕えた軍人。
魏書曹仁伝においては、曹仁に従って各地を転戦する将として描かれている。赤壁の戦い後に、周瑜率いる孫権軍6千人が江陵に攻め込んできた時に、牛金はわずか300名でこれを迎撃した。奮戦したが、所詮は多勢に無勢で、後一歩で危うく討たれるところであったが、牛金の身を案じた曹仁が救援に駆け付けたため危機を乗り越えた。これが南郡や樊城も含む荊州北部の江陵攻防戦である。後に魏の後将軍に出世している。
また、『晋書』「高祖宣帝懿本紀」(宣帝の司馬懿の事項)においては、235年に魏に攻めて来た蜀(蜀漢)の馬岱を牛金は勅命で迎え撃ち、馬岱に千人余の犠牲者を出させ撤退に追い込み、239年には司馬懿の燕王の公孫淵征討に従軍するなど、司馬懿に従って転戦する将軍として記述されている。
のちに司馬懿によって毒殺されたという。玄石図という石の表面に「馬の後を継ぐのは牛である」という言葉が浮かび上がっていた。そのため司馬懿は牛氏(牛金のこと)を深く恨み、毒が入った酒を牛金に飲ませて殺した、というのである。また、司馬懿の曾孫司馬覲の妃の夏侯銅環は、小役人の牛氏と密通して、東晋の初代皇帝になる司馬睿を生んだ、という話が『晋書』「元帝本紀」にある。 なお、この晋書より先に、『魏書』(北魏書)の僭晋司馬叡伝に、「司馬睿は夏侯銅環と晋将牛金が姦通して生まれた子である」と記録されているが、これは当然時代が合致しない。
牛金が司馬懿に毒殺されたことも、東晋の初代皇帝の元帝が牛氏の血筋を引くことも確証はないので、真偽の程は不明である。

