若葉会幼稚園

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若葉会幼稚園

若葉会幼稚園(わかばかいようちえん)は、東京都港区西麻布にある学校法人北泉学園が運営する幼稚園1929年昭和4年)三井家当主、三井髙棟(三井グループ総帥、第10代三井八郞右衞門)により設立された。財閥三井家に縁があり、かつては園舎・備品等の一切が同家の財産であった。

概要[編集]

“各自の個性を尊重し、心身の円満な発達と共に正直、勤勉、質素、快活の美風を養成し、かつ、共同生活に慣れしめ、自立自助の人となる素地をつくる”(創設者第10代三井八郎右衛門高棟

かつて三井家が所有していた東京都港区西麻布の高台(麻布笄町)に1,300坪の敷地を有し、3歳児から5歳児を対象とした計7クラスを設置している[1]

東京都生活文化局が平成19年に発表した調査結果によると、入園初年度の納付金等の合計が100万円を超える幼稚園は東京都内に11園あり、若葉会幼稚園は108万円で第7位とされた[2]。入園時、3年保育として54名が入園する。入園料20万円、施設充実費30万円のほか、1口20万円からの寄付金を受付けている[3]2001年(平成13年)に制服・制帽が制定され、2005年(平成17年)からは給食も始められている[4]

松濤幼稚園との関係[編集]

東京のいわゆる「お受験」界において、若葉会幼稚園は、松濤幼稚園(渋谷区松濤)を筆頭に、枝光会附属幼稚園(港区三田)とともに、『御三家(進学)幼稚園』と称されていた[5]。ちなみに、1984年(昭和59年)4月から2009年(平成21年)3月まで若葉会幼稚園園長を務めた三井富美子は、松濤幼稚園の創立者で伯爵夫人であった林貞子の長女である。現園長を務める大林和子(三井富美子の長女)は、大林組会長大林剛郎の妻である。

歴史[編集]

  • 1929年昭和4年) 第10代三井家当主・三井高棟(みつい たかみね、第10代三井八郎右衞門)によって現在地に設立された[4]。当時の園児は、三井家、及び三井高棟の趣旨に賛同する財界関係者の子弟に限られていた[4]
  • 1945年昭和20年) 大東亜戦争で日本が敗戦すると、連合国軍によって財閥解体が行われ、三井高棟も公職追放となったことから、園の経営から退いた[4]。一方、教育基本法の施行に伴って幼稚園の位置付けも変更となったことを機に、若葉会幼稚園も一般家庭の子弟に対して広く門戸を開放することに方針を転換した[4]
  • 1956年昭和31年)再び三井家から、第11代当主・三井高公(みつい たかきみ、第11代三井八郎右衞門)が園長に就任した[4]
  • 1970年昭和45年)学校法人北泉学園が設立され、三井高公が同法人の初代理事長を兼務することとなった[4]
  • 1986年昭和61年)三井富美子[6]が園長に就任、三井高公は名誉園長に退いた。[4]
  • 2001年平成13年)三井富美子の夫・之乘が同園を経営する学校法人北泉学園理事長就任[4]
  • 2009年平成21年)大林和子が園長に就任。
  • 2010年平成22年)現在の園舎である新園舎が竣工。
  • 2013年平成25年)三井富美子が理事長に就任。

その他[編集]

本園は東京のいわゆる名門幼稚園として、有名小学校への進学実績や政官財界から著名人の子弟までが多く通うことで知られている。その垣間見えるエリート主義は、枝光会附属幼稚園愛育幼稚園などと共に、時に興味本位にシニカルに批評されている。

……真のお嬢様、お坊ちゃまが通う幼稚園が幾つか、ある。西麻布の牛坂沿いにある若葉会幼稚園もそのひとつである。……伊皿子坂の枝光会幼稚園、有栖川宮記念公園の愛育幼稚園も、お坊ちゃま幼稚園である。……これらの幼稚園の出身者は、結束力が強い。大学生となっても、同窓会を親子合同で行ったりする。官僚やビジネスマンとなった東大法学部出身の同級生たちの結束力が固いのと似ている。が、お嬢様、お坊ちゃまは、その家系をさかのぼってみると、有名な政治家、財界人、文化人を直接の血縁、または閨閥に何人も持っていることが多い。その重みに耐えられないナイーブな性格の場合、早いものは卒園後、初等科時代に学業不振に陥る。……同窓会に出てくるのは、運よく大学まで上がれた者とその親たちのみである。お嬢様、お坊ちゃまは、人生の敗北者に対して冷たい。会合は、成功者としての自分たちの昔話と、脱落者に関しての容赦なきウワサ話である。……真のお嬢様、お坊ちゃまは、だから、名門幼稚園に通い、同時に、双樹会、ひまわり会、桐花教育研究所という小学校受験のための塾でも学び、しかも、大学へ入るまでは留年もなくストレート、……お嬢様OB、お坊ちゃまOBとなっても、庶民という名の雑種混交人たちが入り込めない結束の強さは、ここにも見られる。 — 田中康夫、『ぼくたちの時代』、新潮文庫、1989年、「本当のイイトコお坊ちゃま生活考」

周辺地域[編集]

牛坂[編集]

牛坂

牛坂(うしざか、又は牛鳴坂、うしなきざか)は、若葉会幼稚園の前面を通る急峻な坂道である。坂は外苑西通りの裏路地である西麻布四丁目10番と11番の間に始まり、若葉会幼稚園の前を通って高樹町の高台方面まで西に登っている。

牛坂の坂下の小さな十字路付近には、かつて笄川(こうがいがわ)が流れ、橋梁「笄橋(こうがいばし)[7]」があった。坂下の川は竜川(広尾川)とも呼ばれた[7]。牛坂は源経基白金長者の伝説もあるこの笄橋に下る古道で、牛車が往来したことからこの名が付いたと考えられている[8]。また「牛坂」は略称であり、本来の名称「牛鳴坂」は、坂が険しく悪路であったために、荷牛が難渋していたことを現しているとも言われる[9]

この坂については『府内場末往還其他沿革図書』の天保度の図では、御太刀坂の北に並んで、笄橋西詰より旗本士邸の間を通る坂を「ウシザカ」と記載しているが、1942年昭和17年)に編まれた地誌 『麻布区史』では牛坂について、「牛坂 ― 132番地先の坂」とだけ記している[9]

東京都内では他に、文京区春日一丁目牛天神の裏手を南に下る急坂にも「牛坂」の名が付いている[7]。この春日の坂は潮見坂、鮫干坂、蛎殻坂とも呼ばれる[7]

脚注[編集]

  1. ^ 若葉会幼稚園ご案内 若葉会幼稚園のウェブサイト、平成23年11月23日閲覧
  2. ^ 平成19年度 都内私立幼稚園入園児(4歳児)納付金調査[リンク切れ] 東京都生活文化局私学部私学行政課、平成23年11月23日閲覧
  3. ^ 平成24年度園児募集要項 若葉会幼稚園のウェブサイト、平成23年11月23日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h i 若葉会幼稚園の沿革 若葉会幼稚園のウェブサイト、平成23年11月23日閲覧
  5. ^ 3校のうち2010年に松濤幼稚園が閉園した後は、上野毛幼稚園などその他の幼稚園を含めて3校目を択一できないが、近隣の愛育幼稚園(港区南麻布)などを含めて括られることもある(松濤幼稚園廃園後に見られる教育ビジネスによる一広告例:ジャック幼児教育研究所『3年保育受験準備クラス』「青山学院幼稚園など附属幼稚園やご三家(若葉会、枝光会、愛育幼稚園)などを志望されるお子様のためのクラス。」ジャック渋谷教室)。
  6. ^ 1940年昭和15年)、学習院大学名誉教授、林友春・貞子夫妻の長女として生まれる。母、貞子は東海大学教授で松濤幼稚園の創立者。三井之乘に嫁ぎ、ロンドンメルボルン、米国のノースカロライナに滞在した。若葉会幼稚園の運営には40歳のときから携わり、夫の三井之乘も同上のように2001年(平成13年)より北泉学園理事長に就任。
  7. ^ a b c d 「牛坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行
  8. ^ 「牛坂」 港区設置の標識による
  9. ^ a b 「牛鳴坂」 石川悌二 『江戸東京坂道辞典コンパクト版』(新人物往来社) 平成15年9月20日発行

関連文献[編集]

  • 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 笄橋」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、162-164頁。NDLJP:1174144/86 

外部リンク[編集]