片山東熊

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1917年11月30日建築學會が発行した「建築雑誌1917年11月号」より
1917年11月30日建築學會が発行した「建築雑誌1917年11月号」より

片山東熊(かたやま とうくま、嘉永6年12月20日1854年1月18日)- 1917年大正6年)10月24日)は明治期に活躍した建築家である。山口生まれ。工部大学校の建築学科第1期生。 宮内省赤坂離宮など宮廷建築に多く関わる。職務として県庁や博物館、宮内省の諸施設など36件の設計に関わったほか、公務の合間に貴族の私邸を中心に14件の設計を行った。 日本人建築家の養成を行うべく来日した、ジョサイア・コンドルの最初の弟子である。

目次

[編集] 経歴

奇兵隊に入隊、戊辰戦争に参戦
卒業後、工部省に勤務
  • 1882年(明治15年)有栖川邸建設のため、有栖川宮熾仁親王とともに欧州視察
  • 1886年(明治19年)皇居御造営局で明治宮殿建設に関わる、翌年までドイツ出張
  • 1889年(明治22年)宮内省内匠寮
  • 1897年(明治30年)東宮御所建設のため、翌年まで欧米を視察
  • 1899年(明治32年)東宮御所着工(竣工は1909年(明治42年))
  • 1911年(大正元年)明治天皇葬祭場などの建設に関わる
  • 1916年(大正5年)勲一等旭日大綬章

[編集] 主な作品

[編集] 余談

  • 兄(湯浅則和)が兵部省の汚職事件(1871年(明治4年)、山城屋事件)で長州閥の山県有朋をかばい辞職。このため山県が片山を引き立てたという。
  • 東宮御所の建設に心血を注ぎ、完成の報告を明治天皇に行ったところ、一言「贅沢すぎる」と言われてショックを受け、病気がちとなったという。

[編集] 関連項目